4.Acceptance -受容-

 とあるホテルのロビーに、睦まじく会話するふたりの女性の姿があった。


 「あの時はホントにびっくりしましたの。ジーナちゃん、申し訳ありません」


 少女に向って、ほんの少し年かさの女性がペコリと頭を下げる。


 「いえ、そんな──頭を上げてください。確かに、ちょっとしたトラブルはありましたけど、あれがキッカケで“本当のはじまり”を始められたのですから、悔いはありません」


  * * * 


 夢の中で、何か懐かしい存在がそばにいてくれたような感覚があった。

 意識を取り戻したときの僕は、やはり自室のベッドに寝かされていた。微妙に重い左手首に目をやると、充電用のコードがつながっているのも前回と同じだ。


 「どうやら目が覚めたようですね」


 ちょうど反対側──僕から見て右側の枕元には、ひとりの女性が腰かけていた。

 この屋敷の主であり、今の“ぼく”の雇い主かつ保護観察者とも言うべき存在、テラ・アカデメイアの学長キャリオ・スレー学長だ。


 「奥様……」


 あわてて身を起そうとしたぼくの頭に、奥様はそっと手を当てて押し留めた。

 ほのかな温かみを帯びた手が、優しく額そして髪を撫でるのを感じると、なんとも言えない安らいだ気分になる。

 ぼくはそのまま体の力を抜いてベッドに横たわった。


 「覚えていますか? 貴方はお風呂場で倒れたのですけれど……」

 「はい、一応は」

 「そうですか。あの子のことは叱っておきましたので、できれば許してあげてちょうだいね。本人には悪気はなかったみたいだし」


 それは理解している。今から思えば、たぶんアレは女の子同士の軽いじゃれあい、スキンシップと言えるレベルの行為だったのだろう。

 ぼくのことを自分の”妹”として遇してくれるファミィ嬢が、ちょっと悪ふざけしただけなのだ。ただ、数日前まで男だったぼくに、その手の刺激に耐性がなかっただけで。


 「はい、わかっております。お嬢様にも、気にしてないとお伝えください」

 「そう──それと、ごめんなさい。私からも貴方に謝らないといけないことがあります」


 奥様はぼくの頭を撫でる手を止め、居住まいを正した。


 (? なんだろう?)


 その手の温もりが離れることを僅かに残念に思いながら、ぼくも話を聞く体勢を整えた。


 「貴方にも説明したとおり、その擬体には「その年頃の女の子」そして「メイド」として必要な知識や基本動作に関するプログラムがプリインストールされています。

 そして、格別の意図があったわけではないのだけれど、それらのプログラムは、貴方が擬体に宿ったときからオートモードで起動し、あなたの行動を補助してきました」


 うん、それは知ってる。

 その助けがあったからこそ、運動不足の優男であったぼくが、こんな年端もいかない少女の姿をしたメイドとして、さしたる粗相も違和感もなしに、今日一日(体内時計によると、まだ23時過ぎくらいだった)を無事に乗り切ることができたのだから。


 「ええ、確かにそうでしょう。ですが、同時にオートモードで稼働するプログラムは、貴方自身の言動や感情にも少なからず影響を与えているのです」


 ……!


 「その結果、まだその擬体に慣れきっていない貴方本来の精神面と、身体的な行動面とのあいだに微かな乖離が生じ、その誤差によるオーバーフローの限界を超えた結果、今回のように風呂場で倒れることになったのです」


 自分の言動をまるでテレビの中の他人事のように感じる瞬間はなかったか、と奥様に尋ねられる。確かに、思い当たる節は、いくつかあった。


 「旧タイプの擬体をしばらくぶりに使うものだから、私にも配慮が欠けていました。本当にごめんなさいね。当面、両プログラムともセミオートモードにしてあるから、貴方自身が望まない限り、勝手に干渉してくるようなことはありません」


 明日は土曜日ですけど、全日休暇にしましたから、部屋にいてゆっくり今の自分を見つめ直してみなさいな──と締めくくって、奥様は部屋を出ようとされる。


 「待ってください!」


 気がつけば、ぼくは奥様を呼び止めていた。


 「その──ずっと、そばについててくださったんですか?」

 「ええ。ずっとと言っても、ほんの2時間ほどの話ですけれどね」


 夢の中で感じた気配は、やはり奥様のもので間違いないのだろう。


 「どうして……」

 「どうしてって、具合を悪くした家族を気遣うのに、理由が必要かしら?」


 ニコリと優しく微笑む奥様の顔に、幼いころに無くしてしまった暖かな何かを連想してしまい、ぼくは気恥ずかしくなって掛け布団を目元まで引き上げる。


 「話はそれだけ? じゃあ、私は行きますけど──もし、具合が悪くなったら、枕元のベルを鳴らして遠慮なく呼んでくださいね?」


 気遣うような視線を向けたまま、奥様はドアを閉めて出て行かれた。

 その気配が完全に消えたことを確認してから、ぼくは先ほど胸に浮かんだ言葉を心の中で静かに解き放つ。


 (おかあさん……)


 そう、あの表情はまさしく“母”そのものだった。

 5歳のころ、父の愛人であった母を亡くし父の家に引き取られた“僕”にとって、母性愛というのはもっとも縁の遠い代物だった。


 幸いジバン本家の父の本妻である義母はなかなか理知的な女性で、夫がよその女に産ませた子である僕のことも、少なくとも表だって邪険に扱うような真似はしなかった──同時に、愛情をもって接してくれたことも一度もなかったが。


 それに比べれば、異母兄姉たちはまだしも僕に構ってくれたほうだろう。もっとも、「血を分けた弟」というより「いぢり甲斐のある玩具」といった方が正しかった気もするが。


 今にして思えば、スポーツマンの2番目の兄などは彼なりに“弟”の面倒をみてくれようとしていた。しかし、いかんせん僕自身の無口で体を動かすのが嫌いな性格が難点となって、結局さしたる交流もないままに大人になり、離れてしまうこととなったのだ。


 そんなぼくにとって、奥様のあの表情や態度は、それこそ十数年ぶりに触れた「母のぬくもり」を想起させるものだった。


 あの人達──奥様もお嬢様も、ぼくのことを「家族」だと言った。

 あんな大それた犯罪行為(今のぼくは素直にそれを認めることができた)に加担したぼくが、すべてを──過去の名前も身分もすべて忘れて、この家の優しさに甘えてしまっていいのだろうか?


 ベッドの上に身を起こして体自体には不具合がないことを確かめると、ぼくはベッドから降りた。

 昨夜のとデザインは似ているが色がオフホワイトのネグリジェに着替えさせられているようだ。


 鏡台の前まで歩み寄ると、ぼくは胸元のボタンを外した。慣れた動作のはずなのに、わずかな違和感を感じるのは、きっとボタンの左右が男物とは逆のせいだろう。

 一瞬のためらいの後、ぼくは着ているものを残らず脱ぎ捨てた。そのまま鏡を覗き込む。


 朝方も同様のことをし、日中に着替えなどもっと恥ずかしいことをしたもしたはずなのに、今のほうがずっと恥ずかしいのは、たぶんプログラムのサポートがないからだろうか。


 確かに、思い返してみれば、こういう“女”を意識させられるような行動をとっている時には、微妙に感覚が変わっていたような気がする。

 もちろん体を動かしているのはぼくの意思なのだが、それでもどこか僅かにズレているような、動きに自分の意向がダイレクトに反映されないような、そんなもどかしい感覚だった。

 アレこそがサポートプログラムの働きだったのだろう。


 今もいっそソレを起動させてしまいたいという欲求に耐えながら、ぼくは自分の目で、今の自分の擬体からだを、違和感込みで確かめる。


 成人を目前にした男子としてはかなりひ弱な以前のぼくの体と比べてさえ、きわめて小柄で頼りない華奢な体格。奥様は、身長150センチ体重42キロだと言っていた。3サイズも、プログラムを起動させればわかるだろうけど、今はやめておこう。


 白い──けれど、部屋にこもりきりで不健康な生白さだったかつてのぼくとは異なる、健康的な女の子らしい、すべすべした柔肌。


 本来のぼくの面影を僅かに残しながら、それでも明確に女の子──それもそれなりに「可愛い」と言ってもさほど自惚れにはならないレベルに整った顔立ち。


 アニメやコミックのヒロインになれそうな鮮やかなピンクブロンドの髪は、リボンをつけていないため、腰のあたりまでさらりと流れるままにされている。


 胸にはまだ乳房と言えるほどの大きさの隆起はないが、それでも乳首を中心にふくらみかけて敏感なことは、視覚的にも感覚的にも今は理解している。


 そして──以前の自分とのもっとも大きな差異が、下肢の付け根の股間部だ。

 排泄以外に使用した経験がほとんどなかったとは言え、過去のぼくを男性たらしめていた雄の象徴は見当たらず、わずかな陰りもないふたつに分かれたなだらかな丘陵があるのみ。


 (これが、いまの、ぼくのからだ……)


 わずかな逡巡を振り切り、鏡から目を離して自らの体を見下ろし、そこに両手を滑らせる。


 「っ……!」


 先ほど風呂場でお嬢様に触られた時とも少し異なる、悪寒とも快美感ともつかないゾクゾクとした衝撃が体の芯を走り抜ける。

 それは、他人ではなく自分の手で触れたからなのか、あるいはサポートプログラムを介さず、「素の自分」で直接刺激を受け取っているからなのか……。


 と、背筋を走った震えが、下腹部で別の信号に変換されているのを感じる。


 「こ、これは──もしかして、お、おしっこ?」


 この擬体は液体を摂取することはできるため、ある程度の余剰水分が溜まったらトイレに行く必要がある、とは説明されていたが、まさかこんなタイミングで尿意を催すとは。


 素っ裸のまま、ぼくは慌ててシャワールームと併設された自室のトイレに駆け込んだ。


 しかし。


 「う……」


 女の子のトイレの仕方なんて知るはずがない。いや、しゃがんでやるらしいと言うことは聞き及んでいたし、理屈から考えても立ち小便は無理だから、そうするほかないのだろうが。


 仕方ない。背に腹は変えられないので、セミオートとして待機状態になっていた「女子生活用プログラム」を起動をさせる。


 サポートプログラムが立ち上がると同時に、さっきまでの焦りが嘘のように消えていく。

 ボクは、ごく自然な動作で便器に腰かけ、リラックスして下腹部の力を抜く。


──チョロチョロ~~……


 一拍の間のあと、股間から生温かい液体が排泄されていくのを感じるが、今の状態なら特に羞恥心らしきものも感じない。強いて言うなら、排尿時に誰もが感じるであろう些細な安堵感を覚えた程度だ。


 そのまま、何気ない仕草でトイレットペーパーを手に巻き取り、尿で濡れた股間をきれいにしようと拭き取る。


 「あ、女の子のアソコって、触るとこんな感じなんだ」


 ムクムクと好奇心が頭をもたげ、トイレから出たボクは、裸のままチェストに置かれていた手鏡を持ってベッドに上がり、両脚を大きく広げてその前に鏡を置いた。


 「こんなはしたない格好を!」という意識もチラと脳裏をかすめたが、猫をも殺す好奇心には勝てず、食い入るように鏡の中を覗き込む。


 「うわー、うわー……」


 アソコを目にした恥ずかしさと、自分がこんな格好(自室とは言え、全裸で大股開き)をしているという自覚のダブルパンチは、サポートプログラムの影響すら上回ったのか、自分が真っ赤になってることがわかる。

 それと同時に、慎ましやかな下腹部の翳りが湿り気を帯びていることも。


 そこまで来たら、あとは一直線だった。


 「ああ、こんなコトまでするつもりじゃ……」


 口でそう言いながらも手は止められない。

 ドキドキしながら、下肢の間に右手が伸び、ソコを僅かに押し広げる。


 「ク、ンンッ……」


 意識せずとも、短い喘ぎを漏らしてしまう。

 見慣れた突起物がない自分の股間をマジマジと見つめるのは奇妙な感覚だったが、興奮が違和感をはるかに凌駕していた。

 淡いピンク色に染まったその部分の皮膚は、稚い身体にそぐわずひどく淫靡で──同時にどこか神聖な雰囲気もたたえている。


 かすかな湿り気によってテラテラと光るその部分に見とれながら、ボクはワレ目の上部にある小さな突起に触れてみる。


 「あふぅ…んっ……!」


 指先でチョンと触れただけなのに、甘い吐息が漏れた

 コレがクリトリスってやつなのだろう。物の本などで目にした記述が頭をよぎり、同時にこの体をサポートする“女の子”としての知識が、それを肯定する。

 男だった時の”僕”は、女性との性交渉はまだだったが、さすがにこの歳になれば自慰の経験くらいはあった。

 しかしながら、クリトリスは男性におけるペニスに相当する部位らしいが、かつてオナニーした時とは段違いの感覚だった。


 ──そこからの経過は、ハッキリとは覚えていない。どうやら自慰を覚えたての猿のように、ボクは自分の体を弄り回すことに没頭していたらしい。


 「あぁっ……んはぁッ! あっ、アッアッアッ……い、イクゥーーーーーーーーーーっ!!!」


──ビクビクッ! ビクンッ!


 しばしの後、頭が真っ白になるような絶頂感に全身を痙攣させながら、ボクは今、初めてこの擬体からだを自分のものとして大切に思い、心の底から受け入れられたような気がした。

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