2.魔王、来訪

 「おーかーあーさーまー、大変ですのーーー」


 鏡の前で、ちょっと物想いにふけっていたところに、騒々しい闖入者が現われました。

 この子は、現在の私の秘書で“娘”でもあるファミィ──ただし、お腹を痛めて産んだわけではなく、「作った」という意味において、ですけれど。


 正式な型番はAM-87Fと言います。もっとも、全構成要素の87パーセントが生体パーツで、その生体部の培養元には私の卵子を利用してますから、遺伝的にも「娘」と言って差し支えはないかもしれませんけどね。


 「こらこら、そんなに慌てていると転びますよ?」

 「ぷぅ、大丈夫ですの! ……あっ」 コケッ!


 ほら、言わんことじゃない。

 段差に躓いたファミィは、けれど見事な前転(というよりは合気道の前受け身ですね)を見せてシュタッと両手を広げて床の上に立っています。

 まぁ、ケガがなかったのは何よりなんですけど……。


 「ファミィ、貴女も、そろそろお年頃なんですから、少しは落ち着きなさい、ね?」

 「はーい、すみませんですの、お母さま」


 ──勘のいい方は、お気づきになられたかもしれませんね。そう、この子は、あの日“俺”が契約を交わした悪魔ファムカの生まれ変わりです。


 いえ、「生まれ変わり」と言っては語弊があるかもしれませんね。

 何でも、ファムカ達と敵対する勢力──いわゆる「天使」と呼ばれる存在との抗争で、ファムカの属する集団は散り散りになり、彼も瀕死の状態で人間界に落ちのびて来たのだそうです。


 その時、たまたまアストラル回路(平たく言うと魔法陣です)の実験を私が行っていたのは、運がよかったのか悪かったのか……。

 空間の歪みに引き寄せられてきたボロボロの彼を保護した私は、何とか彼を救おうと試みた(なにせ今の私が在るのは彼のお蔭ですからね)のですが、さすがに悪魔の治療までは専門外です。


 仕方なく、当時はまだ実験段階だった「コアボックス」という“魂の入れ物”に彼の魂を移し、肉体のほうは凍結保存。手元にあった試作品のメイドロボ擬体を突貫で改造してコアボックスを組み込み、”我が子”として面倒をみることにしたんです。


 もともと割合子供っぽいタチだったファムカは、すぐに「私の娘のファミィ」という立場に馴染みました。悪魔は両性具有の存在も多く、それほどジェンダーが明確に区別されてない事が多いのも、違和感なく受け入れたられた一因でしょうね。


 最初の擬体AM-09αは、外見年齢12歳で、全身の90%以上がいわゆる「機械の身体」でしたが、それから10年近く改良を重ね、現在の87F型は外見年齢17歳で、理論上人間の男性との性交はもちろん、妊娠・出産も可能な代物です。


 最近では、人造生命体(この子の場合は厳密には違うんですけど)に関する法整備もキチンとしてますから、ひとりの女性として社会的に自立したり、結婚することもちゃんとできます。


 もっとも、この子は母親(私の事です)ベッタリで、この分では孫の顔が見られるのはいつになるやら──と心配していたのですが、ようやく最近気になる殿方ができたようで、ひと安心かしら。


 あ、ちなみに私自身は、300年前に家庭を持って、出産や子育てはひととおり体験してますよ? キチンと夫(実はファムカを召喚したあの貴与彦です)の死を見取り、子供どころか孫曽孫玄孫、さらにその子孫までいる身なんですからね。


 もっとも、最後の孫が死んで以来、一族と距離を置き、連絡はとっていません。

 向こうとしても、「太陽系開拓の母」の血族と判明すれば、メリット以上に不自由も多く生じるでしょうし、ましてその「母」が存命中とあってはなおさらです。


 ともあれ、今の私は、「キャリオ・スレー」という偽名(と言っても、戸籍もキチンと存在しますが)で、気ままな一介の研究所所長暮らしです。

 ですから、今の私にとってはファミィが一番身近な“家族”であり、それだけに甘やかしてしまうという面も多々あるのですけれど。


 「それでファミィ、何が大変なのですか?」

 「は、はい。それが…そのぅ……」


 いつも早合点やウッカリの多いファミィですが、この時の話は、確かに一大事でした。

 ファムカが“かつて”所属していた(この子は、現在の自分は私の娘であるという立場を明確に主張してくれてます)「悪魔」のグループのトップ──俗に「魔王」とも言われる存在が、私とのコンタクトを求めてきたらしいのです。


 私は熟考の末、その申し出に応じることにしました。


 「お待たせしました。当研究所の所長、キャリオ・スレーです」

 「うむ、多忙な中、時間を割いていただき、誠に済まない」


 目の前の時代がかったインバネスを纏った壮年の男性は、会釈程度とは言え、頭を下げます。


 (あら、魔王と言うからには、もっと尊大でいけすかない性格を想像してたのですけれど、意外に紳士……)


 いえ、ファムカの例もありますからも、先入観で判断するのはいけませんね。


 「我のことは──そうだな、“マルコ”と呼んでもらいたい」

 「マルコ、ですか。もしや、地獄の大侯爵マルコキアス?」


 事前にファミィから色々聞いて、私は“彼(ファムカ)”の過去の上司(ボス)の正体におおよそアタリはつけていましたが、どうやらそのひとつで正解のようです。


 「ふ、ノーコメント、とさせてくれ」


 それはそう答えますよね。自分から真名を名乗ることは、悪魔との契約で悪魔側がもっとも不利となる条件のひとつなんですから。


 でも、真名を明かすに等しいこの偽名を名乗ったということは、向こうがそれなりの誠意を見せたということ。こちらも、本気で会見に臨むべきでしょう。


 それに、マルコキアスは召喚者に誠実な、誇り高い武人気質の悪魔だという伝承もあります。彼の配下に属していたファムカが、あれだけ良心的(悪魔を形容するのには奇妙な言葉ですが)だったことも、それなら頷けます。


 「それで、ソロモン72柱の一体たる大立者が、私のような人間の研究者風情に、いったいどんなご用件なんですか?」

 「謙遜することはあるまい。現在の人間の版図がこの太陽系全土に広がっているのは、貴殿の功績と言ってもよかろう?」


 一応、今の私は「キャリオ・スレー」であり、「太陽系開拓の母・香月双葉」とは別人ということになってるのですけれど……。


 まぁ、統合政府高官や、財界のトップなどは知ってますから、目の前の魔界の侯爵様が知っていても不思議ではないのでしょう。

 でも、その程度のことでワザワザ? 貴方がた魔王クラスの大物であれば、その気になれば別の惑星系、あるいは過去・未来にも移動可能と聞いていますが。


 「それだけではなかろう。半世紀ほど前に、ライカンスロープ族の体質の改善法を生み出し、また17年前には吸血鬼族の治療薬および代替食料の開発も、貴殿が中心になって行ったはず」


 ああ、アレですか。


 前者は、狼男などのいわゆる獣人の治療ですね。

 満月期に凶暴化し、その状態で人間に噛みつく、性交するなどの粘膜接触行為を行うことで、高確率で相手も同族にしてしまうというライカンスロープの厄介な体質。

 常用することでこの習性をほぼ完全に抑制できる薬を、とある知人からの依頼で作成することになりました。

 その結果、これまで長きにわたり人類の歴史の闇に潜んでいたライカンスロープの一族が、表に出ることができました。


 実際、ライカンスロープは、その卓越した体力や、頑丈な体、しぶとい再生能力などを見る限りにおいては、平均的な人間を遥かに上回る逸材ですしね。──そのぶん、平均的な知能は人間よりちょっぴり劣る脳筋傾向にあり、また食欲と睡眠欲、性欲の三大欲求も人間より多めなんですけど。


 ちょうど惑星開拓がさかんになっていた時期で、頑健な働き手は各開発企業ともいくらでも欲していましたから、ライカンスロープは一気に社会的に認知されるようになりました。

 現在は彼らに関する法整備も進み、定期的な抑制薬投与/服用を守る限りに於いては、普通の市民となんら変わりのない権利を有するに至っています。


 その良好な経過を見たためか、20年ほど前にとあるヴァンパイア氏族(クラン)の大物が私に秘密裏に接触してきました。

 彼ら吸血鬼族も獣人族とよく似た、しかし深刻な悩みを抱えていたからです。


 原則的に、吸血鬼の食料は血液です。それ以外にも、たとえばバラの花のような植物から生気を吸い取る方法もないではないのですが、これは人間に例えればブドウ糖の点滴を受けるようなもの。なんとも味気なく、また不完全でもあるとのこと。


 しかし、血への欲求に任せて人間の首筋にガブりと噛みつくと、「レッサー」、「子」と言われる下位の吸血鬼まがいを作り出してしまうことになります。

 そこで私が、「人間の血液に代わる、できれば安価な代替食料」と「万一、吸血鬼に“感染”した場合の治療方法」の開発を依頼されたのです。


 実は、ライカンスロープである程度のノウハウを確立してあったため、こちらは1年ほどで実用段階に漕ぎつけることができました。

 満を持して、その2年後、数多の実用例とともに公表したのですが、すでに獣人族である程度社会に素地ができていたせいか、それほど大きな混乱もなく、社会に受け入れられることができました。


 え? 「吸血鬼になりたいって人は多いのじゃないか?」

 うーん、確かに、吸血鬼は不老不死に近く(正確には、少しずつですが年はとります)、かつ強力な身体能力も兼ね備えてはいます。


 ですが、その分、デメリットも大きいのですよ?

 (ちなみに、「コウモリになる」とか「魔眼で人を魅了する」とかは、生来のものではなく、魔術的な修行の結果得るものだそうです)


 まず、食生活。主食が「人の生き血」というのは、人間から吸血鬼化した人にはかなり厳しいみたいです。吸血鬼化しても、味覚的な嗜好まで変わるわけではありませんからね。「体にいいから」と青汁飲んでるような気分だとか。ま、10年も続けてれば慣れるそうですけど。


 普通の食事を口にすることはできるのですが──ニンニクを始め、ニラ、ネギ、セロリ、ミツバなどの匂いの強いものは全部アウト、食べても吐いちゃいます。

 また、野菜や穀物といった植物性の食品全般は食べても味がしませんし、栄養にもなりません。当然、ほとんどのお酒の味もわかりません。

(逆に、本来安物の、化学的に合成したアルコールを用いた酒なら酔えるとは、何という皮肉!)


 一応、動物性の食品なら味はわかりますし、ほぼ“生”に近ければ多少は栄養補給にもなるらしいのですが……。

 焼き肉に行ってひたすら肉だけレアで焼いて食べるような生活を、毎日続けたいと思いますか?

 なので、和食の刺身や、イタリア料理カルパッチョなんかは、非常に喜ばれますね──調味料は塩か合成物でないといけないのが難ですが。


 つぎに、直射日光による体組織の崩壊。これは、都会のライフスタイルなら、昼間外に出歩かなくても、実はそれほど支障はありません。

 夜行性という部分も、訓練である程度は矯正することは可能みたいです。


 流水への不適応。これは地味に不便です。河川を渡れないだけでなく、水道のホースやシャワーの水をかぶっただけで、力が抜けてヘニョヘニョになってしまうのですから。

 日本とかの浴槽にお湯を溜めておくタイプのお風呂なら、大丈夫らしいんですけどね。


 あ、ちなみに、よく言われる「十字架が弱点」というのは嘘八百ですので悪しからず。アレはキリスト教徒から吸血鬼に転じた人の、一種の自己暗示です。


 そして、最大の弱点が──頭脳の経年劣化、簡単にいえばボケです。

 某三つ目少女のマンガでもありましたが、だいたい300~400年も生きてると、脳の記憶容量がいっぱいになって、いろいろ不具合が起こるみたいですね。

 これは私にとっても他人事ではありませんので、一応対策は講じてあります。


 ──話がだいぶ脱線しましたね。


 で、私が開発した人工血液は、栄養ドリンク剤風のアンプルを一日一本飲むだけで吸血鬼が最低限の健康を維持でき、お値段も洒落たレストランのランチ程度と非常にリーズナブル。

 また、吸血鬼に噛まれても、24時間以内なら98%、48時間以内でも75%の確率で人間に戻せる薬も作り上げました。


 後者は、生来の吸血鬼が少量常用することで、日光への耐性が多少つき(雨や曇天の日なら、傘をさせば昼でも外に出られる程度)、同時に万が一人間に噛みついても、吸血鬼化させにくくなるという効果も望めます。

 そのぶん、吸血鬼の反則じみた再生能力や馬鹿力なんかも幾らかセーブされちゃうんですけど、日常ではそうそう必要な能力でもありませんしね。


 この二大亜人種族(もっとも、現在では「亜人」という表現は差別的だとして敬遠される傾向にあります)の顕在化を皮切りに、天狗族や人魚族といった比較的人間に友好的な種族のいくつかが、その存在を世間にカミングアウトするようになりました。


 人は、「よくわからないもの」そして「自分より圧倒的に強いもの」を恐れます。

 けれど、中世以前ならいざ知らず、現在の人間の文明は、彼ら人外の存在の詳細を解明し、また武力的に制圧できるだけの力を十二分に持ち合わせているのです。


 現在、各国では、人外種族に関する法案の整備は急ピッチで進められているところです。

 多数派による力の横暴と言われれば、それを否定することは確かにできませんが、それでも少なくとも社会的に人間と人外がともに手を携えて生きられるようになった現状は、それほど悪くないのではないか──と、私は思っています。


 そして、彼らを引き合いに出すということは……。


 「まさか、悪魔の存在を公にされるおつもりですか?」

 「うむ、理解が早くて助かる。無論、一足飛びというわけにはいかないだろうが」


 当たり前です。

 獣人や吸血鬼などは、なんだかんだ言って人間の亜種のようなものだと、私は考えています。両者とも、何らかの手段で通常の人間を同種に変異させる力を持ちますし、また人間との交雑も普通に可能です。


 天狗や人魚、雪女などは、その点、いわゆる妖精などに近いのですが、一応、人間とのあいだに子を成せますし、その住処からして、この現実世界の住人です(一部、「隠れ里」と呼ばれる位相をズラした亜空間もあるみたいですが)。


 しかし、「悪魔」は大きく異なります。

 あれから、ファミィの話を聞いたり、古参吸血鬼の方たちの協力を得て私なりに色々調べてみたのですが、悪魔──魔族と呼ばれる種族は、本来的には別の世界に住む精神生命体であり、この世界で活動する時に仮初の肉体を作っているだけなのです。


 つまり、本質的な意味で完全に“異邦人”なワケです。ゆえに、悪魔の肉体を破壊したからといっても、それだけでは根本的に「殺した」ことにはなりません。

 もっとも、この「受肉」と呼ばれる現象は、魔力をバカ食いします。魔王やその側近クラスならともかく、ファミィのような下っ端は簡単に作ったり消したりできないとのこと。その意味では、下級な悪魔は「いったん殺せば、100年単位で生き返って来ない」とも言えます。


 ──ちょっと物騒な話になってしまいましたね。もう少し穏当な話題について説明しましょうか。


 悪魔が人間(亜人含む)の「魂」を求めるのは、実は彼らのエネルギー源、つまり「食料」が魂だからです。

 もっとも、人間から得た魂をそのまま「食べて」いるわけではなく、彼らの住む「地獄」とも「魔界」とも呼ぶべき世界では、これらの「天然物(?)の魂」を母体にした「養殖物の魂」を量産してるのだとか。


 悪魔の現存数がどれだけいるのかは知りませんが、悪魔と契約する人間の数なんてたかが知れてるでしょう。それなのに、全悪魔に行きわたるほどの「天然物」を確保するのは、確かに無理があるでしょうね。


 では、なぜ悪魔が人間から魂を「殺してでも奪い取る!」をしないかと言えば、そこで「天使」の存在がかかわってくるわけです。全宇宙──というか全次元的な摂理に基づき、天使は悪魔が必要以上に人の魂を採りすぎないよう監視する役目を負っているのだとか。


 ──以前、「21世紀地球の捕鯨業者と漁獲量を監視・制限する水産庁の役人みたいね」とファミィに冗談で言ったら、「お母さま、ナイスな例えですぅ」と肯定されてしまいました。ちょっとショック。

 あ、ちなみに現在の地球の海では、21世紀の3倍近いクジラがいます。もっとも、その半数近くは、私がバイオテクノロジーで開発した小型の柴鯨ですけど。


 つまり悪魔との契約と言うのは「人間が死後自分の魂を差し出す代わりに、生前3つの願いを聞いてもらう」というギブ&テイクのまさに正当な取引契約なのだとか。無理やりではなく、本人の意思で結ぶというのがポイントだそうです。


 もっとも、人間と同様、悪魔や天使にも派閥があります。たとえばマルコ氏一派のごとく「できるだけクリーンに契約を遂行しよう」とする派もあれば、詐欺まがいに魂を強奪する集団もあるようです。

 天使側も最低限の監視のみしている、あまりやる気のない派閥もある一方、積極的に悪魔を“間引き”しようとする過激派も存在するのだとか。


 マルコ氏の説明によれば、ファムカが重傷を負った一件は、どうやら悪魔側の過激派の策謀で、天使側の過激派に故意に情報を流されたのが原因らしいとのことです。


 「あの戦いで、我らの一派は大きく数を減じることとなった。配下の精鋭や、ファムカくんのような有為な人材を多数失うこととなったのは、遺憾の極みよ」

 「あの……ファムカが有為、ですか?」


 ファミィとなってからは、私が娘としてそれなりにしつけたおかげで何とか人様の前に出しても恥ずかしくない(それでも時々ドジっ子ですし、あわて者ですけど)程度には成長してますけど、魂移植当初のこの子ときたら……。


 (もしかして、魔界って深刻な人材不足なのかしら?)


 いえ、「人間の娘」としてはともかく、「悪魔」としてはそれなりに有能だったのでしょう、きっと……たぶん……もしかしたら。


 ──閑話休題(それはさておき)。


 「察するに、悪魔内の勢力争いにおける一発逆転の大博打としての策が、今回の“悪魔”の存在の公然化ですか。

 しかし、単に、その存在を明らかにしただけでは、さすがにライカンスロープやヴァンパイアと異なり、大衆に受け入れられるのは難しいと思いますわ」


 もっとも、そう言いながらも私には、マルコ氏が何を求めているのかおおよそのところは想像できています。

 私の内心を見透かしたように(一応、人間レベルのテレパシストの思考探査は遮断するサイコスクリーンを発動させているけど、魔王相手では気休めでしょう)、ニヤリと笑うマルコ氏。


 「キャリオ女史も人が悪い。無論、そのために必要な方策は考えておるし、女史には、それに関する手伝いを依頼したいのだ」

 「私が考え付くことなんて、「悪魔用のエネルギー源の増産」と「悪魔の実体化用人造ボディの提供」くらいですけれど」

 「ほぅ、我の望むことを的確に予測しておるとは、さすがは“宇宙世紀のノア”よ」

 「ちょ……あの、その呼び方はご容赦いただけません?」


 「太陽系開拓の母」ですら気恥ずかしいのに、そんな中二病めいたふたつ名はお断りです。


 「む? しかし、貴殿がおらずば、人類がこれほど早く宇宙開発に本格的に乗り出し、成功することはなかったであろう? 或いは、21世紀中にも滅んでいたやもしれぬ」


 マルコ氏は「解せぬ」といった顔で首を捻っておられます。こういう微妙な感覚が悪魔と人間の違いなのかしら。あるいは、男と女の差異? 

 だとしたら、私も今や完全に身も心も女の側に属しているということなのでしょう。まぁ、それこそ今更なのかもしれませんが……。


 「人造擬体については、ファミィを見ればおわかりのとおり、とうに実用レベルに達していますわ。エネルギー源については、多少の腹案はありますけど、今後の研究次第ということになりますわね」

 「おお、素晴らしい!」

 「ですが──それに対する報酬は? 別にお金その他に不自由はしておりませんが、同時に、この研究を進めるメリットが私にないような気がするのですけれど」


 反対に、もし本格的に始めたら、天使や悪魔の過激派の襲撃が予測されるなど、デメリットは大きいですし。

 ほかの研究を進められなくなる時間的な消費については、私自身にとっても興味深い研究課題ですから、差し引きゼロでも構いませんが。


 「案ずるな。我の一派は取引と契約の公正を重んずる。もし、貴殿が引き受けてくれるなら、3つのことを約束しよう」


 あらあら、ここでも“3つの願い”ですか? もっとも、内容はすでに決まっているみたいですが。


 「ひとつ目は、我ら悪魔側の貴殿の魂に関する専有権の放棄」

 「? 私、まだひとつしか願い事は言ってないんですけど……」

 「さよう。しかし、逆に考えればすでにひとつ願ってリーチがかかった状態とも言えよう」


 リーチって……妙に俗な表現ですね。魔王も麻雀を嗜むのかしら。


 「その取引に関するこちらの負担分を0にしよう。ああ、無論、今の貴殿の変貌が時を遡ってなかったことになる、などと言った姑息な真似はせぬよ」


 歴史に対する影響が大きすぎるし、そもそも我らは現在の貴殿、キャリオ・スレー殿に用があるわけだからな、と続けるマルコ氏。


 「うーーん、確かに理屈の上では、それで私には新たな「契約ひとつ目のお試し権」が生じるわけですが……」


 正直、現在の自分に満足してますからね。何かやりたいことがあれば自分の力で実現に向けて努力するでしょうし、300年以上生きてれば、それなりの不幸も乗り越えてきてますし。


 「はは、貴殿は無欲よの。だが、ふたつ目の条件は、おそらく貴殿にも納得してもらえると思う。すなわち……」


 マルコ氏は、私の背後に控えるファミィにチラと視線を走らせます。ビクン! と身体をこわばらせるファミィ。

 人間に例えれば、一介の新入社員の自宅に財閥オーナーが訪ねてきたようなものですし、無理も……あぁ、成程。


 「ふたつ目は、ファミィ──“ファムカ”の職務放棄に対する叱責その他の免除、ですか?」

 「惜しいな。悪魔ファムカに関する我々側の一切の権利の放棄、だよ」


 ! それは──確かに、私にとっては重要ですね。

 一応、この部屋のガードシステムと私自身の個人武装は待機状態にしてありますけど、正直、地獄の公爵マルコキアスに十全に対抗しうるかは大いに疑問ですし。


 もし彼が前述の理由でファミィを、私の娘を連れ去ろうとしたら精一杯の抵抗はするつもりですが、成功する可能性はよくて1割、それも私もファミィもボロボロになることが予測されます。


 ですが、もし、協力すればマルコ氏は、今後一切彼女に手を出さないと言っているのです。悪魔の誓約だけに、逆に信憑性があります。


 「了解しました。明日からでも研究を始めますわ」

 「む、3つ目の条件は聞かずともよいのかね?」

 「ふたつ目だけで、全財産と引き換えにしてもお釣りがくるほどですから」

 「お、お母さま……」


 感激したファミィが、うるうると涙ぐんでいます。

 ふふ、いいのですよ。もう貴女は私にとって何より大切な娘なのですから。母親にとって、我が子と引き換えにして惜しいものなど、そうそうありません。


 「うむうむ。お主の元にファムカを預けておいたのは間違いではなかったようだな」


 マルコ氏の目に優しい光が宿ってます。なんとなく予測はしてましたが、どうやら部下思いのよい上司のようです。


 「おや、聞いておらぬのかね?」


 ? 何をでしょう?


 「その娘──ファミィ嬢の“中の人”である悪魔ファムカは、我が107番目の息子にあたるのだが」


 え……ええぇぇぇぇーーーーっ!?

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