第22話 デート商法
朝のコーヒーをふたりは、互いの顔をコーヒーカップの湯気で曇らせるようにぼんやりと見つめていた。
先に声をかけるのをためらう気持ちがあらわれていた。
「ジョージィ、君はきのう僕が帰ってからまだ何も僕に聞かないね」
「省三の顔に表れてたの、面接の結果が良くなかったと…だから」
ジョージィには原島の問いかけが自分を責める矢のように鋭く感じた。
今まであれほど優しかった原島に気持ちの変化を感じると、もう次には涙以外には何も出なかった。
ジョージイには話し合うだけでは消えない、スコットとの結婚の事実をどうすればいいのか、答を見つけることができずにいた。
「省三、イリーナと会ってくれない?」
「イリーナ、えーと誰のこと?」
イリーナ以外に相談できる存在はなかった。母マリアにも。
「明日、イリーナとボスロフ夫婦を紹介するわ」
原島にはイリーナともボスロフもはじめて聞く名前ではあったがジョージイとの関係が修復できるのであればなんでもよかった。
「じゃあ明日の何時?」
「ルルル、ルルル」と、その時、原島の電話が鳴った。
「原島さん、元気?今どうしてるの」
それは、篠原奈津美の声であった。
会社にいた頃でも奈津美と電話で話したことはない。
「こんど一度合わない?いい話があるの」
いい話とはなんだろう
「実は松野さんがぜひ原島さんと会いたいといってるの」
やはりそうだった。奈津美自身がおれに用事があるはずがない。
「原島さん、仕事見つかった?原島さんに向いたいい仕事よ」
仕事といわれれば断る理由はない。
「明日、午後一時にどお?」
明日はついさっき、イリーナと会うべくジョージイと約束をしたばかりだ。
「ちょっと待って、ジョージイと相談する」
「あら、ジョージイと一緒だったの、ごめんね邪魔した?」
ジョージイとの約束はもっと大事なことではあるが、いい仕事であれば聞いてみたい。
ジョージイは「仕事の話なのね、そちらを先にして。イリーナとはそのあとでもいいわ」
奈津美とは銀座のあるビルの店で会うこととなった。
原島は銀座駅で電車を降りると指定された店を探して少し歩いたが、迷うこともなく目的の店を見つけることができた。
かなり立派な構えの店である。
店の前に立つと、ドアーがスーッと内側に開いた。
自動ドアーは普通は左右にスライドするタイプが多いので、このドアーは人の手で開いたものとと思う。
贅沢なやり方である。
昔はデパートの入り口に女性が立って、お客さんを迎える店もあったが、それでも朝のオープンの時だけだったと思う。
中に足を踏み入れるとドアーの内側には右に女性、左に男性の店員が立っていて、
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」と上品な言葉遣いで迎えられた。
さらに続けて「ご指名はありますか?」と聞かれた。
相当高級な店であることは、店員の立ち振る舞いからも察せられた。
「篠原奈津美さんをお願いいたします」
店の奥の方に奈津美の姿があった。
奈津美も原島の姿を見つけると店員に「いいのよ、私のお客様よ」といい、にっこりと笑顔をみせて原島の前に現れた。
原島は驚いた。体にピッタリ合ったボディラインを強調した、ややセクシーだが上品なスーツ姿にこの身のこなし。なによりこの笑顔。別人のようである。
奈津美も原島の気持ちを察したのか「驚いた?生まれ変わるには新しい場所が必要よ。原島さんもこの中に加わったら?」
通された部屋は畳十畳ほどの小部屋であったがガラスで仕切られたその部屋は嫌みのない豪華さで落ち着いた空気を感じた。
この空気感は以前に、どこかで感じたことがあるのだが、それがどこであるかは思い出せなかった。
なんといえばいいのだろう。ザワツキのない無音状態、むしろ「シーン」という音が逆に聞こえてくるような、そんな感じである。BGMもない。
「この無音状態は人の心理に対してある効果があり、相手の言うことを素直に受け入れる心境になる」という説を聞いたことがある。
奈津美は原島と豪華なソフアーに並んで座ると、会社案内のリーフレットを差し出した。
そのリーフレットの裏表紙には大きく奈津美の写真があり、会社を代表して抱負が述べられていた。
その下段には役職者の名前があった。
取締役企画部長 松野 茂
取締役営業部長 橋本 史郎
人材育成部部長代理 篠原 奈津美
「ごめんね、松野さんは急用ができてお会いできなくなったの」
奈津美の話を聞けば松野の考えは全て分かる。昔からそうであった。
ドアーをノックする音がして女性社員が飲み物をテーブルに置き「お食事はどういたしますか?」と高級ホテルのような豪華なメニューを差し出した。
「原島さん今日はゆっくりしていってくださいね」
奈津美はおれになにを話そうとしているのだろう。
奈津美が説明を始めた。
「ここはね、いろいろな業者が持ち込んだ商品を、うちの社員が業者に代にわって販売する店なの。業者は店舗も要らないし、店員さんも要らないから経費、不要よね。
うちは仕入れがいらないから販売に専念できるの。両者ともに利益があるでしょ。うちにとって一番大事なのは人材ね」
なるほどすこし分かってきた。
「それにね、売るものは時計、宝石、貴金属、などの小さなものからヨット、別荘などなんでもあるわよ。業者がなにを持ち込むか、予想がつかないから何を売ってますとはいえない会社ね」
なるほど、いかにも松野が考えそうな「何をやってるのか分からない商売」だなと思った。だがもうひとつ気になる点があった。
同じような小部屋がたくさん並んでいるのだが、いずれの部屋も客と思われる人物と社員と思われる人物が豪華なソフアーに並んで座り、商談をしているようにみえるがテーブルの上には飲み物も置かれ、リラックスした様子で会話を楽しんでいるように見えた。
部屋の造りは夜の営業の高級サロンのような雰囲気である。
気がつくと奈津美も原島にピッタリと体を押し付けるようにしている。
あらためて驚いた。原島は思わず少し体をずらした。
なるほど女性客には男性社員、男性客には女性社員が対応するのだなと少しずつ分かってきた。
異性客の耳元で、ささやくように話している姿は、普通の販売とはまるで異なる。
シーンとした空気のなかで異性客に対して行われる、これは説得部屋なのだ。
これって、昔流行ったデート商法じゃないか?
原島がまだ小学校低学年のころ、毎月英語教材が家に送られてくるようになった。
母が父を問いつめると父は白状した
「実はある人に頼まれて買わざるを得なくなったんだよ」
「ある人って誰なの?」
「会社の取引先の人だけど……」それは噓のようであった。多分女性だろう。
「金額はいくらなの?」
「毎月1万5千円だよ」
「いつまで払うの?」
「2年間だよ」
利息を加えるとトータル50万円くらいになる。
こんなやりとりであったが、母の怒りは相当なものであった。
デート商法とは、何らかのきっかけで知り合った男女が、喫茶店を舞台にデートを重ねるうちに、高額な商品のローン契約をさせられるというものである。
いまは喫茶店がなくなったので、その舞台を提供する商売だなと理解できた。
俺は、この店の店員として、人材育成部長代理である奈津美の指導を受けながら、女性客を相手にご機嫌を損ねないよう気を使いながら働くのか。
違法かどうかは分からぬが決して自慢できる商売ではない。
俺はまたひとを騙すような仕事をするとことになるのか。
すぐにでもこの席を蹴って外に出たい気分であったが、ジョージイにいい報告をしたい気持ちで瞬間の判断に迷い、拳を握って我慢した。
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