確かめたいこと 4

 家まで送るだけのはずだった俺はなぜか赤い丸テーブルの前に座っていた。

 まぁ落ち着くまで一緒にいてほしいと言われたのが理由なんだけど。

「今日はありがと」

 向かいに座る咲葵が安堵というか嬉しそうな顔をしていた。

「いや、俺がもうちょっとちゃんとしてたらテニス部を辞めることもなかったかもしれない」

 そう言って頭を下げる。

「ううん、助けられたの私だし! それになんだかスッキリしたっていうか、解放されたというか……」

 だんだんと小さくなっていく声が気になって顔を上げると咲葵の目が潤んでいた。

「あっ、えっと……、うん、気にしないで」

 慌てて手で顔を隠そうとする咲葵。気にならないわけがない。

 俺は少し踏み込むことにした。

「そのさ、テニス部にこだわってたのって何か理由が?」

「気になるよね」

 そう言って顔を隠していた手を下ろすと、咲葵は少し躊躇った後にポツリと話しだした。

「私の両親ってね、交通事故で亡くなってるの。中学二年のときにさ、飲酒運転の車に轢かれて。

 いまでも思い出すとやるせなくてイライラするんだけど。

 それがもう、良い両親でね、小学生から習わせてくれてたテニスなんて、大会に入賞するだけでも喜んでくれて。

 私も嬉しくなっちゃって、気づいたら県大会に出るようにもなって」

 言いながらベッドの下からパステルピンクのラケットを引き出し、全体を見せるように持ち上げた。

 いつも大事に持ち歩いていたのを学校でよく見ていたけど、どうして大事にしていたのか、その意味がわかった。

「最期のプレゼントだったんだよね」

 ラケットに向けられているその目は寂しさに染まっていた。

「受け取りに行った帰りに轢かれて、このラケットだけは無傷だったって聞いたときは言葉にならなかった

 だからなんだよね、テニス続けたかったの」

 その想いを聞いていれば、もっと手段を考えてあげられたかもしれない。

 そう思うと、いたたまれなくなってきた。

「ごめん咲葵、それならもっとうまくやるべきだった」

 爪が食い込むほど拳を握る。ただ鹿島先輩から遠ざけるだけのやり方しか考えていなくて、もう取り返しもつかない。俺は俺自信を殴りたい。

「ううん、いいって、俊樹は助けてくれようとずっと一緒にいてくれたし」

 たったそれだけしかできなかった俺の隣に咲葵は移動してきて体を寄せてきた。

「気負わないで、これは私の問題だから」

「そういうわけにはいかないって」

 このまま意味のない言い合いが続きそうな雰囲気が変わった。

 何故か咲葵が俺の握っていた拳に手を重ねてきた。

「じゃ、じゃあさ、お願いしてもいい?」

「できることなら」

 さっきまでの咲葵とは違う声音に胸がざわつく。

「動かないで」

 その直後、両肩を捕まれたおれはそのまま押し倒された。

 上に跨る形で見下ろしていた咲葵の上半身が近づいてくる。

 覚悟を決めた女性に男は勝てないと聞いたことがあるがそれは本当で、気づけばくちびるを奪われていた。

 軽く触れた熱がすぐに離れていく。その熱が耳元にまで下りてくると耳朶が甘く溶けそうな声に襲われた。

「今日泊まってってよ、お礼したいから」

 その日、俺は帰宅しなかった。


 ✕ ✕ ✕


「どこまで話したんだ?」

 真弓に隠している日のことを思い出しながら隣で寄りかかっている咲葵を見る。

「キスしたことあるよってだけ、本当のこと伝えたら真弓おかしくなりそうだし」

 ま、おかしくなってもらってもいいんだけど、と咲葵は空を見上げた。

「そのせいで真弓の気持ちに応えられないんでしょ?」

 図星だった。

 後ろめたさを隠したまま真弓の気持ちを受け入れるのは不誠実すぎる。そのことを卒業までには打ち明けた上でそれでもいいなら……、最低だとは思うけど。

「勇気出してよかった、まだチャンスがあるんだから」

 咲葵の声は耳には届いていた。だけど誰に言ったのかわからなかった。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っても咲葵は動く気配はない。

 壁から体を離し、戻るぞ、と合図すると、右手首を掴んできた。

「ねぇ、シタイ?」

 何かと思い眉間にしわを寄せると、手を引っ張ってきた。

 ぐっと縮まった距離にドキリとしてしまう。あのときと同じだ。

「あの日と同じだね」

 咲葵も思い出していたのか、表情がさっきまでと違っていた。

「もうさ、教室に戻らずに堕ちない? 私も一緒に堕ちてあげるから」

 甘い誘いだった。

 でもここで乗ってはいけない。

「堕ちないから、じゃ先行くぞ」

 手を解いて俺は屋上を離れた。


 ✕ ✕ ✕


 まだダメらしい。

 いつだって欲しいものが零れ落ちていくのは辛い。

 だから積極的に攻めてるんだけど、何が足りないのだろう?

 でも確かなことはあった。

 さっき握った右手から心が揺れ動いていたのを感じたから。もしかしたらもう少し押せば私のものになるかもしれない。

 いつでも子宮を貸す準備だってできてるし、クリスマスに押しかけて襲ってしまってもいいかもしれない。

 真弓には悪いけど、恋に対しては私はこういう人間だ。

 ズルをしてでも俊樹は渡さない。

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