研究者になろう! 魔工学分野における公募戦線参戦記

荒島 みなと

第1話 プロローグ

「博士課程に進学することしました!」


 私の指導教員、ダニエ・アダマース教授を前にして私は言い切った。


 博士課程に進み、研究者を目指す道は茨の道である。


 研究者を目指す若者は多いが、それに対する大学教員や研究機関の勤め口、いわゆるアカデミックポストアカポスの数は少なく、路頭に迷う博士が社会問題になっている。高学歴なのに収入が低いことから、高学歴ワーキングプアワープアとも揶揄やゆされる。


「それはよかったです。もう11月になるから来週が願書の締め切りですね。早く研究計画書を作らないといけません。研究テーマはどうするつもりですか?」


 雑然とした研究室の中、分厚い書籍をぼんやり眺めていた先生は急に生気がみなぎったように眼光が鋭くなった。最近はあまりに研究者の待遇がひどいため博士課程に進学する学生が少ないのだ。


 進学希望者がよほどうれしいのだろう。教授が不注意に動いたため机の上にあった書類の山が一つ雪崩を起こしたが、気にしていないようだ。


「……あ、はい、学部、修士課程とずっと《モグナイト金属の氷系魔法による劣化》に関する研究をしてきたので、基本的にはその続きをしたいと思っています」


 まずは無難な研究テーマで進めるつもりだ。

 しかし、教授は少し不満そうな顔。

 無精ひげを触りながら言葉を選んでいる。


「確かにそのテーマにこれまで取り組んできたから、ある程度の成果は出るでしょう。でもその研究はこれからどのようにして発展させるつもりですか?」


「発展ですか?……そうですね、例えばモグナイト金属以外の魔材の劣化を調べるとか、もしくは炎系魔法に対する劣化を調べるとか、条件を変える研究でしょうか……」


 今までモグナイト金属ばかりを実験対象にしてきたので、他の魔材に興味があるのは事実だ。


「条件を少し変えて実験してみる、ということですか。まあそれでも成果は出るでしょう。論文も書けるから、博士号は取れるでしょう。でも研究者として研究室を構えるには、ある分野で一番の存在になる必要があります。独自の理論や方法論を創り出すとか」


「……はあ。」


 ……これじゃダメなのかな?


「同じような実験を、しかも指導教員の延長線上のものをしているだけでは自立した研究者にはなれません。私が派閥のようなものをもっていて、他大学にも絶対的な影響力あれば違いますが、残念ながらそうではありません」


 アダマース先生はまだ50代前半だ。アダマース研究室で博士課程を修了したのはまだ2人しかいないと聞く。卒業生のコネは期待できないのだろう。


「カイさんが将来も研究者として生き残っていきたいなら、もう少し独創性オリジナリティのある挑戦的なテーマにした方がいいでしょうね。博士論文は一生評価対象になりますから。考えておいてください」


 ……なかなかハードルの高い要求だ。独自の理論を構築しようとして、しかし結局できずに博士課程を中退した人の話を聞いたことがある。まずは堅実に成果を出して、博士号をとってしまいたいというのが本音である。


「わかりました。ではまだ実験が終わっていないので、実験室に戻ります。これからもよろしくお願いします」


「はい、3年間でがんばって学位をとりましょうね」


 学部4年間に修士課程が2年間、そして博士課程が3年間。

 しかし、うちの専攻では博士課程を3年間で修了できる割合は半分程度らしい。

 がんばらないと。


 こうして教授への報告は終わった。



-------



 私が普段実験をするのは、魔材の強度を試験する魔材強度実験室だ。


 その実験室に行く途中、廊下にマリさんがいた。マリ・アルキュミアさん——彼女はこの研究室の博士研究員ポスドクだ。実験用の白衣を着た姿は大人の魅力を隠しきれていない。私の友人で同じく修士2年M2のランス・エスタスと立ち話をしている。


 我がアダマース研究室にはアダマース先生も含めて11名が在籍している。そして、その中でも研究テーマごとに3チームに分かれている。魔材強度、魔材合成、魔材理論の3チームである。私は魔材強度チームで、マリさんとランスは魔材合成チームだ。二人は同じチームだから、打ち合わせをしているのだろう。


 ランスも白衣を着ている。悔しいがイケメンのこいつにも白衣が似合う。


 ちなみに博士研究員ポスドクとは『ポストドクトラルフェロー』のことで、博士号取得後に研究員として働いている研究者である。教授や准教授といったポストにまだ就いていない人たちだ。


「あら、先生のところに行ってきたの?」

 マリさんはショートの黒髪をゆらしながらこちらを向いた。


「はい、博士課程に進学希望だと報告してきました」


 顔立ちの整った大人のお姉さんを目の前にして、思わず固くなる。実験に不純物が混入しないよう普段から化粧はしていない。ショートカットにしているのも実験の邪魔にならないようにするためだろう。


 ただ、その分“素材”の良さがよくわかる。いつも研究室で顔を合わせているが、まだ慣れない。女性は苦手だ。特にきれいな人は。


 思わず視線を逸らして下を見るが、そこには大きな胸がある。急いでさらに視線を逸らそうとして、不自然に目が泳ぐ。俺、挙動不審だ。


 しかし、そのような感情はランスの驚きの声によって吹き飛んだ。


「えええっ! おまえ本当に博士課程いくの? 就職先どうすんだよ? ワープアになることも覚悟してるのか?」


 予想していた反応だ。


 ここは森の都と呼ばれるセンカディンにあるセンカディン大学、通称セン大。国内に7つしかない宮廷大学の一つである。国内には中小含めて200以上の大学があるが、その中でもトップレベルである。博士課程を修了した後に研究者になった先輩方も多くいる。

 現に、アダマース先生もセン大出身者だ。


 しかし、宮廷大学のうち1つは王都トオヴェルロにあり、最高レベルの研究をしている。トオヴェルロ大学、通称トオ大である。そのためトオ大出身の研究者の方が圧倒的に多い。


「まあそんときは冒険者フリーランスになって日雇いの仕事でもするよ。仕事を選ばなかったら、なんとかなるんじゃないかな」


 努めて明るく笑い飛ばす。半分冗談。半分だけだけど。


「おまえ、親父さんに相談したのか? 絶対反対するだろ?」


 ランスは俺の家に遊びにきたこともあるので、両親のことも知っている。


「うん、最初は反対してた。確かに。だから夏の入試は見送ったんだよね。でもやっぱり進学諦められなくて。なんとか理解してもらえたと思う」


「本当にそうなのか? お前の親父さん、堅い職業に就くのをずっと期待していたぞ?」


 ……まあそれは事実だ。最後は泣き落としのようにして両親に理解してもらった。

 私が何も言わずにいると、マリさんが助けてくれた。


「そうかー、カイくんはこの世界にくるんだ! まあ確かに大変だけど、やりがいはあるよ。がんばろうねっ!」


 ありがとうございます、マリさん。

 しかし、マリさんにとびきりの笑顔で言われると、どんな反応をしていいのかわからなくなる。

「はい!」

 なぜか軍隊にいる兵士のような返事になってしまった。

 逃げるようにして私は魔材強度実験室へ向かった。



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 この世界では人と魔物が暮らしている。

 魔物は人里や街道で人を襲い、農地を荒らし、家を破壊する。

 先週は雷龍ライトニングドラゴンがこの街へ来襲したという。

 収穫の遅れた地域で作物へ甚大な被害が出たようだ。

 街の外周には防壁があるので、今回はそこを守る軍隊によって街への侵入は阻止できたようだ。

 しかし強力な魔物が街へ侵入する事態も度々発生しており、その場合は多くの人が亡くなったり社会基盤インフラが破壊されたりする。

 原因はわからないが、魔物の強さは近年増しつつあり、被害が深刻化してきている。


 このような魔物に対抗するには、魔学技術を発展させ、より強力な武器を開発する必要がある。


 私には体力もないし、人付き合いも苦手だ。

 それに自他ともに認める超絶の音痴だから、営業の接待とかで魔法詠唱カラオケも絶対にしたくない。


 でも研究であれば人の役にたてるかもしれない。

 部屋にこもるのは大好きだし。


 研究者になって魔物に対抗する最強の武器を作るのだ。





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 秘めたる決意を胸に、進学を決意しました。

 博士課程への進学はいばらの道を進むことになりますが、一方でとてもやりがいのある進路でもあります。その道の大変さと研究の喜びを綴っていきたいと思います。

 次回は投稿論文の執筆です。

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