第12話 KEYと唐揚げ
ジョージィと原島が札幌にいた日、ジョージィの会社をひとりの外国人の男が訪れた。男は「スコット・シンプソン」と名乗った。
この会社は電話で予約をして、更に身元を証明できる何かを示さない限り、訪問者を社内に入れることはない。
非常に厳しいセキュリティ管理が行われている。
その理由は明らかではないが普通の会社と違うことは、その雰囲気で察せられる。アルファベットとはちょっと違う、キリル文字とかいう横文字で書かれた社名の看板は極々小さく、真っ黒なガラスがはめられたドアーの奥は、治外法権のある施設のようにも見える
出入りする社員と思われる人物は、ほとんどが外国人である。
秘密組織の事務所のようでもある。なにをする会社なのだろう。
この会社のボスの名前はボスロフという。国籍は不明である。
当然スコットはオフィスの中に通されることはなかった。
スコットはジョージィの会社のあるB棟を出ると、その足で原島の会社のあるA棟へ向かった。
スコットが面会を求めたのは原島であった。
原島が不在であることを奈津美から知らされたスコットは「原島さんのアドレスを教えて下さい」といった。
そのようなことを教えられる訳がない。
友達なら当然知っているはずだし、仕事上の関係者でもない。
怪しいと判断した奈津美は、慎重にスコットの目的を探ろうとした。
氏名、要件の概略を記入するよう求めた。
差し出された紙と鉛筆を見たスコットは、黙って出て行った。
会社としてこのような対応をすることを、社員に求めてはいない。
しかし、奈津美は世間の常識や会社規定ではなく、自分の判断で行動する。
この時、松野の女は松野と同様に紙と鉛筆を利用した。
記憶はするが記録はしない。
松野の女は松野以上にしたたかに危険を察知する。
奈津美はあまり笑った顔を他人に見せない。
単に愛嬌がない、というのとは違う不思議な雰囲気をもっている。
けっこう美形である。これに笑顔があれば申し分ないと思うのだが、本人がそれを拒否しているようにも見える。
いつ見たか忘れたが、ドイツのスパイを演じた女優がここに居るような感じもあり、妙な魅力がある。
そんな奈津美だが、おっちょこちょいな部分もある。
ある日、奈津美は帰宅途中に惣菜店に立ち寄り、夕食の品選びをしていたが無意識に思わず手が伸びて、並んでいた唐揚げのパッケージの中の一個を口に入れてしまった。
その瞬間に自分で気が付いた。
「何てことをしてしまったのだろう」
試食品ではない。商品である。
自宅でしている癖がつい出てしまったのかも知れない。
自分の行為があまりにも恥ずかしくて、その場をはやく逃げたかった。
その唐揚げのパッケージを持ち、レジで支払いが済むまでの時間がとても長く感じた。 逃げるように走って自宅へ帰ったが、その店の前は二度と通ることが出来なくなった。
それ以後、唐揚げは一度も食べていない。
この出来事を奈津美は親しい友人に話してしまった。それが失敗だった。
その後、自分の顔を見た人がニヤッと笑うことが数回あった。
原島にも漏れ伝わってきたのだから、その友人が誰かに話したのだろう。
それ以来奈津美は一層慎重になった。
奈津美については原島もある出来事で、奈津美のおっちょこちょいなところに遭遇したことがある。
ジョージィと初めて会ったあのカフェのすぐ近くに、郵便ポストがある。
奈津美は左手に持ったスマホを見ながら、右手に封筒と車のキーを持ち、封筒をポストに入れたのだが、カフェの椅子に腰を下してからキーの存在に気が付いた。
右手に持っていたはずのキーが無い!。
「しまった!」封筒と一緒にキーもポストに入れてしまったらしい。
気が付いた時にはキーはすでにポストの中であった。
ポストの周りをよく見ると、集荷時間を記すボードが貼ってあった。
次の集荷時間は約一時間後である。さあ困った。どうしよう。
その様子を店の奥でお茶を飲んでいた原島が見ていた。
原島がゆっくりと休憩をとり集荷を待つことにした。
果たして、ポストの底には奈津美のキーがあった。
原島はむしろ、このおっちょこちょいな部分をもっと、人に見せたらいいのにと思うのだが、それができないのが奈津美なのだろう。
奈津美の冷静な仕事っぷりを見るたびに、この一件を思い出す。
無論、このことを人に話したことはない。
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