修羅場タイム 1

 終業式の日はイヴだった。


 教室内はたった二週間しかない冬休みに浮かれていた。

 はっきりいってイライラする。

 理由は単純。四コマ漫画の〆切が前倒しになってしまったからだ。

「俊樹どうした? 顔色やべぇぞ」

 椅子にもたれながらブツブツ言っていると、横から声をかけてきたのは俊介だった。

「そういう俊介は楽しそうだな」

 部活も引退している俊介は俺とは違って身軽で、余裕な溢れていた。

「せっかく明日から冬休み始まんのに」

「〆切、年末だからってリスケされてさ」

 魂の抜けきった声を発すると俊介が肩を叩いてきた。

「それは大変だな」

「他人事すぎ」

 体勢を戻しながら感情もない言葉に噛み付いていると真弓と咲葵が寄ってきた。

「うわぁ、顔死んでる」

「死んでねぇ」

「でも本当に悪いよ?」

 この温度差、それだけで性格が真逆だといつも感じる。

 真弓は鞄から手のひらサイズの鏡を取り出して俺に向けた。

「本当だ」

 よく見ると死んだ顔の俺が映り込んでいた。

「いつから徹夜してたの?」

「一昨日から、明日には終わるかな」

 そう、〆切の明日には提出できるように頑張っていた。 

「明日って」

「クリスマスだねぇ」

 少し落胆した表情を浮かべる真弓と、ちょっと嬉しそうな咲葵。

「だから明日は……」

 言いかけると、真弓はいいよと小さくうなずいた。

「よし! じゃあ帰るか!」

 なんとなく空気を察した俊介が明るい声で帰宅を促してくれた。

 早めに帰られるのはいまの俺にとってありがたい。

 椅子から立ち上がって背伸びをした俺は廊下に出ると気合を入れ直した。


 次の日。

 作業を続けたまま迎えた朝にインターホンが鳴った。宅配だろうか、と玄関を開けると見慣れたコーラルピンクのショートボブがいた。

「よっ!」

「よっ、じゃない、どうして来た?」

 そこにいたのは防寒バッチリな姿の咲葵だった。赤いコートが大人びた印象を放っている。

「寒いからとりあえず入れて」

 と、指を口元に当てながら俺の返事を待たずに入ってきた。

 お邪魔しま〜す、と奥へと消えていく背中を見送りながらため息を吐いた。


「広っ!」

 背中を追ってあとから部屋に戻ると、咲葵が声を上げていた。

「咲葵の家よりはな」

「うわ、ディスってきた」

「うるさい、とりあえずそこのソファに座ってろ」

 そう言って俺はコーヒーを淹れに部屋を出た。

 数分後、ニつ分淹れ終わって持っていくと横に置かれたコートに並んでソファにちょこんと座っていた。

「どうした?」

「いや、そのさ……」

 俺を見ていた視線が仕事中のPC画面に移っていく。

 見られたらしい。

「四コマ漫画って聞いてたから可愛らしいものなんだと思ってたんだけど……」

 あはは、ごめん。宅配だと思ってたから画面映したままだった。

「まぁ、こっちのほうが原稿料高いから」

「そ、そうなんだ」

 めちゃくちゃ気まずい空気が間に流れる。戻せるなら時を戻したい。

「コーヒー淹れたけど、飲むか?」

 何事もなかったように声をかけるとコクリとうなずいた。

「夕方までには終わるはずだから、好きにしてていいよ」

 原稿が終わらないことには何もできない。

 ソファ前のローテーブルにマグカップを一つ置いて、原稿に戻った。

 〆切の十六時まであと六時間、それまでには余裕なはず。


 突然来訪してきた咲葵を気にしないように作業していたことで、〆切の二時間前にはなんとか描きあげることができた。

 席を立つと咲葵が終わった? と、目配せしてきた。

「あぁ、終わった」

「お疲れ様」

 描きあげてすぐに労われるのは初めてのことで背中がむず痒くなってきた。

「編集さんに連絡するからちょっと静かに」

 誤魔化すようにデスクに置いているスマホを手にとって編集の夏川さんに電話をかけた。

『お疲れ様だね、俊樹くん』

「お疲れさまです、夏川さん、もう疲れました、手当増やしておいてください、お願いします」

 畳み掛けるように言葉を連打すると、いつものように受話口がバグりだした。

『っもう! 色々注文しすぎ! 年始は楽させてあげるし、手当もちゃんと付けるから!』

 夏川さんはマルチタスクが苦手らしく、いつもこのやり取りをしては楽しんでいた。

「ありがとうございます。それで、データに問題は?」

『いま確認してる分では問題ないよ、いつもリテイクないのは偉い!』

 嬉々とした声を聞いて安堵した。それが不味ったのか、その瞬間後ろから抱きつかれた。

 息が漏れると、夏川さんがそれに気づいたらしい。

『もしかして誰かいるの? 今日クリスマスだもんね〜』

 ちょっと怖い声音に気をつけながら咲葵を剥がそうと体をくねくねさせる。

「だ、誰もいないですよ、作業しっぱなしで背伸びしただけです」

『そうなの? てっきり誰かいるんだと思ったけど。もしかして彼女いないの?』

 高校生なのに? と、バカにされた気もするけどそこは答えられない。

「いないですよ、最近の男女交際なんて殺傷事件ばっかりじゃないですか」

 いや、本当に。俺みたいなのが世の中には多いのかもしれない。

『つまんない高校生活〜。

 でもあれだよ、この世に純愛なんてないからね。誰かの恋が成就したら、他の誰かが傷つくわけだし。

 よかったら、お姉さんが付き合ってあげちゃおうか?』

 いまならフリーだよという普段からの流れならからかいやがってと思いながら終わるのだが、今日は違った。

 さっきの夏川さんの声は咲葵の耳には届いたようで首筋に柔らかな熱が吸い付いてきた。

「うっ……!」

『……やっぱり誰かいるでしょ?』

 勘ぐられる。

「だからいないですって!」

 強く否定すると、なんとか納得してくれた夏川さん。

『ふ〜ん、ま、誰かがいてもいいんだけどね。

 ただし!

 原稿は見られないように! いいね!』

 ごめんなさい……。

 心のなかで謝りながら、最後にメリークリスマスと言いながら通話は切れた。

 スマホを耳から離しデスクに置いた。

「よく耐えたね」

 後ろからいたずらな声が聞こえた。

「咲葵、お前な」

 通話中、首筋から背中に向かって唾液が伝っていて、なんともいえないゾクッとした感覚に襲われていた。

「ふふ、おかしい。でも、仕事中の顔はかっこよかったよ」

 そう言って離れていく咲葵。この二人きりの空間にいるのが怖くなってきた。

「でもあれだね、純愛なんてないって、そのとおりだと思った」

 それは俺も同じ意見だった。いまの状況でもそうだ。歪にしてしまったこの関係も、どちらかを選べばどちらかが選ばれない。

 夏川さんのあの言葉は咲葵にどう刺さったんだろう。

 そんな事を考えていると、ソファに戻っていた咲葵がまた変なことを言いだした。

「もし俊樹と結婚したら、エロ漫画家の奥さんなんだね。夜はどんなことされちゃうんだろう」

口元を指で隠しながら上半身を揺らしていた。

「どんなこともしないから」

「実践できるのに?」

 ここに来るまでにネジを落としたらしい咲葵は冗談でもなく見つめてきた。

 またこれだ。

 咲葵のやり口というのか、二人きりのときは露骨に妖艶な雰囲気を醸し出してくる。

 それに負けそうな俺も術中に嵌っていると言われればそれまでだが。

「しないって」

 期待した返事を貰えず頬をふくらませた。

「それで、今日来た理由は?」

 ん〜、と悩む咲葵は何かを思い出したようにパッと顔を上げた。

「夜這い」

「帰れ」

「だって、クリスマスに男女ひとつ屋根の下だよ」

 瞬間、口角が上がるのが見えた。

「ヤルしかないでしょ」

「帰れ」

 真弓もだが積極的すぎる。

 そう思っていると、またもインターホンが鳴った。

 嫌な気しかしない。

 壁についてあるインターホンの画面を見るとその予感は的中した。

 後ろから覗きにきた咲葵は予感していたような素振りで「あ〜あ、真弓も来たんだ」と一人つぶやいた。

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