第10話 帝都へ

「それは、わたくしの考えと違います。そんな言葉を、なぜ、わたくしの口から言わなければならないのでしょう?」

フェルナ・ルドゥ――ヴァリンの妹は、珍しく声を少し荒げてそう言った。

「それは、すべてこの国のため、帝国のためなのですよ、フェルナさま」

帝国の宰相、パテル・グランはそう答える。

(「国のため」か…。このひとはいつもこれだ)

フェルナはそう思い、ため息をつく。パテルは続けて言った。

「御父上を失い、帝国の民は不安を抱いております。今はフェルナさまの力強いお言葉が必要なのですよ」

 フェルナとパテルは、帝都の城の一室で、戴冠の儀において、新王フェルナの述べる就任宣誓の文案を作っている。

「たしかに、今は父上が亡くなって、帝国の人々が不安をお持ちなのはわかっています。ですが、人心を煽ることばかり言っては、人々の気持ちを疲れさせるだけ…」

フェルナはそこまで言うと、少し間を置いて、

「…そうではないですか? パテル先生」

と付け加えて、挑むような眼で宰相のパテルを見た。パテルは、帝国を厳格公とともに支えてきた。それと同時にフェルナとヴァリン兄妹の教育係でもあった。とは言っても、フェルナが「パテル先生」などと呼んだのは始めてのことだが。

「フェルナさま…お立場をお考えください。わたしはもうあなたの教師ではないのですよ」

フェルナの言葉を皮肉ととった、パテルがそう言うと、

「そうですか? わたくしは今でもあなたの生徒のつもりですよ。パテルさんは未熟なわたくしの意見もちゃんと聞いてくださる素晴しい先生でした。それが、わたくしが王になると決まったら、まったく意見を聞いてくださらない…パテルさんにとってわたくしはもう生徒ではないのでしょうか?」

フェルナの言葉に、パテルは大きく首を振り、

「…フェルナさま。すべては国のためなのですよ」

そう言った。

 結局、二人の意見は折り合うことがなく、「また話し合いの場をもちましょう」と言って、パテル宰相は部屋を出て行った。フェルナはがっくりと肩を落とす。わかっている、こんな話し合いは形式だけ。戴冠の儀では、パテルの作った文章を読まさせる。「強い国を作る」「帝国を大きくする」「敵を打ち倒す」…うんざりだ。父さまとパテルさんたちが、この帝国を作りあげた。そのことには敬意をもっている。でも、父さまは国づくりに邁進し、疲れ果てて死んだ。この国の他の人たちにも同じことをしろというの? 父さまの死を悲しんでくれるなら、少し考えてくれてもいいじゃない。

(パテルさんは本当に優しい先生で、大好きだったのに…どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ)

兄さまが王になれば、違うんだろうか? 剣も振れない、魔法もできないわたしと違って、兄さまはすでに帝国の英雄だもの…。でも、兄さまはわたし以上にパテルさんのことが好きだったからなぁ。

(兄さまは今、どこにいらっしゃるのかなぁ…)

フェルナは、長い間行方の知れない兄が、戴冠の儀までには戻って来てくれると思っている。それは、希望でも予感でもなく、血のつながった妹だから感じる確信だった。

(こんな時だって、兄さまはきっと笑っている)

そう思うと、兄の太陽のような笑顔が心に浮かんできた――のだが、それを思い浮かべるうちに、だんだんと腹が立ってきた。

「もう! 兄さまは本当にのん気なんだから。早く帰ってきてよ!!」

一人きりの部屋で、フェルナは声に出してそう言った。


「この服すごく着心地がいいよ。体にぴったりだし」

ヴァリンは、レラが買ってきた服に袖を通して、上機嫌に屈託なく笑っていた。少し前にヤの国の兵士たちに襲われたことも、帝都がもう眼の前なのも、まるで頭に無いかのように。

 犬から人間の体に戻りかけているヴァリンのために、帝都に着く前に服を買いたい。とは言うものの、下半身がまだ犬のヴァリンは、店に行くどころか、外を歩くこともできない。だから、レラが一人で店に買いに行くことになった。ヴァリンは、

(まあ、大きめのボロ服でも買ってくるんだろう…今はそれで十分だしな)

と思っていたのだが、レラが買ってきたのはなかなかに上質な服だった。着てみると、服地の肌触りが良く、誂えたように体になじんだ。

「すごいね、レラ。どうしてわたしの体のサイズがわかったの?」

「そりゃあ、あなたの体はずっと見てたもの。そのぐらいわかるわ」

レラはそう言いながら、はしゃいで上半身を動かしているヴァリンの「服」を見ていた。レラは仕事で身につけた技能で、少しくらいなら服の直しができる。もしかしたら、ヴァリンの服も手直しが必要かと思ったが大丈夫そうだ。

(帝都で「わたしが王になる」って言うんでしょ? だったら、それなりの格好をしてなきゃ誰も話を聞いてくれないよ)

レラは、服を着たヴァリンを見ながらそう思い、その姿に満足した。そして、

「下のほうも、いちおう着てみてよ」

と言って、下半身にも服を着せてみた。いつ人間に戻るかはわからないが、戻ったときに下半身が裸はマズいだろうと、買って来たものの、当然ながら、今の状態ではお話にならない。後ろ脚はまだ犬なのだ。ぜんぜん脚の長さが足りていない。

「ねぇ、レラ…」

ヴァリンが訴えるような眼でレラを見た。

(ああ、今の状態で下半身に服を着せるなんて酷だったな…)

と、レラが思っていると、ヴァリンが言った。

「尻尾がキツイんだけど、なんとかならない?」

「…ん?!」

ヴァリンはイスからひょいとおりると、後ろ脚で立ち、尻をレラに向けた。

「ほら、これがキツくってさぁ。イスにも座りづらいんだよね」

ヴァリンに付いている犬の尻尾はふさふさとしてかなり長く大きい。だから服の尻の部分が大きく膨れてしまっている。

「これ、なんとかならないかな、レラ?」

「……」

レラは絶句した。

(いやいや、ヴァリン。その尻尾はもう少ししたらは無くなるでしょ?)

と、思ったが、口にはしなかった。レラは知っている。そういう理屈はヴァリンには通じない。ヴァリンは現状において最善を求める人間なのだ。

(あーあ、下の方は着させるんじゃなかったなぁ…)

レラは後悔したが、こちらから着るように言った以上、要求を無視もできない。

「…わかったわ。いったん下だけ脱いで」

そう言うと、服の尻の部分にタテに切れ目を入れ、布を当てて補強し、ほつれが出ないようにしっかりと糸を縫い付けた。


「本当にすごいねぇ、レラは。こんなことまできるなんてさ」

上機嫌で笑いながらヴァリンはそう言った。レラがあけた服の尻の切れ目から、白く長くふさふさの尻尾が飛び出している。レラはそれを黙って見ていた。上半身はまあいいだろう。だけど、下半身は服に対して脚の長さが足りず、臀部から尻尾が出ている…。上下の不整合さは、レラの美意識に著しく反していた。

(あーあー。みっともない、みっともない、みっともない…)

にこにこと笑うヴァリンに、そう言いそうになるのを必死でこらえた。


「帝都までもうすぐだよ。この道をまっすぐ行けば、やがて見えてくる」

ヴァリンはそう言って、レラに笑いかけた。

 馬車の御者台の上に、レラとヴァリンは並んで座っていた。

(帝都が近いなら、ヴァリンは顔を出さない方がいいんじゃないの? 顔を知っている人間に見られたらまずいんじゃ…)

と、レラは思ったのだが、ヴァリンが、

「帝都に着く前に、レラに話しておかなきゃならないことがあるんだ」

と真剣な顔で言うので、御者台に出てきたヴァリンを止められなかった。なんと言っても、ヴァリンは帝都に詳しいはず。話を聞かないわけにはいかない――と、思ったのだが、ヴァリンはなかなかその肝心な話をしない。レラは、こらえきれずに、

「…それで? 話しておかなきゃならないことって何なのよ?」

と訊くと、

「うん、これは帝都の恥になるからね、言いにくいんだけど…」

とヴァリンは口ごもる。レラは、少し緊張して次の言葉を待っていると…

「帝都はね、食事が美味しくないんだよ、かなりね…」

と、ヴァリンは言った。

(はあ?!)

レラがあぜんとしていると、ヴァリンは、

「父上は、帝都の街の整備をほんとうに熱心にされていたんだよ。でもね、食べることにはぜんぜん興味が無い人だったからなぁ。そのせいで帝都はねぇ…」

と、父である厳格公が熱心に帝都建設を進めていたこと、まともな食事もとらずに職務を遂行していたこと――などを話を始めた。…レラはがっくりと肩を落とした。

(このひとは、ほんとになぁ…。そりゃあね、わたしだって食べるの好きだから、食べ物がまずいのはイヤだけど…仕事で行くんだもの我慢するよ、そのぐらい)

レラは、まだ帝都建設の話を続けているヴァリンにあきれながらも、(まあ、どうでもいいや)と適当に相づちを打っていた。すると…

「…それでさ、レラは帝都での仕事が終わったらどうするつもりなの?」

話の流れに関係なく唐突に、ヴァリンが言った。

(え、いきなり、なに?)

レラが慌てて、言葉を返そうとすると、

「どうだろう、帝都に残らない? レラの剣の腕なら、お城で雇うからさ」

ヴァリンが言った。

「いや、ヴァリン、わたしは…」

レラが答えようとするのが聞こえないかのように、ヴァリンは続ける。

「ああ、そうか、レラはお城づとめなんか、イヤなんだよね」

「あ、いや、あの、そうじゃなくって…」

「じゃあさ、帝都に料理店を出すのはどうだろう?」

「ねえ、ヴァリン、あのさ…」

「レラの料理は美味しいから、帝都の人たちはきっと喜ぶよ」

ヴァリンがそう言うと、レラは沈黙した。二人の間に少しの静寂があって、ヴァリンが口を開いた。

「どうだろう、レラ。帝都に残らないか?」

「…ヴァリン、わたしね、最初はこれだけだったんだよ」

レラはそう言って、両脚の間に挟んで抱えていた剣を示した。

「剣一本だけ持って、『どうにかなるだろう』って、家を飛び出したんだよね。…いや『どうにでもなれ』かな?」

ヴァリンは黙ってレラの言葉を聞いていた。

「イヤなことはたくさんあったし、大変なことも多かったよ。でも、旅の中でこの馬車もマントも魔法のボウガンも手に入れた。いろんな人にも会えたし、いろんなものも見られた…だから、わたしはまだ旅を続けたいんだよ。探さなきゃならないものもあるしね」

そして、レラはにっこりと笑い、ヴァリンに言った。

「だから…。ごめんね、ヴァリン」

ヴァリンだって、わかっていた。「帝都に残って欲しい」と言ったところで、レラに断られるなんてことは。でも、帝都に着く前に言っておきたかった…言わずにはおれなかった。

「いやだなぁ、ごめんね、だなんて。レラらしくないよ」

ヴァリンは、レラに笑い返すとそう言った。

「だって、王子さまのお誘いを断るんだもの。それくらいはさ」

「やめてよ、王子さま、なんて…」

「あらぁ? 民から与えられた名は甘んじて受けるんでしょ? 光の王子さま」

「本当に、もうやめてよ」

二人は声を揃えて笑った。それからすぐ、帝都が見えてきた。


「なるほど。あの吟遊詩人さまが狼に襲われて亡くなられたと…」

「はい。この馬車で帝都にお連れするはずだったんですが。途中を襲われて…」

「それで、村の長さまにそのことを帝都に知らせるように頼まれたと…」

「はい。さきほどお渡しした書状の通りです」

帝国の警備兵であるシェラシュリーノレーナ・アンノタータは、その書状にはすでに目を通している。村の長の署名は間違いなく本物だったし、書かれている内容もいまの話のとおりだ。あやしいところはない。だから「次は馬車の中を調べさせてもらいますね」ということになったのだが…

「帝都にはいつまでご滞在ですか?」

と尋ねたシェラシュリーノレーナに、

「はい。吟遊詩人さまは戴冠の儀への参謁を楽しみにされていました。だから、わたしが代わりに参謁をさせたいただくつもりです」

と笑いながら答えたレラと名乗る女性をシェラシュリーノレーナは、

(あやしいなぁ、このひと)

と感じていた。女性兵であるシェラシュリーノレーナがレラの検査を担当しているのは、女性だから男性に見られたくないものもあるだろう――という気づかいもあるが、それよりも、女性の方が女性の考えを理解しやすいだろう――という警備兵たちの経験にもとづいた判断がある。しかし、シェラシュリーノレーナにはレラがなにを考えているのか、さっぱりわからない。そもそも、「レラ」ってなんだ? 名前を訊いても、それしか答えようとしない。もちろん帝都に入るための検査に本名をフルネームで名乗れ、なんて決まりはない。だけど、帝国の正式な警備兵を相手にする検査なのだ、少しでも疑われないように、偽名を使ってでももっともらしい名前を名乗るのが当たり前じゃないか? シェラシュリーノレーナだって、ふだん、友人や同僚には「シュリー」と呼ばれているのだが、帝国の兵という仕事なので、勤務中は、父が古い物語の神様の名前から名付けてくれた、やたらと長い名前を仕方なく使っているのだ。

(疑われてもかまわない、とでも考えているのかな? まさかねぇ…)

シェラシュリーノレーナ、…いや、シュリーは、レラを見ながらそう思った。

「それでは、馬車の中を見せていただけますか? …えーと、お名前はなんでしたっけ?」

シュリーがレラにそう言うと、

「レラですよ。はい、どうぞどうぞ」

と答え、軽い足取りで馬車へと先導する。

(どうしても、レラという名で通すつもりなんだな…。それになんだか、楽しそうなんだよなぁ。これから検査だってのに。本当に、なに考えてるんだろ?)

シュリーはレラの後にしたがいながら、首をかしげた。

 レラは、シュリーに見つかってはまずい物を大量に持ち込んでいる。高級な宝飾品は帝都では所持も禁止されているので、見つかれば即没収だ。とはいっても、帝都の人たちの多くは宝飾品を隠れて所持しているし、こっそりと帝都に持ち込み商売にしている者もいる。ふだんならば。しかし、今は戴冠の儀の前ということで、警備が厳格になっていて、帝都に入る馬車は、帝都に入る目的を問われ、危険物を持ち込んでいないかすべて検査される。そのときに宝飾品が見つかれば、厳格な帝都の警備兵は見逃してはくれない。宝飾品を大量に持ち込んでいるレラにしてみれば、検査が楽しいはずもない――のだが、レラには検査で隠し持っている物を見つけられない絶対的な自信がある。レラの馬車には空間を歪める魔法技術が使われている。だからこそ、巨大な馬車をたった二頭の馬で曳くことができ、外部から飛来する攻撃は受け付けない。そしてさらに、馬車には所有者のレラにしか開けることができず、視認できない収納庫がある。隠している物が絶対に見つからないのだから、レラにとって検査は優越感を味わう場でしかない。

(…もっとも、今回はどうしても隠せないものがあるんだけどね)

レラは、そう思いながら笑いをこらえた。これから起こるであろうことを考えると、楽しくてたまらない。

「さあ中へ、どうぞどうぞ」

なんだか、浮かれているようにしか見えないレラにうながされ、シュリーは馬車に入った。

(大きな馬車だけど、中はもっと広く見えるなぁ…)

と、薄暗い馬車の中に入ってすぐ、テーブルを前にしてイスに座った人影に気づいた。

(うん? 同乗者がいるなんて聞いてないけど…)

シュリーは、とっさに身構え、剣に手をかけた。すると…

「シェラシュリーノレーナ・アンノタータさんですね。お久しぶりです」

イスに座った人影がそう言った。

(あれ? わたし名前なんて名乗ってないけれど…)

シュリーは怪訝に思い、振り返ってレラを見ると、露骨にニヤニヤとしている。

「わたしも、立ってお迎えしなければならないところですが…あいにくと脚を傷めていまして…。着座のままで失礼しますね」

人影にそう言われて、少し近づいて眼をこらす…そして…気がついた。

「ヴァリンさま!!」

帝都の警備兵であるシュリーがその顔を忘れるはずもない。だけど、どうしてここにヴァリンさまが? 混乱しながらもシュリーの背筋がピンと伸びた。

「シェラシュリーノレーナさんにもご心配をおかけしたと思いますが…どうしても帝都に戻れない事情があったんです」

そう語るヴァリンの姿を見ながら、シュリーは思っていた。

(ああ、ヴァリンさまだ。間違いない。こんな近くでお会いできるなんて…しかも、わたしの名前を憶えてくださってるなんて…ああ、嬉しいなぁ)

シュリーは笑みが漏れそうになる自分の顔を引き締める。

「ヴァリンさま、お会いできて光栄です。では早速、上官に報告してまいりますので」

後ろ髪を引かれる思いで、ヴァリンに背を向け、馬車から出ようとすると…

「ああ、ちょっと待ってくださいよ。シュリシェラノーレさん」

と言いながら、レラが立ちふさがった。

(シェラシュリーノレーナだ!)

シュリーはレラをにらみつけた。レラは、からかおうとしてわざと名前を間違ったのではない。そのことは、間違えられるのが日常茶飯事のシュリーにはすぐにわかった。しかし、だからこそ、普通に間違えられたのが腹立たしい。

「ああ、レラ。シェラシュリーノレーナさんに失礼なことはヤメてよね」

背後からヴァリンの声がした。その親しげな口調にシュリーは驚く。さらに…

「わかっているわよ。ヴァリン」

そう返したレラの言葉に、凍りついた。

(呼び捨てだと? ヴァリンさまを?)

レラは続けて、シュリーに話しかけた。

「ねえ、シュリシェラーノナーレさん、ヴァリンの話を少し聞いてやってよ」

(シェラシュリーノレーナだよ! なに? ヴァリンさまの話を「聞いてやってよ」だと? なんなんだよコイツ。わたしだって、今日初めてヴァリンさまに声を掛けていただけたのに…)

シュリーはレラをにらみつけたが、レラはにこにこと笑っている。

「シェラシュリーノレーナさん、報告に行く前に少し話を聞いてもらえませんか?」

背後からヴァリンの声がした。シュリーは振り返り、努めて冷静に言った。

「なんでしょうか? ヴァリンさま」

「本当にいろいろと事情があるんです。ここでのことは忘れていただく、というわけにはいきませんか? どうか、お願いします」

ヴァリンはシュリーをまっすぐに見つめ、そう言った。

(ああ、ヴァリンさま、こんな近くで…本当にステキだなぁ。こんなこと言われたら、断れるわけないじゃない…)

と、シュリーは思ったのだが…

「それはできません」

と、口にしていた。

「わたしの任務はここで見たことをすべて上官に報告することですので。ヴァリンさまも、報告が終わり、お城から連絡があるまで、ここに留まっていただきます」

シュリーのその言葉に、ヴァリンはやさしく微笑んだ。

「シェラシュリーノレーナさん、あなたは本当に立派な方だ。あなたのような方がいることは帝国の誇りです…どうか、謝罪させてください」

「謝罪? なんのことでしょうか?」

「わたしがこれからすることを…ですよ」

次の瞬間、ヴァリンの瞳を見つめていたシュリーの意識に白いモヤが降りた。


「うん。問題になるようなものはなにも無かったですね。検査にご協力ありがとうございました、レラさん」

シュリーは、馬車から出るとそう言った。

「こちらこそ、大きな馬車なので、お手数をおかけしましたね。シュリシェラーノレーナさん」

一緒に馬車から出たレラがそう言うと、

「シェラシュリーノレーナですよ、レラさん」

シュリーが笑って言った。

「あら、ごめんなさい」

「いえいえ、よく間違えられますから…それでは、村の長さまからの書状はお預かりします。帝都へのご連絡ありがとうございました」

そう言って、レラに軽く頭を下げると、シュリーは馬車から離れた。

(あやしい人かなと思ったけど…まあ、検査でなにも出なかったしな…)

シュリーはレラを振り返り、その笑顔に手を振った。

(でも…、わたし、本名なんて名乗ったっけ…? まあ、名乗ったんだろうな…けっこういろいろ話したしね。…さあさあ、次の仕事が待っているぞと)

 去っていくシュリーを見送ると、レラは馬車に戻る。

「あっははははは…」

中に入ると弾けたように笑った。

「笑うなんてひどいじゃないか、レラ。シェラシュリーノレーナさんは有能で誠実な人だよ」

ヴァリンがとがめるように言った。

「ああ、ごめんごめん。でもさ、あの人のこと笑ったんじゃないよ。わたしも蠱術をかけられたとき、あんなカンジだったのかなぁ、って思うとおかしくってさ…」

そう言われると、二人に蠱術をかけたのは自分なので、ヴァリンには言葉がない。あらためて自分の罪の深さを感じ、

「ごめんね。シュリーさん」

小さな声で、そうつぶやいた。


 いよいよ目的地である帝都に着いた。レラは浮き立つ気持ちを抑えきれない。もちろん、わかっている。自分の仕事はまだ終わっていない。本番はこれからだ。でもさ、ここにたどり着くまでの苦難に比べたら、どうということもない。もう刺客に命を狙われることもないだろうし、うまくいかなくても、命まで失うわけじゃない。それに、「帝都に連れて行って欲しい」と言っていたヴァリンとの約束は果たせたんだ。レラは充足感に包まれながら、帝都の石畳の道に馬車を走らせていた。街を歩く人の姿は多く、レラの大きな馬車はみんなの視線を浴びていた。

(後ろにヴァリンが乗っているって知ったら、驚くだろうな)

レラは、「ヴァリンさまが帰ってきたぞー」と叫んでやりたい気分だった。まあだけど、ヴァリンのことはヴァリンが自分でやるのだろう。わたしは役目を果たしたんだ。レラは、明日から自分の仕事をするつもりだ。そのために適当そうな場所を探し、馬車を停め、御者台からとび降りた。


「ただいま、ヴァリン。夕ご飯、買ってきたわよ」

レラは仕事のための事前調査を終え、二人分の夕食を買って、馬車に戻った。

「ああ、おかえり、レラ」

ヴァリンは笑いながらそう言ったが、レラが手にした夕食の包みを見ると、少し笑顔が歪んだ。

(あーあ、わかりやすく拒否してくれるよなぁ…。自分が生まれた街の食べ物がそんなにイヤかね?)

 ヴァリンは「帝都の料理はマズい」と言った。でも、それを聞いたからといって、レラにはどうにもできない。帝都の街の中で火は使えないし、料理を作るためにいちいち帝都から出るなんてできるわけがない。結局、まずかったら「まずかったわねぇ」と開き直るしかない。しかし、ヴァリンはどうだろう? ヘンに落ち込まれるのは困る。「食事のときは上機嫌で」を信条としているレラとしては、帝都でのはじめての食事をしんみりとさせたくない。

(先に冗談でも言っておくか…)

そう思って、食事の準備をしながらヴァリンに声を掛けた。

「ねえ、ヴァリン。あなた、わたしに言ったよね? 『ことが済んだら、斬り捨てていい』って?」

「ああ、うん、言ったけれど…」

「じゃあさ、約束どおり帝都に着いたことだし…これが最後の食事になるからね…よく、味わって食べてね」

そう言って、レラはにこりとヴァリンに笑いかけた。もちろん、冗談だ。ヴァリンも笑って返してくれると思っていたが、ヴァリンは真剣な表情になり、

「そうか…そうだよね…でも、もう少しだけ待ってくれないか。わたしには、まだやらなければならないことがあるんだ」

と言った。それを聞いてレラは…

(なによ! 冗談に決まっているじゃないの。いまさら、わたしがあなたを斬るわけないでしょうが!)

途端に不機嫌になった。ヴァリンもレラの言葉を聞いて真顔で考え込んでいる。完全に逆効果だ。結局、二人は言葉もなく、食事をはじめた。

(見た目は悪くない。けっこう美味しそうじゃないの)

レラは皿に盛り付けた料理を見ながらそう思う。

(それに、まずいなんて言ったって、たかが知れているでしょ)

長く旅を続けていて、まずいものはさんざん口にしている。いや、どちらかと言えば世の中まずいものの方が多い。ヴァリンを見ると、神妙な面持ちですでに料理を口に運んでいる。まあ、どうってことないでしょ。レラも料理を口に入れた。

(…うん、ああ、これは…ね)

さらに、ふたくち、みくち…と口に運び、ああ、そうだねと、納得する。ヴァリンの言う通りだった。料理をするレラにはわかる。調理法が間違っているとか、味付けが雑とか、火が通っているかいないか、とか――そんなことじゃない。調理法はレシピ通り、味付けも火加減も言われたとおりをしっかりと守ってやっているのだろう。でも、それだけだ。料理をおいしく作ってやろうとか、食べる人を喜ばせようとか、そうゆうのがまったく感じられない。作業として、仕事として、料理を作っているだけだ。この料理からは「心」を感じられない。ヴァリンの言っていたことを思い出した。ヴァリンの父親の厳格公は食べることに興味のない人だったという。そういう人が街づくりをすると、こういうことになっちゃうのかなぁ…。

 レラとヴァリンは、料理を口に運ぶごとに、心が冷えていくような気がした。それでも二人は食べるのはやめない。二人にはやらなきゃならないことがある。明日のために食べなくちゃね…。

「なんだか…ごめんね、レラ」

ヴァリンが言った。

(あなたが謝ることじゃないでしょ?)

レラはそう言おうとして、思い直す。このひとはこの国の王になるんだよな…

「善処してくださいね」

そう言った。ヴァリンはレラがなんでそんなことを言ったのかわからなかったが、

「…努力するよ」

とりあえず、そう答えた。

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