5.ジーナの日記より
★太陽系歴72年11月20日 (初雪)
少しだけショックなことがあった。
奥様に御用のあるお客様は、たいてい研究所の方を訪ねられるのだが、今日は珍しく、この屋敷を訪ねてこられた方がいたのだ。
ジバン財閥総帥ジュゼッペ・ジバン。“ゲオルグ”にとって祖父に当たる人物だ。
ボクは自分の正体を気取られぬか冷や冷やしながらも、無事に“お客様”を奥様の書斎まで案内することができた。
とは言え、表向き「ゲオルグという名のテロリストの青年は、テラ・アカデメイアの辺縁にある懲罰区画で10年間禁固刑を受けている」ことになっている。
まさか、当の本人が似ても似つかぬ姿でこの屋敷にいるとは想像できるはずもないだろうから、気付かれなくて当然なのだが。
もっとも、それで終わりというわけではない。
──コンコン……
「失礼します」
ふたりがお話されているところに、お茶を持っていくのもメイドとしての務めだ。
ボクが給仕してる最中もおふたりは会話を続けられ、そこでボクは元祖父の真意を知ってしまったのだ。
「それにしても、いつぞやはご迷惑をおかけしました。
あやつは頭だけは良かったので、何かしらグループの役に立つかと目をかけてやっていたのに、神学なんぞにうつつを抜かした挙句、まさかあんな愚行に走るとは……」
ヤレヤレと言った風情で首を振る総帥。
(おじい様がそんな目で僕を見ていたなんて……)
ボクはカタカタと震えそうになる手を抑えて、ゆっくりカップに紅茶を注ぐのが精一杯だった。ハンナさんに教わった美味しい紅茶の注ぎ方なんてできそうにない。
「その話はよしましょう。彼には彼なりの正義があったのでしょうが、今はその報いを得ているでしょうから」
幸い奥様が、チラリとボクの方を見ると話題を変えてくださったので、何とかボロを出さずに済んだ。
ジュゼッペ総帥が帰られるのをドアまでお見送りしたのち、ボクは深々と頭を下げながら、心の中でかつて祖父と呼んだ人に永久の別れを告げる。
「総帥がああ言われたのは、何も本心ばかりではなく、私への謝罪と機嫌取りの意味もあったと思いますよ?」
あとで奥様はそう言ってくださったけど、ボクはすでに心を決めていた。
これから先、何が起こるかわからないけど、少なくともあの家に──ジバン家の屋敷に帰ることは二度とないだろうと。
それは、戸籍を消されたからというだけの理由ではなく、ボクがボクの意思であの場所に足を踏み入れないのだ。
いつの間にかボクの目の端から零れていた涙を、奥様は優しくハンカチで拭い、ボクの頭をその胸に抱きしめてくださった。
(そして、もし許されるのなら──この安らぎの場所に少しでも長く留まりたい)
この屋敷に来て1年と5か月。それだけ経って、ようやくボクは過去を振りきれたのかもしれない。
★太陽系歴74年6月12日 (快晴)
今日はボクの誕生日(この擬体に入った日を便宜上、そう呼ぶことにしてます)。
ファミィお嬢様をはじめ、奥様や旦那様、ハンナさん、ボギーさんなど親しい方たちが、例年のごとく誕生パーティを開いてくださり、さらにはプレゼントまでくださいました。
ファミィお嬢様は、大きくも愛らしいテディベアのぬいぐるみ。
ハンナさんは、綺麗な刺繍を施したお手製のストール。
庭師のボギーさんは「女の子の喜ぶものなんぞわからんのだがな」と言いつつ、素敵なブローチをくださいました。
そして、奥様と旦那様からは、「ボク自身」──正確には新しい擬体をいただきました。
これまで使用していた擬体も、量産型と言いつつそこかしこに奥様の改良が施されていたため、型式よりはかなり高性能を保っていたんですが、今回いただいた擬体はオーダーメイドの一品物とのこと。
実際、今までは外見通り12、3歳程度の身体能力しか備わっていなかったんですが、今度の体は通常時でも高校女子のスポーツマン程度、リミッターを解除すればオリンピック選手並みの運動能力を発揮できるそうです。
また、顔立ちやおおよその外見に大きな変化はありませんが、身長が3センチ大きくなり、胸の方もAカップのブラが必要な程度に増量してもらいました。
これで、もうお子様とは言わせません♪ 服装も多少は大人っぽいものも似合うでしょう。
さらにうれしいことに、この擬体だと固形物も普通に食べられるようになりました。これで料理をする楽しみも増えるというもの。街にお出かけした時も、レストランで皆さんに気を使わせずに済みますしね!
みなさん、本当にありがとうございます。
★太陽系歴78年6月13日 (雨のち曇り)
今年の誕生日は、これまでにないサプライズとなりました。
6月12日の夕方、夕食の下ごしらえを終え、いったん休憩しようかと自室に戻る途中、あたしは何者かに誘拐されてしまったんです。
今のあたしは一見か弱いローティーンの女の子に見えますが、いざとなれば成人男性に匹敵するパワーを出せますし、屋敷の警備をしている旦那様の部下の方々に暇を見ては教わった護身術も、それなりのレベルに達している自信はあったんですけど……。
背後から気配を殺して忍び寄られ、関節技をかけられては、さすがにどうにもできませんでした。なまじ高性能な擬体のため、人間と同じところに急所があるというのも考えものですね。
もっとも、この誘拐は奥様と旦那様の差し金で、いつも合気道を親切に教えてくれていた新人のレオネイルくんが実行犯だと知った時には、さすがにちょっと腹が立ちました。
レオネイルくん、今度町にお買い物に行く時、荷物持ち決定ね!
え? 「それじゃあ、罰にならないわよ」って──どうしてですか、奥様?
まぁ、それはさておき。
わざわざあたしを誘拐してまで奥様の研究所に連れて来させたのは、4年前同様、新しい身体をくださるおつもりだったからでした。
しかも、なんと太陽系に名だたるロボット工学者キャリオ・スレー──つまり奥様自身が、1から設計し組み上げた完全なカスタムモデル。
さらに、お嬢様の身体同様、生体パーツが90%近くを占めるため、少しずつ成長し、ほとんど普通の人間と変わらぬ各種生理機能も備えているのだとか。
いくら、家族の一員として遇していただいているとは言え、一介のメイドには過ぎた品です。もし現金に換算したら何千万クレジットになるのか想像もつきません。ひょっとした億いくのかも。
当然、事前に知っていたら辞退したのですが、奥様方もそれを予期してこんなふうに無理矢理誘拐まがいのことをしたのだとか。目が覚めた時には、すでに換装手術は終わっており、あたしはひたすら感謝の意を込めて頭を下げることしかできませんでした。
ちなみに、この擬体の初期設定年齢は14歳。身長は155センチ、胸の大きさはBカップに届く程度です。ここから成長させるのは、あたしの食生活や運動その他次第だと言われました。よし、がんばりましょう!
そうそう、お嬢様からは、この体で着れそうなご自分の昔のお洋服と、体型に合わせた新品のランジェリーを多数いただきました。前回と違って、これまでの服の大半が着れなくなりましたので、非常に有難いプレゼントです。
ハンナさんからは、ご自慢の特製ポットパイのレシピとその現物。
昨年引退してお屋敷を辞めたボギーさんも、わざわざ駆けつけてくださり、銀の懐中時計をプレゼントしてくださいました。
「ジーナちゃんは、わしにとって、もうひとりの孫みたいなものじゃからのぅ」
「あら、それならあたしにとっちゃ、よくできた姪っ子みたいなものですよ」
おふたりの暖かい言葉が胸に沁みます。
「ズルいですの~、ジーナちゃんはファミィの大切な妹ですの~!」
「おやおや、我が家の可愛いメイドさんは、大人気のようだ」
「当然です。だって自慢の“娘”ですもの」
お嬢様方の言葉を聞いて、ついにあたしは堪えきれずにうれし涙をこぼしてしまいました。
──願わくば、これからも、いつまでも、こんな幸せな日々が続きますように。
★太陽系歴81年5月30日 (曇り)
明日から梅雨入りが予測されるこの時期に、わたくしはアカデメイアの奥様の研究所に呼ばれました。
「ねぇ、ジーナ、貴女が今日ここに呼ばれた理由は、想像ついていますか?」
「はい、おおよその予想ですが」
「そう……」
目を細めてわたくしの──いえ、わたくしの“背後”にいる誰かへと遠い眼差しを向けられる奥様。
「単刀直入に言います。十年前、正確にはもう10日ほどあとですけれど、私は貴女と……いえ、ゲオルグ・ジバン・ユーフォミアという青年と約束をしました」
「──はい」
「十年間、スレー家でまじめにメイドとして働けば、元の体に戻してあげると。
約束の十年が経ちました。ゲオルグくん、あなたはどうしますか?」
わたくしは緩やかに首を横に振りました。
「奥様、ゲオルグなどという狼藉者は、すでにこの世に存在しません」
「!」
「それでも──そう、もし身元不明の青年の遺体が発見されたと言うのなら、丁重に葬って差し上げるのが一番ではないかと愚考します」
「──貴女はそれでよいのですか? いえ、それ“が”いいと思うのですね?」
「はい、それが最善かと」
無論、まったく葛藤がなかったと言ったら嘘になるでしょう。ですが、ここに来るまでの間に、この質問を予想していたわたくしは、ほとんど迷うことなくそう答えました。
「そう。ありがとう」
「奥様、お礼を言われる意味がわかりません」
それに、礼を申し上げるべきなのは、むしろわたくしの方でしょう。
肩書き以外何も持たなかった“僕”に、これほど幸せな日々を与えてくださったのは、間違いなく奥様達なのですから。
「それでは、無粋なのはわかってはいるのですけれど、形式上、この同意書にサインしてもらえるかしら?」
何でしょう? 元の体を“処分”することに対する本人の同意書でしょうか?
言われるがままにサインをしかけたわたくしですが、何となく腑に落ちないものを感じて、渡された同意書とやらにもう一度よく目を通します。
(!! こ、これって……)
「養子縁組の本人同意書じゃないですか!」
「まぁ、気づいてしまったのね。さすがは注意深いジーナちゃん」
ペロリと舌を出す奥様。とっくに300歳を超えてるクセに、妙にこういう茶目っけめいた仕草が似合うのは、この方の特権でしょう。
「奥様、いけません! わたくしのような者を気軽に娘にするなど」
「ん~、でも私は──と言うかマルコもファミィも、とっくの昔に貴女を家族の一員だと思っているのですけれど? その紙切れは、あくまで形式に過ぎませんよ?」
「それとも、私の娘になるのは嫌ですか?」と、微妙に不安げな顔をされる奥様。
クッ……。10年前、この方の娘さんに似たような表情で“妹”扱いされることを認めさせられましたが、同じような手を使ってくるとは、さすがは母娘!
そして、10年前同様、大好きな人たちにこんな顔をされては、わたくしに「断る」と言う選択肢は存在しないわけで……。
「──わかりました。不束者ではありますが、精一杯よい娘になれるよう、努めさせていただきます」
わたくしは、嘆息とともにその言葉を口にして、書類にサインしました。
本音を言えば、あの家の「本当の娘」になれるということが嬉しくないはずがないのですから。
しかし、奥様──いえ、これからはお母様とお呼びするべきでしょうか、彼女の企ては二段構えでした。
「はい、確かに確認しました~。それじゃあ、今日からジーナちゃんは正式にスレー家の次女になったのですから……」
同意書を受け取ると同時に、一体どこに隠していたのか、一揃えの衣服をわたくしに押し付けられます。
「娘思いの優しいママからのプレゼントです♪」
手渡されたのは、この国・日本では、オーソドックスに見かけるセーラー服と呼ばれる服装です。しかも、このデザインには見覚えがあります。
「こ、コレってもしかして、清澄女子学園の!?」
「ええ、制服です。断っておきますけど、「それを着てコスプレ写真撮らせてね♪」というお願いではありませんよ」
あ、やっぱりですか? いえ、お母様の場合、本気でそういうコトおっしゃりそうでシャレになってないのですが。
「すでに手続きは終わっていますから、明日から清澄女子学園に通ってください」
ああ、やっぱり……。
と言うか、わたくしが男に戻らないこと前提に事を進めてたんですね。
まぁ、確かに今の馴染みようを見る限り、そちらの可能性はゼロに近かったのでしょうけれど。
「せっかくですから、貴女にはもっと「普通の女の子」としての暮らしを楽しんでほしいのですよ」
どうやらお母様は、わたくしが“僕”であったころ、スキップでハイスクール時代を経験しなかったことを気にされているようでした。
確かに、「僕」に友人がいなかったことの理由の一端は、そこにあるのかもしれません。
また、現在の極東の学制では高校は義務教育ですし、わたくしの現在の設定上の年齢は17歳。通常なら高校に通っていてしかるべき年齢ではあります。
「それに、高校時代の友達は一生物ですからね」とお母様に、優しく言い聞かせられてしまっては、わたくしに反論の術はありません。
結局押し切られてしまい、明日からわたくしは、清澄女子学園高等部(実は、お姉様の出身校でもあります)の2年生として女子高生をしばらくやるハメになったのでした。
この高校時代に幾人かの得難い友人を持てたことで、わたくしはお母様の深謀遠慮(?)に感謝することになるのですが──それはまた別のお話です。
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