【其の参.金のエンゼルちゃん】 

1.おめざめ天使

 24世紀──あるいは宇宙歴84年春のとある朝。


 人類が太陽系の開拓に成功したこの時代には珍しいくらい和風情趣にあふれた、とある日本家屋の一室で、ひとりの少女が鮮やかなライムグリーンのクマ(イヌ? ム●ミン?)のぬいぐるを抱きしめたまま、スヤスヤと眠りについていた。


 まるでお日様から抽出したような蜂蜜色の長い髪や、幼いながらも整った顔立ちは“絶世の美少女”と評しても差し支えはないのだが、プクプクした頬っぺと稚い体つきは、まだまだ子供らしさを感じさせて微笑ましい。


 コロンと寝返りをうった時、「うにゅう……ゲロカエルン、おいしひ♪」などと寝言を漏らすのもお約束だ。

 何気にマニアックな寝言だ──というか、何を食べとるか何を!


 と、その時。


──ぷぷぷ、プ・リッ・ピュア、プリピュア~♪


 枕元に置かれたキャラクター時計が女児用人気アニメの主題歌を流し始める。どうやら目覚まし音代わりらしい。


 「──ふに…………ふわぁ…………」


 歌が流れるのとほぼ同時に、布団の中の少女も目を覚ましたようだ。

 ムックリと布団の上に起き上がると、時計のアラームを止め、大きく伸びをして欠伸を漏らす。


 「うにゅ~~、まだ眠い、けど、起き……なきゃ」


 目をしばたたかせながら、深呼吸して眠気を覚ましている様子。

 ようやく少しは頭がハッキリしてきたのか、少女は着替え始めた。


 寝間着として着ていたのは、薄いピンク色のパジャマだ。上下とも七分袖で、フリルがいっぱいついており、10歳前後くらいに見える女の子にしてはかなりオシャレさんだ。


 まずは、胸元からボタンを外して上を脱ぐと、白い裸身が露わになる。

 歳が歳だけにまだ胸元の膨らみは殆ど見当たらず、煽情的な色気とは無縁だが、この年代の少女特有の、触れるのを躊躇わせる危うい硝子のような“美”を感じさせる。


 もっとも、当の本人はそのような感慨とは無縁らしく、そのままパパッとズボンになってる下のパジャマまで脱ぎすててしまった。その際、いっしょにクマさんプリントのパンツまで脱げてしまったのはご愛嬌。


 誰も見てない気安さからか、本人は裸のまま立ち上がって、枕元の少し離れた場所に置いてあった着替え拾いあげた。


 パンツ、キャミソール、白いブラウスの順に身に着け、ブルーグレイのジャンパースカートに足を通しかけて、はたと手を止める。


 「──靴下を先に履くほうが、スカートが皺になんないかも」


 その呟きどおり、膝までの黒いハイソックスを両足に履いてから、スカートを身につけて、姿見の前で軽く制服のあちこちを整える。

 「イーッ」と鏡に向かってアカンベをする。


 「むぅ~、83点ってトコかな」


 どうやら 一応合格点のようだ。


 少女は上機嫌で部屋を出ると、板敷きの廊下を介して、朝食の場である居間へと足を踏み入れた。


 「おや、おはよう、美佳。今朝は二度寝しなかったようじゃな」


 フランス人形のような外観の少女とは対照的な、大和撫子の典型といった風情の黒髪黒瞳の和服美女が、卓袱台に朝食の皿を並べながらニッコリ微笑む。


 「おはようございます、母上──って、いつもワシが二度寝しているようにとられる発言には異議があるのだが。そんなコトは10日に1回もなかろう?」


 美佳と呼ばれた少女の言葉からすると、黒髪の女性は彼女の母親のようだ。身体的特徴からして実母ということはなさそうだが、母娘と呼ぶにふさわしい親しげな関係つながりが見てとれた。


 「ふむ、確かにそうじゃな。二度寝せぬ場合、目覚ましが鳴っても起きてあらぬ場合が多いしの」

 「母上ッ!」

 「ホホホ、冗談、冗談じゃ。されど、早起きしたきたのは誠に感心。さすがも今日から最上級生だけのことはあるのぅ」

 「す、少し早起きしたくらいで大げさな」


 言葉だけはすげないが、その口調や心なしか嬉しそうな様子からすれば、少女が褒められて照れているのが丸わかりだ。

 話の流れからすると、美佳はおそらく今日から6年生になるのだろう。

 その割りにはやや幼げな外見をしているから、間接的に「成長した」と認められたことが、余計にうれしかったのかもしれない。

 彼女の母親もそのことはわかっているのか、あえて追求はしなかった。


 「フフッ、ささ、座りなされ。朝餉にしようぞ」

 「うむ、心得た」


 母子とも、何とも古風な話し方をするものだ。いや、母親がそうだから娘にも感染うつったのかもしれないが。


 とは言え、その点を除けば、朝食の風景はごく一般的な家庭のそれとそう変わるわけではない。食卓に並んでいるのも、玄米混じりのご飯にワカメと豆腐の味噌汁、イワシの丸干しと白菜の漬物と、日本の家庭としてはありふれたものだ。


 もっとも、食材がすべて天然物で、かつ母親の手料理という点は、この時代では割と珍しいかもしれない。少なくとも前者は、それなりの財力がないと無理だ。

 無論、このような広い屋敷に住んでいる時点で、ある程度裕福であることは察せられるが。


 「それで、美佳よ。本日の帰りは何時頃になる予定かの?」

 「ふむ……今日は始業式だけだし、さほどの時間はかからぬだろうさ。特に寄り道なぞしなければ、昼前には帰れると思うが」


 娘の言葉に、母親はパッと目を輝かせる。


 「おお、それは重畳。そなたに異論がなければ、昼からアサクサ・プラザのほうに買い物に行こうと思うのじゃが、どうじゃ?」

 「ワシは構わぬが……母上の仕事は?」

 「今日は臨時休暇よ。先月の休日出勤分が残っておるでな♪」

 「──それでよいのか、人界大使館館長殿?」


 娘のジト目にもどこ吹く風と受け流す人界大使館館長・神光寺由梨絵ことユリエル。


 「なに、ウチの大使館員達は皆有能故、館長が一日休んだくらいでは問題なぞあろうはずもない。何より、上の者が率先して休暇を取らぬと、部下も休みを取りづらいわえ」


 そう、信じ難いことかもしれないが、この袂で口元を押さえてホホホと微笑っている女性は、本来は天使界でも指折りの大物であり、現在人間世界に移住ないし駐留している天使たちを取りまとめる二大巨頭の片割れと言ってよい存在だった。


 現在の姿も、元来精神生命体である天使ユリエルとしてのものではなく、彼女の友人である人間の科学者に用意してもらった、高度な擬体に魂を入れた代物だ。

 もっとも、今の姿をいたく気に入っている彼女は、とくに支障がない限りは人間界このせかいでは神光寺由梨絵として生きていくつもりだった。


 さらに付け加えるなら、悪魔が両性具有なのと対照的に、上級の天使は本来無性であり、ユリエルを「彼女」と呼ぶのも厳密には正しくはない。

 もっとも、由梨絵の肉体は紛れもなく人間の女性そのものであり、外観に引きずられてか、今や完全に精神の方も古風な日本女性そのもののメンタリティになってはいるのだが。


 由梨絵を母と呼ぶ美佳の方も、無論、彼女の実の娘ではない。

 朝食を食べ終え、「ごちそうさまでした」と可愛らしく両手を合わせている姿からは想像し難いが、この少女・神威美佳こそ、四大天使のリーダー格にして大天使長として知られるミカエルだったりするのだ。


 「まぁ、お主がよいなら、それで……」ペシン!

 「美佳、言葉遣い」


 母親は軽く娘の頭をポコンとはたく。


 「……母上がよいのなら、それで構わんが」


 抵抗しても無駄と判っているのか、憮然としつつも素直に言い直す美佳。


 「うむうむ……お、シルヴィア殿が来られたようじゃ。──わかっておるの?」


 チラリと悪戯っぽく流し目を送る由梨絵に、美佳は頷いた。


 「は~い!」


 先程までの子供らしからぬ言葉遣いと大人びた表情を消し、歳相応の少女らしい雰囲気をまとうと、美佳は立ち上がった。

 あながち演技ばかりではない無邪気な笑顔を浮かべて、玄関へと急ぐ。


 ──ガラリ


 玄関の引き戸を開けると、そこには11、2歳くらいの銀髪の少女が、今まさに呼び鈴を鳴らそうとした姿勢のまま固まっていた。


 「えっと……おはようございます」

 「おはよー! 気配がしたから来てみたけど、やっぱりシルヴィだったんだ~」


 ニパッと屈託なく微笑みかける美佳の表情は非常に嬉しそうだ。

 まさに「天使の如き」笑顔を向けられて、シルヴィと呼ばれた少女もフッと表情を緩めた。


 「はい、おはようございます、美佳ちゃん」


 少女が笑うと、真昼の月のように儚げな雰囲気が薄れ、穏やかな春の日差しのような柔らかい空気が辺りに漂った。

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