第8話 三人の昼食

 ヴァリンが、右腕を取り戻した日の翌朝。レラがいつもの通り、馬車の外で朝食の準備をしていた。すると、

「うおおおお―――」

と、馬車の中から大きな叫び声がした。

(あ~あ…。今朝は一体なにがあったのかなぁ?)

レラは自分の心を落ち着かせるように努めた。昨日はヴァリンの高揚した気分にのせられて、ひどい目にあった。だから、今日は失敗しない。なにがあっても、けして動揺してはならない。ヴァリンのペースにハマってはならない。レラが心を引き締めて馬車に入ると、

「ヴァリン、どうしたのよ? 大きな声出したりして」

と、なるべくさりげなく聞こえるようにそう言った。

「見てよ、レラ。左腕がはえたんだ!!」

ヴァリンはそう言って、人の左腕と右腕、両腕をレラに突き出した。

(え!!)

これには、レラも驚いた。昨日、一晩で右腕が戻って驚いたばかりなのに、いきなり翌日に左腕なのだから…。それに、率直に嬉しい。自分の苦労が報われた気がする。だけど…

(落ち着け~、落ち着け~、昨日は一晩で、右腕がはえたんだ、今日、左腕がはえてもおかしくないぞ。それに、まだまだ全身が戻ったわけじゃない。そんなに喜ぶとこじゃないぞ。喜ばない、喜ばない)

レラは、ヴァリンの両腕を握って喜び合いたい気分になる自分を必死に抑えた。

(冷静になれ、冷静に)

そう自分に言いきかせると、できるだけ静かにテーブルに料理を置き、

「よかったわねぇ、ヴァリン」

と、最大限に平静を装って言った。

「うん…ああ…ありがとう」

しかし、ヴァリンはそんなレラのそっけなく見える態度を気にする様子もなくそう答えた。そして、左手のこぶしを握りしめたり、左腕を大きく振り回したりと、新しいオモチャを与えられた子どものようにはしゃいでいる。レラはそれを冷ややかな眼で見ていた。しばらくすると、ヴァリンは両腕で剣を振る動作をはじめ――

「ねえ、レラ、両腕で剣が握ってみたいんだ。君の剣を貸して…」

と言った。

「いやよ」

レラは即座に答える。

「え?! だって、昨日は貸してくれたじゃないか」

と、ヴァリンは言ったが、

「いやよ」

レラはまたそのひとことだけ言った。レラは決めていたのだ――

(このひとに、二度と剣を貸したりしない)

と。レラのそんな決意を知らないヴァリンは、

(いや、自分の剣が大事なのはわかるよ。わかるけど…いいじゃないか、少しぐらい貸してくれたってさぁ)

と、恨めしげに、朝食の支度をするレラを見ていると――

「それじゃあ、両腕が戻ったお祝いに朝食は外で食べましょう」

レラがそう言った。


「いいわね、ヴァリン、絶対にイスから動いちゃダメよ! ダメだからね!」

レラにしつこいくらいそう言われても、ヴァリンは上機嫌だった。レラが自分のためにお祝いをしてくれると言ってくれ、心地よい朝の陽ざしの下で食事ができる。それになんといっても、はじめて自分の両手でレラの料理を楽しめるのだ。心が浮き立たないわけがない。

 レラはテーブルとイスを外に運び出し、ヴァリンをイスに座らせ犬の下半身は毛布で隠した。これならば、人がイスに座って普通に食事をしているように見えるはず。自身は馬車にあった木の箱をイスがわりにして、ヴァリンと向かい合って、にこやかに笑いかけながら食事をした――レラには思惑があった。両腕が戻って気持ちが浮わついているヴァリンは、そのうち「外に行きたい」と言い出すに決まっている。しかし、下半身が犬で上半身が人間の姿で外を歩き回るなんてとんでもない。今日のレラはちゃんとそう判断できた。しかし、ヴァリンを馬車に閉じ込めて不満をためさせるのもロクな結果にはならないとわかっているので、こうして外に出してご機嫌をとることにしたのだ。

「この分なら、全身が人間に戻るのもスグだよね。あせらないで、おとなしくしていればいいよ」

レラはヴァリンに言った。ホンネだ。全身が人間に戻るまで、本当におとなしくしていて欲しい。

 そんなカンジで、表向きは二人とも上機嫌で朝食を終え、ゆったりと平穏にお茶をすすっていたのだが、まあ、そんなものは長く続かない。

(あ~あ、来たかぁ。昨日、失敗したんだから、少し間あけようよ)

レラは心の中でぼやいた。二人に近づく気配がある。何者かは考えるまでもない。ヴァリンももちろん気がついているのだろうが、ゆったりとお茶をすすっている。

「ヴァリン・ルドゥさまですね?」

ヤの国の刺客は、レラとヴァリンのすぐ近くまで来ると、そう言った。左右の腰に同じ長さの剣を一本ずつ差している。どうやら二刀使いの剣士のようだ。

「ああ、そうだ。わたしがヴァリン・ルドゥだよ」

ヴァリンはお茶のカップを置いてそう答えた。ヤの国の剣士は、ヴァリンの両腕が揃っている姿を見て眼を輝かせる。

「おお!! ヴァリンさま、両腕が戻られたのですね!」

ヴァリンと剣で闘えるのが嬉しくてたまらない…そうゆう事なのだろう。

(まったく、気が知れない…)

レラはそう思った。数日前に話をしたヤの国の女は、剣を握ったヴァリン・ルドゥは怪物だと言っていた。そんな怪物が敵として戻ってきたのだ。それのなにが嬉しいのだろう?

 ヤの国の剣士は、自己紹介のような口上を述べはじめたが、レラはもちろん聞き流していた。口上が終わるとヴァリンが口を開く。

「それではお手合わせ願おう。しかし、わたしはまだ下半身が不自由なのでね、失礼ながら着座のままでお相手することになるが…」

ヴァリンは剣士に鋭い眼光を向けてニヤリと笑い、

「…遠慮はまったくいらないからね」

と言った。そんなヴァリンを見てレラは、

(なあに、かっこつけてんだ、下半身が犬の男が)

と心の中で悪態をつく。と、ヴァリンが決然と、

「レラ、剣を貸してくれ」

と言った。

「いやよ」

レラは答えた。

(え?! どうして? ここは貸してくれないと困るんだけどなぁ…)

ヴァリンが戸惑っていると、レラは立ち上がり、自分の剣を握ってヤの国の剣士に歩み寄る。

(なるほど…。どうやら、ヴァリン・ルドゥの前にこの女の相手をしなければならないようだ。この女剣士も相当の腕だという…やっかいだが、仕方あるまい)

ヤの国の剣士がそう考え、身構えていると、

「ねぇ、あなた。剣を二本持っているよね? 一本、ヴァリンに貸してくれないかなぁ?」

と、レラが言った。

「え?!」

ヴァリンとヤの国の剣士、二人同時に驚きの声を上げた。ヤの国の剣士はレラの言っていることがまったく理解できず、

「…いや、あの…剣を一本貸せと言われても…わたしは二刀使いなんでね…剣が二本ないと、ヴァリン様の相手はとてもできないのですが…」

と、しどろもどろに間の抜けた言葉を返した。すると、レラは自分の剣を鞘に入れたまま、ヤの国の剣士に差し出し、

「それじゃ、わたしの剣を貸してあげるよ。これで文句ないでしょ?」

と言った。

「え?!」

ヴァリンとヤの国の剣士はまた同時に声をあげた。ヤの国の剣士は思った。

(いや、文句はあるよ。使い慣れた自分の剣の方がいいに決まってるだろ。なんでこんな大事な勝負で他人から借りた剣を使わなきゃいけないんだよ。そもそも、その剣をヴァリン・ルドゥに使わせればいいだけじゃないか――)

極めて真っ当な考えだが、ヤの国の剣士は混乱していて、それを言葉にできずにいた。そんなヤの国の剣士を、レラは更に追い詰める。

「いい? ヴァリンは犬から剣士に戻ったばかりで剣を持っていないの。そして、わたしはヴァリンに絶対に剣を貸さない。だから、あなたが剣を貸してくれないなら、ヴァリンは魔法であなたの相手をすることになるんだけど…それでいい?」

(――それは…ダメだ)

混乱気味のヤの国の剣士は、そう思った。ここに来たのはヴァリン・ルドゥを殺すためだ。――しかし、ヴァリン・ルドゥの両腕が戻っているのを見てしまった以上、剣を握っていないヴァリン・ルドゥを殺す気になどなれない。

 ヤの国の剣士は、黙って眼の前に差し出されたレラの剣を受け取り、自分の右腰の剣をレラに手渡した――(なぜ、レラがヴァリンに剣を貸さないのか?)という疑問は吹き飛んでいた。

「はいはい、それじゃあ、そういう事で」

レラは、受け取った剣をヴァリンに手渡した。ヴァリンとしても、

(なんで、敵に剣を貸して、わたしには貸してくれないんだ?)

と言いたかったが、もはやそんな場合でもない。ヤの国の剣士は、すでに二本の剣を抜き両腕に構えている。ヴァリンもレラから渡された剣を抜いた。気分が高揚する。たとえ、それが敵の剣であっても。

「ああ、ちょっと待って、テーブル片づけるからさ…」

レラがにらみ合う二人の間に入って、朝食のかたづけをはじめた。二人はまったく動かない。レラも勝負の邪魔をするつもりはない。ただ、テーブルを傷つけて欲しくなかっただけだ。

(ほんとはイスも傷つけて欲しくないんだけどな…まあ、大丈夫かな、座ってるのヴァリンだし)

 レラが片づけを終えた数瞬ののち、勝敗は決した。それは、単純な話だ。ヤの国の剣士はヴァリンに向けて疾駆し、二本の剣を振った。だが、その刃の速度より、イスに座って振ったヴァリンの剣の速度の方が数段速かった。ただ、それだけだ。

(ほんとにさぁ…気が知れないわ)

レラは、ヤの国の剣士の死体のかたわらから自分の剣を回収しながら、そう思う。ヴァリンも鞘に納めた剣を持ってイスから降り、死体のかたわらに置こうとした。

「…ねぇ、ヴァリン。それはあなたが持っていた方がいいんじゃないかな?」

「それは…ダメだよレラ。死者から剣を奪うなど…許されない」

(まあね。それは、わたしも嫌だけどさ…)

レラはそう思いながら、

「…でもね、その剣はあなたがこのひとから借りたものだよね。そのまま借り続けて使ってあげるのが、このひとのためじゃないかなって…思うよ」

と言った。めちゃくちゃな理屈だ。もちろん、レラはそんなことは少しも思っていない。口から出まかせだ。しかし、ヴァリンは――

「うん、そうか、その通りだね。この剣はわたしが大切に使うことにするよ」

と言うと、剣を大事そうに手にした。

(ああ、やっぱり…このひとはなぁ…)

レラは思った。だが、まあいい。ヴァリンが剣を手に入れた。これでもう自分の剣を貸さなくていい。口元がゆるみそうになるレラだったが、そんなヘマはしない。

(うまく切り抜けられたな。今日はもうこれでなにもないといいのだけれど…)

 この日、刺客が新たに来ることもなく、ヴァリンが走りだすこともなかった。レラは最近にしては珍しく、平穏な気持ちで一日を終えることができた。


 翌朝。レラが朝食の支度を終えて馬車に戻ると、ヴァリンは目を覚ましていた。

「おはよう、レラ」

「おはよう、ヴァリン。今朝の調子はいかがかしら?」

レラは、ニッコリとした笑みを顔に貼り付けて、ヴァリンの様子をうかがった。

「うん、今朝は特に変化ないみたいだよ。脚の一本でも元に戻ってくれないかと期待はしたんだけどね…」

「まあ、そんなに欲張るものじゃないわよ。じっくり待ちましょうよ」

レラはそう言いながら、

(もう全身が人間に戻ってしまえばよかったのに)

と思った。しかし、すぐに思い直す。そんなことになったら、ヴァリンが喜びを爆発させてなにをしでかすかわかったもんじゃない、考えるだけで恐ろしい。

(じっくりでいいんだよ。じっくりで…)

と、自分にも言い聞かせた。

 その朝のヴァリンは、落ち着き払っていた。きのう、おとといのような高揚し過ぎた様子はない。優雅といえる所作で食事を口に運んでいる。レラはその姿を、うっとりと見ていた。

(ああ、やったなぁ…偉いぞ…わたし)

数日前まで口に食事を運んでやっていたヴァリンが、ここまで人間に戻ったんだ。わたしのおかげだよなぁ。自分をほめてやりたい。まるで、わが子の成長を見るような気持ちだ――子ども育てたことないけど――でも、まあ、こんなカンジなのだろう。きのうはヴァリンのご機嫌をとることばっかりで、それどころじゃなかったけど、今日は素直に喜べる。レラは、ニタニタした笑みが止まらなかった。

「ねぇ、レラ、どうかしたの? なにか、嬉しそうだけど…」

と、ヴァリンが訊くと、

「いや、あなたの両腕が戻って嬉しいな、って思ってね」

レラは自分の気持ちを隠さずに口にした。

「ああ、そうか、ありがとう。本当にレラのおかげだよ」

ヴァリンがそう言うと、レラは黙って微笑んだ。

(うん、うん。いいのよ、もっとほめて、わたしをほめて)

レラは調子に乗っていた。しかし…

「それに比べて、わたしは役立たずで、わがままで、傲慢で…」

と、ヴァリンはそう言った。

(あれ? どうしたのよ、ヴァリン)

レラが戸惑っていると、

「おとといだって、ヤの国との戦闘にキミを巻き込んでしまった…本当にすまない。わたしはダメな男だ…」

とヴァリンが言葉を続けた。

(え~~、今、それを言うかなぁ? あの時、あなたは結構ノリノリでわたしを巻き込んでたよね? いまさら謝られたって…)

レラは、あきれながらそう思った。するとさらに、

「こんなわたしは、犬のままで森にいるべきだったんだ…レラと旅を続ける資格などないよ…」

と、ヴァリンが言い出した。

(あーあ、旅のはじめから否定しちゃうの? 心を操られて、無理やり参加させられた、わたしの立場はどうなるのよ…)

レラは頭を抱えそうになったが、思いとどまった。眼の前に座っているヴァリンが頭を抱えていたからだ。どんな場面であれ、このひとにのせられちゃダメだ。ろくなことにはならない。ここはいったん冷静になって考えてみよう。ヴァリンはなぜこんなことになっているのか? それはたぶん「反動」というやつだ。おととい、右腕がもとに戻ってはしゃいだ。きのう、左腕が戻ってまたはしゃいだ。で、今日は特別に変化がなかった。それで、きのうまでの行動を振り返ってみると…ちょっと、はしゃぎ過ぎたな…って思う。そうゆうことなのだろう。これは、わたしも経験がある。ちょっと良いことがあって、その日は大喜びしたが、翌日になって考えてみたら、そこまで喜ぶことじゃなかったな…と落ち込む。よくあるなぁ…。しかし、ヴァリンの場合は両腕が人間に戻ったんだ、大喜びしたっておかしくないかな…いやいや、それにしたって、この二日間のヴァリンの高揚っぷりは異常だった。あんなのを二日も続けたら、そりゃあ心が疲れて反動も出るだろう。

 それで…、さて、どうしたものか? このままにしておくわけにもいかないよなぁ…。まさか本気で、旅をやめるとか、もう帝都に行かないとか言わないと思うけど…もし、言われたら困る。わたしが困る。しかたないな、少し元気づけるか…このまま落ち込まれてたら、うっとうしいし。

「ねぇ、ヴァリン、あのさ…」

頭を抱えるヴァリンに、レラはやさしく声をかけた。レラは心得ている。落ち込んでいる者に、強い言葉は禁物だ。やさしく、持ち上げるように話さなければ。

「あなた、わたしに、『帝都に連れて行ってくれ』って言ったよね。わたし今ではさ、あなたに帝都に連れて行って欲しいって思っているよ。ねぇ、だから元気を出して。一緒に帝都に行こうよ」

やさしい声を出せたと思う。やさしい笑顔もしっかりと作った。いくら自分の目的のためとはいえ、なんでこんな恥ずかしいこと言わなきゃいけないのかと腹立たしかったが、まあ、これも仕事うちだ。

「ヴァリン、あなただって帝都でやることがあるんでしょ? だからさ、一緒に帝都に行きましょう」

最後の仕上げに、にっこりと笑顔を作った。完璧だろ? もう顔を上げろよヴァリン。

「いや、わたしのような者がいまさら帝都に戻ったところで、もうなにもできやしないさ…」

ヴァリンはうつむいたまま、そう言った。

(この!! へたれが)

レラはそう口に出しそうになったが、こらえた。笑顔の仮面もはずさない。

(あ~あ、これは、時間がかかりそうだなぁ)

とりあえず、ご機嫌をとって様子を見るしかないか…。うっとうしいけど、これも仕事仕事。

「元気出してよヴァリン。…そうだ、少し外に出ようよ。お昼は外でなにか美味しいもの作ってあげるからさ」

そう言うと、ヴァリンは顔を上げた。

「ああ、いいね。それは楽しみだ…」

だが、またすぐに顔を伏せ、

「でも、わたしのような者がレラの料理を食すに価するのかな…」

と言った。

(ホント、こいつメンドくさいな)

レラはそう思ったが、もちろん声にはしない。笑顔を貼り付けたまま、落ち込んでいるヴァリンを冷たい眼で見ていた。


(あーあ、やっぱり料理をするのっていいわね、嫌なこと全部忘れられる…)

レラは昼食の準備をしながら、そう考えていた――だが、今日に限って言えばそれはウソだ。あえて自分にそう言い聞かせているだけ。いつものレラは料理しているときはすべてを忘れている。食材が眼の前で変化していくさまに視覚と嗅覚と聴覚と触覚を集中させ、味覚が納得する最高点を見出す――そんな感じなのだが、今日はそうもいかなかった。

 沼の底深く沈んでしまったヴァリンを浮かび上がらせるため、馬車を草原に停め、暖かな陽ざしのもとでさわやかな風が抜ける草原にイスとテーブルを置いてヴァリンを座らせ、レラはご機嫌とりに努めた。だが――

「本当にわたしは、レラに迷惑をかけてばかりだ…すまない」

と、ヴァリンは出会いのはじめの頃から振り返り、反省とレラへの謝罪をグチグチと並べ立てた。レラとしても、振り返ってみればヴァリンに腹の立ったことはいくらでもある。言いたいことも山ほどある。だが、それを今さら言ったところでなんの得にもならない。だから忘れることにしているのに、当の本人であるヴァリンにそれを思い出させられる。しかも、沈み込んでいるヴァリンに対して憤まんをブチまけるワケにもいかない。ひたすら謝るヴァリンに、

「いいのよ。もうそんなこと、気にしてないからさぁ」

と、なるべく明るい声で、引きつりそうな顔に笑みを貼り付けて言い続けた。

―― つらい。

「…それじゃあ、そろそろお昼を作るわね」

レラはそう言って、ヴァリンの前から逃げ出した。

(このまま話してたら、こっちまで沼の底に引き込まれる…当分、ほおっておくしかなさそうね…)

 そして、レラは調理を始めた。今日は時間をかけてじっくり作るつもりだ。ヴァリンが沼から浮かび上がるまで時間がかかるだろうから、調理に集中して、落ち込んでいるヴァリンから逃げ出したい――という気持ちもあるが、別の思惑もある。

 調理をはじめて少しして、レラとヴァリンに近づいてくる人の気配があった。

(ちょっと早いなぁ…もう少し、あとにして欲しかったけど…)

レラの思惑は少しだけはずれた。

 どうやってかは知らないけれど、ヤの国の連中はヴァリンとレラの居所を常に知っている。だから、馬車を停めて外に出ていれば、そのうち刺客がやって来るだろう。そうなれば、ヴァリンも沼に沈んでばかりもいられまい ――それが、レラの思惑だった。

(どうやら、ひとりみたいね。大人数で来られると、わたしもメンドくさいけど、これならちょうどいいかな…でも、なぁ…)

 刺客が、見える位置までやって来た。腰に剣を一本さげている 武人らしい、鍛えられているとわかるしっかりとした足取りで近づいてくる。緊張と殺意をひしひしと感じる。

(さあ、ヴァリン、どうするのよ?)

と、レラが様子をうかがうと、相変わらずイスの上で沼の底の泥のように落ち込んでいる――レラは大きく首を振った。

「ヴァリン・ルドゥさまですね」

ヤの国の剣士が確固たる殺意を込めてそう言うと、

「…うん、ああ、そうだよ」

と、ヴァリンがへろへろとそう応じた。気迫のかけらも感じられない。ヤの国の剣士は意外そうにヴァリンを見たが、すぐに気を取り直して、闘いの前のお決まりになっているらしい口上を述べようとしたが、そこに、調理の手を止めてレラが声をかけた。

「ねえねえ、あなた。ちょっと…」

ヤの国の剣士は、背後から声をかけたレラに振り返る。

「なんでしょうか?」

ニッコリとレラに微笑んだが、その表情とは裏腹な殺気が押し寄せてきた。

(あ~、気合入ってるなぁ…)

レラはそう思いながら、殺気を受け流すように言った

「わたしたち、これからお昼ごはんなのよね。だから、勝負をするなら、その後にしてくれないかな? もう作りはじめちゃっているし」

ヤの国の剣士は、一瞬、絶句する。

(「お昼ごはん」? なに言っているんだ?)

いやしかし…と剣士は生真面目に考え込む。

(こちらから押し掛けて来ているんだ、相手の都合を聞かないのは非礼というものかな。ヴァリン様との勝負を汚したくないし…)

ヴァリンを殺しに来た者らしくもなくそう考えると、

「わかりました。お食事が終わるまで、待たせていただきます」

真剣な顔でそう答えた。

「ああ、そう。じゃあ、よろしくね」

レラはそう言うと、調理に戻った。ヤの国の剣士は言葉どおりに、レラの近くに直立し、鍛えられた武人らしく微動だにしない。しかし、レラとヴァリンへの警戒はもちろん解いていない。そして、ヴァリンとの勝負へのワクワクした期待感とか、ヴァリンへの殺意とかがごちゃごちゃになってレラにまで伝わってくる。

(あ――、うっとうしい!)

レラはこらえきれずに、再び剣士に声をかけた。

「ねえ、あなた」

「はい、なんでしょう?」

「そこに立っていられると、気になるわ。ヴァリンの座っているテーブルに木の箱のイスが置いてあるでしょ? そこにでも座ってて。お茶を淹れてあげるからさ」

「え?!」

剣士は言葉に詰まる。敵国とはいえ王室の人間と同じテーブルに座る? そう思うのと同時に、敵とはいえ尊敬するヴァリン・ルドゥさまと同じテーブルに座れる? と、重圧と至福感がごちゃごちゃになった。

「ヴァリンさま、よろしいのでしょうか?」

おずおずと言葉にする。

「ああ、もちろん。遠慮はいらないよ」

ヴァリンは静かにそう答えた――いま、ヴァリンの眼の前にいるこの剣士だけではない、誰も知らないのだ。レラの決定にヴァリンが逆らうことなどできないことを。さらに、いまのヴァリンには反論する気力などないことも。

「はい、お茶でも飲んでて」

レラは、自分が座っていたイス代わりの木の箱に剣士を座らせると、その前のテーブルにお茶のカップを置いた。

「…ありがとうございます」

レラに礼を言い、剣士は眼の前に静かに座るヴァリンを見た。

(ヴァリン・ルドゥという方は、戦場では敵も味方も恐れさせる威圧感を持つと聞かされていたのだが…普段はずいぶんと静かなのだなぁ。気迫もあまり感じられない…達人とはこうしたものなのかもしれないな)

と、事情を知らない剣士は勝手に誤解し、勝手にそう理解した。

 レラはそんな剣士とヴァリンを見ながら、

(眼の前に座っていたら、殺気をぶつけ合う、ってわけにもいかないでしょ? 少し本心を隠してお互いに仲良くしていてよ。昼食が済んだら好きにしていいからさ…ああ。そうだわ)

レラは、剣士に声をかけた。

「ねぇ、あなたもお昼ごはん一緒に食べなさいよ、あなたの分も作ってあげるから」

「え?! しかし…」

「だいじょうぶ、毒なんか入れないわ。わたしたちが食べているの見てるだけなんてイヤでしょ? わたしたちだってイヤ。それだけよ」

「でも…、よろしいのですか? ヴァリンさま」

そう訊かれたヴァリンが「構わないよ」と答える前に、

「もちろん、構わないわよ」

と、レラが答えた。


「それじゃあ、料理ができるまでおとなしく待っていてね」

と言って、レラは調理に戻り、ヤの国の剣士は、ヴァリンと二人だけで残された。敵とはいえ、戦場の英雄であるヴァリンと同席できることは本当に光栄なのだが――なんだか、すごく気まずい。本来であれば、この状況ならヴァリンの方から話しかけてくれてもいいと思うのだけれど…黙ってうつむいてばかりで、口を開く気配がない。

(仕方ないな。せっかくの機会だし…)

ヤの国の剣士は、勇気をふりしぼってヴァリンに話しかけることにした。――とは言っても、話術に自信があるわけではない。子供の頃から剣術修業の毎日でそれは今も続いている。だから、そんな豊富に話題があるわけでもない。しかし、他にどうすることもできず、剣士は自身の剣術修業の話をはじめた。


 レラは調理を再開した。テーブルの方から殺気は流れてこない。あの二人は礼儀をわきまえているようだから、いきなり斬り合いなんてこともないだろう。レラは安心して、調理を進めた。

 レラは少女の頃から、一人で食事をすることがほとんどだった。だから、決めている「食事のときは上機嫌で」と。なりゆきとはいえ自分で誘ったのだから仕方ないが、これから殺し合う二人と同席して食事をするのは少し憂鬱だった。

(まあ、これも仕事のうちよね…。でも、あんまり殺伐としないでくれればいいのだけど…)

と考えながら調理をしていると、テーブルの方からボソボソとしたヤの国の剣士の声が聞こえてきた。最初は剣士の声だけだったものが、時間が経つにつれて、ヴァリンの声もまじるようになり、少しずつ声が大きくなる。それが、だんだんと熱を帯びてきて、興奮気味になり、ついにはヴァリンとヤの国の剣士が声を揃えて笑った。

(おいおい、ヴァリン、いったいどうなっているのよ?)

レラが聞き耳を立てると、ヴァリンたちは剣の話をしていた。ヴァリンの父親の厳格公がどんな剣を振るったとか、ヤの国の剣士の太刀筋に戦場が震えたとか、そんな話。レラとしてはまるで興味が無い。だが、二人は大いに盛り上がっていた。

(やれやれ。そういえば、ヴァリンって剣術バカだったよなぁ…)

レラは納得した。沼の底に沈んでいたヴァリンは無事生還し、敵国の剣士とも打ち解け合っている。これなら、昼食も穏やかに進むだろう。レラを悩ませていた問題はすべて解決した。――しかし、ヴァリンと剣士の笑い声を聞くうちに、レラの心に怒りが湧き出してきた。

(ふん! なんなのよヴァリン。心配したのにさぁ)

自分があんなに話しかけても浮かび上がらなかったヴァリンが、敵国の剣士と少し話をしただけで、簡単に復活した――それが面白くない。

 レラは出来上がった料理を皿に盛り付けてテーブルに運んだ。

「はい! できたわよ」

盛り付けが崩れない程度の強さでテーブルの上に「ダン!」と置いた。


 レラは、馬車の中から木の箱をもう一つ持ってきてその上に座り、三人でテーブルを囲んだ。

 ヤの国の剣士は、夢中になってヴァリンと剣術の話をしていたが、料理を口にすると、驚きの表情になる。

「美味しい!! これは美味しいですね! こんな美味しいもの、はじめて食べましたよ」

興奮気味にそう言った。

「そうだろ? レラの料理は最高だろ?」

ヴァリンもそう言ったが、レラは黙々と料理を口に運びながら、

(ふん。剣術バカ二人にほめられたって、うれしくないわよ)

と、不機嫌に思っていた。

「こんな美味しい料理をありがとうございます、レラさん。でも、お礼のしようもありませんね」

夢中で料理を口にしていたヤの国の剣士が、言わずにはいられない様子でレラにそう言うと、

「そう? それじゃあさ、教えてくれるかな? あなたたちは、わたしとヴァリンの居場所をどうやって知っているの?」

レラが顔に微笑みを貼り付けてそう訊いた。しかし――

「だめだ、レラ。それを訊いちゃいけない。彼に国を裏切らせるつもりか?」

と、ヴァリンがいつにない強い口調でそう言った。それに少しだけ遅れて、

「レラさん、すみません。それはお話しできないことになっていまして……」

と、ヤの国の剣士がすまなそうに言った。

「あら、そうなの? それじゃあ仕方ないわね」

レラは、微笑み崩さずに、とぼけた顔でそう言ってから、ヴァリンをにらんだ。

(なによ、ヴァリン。あなただって知りたいって言ってたじゃない)

レラとヴァリンの間に気まずい空気が流れ、テーブルの上に沈黙が訪れる。事情がよくわからないまま、ヤの国の剣士は取り繕うようにレラに尋ねる。

「レラさんはどうしてヴァリンさまと旅をされているんですか?」

すると、レラはフォークを持った手でヴァリンを指して答える。

「このひとがねぇ、泣いて『帝都に連れて行ってください』って頼んだからよ」

(ああ、ヴァリンさまになんてことを…)

剣士が自分の質問がまずかったのかなと悔やんでいると…

「でもねぇ、今ではレラが泣いて『帝都に連れて行って』って言ってくれるんだよ」

と、ヴァリンが言った。

(この野郎!!)

レラがヴァリンをにらみつける。

(落ち込んで可哀想だからやさしいこと言ってやったのに、なんだそりゃあ)

しかし、ヴァリンは涼しい顔で、料理を口に運んでいる。

 三人が囲むテーブルの空気はますます重く熱くなり、レラとヴァリンは自分から口を開こうとしない。たまらず、ヤの国の剣士は再びレラに話しかける。

「レラさんの剣の腕は相当なものと聞いていますが、どのような剣を?」

「わたしはね、自分の好きなように剣を振り回してるだけだよ」

「そんな…ご謙遜を」

「謙遜なんかしていないよ」

と、ヴァリンが口をはさんだ。

「本当にさ、レラの剣はだいたいそんな感じだよ」

(ああ、ヴァリンさま、またレラさんを怒らせるようなことを…)

と、ヤの国の剣士は思ったが、レラが怒り出す様子はない。不思議に思いながら、剣士はさらに訊いた。

「レラさんは、どこで修業されたのですか?」

「修業なんて、していないよ」

「そんな…お隠しにならなくても」

「隠してなんかいないよ。本当のことだよ」

それは本当のことだ。レラは子供のころから、幼い時に死んだ、顔も覚えていない父親の形見の剣を振り回していたが、誰かに剣を教わったことは一度として無い。

 剣士の質問が悪かったわけではないし、レラも不機嫌ながら率直に答えたのだが、会話は広がらない。重い空気の中で剣士はあきらめかけていた。

(まあ、ヴァリンさまとは十分に話せたし、もういいかな…)

と、レラが話しかけてきた。

「ねえ、あのさ、さっきの質問はなかったことにして、別のこと訊いていいかな?」

「あ、ええ、どうぞ」

ヴァリンが鋭い視線でレラを見たが、レラは無視して言葉を続けた。

「あなたは、なんで、ここに来たの?」

「え? なんで、とおっしゃいますと?」

「なんで、ヴァリンと闘おうなんて思ったの? あなた死ぬかもしれないよね?」

レラは少しウソをついた「死ぬかも」ではない。ヴァリンと闘えば、剣を交えれば確実に死ぬ。ヴァリンの強さは異常だ。その立ち居振る舞いから、ヤの国の剣士の腕も相当なものだと分かる。だが、それでも超えられはしない。レラにはそれがわかっていた。

 ヤの国の剣士は「どうして?」と訊かれて、考え込んでいた。

(そう言われれば、わたしは、どうしてここに来たのだろう?)

ヴァリン・ルドゥがここにいると知らされて、当然のようにここに来た。ヴァリン・ルドゥと剣の勝負がしたい――ただそれだけだ。迷いはなかった。でも――それはなぜなのだろう?

 ヤの国の剣士がレラに言葉を返さずにいると、レラが続けた。

「あなたは、ヴァリンに勝ったらなにを得られるの? 栄誉? 地位? それともおカネかしら? なんにしろ、あんまり割のいい賭けとは思えないのだけれどね」

「やめろ、レラ!!」

ヴァリンが怒鳴った。しかし、レラはヴァリンをにらみ返す。

「やめないわよ。わたしには理解できない。だから、知りたいの。だから、訊いているの。それのなにがいけないのよ?」

レラとヴァリンはにらみ合う。すると――

「…レラさん、わたしは子供の頃からずっと剣の修業を続けてきました」

ヤの国の剣士が口を開いた。レラはその意味がわからず、黙って次の言葉を待った。

「子供の頃はわけもわからずでしたけれど、今は違います。強くなりたい。自分がどこまでやれるのか知りたいんです。わたしの腕はヴァリンさまには及ばない、それはわかっています。だけど、わたしがこのあと何十年生きたとして、ヴァリンさまと剣を交わせるこんな輝かしい瞬間が訪れるかどうか…だから、今日死んでも悔いはない――そう思って、ここへ来たんです」

その言葉を聞いて、レラもヴァリンもしばらく口を開かなかった。しかし、少しして、ヴァリンは何事もなかったかのように話題を変えてヤの国の剣士に話しかけ、剣士は嬉しそうにそれに応じた。

 レラは楽しそうに話すヤの国の剣士を見ていた。

(そうねぇ、あなたの命だもの、好きにすればいいんだけど…でもね)

笑っているヴァリンを見た。

(わたしは、ヴァリンが死んだら困る、いろいろ困る…まあ、死なないんだけどさ。あなたにだってたぶんいるのよ「死んだら困る」って言う人がさ…)

そこまで考えてレラは頭を振った。

(ああ、やめやめ。わたしだって好き勝手に生きてるんだ。他人の生き方に口出すのわたしの生き方じゃない。わたしの生き方は「食事のときは上機嫌で」なんだ)

レラは、ヴァリンと剣士を見た。相変わらず剣術の話で盛り上がっている。

(さあ、さあ、二人とも、いつまでも剣の話ばっかりしてないで。世の中には他にも楽しい話はいくらでもあるんだからさ)

レラは口を開くと、二人の会話に割り込み、旅の中で見知ったとっておきの話を披露した。レラの巧みな話術と、聞いたこともない異郷の話に二人は引き込まれ、何度も感嘆の声を上げた。昼食の席は大いに盛り上がった。


 昼食を終え、三人はお茶をすすっていた。自分たちがここになにをしに来たのか、これからなにをしようとしているのか、忘れてしまいそうな、まったりとしたひと時を過ごしていた。

「いや、ほんとうに美味しい食事をありがとうございました、レラさん」

ヤの国の剣士がそう言った。

「はいはい、ありがと。お世辞でもうれしいわよ」

レラがそっけなくそう答えると、

「お世辞なんか、言ってませんよ」

と、剣士が笑った。

 そして、ヴァリンが静かにカップを置いて、口を開いた。

「それじゃあ、そろそろ…やろうか?」

その言葉にヤの国の剣士が立ち上がる――そして、頭を下げた。

「ヴァリンさま、すみません。…やめておきます」

ヴァリンとレラが驚いた顔で剣士を見た。剣士は言葉を続けた。

「レラさんの料理、ほんとうに美味しかった。今、とても幸せな気分です。この幸せな気分を今日一日は味わっていたい…そう思います。だから…」

剣士は言葉に詰まったが、ヴァリンが言葉を返した。

「…そうか、残念だ。わたしはあなたと剣を交わしたかった」

その言葉に、剣士はもう一度、ヴァリンに頭を下げる。そして、そのまま背を向けると、振り返ることなくヴァリンとレラのもとから去って行った。

 レラはその背中に、

「ふん、食い逃げかよ」

と、悪態をついた。

――でもまあ、気分は悪くなかった。

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