3.ごきげん天使ちゃん

 さて、放課後。


 今日は母上と、アサクサ・プラザ(20世紀の「浅草」の街並みを再現した観光スポット)にお出かけする予定だけど──シルヴィも一緒に行っていいよね? 駄目とは言わないだろうけど、念のため母上にケータイで一報入れておく。


 「無論、構わぬ。と言うより、是非とも連れてくるがよいわ」という母上からの「了承!」の応えを得たので、シルヴィを誘ってみる。


 「で、でも、私なんかが行って、迷惑じゃないかな?」


 奥ゆかしいのは美徳だけど、シルヴィのはちょっと度が過ぎるかな。


 「だいじょーぶ! 母上も、ぜひ一緒に行こうって言ってたもん。それとも、何か別に用事とかある?」

 「あ、ううん、そういうのはないんだけど……」


 しばらくモジモジしてたものの、やがてコックリと可愛らしく頷くシルヴィ。

 こ、コレが萌えってヤツなのか。お嫁に行ったファミィさんが、そういうのにうるさかったけど、今ならワタシにもわかる気がするかも!


 初めてシルヴィに会った時の衝撃は、未だによく覚えている。

 2年前、ファミィさんの結婚式に出席して以来、それまで意地を張っていた自分が何だかバカバカしくなって、幾分素直に「神威美佳」としての生き方を受け入れるようになったワタシは、以前と違った物の見方ができるようになっていた。


 もっとも、そうは言っても、やはり周囲の小学生たちとは、いささか精神年齢が違う。それなりに仲の良い友人はいても、心を許しあえる本当の友達まではおらず、ほんの少しだけ寂しさというものを実感していた。


 そして、今から半年ほど前の、とある朝のHRに、担任の先生に呼ばれて教室に入ってきた娘を見て、ワタシはひと目で心を奪われ、根拠はないけど確信したのだ。

 この子は、きっとワタシにとってかけがえのない大切な存在になる、と。


 あとで聞いたところ、実はシルヴィの方も似たようなものだったらしい。

 緊張しながら教壇に立ち、自己紹介しながらも、どこか懐かしさを覚える視線を感じたんだとか。


 やがて、席が隣りになったのをよいことに、休み時間を待たずにワタシは彼女に話しかけ──その日の放課後には、ウチに連れてくるほど親しくなっていた。

 ちなみに、ワタシが家に友達を連れて来たのはそれが初めてで、母上はたいそう喜んでくれた。


 だからだろうか、母上はシルヴィのことも、まるでもうひとりの娘のように何くれにつけて気にかけてくれる。

 シルヴィの家が母を亡くした父子家庭であることもあってか、不足しがちな「母親」としての役目を補うかのように……。

 そして、そんな母上の様子に、ワタシも不満や嫉妬を微塵も感じることがないのが、奇妙と言えば奇妙だった。


 念のため断っておくが、今のワタシは母上──神光寺由梨絵のことを、「母親」として慕い、甘え、頼りにしているつもりだ。

 身内の欲目を差し引いても母上は、母親として、またひとりの女性として非常に素晴らしい人物だし、ワタシのことを心底愛してくれている、と思う。そして、同様の親愛と敬慕の情を(恥ずかしいから面と向かって認める気はないけど)ワタシも母上に抱いている。


 実際、ワタシが来る前から長年ウチで働いているお手伝いの加代さんも、ワタシたちの様子を「本当の母娘みたいに仲がいい」と、嬉しそうによく語ってるし。


 それなのに、そのワタシたちの間に、シルヴィという少女が混じっても、何ら違和感を感じないのは、やっぱりちょっと不思議なことなのだろう。


 ──なぁんてことを頭の片隅で考えつつ、シルヴィを連れて家に帰り、その日は3人で楽しくアサクサ・プラザでお買物&お食事して過ごした。


 シルヴィの話では、今日はお父さんが出張に出たまま帰らないとのことなので、彼女の父に一報メールを入れたうえで、今夜はお泊まり会を決行。

 我ながら見事に「人間の女の子の暮らし」に染まったなぁと苦笑しつつも、“お泊まり会”という言葉の響きにちょっとワクワクする。


 ただ、一緒にお風呂に入ろうという提案にだけは、相変わらず恥ずかしがり屋のシルヴィが頷いてくれなかったのが、ちょっと不満。

 アニメとか漫画とかでよく見る、女の子同士のお風呂場での会話というヤツがやってみたいのに。まぁいいか。そのうち機会はあるだろう。


 母上も交えて夜のお茶会。そして、ワタシの部屋に布団を並べて、いつちもよりちょっぴり遅くまで起きておしゃべり。

 ほとんど毎日のように一緒にいるのに、一向に話のタネが尽きない。もっとも、母上によれば、「年頃の女の子というのは、そういうもの」だそうだけど……。

 やがて、柱時計が12時の鐘を鳴らす頃、ワタシとシルヴィは手をつないだまま、並んで安らかな眠りに落ちていた。


 ──否。そのつもりだった。


 けれど、ワタシの心の奥底で眠る「ワシ」──天使ミカエルとしての部分が妙に騒いで、夜中に目が覚めてしまった。


 せっかくだから水でも飲もうかと台所へ向かったワタシは、琥珀色のグラスを揺らす母上を見て、ほんの少しだけ驚いた。

 母上は酒は好きだが、酒豪というほどではないし、また晩酌や外食時以外でアルコールを、まして日本酒以外の酒を口にしていることを見たことがなかったからだ。


 もっとも、母上のほうも、こんな深夜に娘が起きていることは、予想外だったみたいだけど。


 「どうした、こんな遅くに──怖い夢でも見たのかえ?」


 からかうような言葉を投げる母上だったが、その瞳を刹那辛そうな影が横切ったのを、ワタシは見逃さなかった。


 「──何か、悩み事でもあるの?」

 「! 美佳、もしや……」

 「心話を使わずとも、それくらいわかる。“親子”だもの」


 万感の想いを込めて言ったワタシの言葉に、母上は一瞬虚を突かれたような表情をしたのち、クククと楽しそうに笑い出した。


 「ホホホ、これは一本取られたわえ。なかなか言うようになったのぅ、美佳」


 キラリと目尻に光るものがあったことは、あえて見なかったフリをする。たぶん、こんな状況でなかったら、母上は感激して泣いていたのかもしれない。

 母上は、テーブルからウィスキーの瓶とグラスを片づけると、急須に湯を注いで熱いお茶を自分とワタシ用に煎れてくれた。


 「もうしばらく伏せておこうかと思っておったのじゃがな──娘が思った以上に成長していたことは、嬉しくもあり寂しくもあり、と言うところか」

 「?」


 小首をかしげるワタシに向かって、居住まいを正すと母上は口を開いた。


 「シルヴィア殿の母御が亡くなっていることは知っておろうの。では、母御の詳細は?」

 「詳しくは知らない。聞くと悲しそうな顔するから……」

 「ふむ。それでは、彼女の母御が天使であったと言ったら、驚くかえ?」

 「え!?」


 母上の言葉を完全に理解する前に、さらにもうひとつ衝撃的な情報が投げかけられる。


 「さらに言うとのぅ、母御は擬体ではなく受肉して夫とのあいだに子を為した。そして、その母御の死因は八年前の”新宿動乱”じゃ」


 母上の──神光寺由梨絵の言葉がナイフとなってワタシの心を貫いた。


 新宿動乱。それは、ワタシ──ワシが大天使長ミカエルとして命じて行わせた、過激派魔族の掃討のための奇襲戦を意味していた。

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