第3話 札幌で
札幌支店にいる同期入社の狩野真司から電話があったのは、その翌週の月曜日であった。札幌支店の管轄である道東地方に出張しているはずの紺野大輔が、「帰社予定を三日過ぎているのに戻らな」と言っている。
狩野は紺野のことが心配で上司に相談したが「いや、そのうち連絡があるよ」とまるで心配している様子がないのだと、狩野は少し怒っているような口調で言った。
原島、狩野、紺野の三人が務める会社は、全く異なる業種の三社が五年前に経営統合してできた会社で、三人は統合する前はそれぞれ別の会社にいた。
新会社設立の記念パーティーで三人は意気投合し、友達となった。
原島と狩野は東京本社、紺野は札幌支店の勤務であった。
その後、狩野が札幌に転勤になり、三人が会うのは原島が札幌に行った時だけになった。
札幌で三人はよく、すすき野へ行った。
札幌で飲むビールはうまかった。ジンギスカンもうまかった、カラオケで歌い、その後は、揃ってソープへ行った。締めのソープは三人にとって恒例となり、会社の中では数少ない、親友であった。そして一年前に紺野が結婚した。
紺野と妻の由紀子は、学生時代からの付き合いだと言う。
結婚式で由紀子に会ったとき「この笑顔で毎日朝を迎えられる紺野は、幸せなヤツだな」と思った。
「狩野もそのうち、札幌の人と結婚するのかな、そうしたら俺は誰とソープへ行けばいいのだ?」よく言われるのは、札幌に転勤となった独身者は不思議と、数年以内に地元の女性と結婚するらしい。恋の街札幌、といわれる所以である。
由紀子の話ではそれまで毎日電話があったのに、由紀子がかけても繋がらないのだとか。
由紀子が会社に聞いても「警察にはまだ連絡するな」と言われたらしい。
それを言ったのは支店長の橋本史郎であった。
紺野と橋本は、経営統合する前から同じ会社にいた同僚で、上司と部下の関係は今も変わらない。橋本と紺野は互いに仕事の内容も、家庭環境もよく知っていた。
橋本は由紀子の努める幼稚園に、愛娘の紗矢香ちゃんを入園させるほどであった。
だが今の橋本には、部下を思う気持ちが感じられない。いったい、どうしたのだろう。
原島がいる本社はもっと凄い。社員それぞれがどんな仕事をしているのか、お互いに誰も知らない。一匹狼の集団だ。
第三事業部と呼ばれているが正式名称ではない。裏事業部と言われることもある。
そう言われるのは、主力事業と違って「何々業」と言えないものが多いからで、
事業として成り立つかどうか分らないものを、先ずは提案者がひとりでやってみる。
原島がたった一人で誰の応援もなく、徹夜仕事をするのもそれが理由であった。
だが原島はこの仕事が嫌いではない。成し遂げた成果によって報酬が決まる。
それにやりがいを感じていた。
実際にはもっと裏があり、原島はその裏の仕事に魅力を感じているのだが……
そんな裏部隊の責任者が松野茂であった。原島の他に五人の営業担当者がいた。
事務員の篠原奈津美を加えても、わずか七名の小部隊であり、会社内部でも目立た
ない存在である。
こんな小部隊なのに個人的な付き合いはもちろん、仕事上の話もした事がない。
それぞれが、どんな仕事をしているのか誰も知らない。
篠原奈津美だけがみんなの事を知っている。
奈津美は松野の分身のような行動をする。
原島がこの会社に入社したのはたまたまである。
大学卒業に際し、数社の入社試験を受けたがいずれも失敗し、ようやくこの会社に就職することができた。
それから五年経った。会社を愛する気持ちもある、不満に感じる部分も少しはあるが転職を考えたことなど一度もない。それが普通だと思っている。
「紺野の場合はどうだったのだろう」
紺野と由紀子にはまだ子どもはいない。
由紀子は北海道の道東地方の出身だと聞いたことがある。
紺野は道東地方に出張した際は、妻の実家に寄ったことがあるかも知れない。
両親も心配していることだろう。
その翌日午後、原島は札幌へ飛び狩野と会った。支店長の橋本とも話ができた。
橋本のことは、知ってはいたが話をするのは初めてであった。
橋本は中肉中背の特徴のない顔つきの男で、ダブルのスーツにベストを着用していた。
金色のフレームの眼鏡を左手で上下に動かす癖があり、その左手には太い金の指輪
がはめられ、時計も同じく大型の金色だった。
胸のポケットに大きく張り出したポケッチーフの下に刺した万年筆には、金のスカル形のキャップがついていた。
平凡にしか見えない自分を、大きく見せようとしているのだろうか。
これが橋本流のおしゃれなのかも知れない。それにしてもちょっと趣味が悪い。
原島が札幌支店を訪れた日の午前中、捜索願を提出したと言う。
紺野の失踪後一週間経っていた。
警察は由紀子に対しては「ただの家出じゃないの?」
会社に対しては「会社の金を持ち出していないか?」
と、これだけの質問しかしなかったという。
紺野は金を扱う立場ではない。横領も持ち逃げも有り得ないことである。
警察は立場上、一応「届出は受理しました」といった態度であり、捜索などする気は全くない。予想されたことではあるが 落胆した。
尤も、警察には年間数万人の家出人の捜索願があり、とても全て捜索などできるものではない。無理なお願いなのだ。
原島はこのような場合、社員の身分はどうなるのか、支店の事務員に尋ねてみた。
すると事務員は「無断欠勤が三ヶ月続いた場合は解雇です」とそっけなく答えた。
「それは法律ですか?」と原島が尋ねると「社内規定です」とこれまた規定どうりの返事であった。
紺野は最近、船舶用機器の販売に取り組んでいたらしい。
主な対象は漁船である。
漁船はレーダー、ソナー、AIS船舶用自動識別装置、魚群探知機、その他たくさんの機器を必要とする。
これらの全てを取りそろえると、数百万円から数千万円の金額となる。
漁業者にとっては、大変な決断と勇気がいる。
加えて、北海道の漁業者にはロシアとの間に、北方四島などの領海問題もある。
大変厳しい事業なのだ。
紺野はこれらの問題を抱える漁業者のよき相談相手になり、信頼されていた。
紺野はよく、「今度は大型船舶、できれば豪華客船のリース契約をしたい」と話していた。
一年ぶりに会った由紀子は、紺野の身が心配のあまりだろう、すっかり瘦せていた。以前は丸顔のぽっちゃりタイプだったと思う。
その夜は原島、狩野、由紀子の三人で遅くまで話し合ったがビールは無かった。
由紀子と狩野は紺野が帰るまで一切、飲むのはやめようと決めていたという言う。
原島は少し恥ずかしかった。
「紺野が無事に戻ったら、その時はみんなですすき野でおおいに飲もう」
「俺がその席に、ジョージィを連れて来たら、みんなどんな顔をするだろう?」
「でもそれじゃあソープにはいけないな」原島はこんな時なのに、頭の中の半分はソープにまつわる昔のことを思い出していた。
狩野がまだ東京にいた頃、ふたりは𠮷原へ行こうという事になった。
どの店にしようかとキョロキョロしていた時、狩野が「俺の知ってる店に行こう」と言い、オーデションという店に入った。
狩野がいつから、この店に来るようになったのか聞いてみた。
「実は俺、彼女とデートして『今度はいつ会える?』といって軽くキスをして別れた後、よくここに来ていた」といった。
その理由は「俺は彼女に何もしないで大切にしていたんだ、だがムラムラとした欲情は抑えられなかった、だからデートの後で来るようになった、でもそれを彼女に知られ、彼女は『私がいるのに、どうしてそんなとこに行くの、私じゃだめなの』って彼女は凄く怒り、結局別れることとなった」
原島はその時、狩野の気持ちも少しは分かるが、彼女の気持ちの方が自分にはよく理解できた。
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