幸せになって下さい
イノウエ マサズミ
【読切小説】巡恋歌
「おはようございます!…え?これ何饅頭?」
6月の週明けの月曜日、いつものように出勤したら、課の職員全員の机の上に紅白饅頭が置いてあった。
「あ、おはよう、井上くん。その紅白饅頭はアタシから。実はね、昨日、結納を交わしたの。そのご報告を兼ねて…」
「えっ、あっ、そ、そそそ、そうなんですか!?朝木さん、おめでとうございます…」
朝木さんは、俺の1つ年上の女子の先輩だ。
新人の俺に一から仕事を教えてくれ、俺が仕事に慣れてきたら、仕事以外の会話もするようになり、いつの間にか俺は朝木さんに惹かれていた。
「井上くん、彼女はいるの?」
「いいえ、全然です」
「えー、そんな風には見えないけど」
「また朝木さん、俺を持ち上げちゃって。何せ失恋記録更新中ですから、俺」
「そうなの?じゃあ、もしアタシに行き先が無かったら、井上くんの所に行こうかな?」
「またぁ。本気にしちゃいますよ?」
「うふっ。さ、お客さんが来たわよ」
こんな会話をしたら、惚れてしまうだろ!というやり取りを何度もしたというのに…。
婚約相手は大学時代に知り合った彼氏だそうだ。
なんだよ、ずーっと付き合ってた彼氏がいたんじゃないか!
あの時も…
「井上くん、これから免許取るんだって?」
「はい、仕事始めたら必要だな、と思いまして…」
「じゃあ井上くんが免許取ったら、助手席に乗せてね!」
フィアンセがいるのに、どんな思いでこんなセリフを言えるんだ?
本当は助手席に乗るつもりなんてなかったんだろ、どうせ…。
俺は自席に着き、ボーッと紅白饅頭を見つめつつ、この2年間の出来事を思い出していた。
朝木さんは出勤してくる社員さんに、誰の饅頭?と聞かれては昨日結納を交わしたので…とニコニコと挨拶していた。
職場内では、へえー、良かったね!今が一番幸せだね!嬉しいでしょう、結婚したら仕事辞めちゃうの?と声が掛けられている。旦那さんが大阪にいるので…という声が聞こえた。寿退職するんだろうな…。
チラッとだけ朝木さんを遠目に見たら、オーラが先週までとは大違いだった。
逆に「もしかしたら…」なんて事を朝木さんに抱いて片思いしていた俺には、オーラなんか何一つ無いだろうな。
俺が朝木さんに片思いしていることを知っている少数の社員さんは、朝木さんの目を気にしつつ俺に励ましの言葉を掛けに来てくれた。
中でも一番俺に気を掛けてくれたのが、俺が就職して1年経過し、俺の時の朝木さんのように、指導係を務めた、俺と年齢は同じだがキャリアは1年下の野村君だった。
「井上さん、まず今夜は飲みましょう。飲まにゃ、やっとれんですよね」
俺と野村君は定時で退社後、駅前の居酒屋へ入った。
「飲み放題の店、探しときました。いくらでも飲めますよ」
「ありがとう、野村君」
「まずは生中ですね。すいませーん!生中2杯と、まずは枝豆、冷奴、串焼き5本、フライドポテト、とりあえずそんなところで」
はいっ、ご注文頂きましたーと店員さんは早速奥へと向かったが、直ぐに生中が運ばれてきた。
「とりあえず乾杯しましょう。これからの井上さんに幸あれ!過去は忘れましょう!カンパーイ」
グラスをコツンと合わせ、俺は一気にビールを飲み干した。
「かーっ、美味いけど、悲しい味だね」
「そりゃあ井上さん、俺が入社する前から朝木さんのこと、好きだったんでしょ?1年以上も好きだった女性に彼氏がいて、突然結婚しますって宣告されちゃ、普通じゃいられないですよ」
「まあ…俺自身、今日何の仕事したか、覚えてないんよね」
「お気持ち、お察しします」
「なんかソレっぽい言葉を仄めかされてたからさぁ、まさかとは思いつつ、結構その気になってたんだよね」
「いや、朝木さんみたいに綺麗な女性から、ちょっとでも脈アリ?みたいなことを言われたら、その気になりますって」
「俺はそのちょっとがさ、いーっぱいあったんだ!」
次々提供される一品料理も食べながら、俺は生中を飲み干してはお代わりしていた。
新人の時、夏の週末に職場の女性陣が浜辺でバーベキューをやるから来る?と言われたが、急用で行けなかったこと…
窓口で朝木さんに対して威圧的な態度を取っている客に対して、朝木さんを助けなきゃと代わりに理不尽な要求を理論武装して撥ね付けたこと…
若手社員でカラオケに行くことになり、幹事を務めたが、女性陣は全く参加してくれず、唯一朝木さんだけ参加表明してくれたものの、やっぱり女1人はちょっと、とキャンセルされたこと…
「喜びも悲しみも幾歳月〜ってね、アッハッハ」
「井上さん、俺が言うのもなんですが、飲み過ぎじゃないですか?大丈夫ですか?」
「らいじょーぶ!飲まずにいれるらって!」
野村君はそんな俺を見て、店員さんにコッソリ会計を頼んでいた。
「井上さん、今日は俺が全部奢りますから。いつか奢って下さいね」
「わーったよ!」
俺は呂律が回らなくなり、真っ直ぐ歩けなくなっていた。
その日はどうやって家に帰ったのか覚えていない。
翌日俺は酷い二日酔いに陥ったが、休むことは負けだと思い、必死に出勤した。
ただ朝木さんとは喋れなくなった。
出勤時も朝木さんは「おはよう、井上くん…」と声を掛けてくれたが、その声の方を見る気力が俺には無かった。
それからも何度となく朝木さんからの視線は感じたが、俺は
『こんなに好きにさせといて 勝手に好きになったはないでしょ』
という長渕剛の巡恋歌の歌詞がずっと脳内をリフレインしていて、絶対に話すものか!と決意していた。大学時代から結婚を約束した彼氏がいるなんて話、初耳だったのに、どうせ俺を弄んで内心笑ってたんだろ!
野村君はそんな中でも、俺に知り合いの女の子を何人か紹介してくれたりしたが、失恋してネガティブな俺を気に入ってくれる女性などおらず、全く女性運、恋愛運に見放されたまま、夏、秋と過ぎていった。
勿論その間、朝木さんとは一切言葉は交わさなかった。
朝木さんは朝木さんで、同僚の女性と、年明けに予定されている結婚式に向けて、色々話したり相談したりしていた。その声が嫌でも俺の耳に入り、俺の気持ちをより一層塞がせた。
そして月日が過ぎ、年末となり職場の忘年会が開催された。
勿論主役は、年内で寿退社することになった朝木さんだ。俺は意固地になり、自分の席からは一歩も動かずに食べたり飲んだりしていたが、忘年会の締めを迎えた時、課長から呼ばれた。
「では寿退職される朝木さんに、一番仕事で苦楽を共にした井上くんから、花束の贈呈です」
え?課長、聞いてないですよ?
課長は俺に、いつの間にか用意されていた花束を押し付け、壇上に上がって朝木さんに渡すよう、促した。
既に朝木さんが、俺の反対側に立って、潤んだ瞳で俺の方を見ている。
俺は悩んだが意を決して、俯きながら花束を手に朝木さんへと近付き、俯いていた顔を上げ、久々に朝木さんの顔を真正面から見た。
「朝木さん…」
「井上くん…」
ダメだ、今まで張っていた意地が崩壊すると、こんなに脆いものか。
俺は溢れ出る涙を堪えられなかった。
「絶対に、幸せになって下さい!半年間喋らなくてごめんなさい…」
「うん、うん。ごめんね、ゴメン…。そして、ありがとう」
朝木さんの瞳からも涙が溢れていた。俺は泣きそうな気持ちを抑えるため、再び下を向いた。
会場は温かい拍手で包まれた
「では全員で写真を撮りましょう!皆さん、壇上に上がって…」
野村君が俺の横に来てくれた。
「井上さん、大丈夫?」
「…流石に目から汗が止まらないよ…」
この時の写真は、今でもアルバムにしっかり貼ってある。
涙を堪え、最後だからと朝木さんの横へと皆さんが並ばせてくれた写真だ…。
そして新年を迎え、空席となった朝木さんの席には、補充される社員もなく、一名減で俺の係は回していかねばならなくなった。
どうしても寂しさが拭えない中、野村君が俺に新たな女の子を紹介しますよ、と声を掛けてくれた。
「いいよ、もう。俺は女性運がないから」
「いや、今度こそ大丈夫です。井上さんの写真を先に見せてあるんです。優しそうな方だから一度会ってみたいそうですよ」
「マジ?じゃあ、早速段取り頼める?」
「任して下さい!今度こそ、ですよ…」
…朝木さん、俺に仕事と、淡い夢を見させてくれてありがとうございました。俺は新たな一歩を踏み出そうと思います。
喋らないと決めていた期間、本当は、色んなことを話したかったです…。
初めてスキーに行った時の話や、カラオケの話とか。デュエットに挑戦したら全然ハモりませんでしたね、お互いに吹奏楽部経験者なのに。
ボーリングに行った時もストライク出した後にガーター連発とかやらかして、んもー井上くんってば!ってプンプンされたのが懐かしいです。
残業が遅くなり過ぎて、初めて俺が車でご自宅へとお送りした時も、このまま井上くんのお家に泊まりたいとか言ってくれましたよね。その言葉を思い出しては、今も夜に泣きながら1本飲んでるんですよ。
でももう、無理ですね。なんで変な意地だけは、何歳になっても張り続けるんだろうな…。
しかしこれだけは強く願っておきます。
幸せにならなかったら、許しませんからね!里帰りされる時は、幸せな顔で帰ってきて下さいね。
【完】
幸せになって下さい イノウエ マサズミ @mieharu1970
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