第2話 今の俺がいる世界のこと

 俺の名前は九条介くじょう たすく。男、25歳の日本人。

 会社で働き、家でひたすらゲームしている、自分では普通の人間だと思っていた。

 そう、この出来事が起こるときまでは……。



 いつものように目が覚めた。

 珍しく、アラームが鳴る前に起きるなんて、年に何回くらいだ?

 今日は何かあるのかも知れない。

 俺が起き上がると、まずは目を疑った。

 自分の部屋が完全に変容いていた。

 いつもお世話になっているパイプ式ベッドも木製の古風な物だ。

 部屋全体は木と石で建てられた、いわゆる中世ヨーロッパ風の家屋。

 枕元にあるはずのスマホもない。

 俺はとりあえず……二度寝することにした。

 いや~、いくら疲れているとはいえ、夢で目が覚めるとかはないわ~。

 寝る前にゲームのやりすぎだな、うん。これから、控えよう。

 これで、次に目が覚めたら、いつもの日常の朝に目覚めるだろう。

 そう思いながら、俺は夢の中で二度寝に入った……。


 が、目が覚めた時、目の前の光景に変化はなかった。

 俺は相変わらず、中世ヨーロッパ風の家の中にいる。

 なら、三度寝……をすることは、さすがにやめた。

 俺は自分の腕をつねってみた。ベタである。

 痛い。

 今度は両手で挟みこむように、自分の顔を叩いてみた。ベタであることは承知だ。

 やっぱり、痛い。

 だが、それで改めて目が覚める――俺の現実が戻ることはなかった。

 俺は心の中で様々な感情が渦巻く中、息を吐く。

 そして、ベッドから出る決心をした。

 今まで見たこともない木製のベッド。

 試しに寝ていた部分を軽く押してみた。

 シーツの下には薄い綿でも入っているのだろうか、ほんのりとした温もりとともに適度の反発を手に与える。

 夢にしては、リアルだ。

 そのときになって、改めて自分の格好に気がついた。

 いつものジャージ姿ではなく、それこそファンタジー世界の村人が着ているような薄いシャツとズボン。

 ほんとうに俺はゲームのやりすぎだ……。

 今度は壁に手を当ててみた。

 石の冷たい感触がある。硬さも、それなりにあるようだ。

 俺はベタだが、壁に両手をつき、頭を振りかぶった。

 ゴン!

 鈍い音共に、激痛が額を襲った。

 チカチカと明滅するように視界がぼやける。

 こういう予想もしない激痛の時は、しばらく声すら出ないということを初めて、こんな状況で経験した。

 俺は痛みと脱力感で、その場に座り込んだ。

 これは……最近流行っている異世界転生とか異世界転移というやつなのだろか?

 普段なら考えもつかないことが心の中に浮かぶ。そうなのか?

 確かめよう。

 と思った俺だが、いきなり部屋から出る勇気は当然ない。

 ベッド側にある窓のカーテンを開け、外を見てみる。

 そこには、やはりファンタジーゲーム……というか、俺が頭の中で勝手にイメージしている中世ヨーロッパのような景色が広がっていた。

 俺と同じような格好をした男や古めかしいシャツとスカートを履いた女性が、石畳の道を歩いている。

 うーむ。どうやら、俺はある意味、ファンタジー風の世界にいるようだ。

 窓ガラスに自分の顔が薄ぼんやりと反射していた。

 良くもなく悪くもない、いつもの見慣れた俺の顔が映っている。ただ少し若い頃に戻っているのか?

 俺は身体を見回したが、それといった変化はなかった。

 筋肉がついたとか、脂肪がついたとか、そんな変化はなく、細めの身体のままだ。

 そのときにズボンのベルトにポーチらしきものが装着されているのに気づく。

 ポーチを開けると、中には小さな袋がパンパンに詰まっていた。

 さらにその小さな布製の袋も、なにか硬い金属製の物でパンパンにふくれている。

 俺が袋の口から中身を覗くと、中には金色のコインが入っていた。

 この世界の通貨だろうか? 素材は金のように見える。表面には何の刻印のない、ただの金貨だ。

 その金貨が詰まった小袋がポーチいっぱいに入っている。

 この世界の経済、物価などがどういう感じかは分からない。が、当面は生活できそうな気はする。

 それから、俺は今さらながら、自分の事を思い出そうとした。

 名前、性別、年齢、国籍までは、はっきりと浮かぶ。

 が、その先が浮かばない。

 怒涛のように、今までプレイしてきたゲームの記憶――攻略情報やゲームデータなど、現状、あまり関係ないような記憶ばかりが頭の中を駆け巡る。

 いやいや、ちょっと待て。

 普通は、この世界に来た経緯とかきっかけとか思い出すもんじゃないのか?

 女神様とか神様と面談したとか、何かしているときに怪しい光や影に包まれたとか……。

 そういうものが、一切、思い浮かばない、思い当たることすらない。

 そもそも、俺が目覚めてから、女神様や神様的な者からのコンタクトもない。

 こういった場合、チュートリアルとか天の声とかあるんじゃなないんですか?

 もし、それらが無いとしたら……自分自身で色々確かめないといけない。

 この世界でのコミュニケーション能力があるか――『読む』、『書く』、『話す』が出来るかどうかだ。

 まず、部屋にあった本棚から適当に本を選ぶ。

 そして、途中からガッとページを開いてみた。

 読めた。

 どうやら、この世界の文字に関して心配はなさそうだ。

 あとは、ふたつ。

 『書く』と『話す』。

 これはどちらかがオッケーなら、この世界でもやっていけるだろう。

 だが、どっちもダメなら詰みだ。

 俺は家のドアを開け、外に出た。

 外は窓ガラス越しに見た風景そのものだった。

 芝生のような地面に石畳の道が建物や大通りにつながっている。

 俺の家は居住区の一角なのか、同じような建物がいくつか立ち並んでいる。

 中には二階建てや形状の違うのもあるが、それはファミリー向けとか色々ランクとかがあるのだろうか?

 区画の中心……というわけではないのだろうが、そこには井戸があった。

 石を積み上げ、屋根のような部分に滑車とロープがついてあった、それを手繰り水を汲んでいるようだ。

 今、時間は分からないが、太陽の位置から見ると、昼間くらいだろう。

 井戸には一人の女性が井戸から水をくみ上げていた。

 俺は少し、躊躇してから声をかけた。

「こんにちは。いい天気ですね」

 挨拶と天気の話は鉄板ネタだ。

「あら、こんにちは。ほんと、いい天気よね」

 女性はそう答えると、汲みいれた水桶を抱えながら、自分の家に戻って行った。

 その後姿を無言で見送りながら、俺はホッとした。

 『話す』こともクリアだ。

 ただ、言葉の方はなんだか映画の吹き替えを聞いているようだった。

 女性の顔立ちが洋風なのにプラスして、口の動きが言葉と合っていなかった。

 が、この違和感も過ごしていくうちになくなるだろう……たぶん。

 これで、『読む』、『話す』……コミュニケーションは可能のようだ。

 あとは、『書く』だが、これは出来なくてもいいかも知れない。

 が、後々、必要に迫られるかもしれない。

 試すことくらいはしておこう。

 俺は家に戻り、木製のテーブルの上にあった紙とペンである事を書いてみた。

 インクを付けて文字を書くなんて、習字のときに筆に墨をつけるようなもんだと甘く見てた。失敗した。鉛筆とかないのかな?

 何度目かのリテイクを繰り返し、書きあがったものを手に、また外に出た。


 ここの村の名前は『ファステリア』。

 すぐ近くに国王のいる城があるため、城下村として存在している。

 村といっても、武器屋や道具屋、宿屋といったゲームではお馴染みの店舗はあるし、他にも小さな市場などの施設もある。

 俺はまずは武器屋へ向かった。

 最初の村なのだからだろうか、店内の品揃えは、それほど豊富じゃなかった。

 が、数量だけはたくさんあった。

 竹の槍や棍棒、銅の剣が壁一面に並んでいるのをみると、さすがに圧倒された。

 ただ、布の服が大量に置かれているのは、なんか違う店のような気がする。

 店に入ってきてからの俺は、挙動不審だっただろう。武器など物騒なものを買うなんて、初めての経験だ。しょうがないじゃないか。

 だが、そんな俺などお構いなしに、武器屋の店主はカウンターのような机の前から離れようとはしないし、何も言わない。

 俺はそんな店主がいるカウンターの上に一枚の紙を差し出す。

「これをください」

 そういう俺が出した紙を店主は手に持ち、眺める。

 しばらくの間……。あれ? 『書く』の方はダメなのか?

 そう思ったが、店主は店内から棍棒と革の鎧を選んで、カウンターの上に置いてくれた。

「お薦めの棍棒と革の鎧といったら、これかな? なんせ、勇者モデルだから」

 なんか、スポーツ用品みたいな感じで勧められる。やっぱり、どんなところにでもあるんだろうか、そういうのは?

 店主に言われるがまま、ひとまず一式買った。

 約200ゴールド、手持ちの金貨二十枚で足りた。

 10ゴールド=金貨一枚の換算でいいんだろうか?

「あんた、旅にでも行くのかい?」

 武器屋の店主に、そんなことを聞かれた。

 どうやら、ここで品物を買うのは勇者か旅人ぐらいらしい。

「うん……まぁ、そんな感じで」

 まさか、自分の書いた文字が通用するかどうか試しになんて、口がさけても言えない。それに、ついでにモンスターとかと戦ってみたい。

「まいどあり。いらなくなったら、うちで買い取ってやるからな」

 そんな店主の言葉を背に、店を出た。

 さすがに、こんな大通りで装備するのは、なんだか恥ずかしい。

 俺はパッケージされた装備一式を背負いながら、今度は道具屋で買い物。

 薬草、移動用アイテム、守備力を上げてくれるお守り……などなど袋一杯に買えるだけ、買った。ただ、お守りだけは一人に一個しか効果がないらしい。じゃ、それは一つだけで。

 あらかた、装備や道具を買い込んで、最後に市場に寄った。

 小さな出店のようなたくさん並び、野菜や果物、肉、魚、加工品、服や装飾品などが並んでいる。

 今まで見たことがないヤバそうな色と形の野菜や果物、肉、魚は避けよう。

 ひとまず、キャベツやニンジン、トマトみたいな野菜、リンゴに似た赤い色の果実、肉の燻製など自分が食べられそうな物を、これも袋一杯に買った。

 こちらは金貨一、二枚ほどで済んだ。

 結構、自分では食料を買い込んだ方だと思うので、どうやら手持ちのお金で生活の方は、なんとかなりそうだ。

 ただ、後々に分かったことだが、宿屋の食堂や酒場に行けば、手頃な料金で食事ができる。

 まぁ、自分で作れて、安くて食欲を満たせるなら、それに越したことはない。

 ……うん、何事も節約だ。


 家に帰ってきた俺は、さっそく装備してみた。

 武器屋の包みを破くときは、なんだか、新しいゲームのビニールを破くときみたいにワクワクした。もっと言うと、子供の頃に貰った誕生日プレゼントの包装紙を破くときの心境に近い。

 そして、新品の棍棒と革の鎧を身に着けてみた。

 おお……なんか、戦士に見えなくもない。

 家にあった鏡の前で、少しポーズをとってみた。

 ……なんか、動きづらい。

 革の鎧が……特に肩に付いているパッドみたいなのが邪魔だった。

 こういうのって、動きとかを邪魔しないようにできてるんじゃないのかな? それとも、防御力重視?

 ひとまず、革の鎧を脱いで、肩パッドが取れるかどうか試してみた。

 後悔した。

 鎧は肩パッドからちょっと胸の辺りまで破けてしまった。なんか、世紀末のヒャッハーさんたちの衣装みたいになってしまった。

 これを装備して外に出るのは、恥ずかしい。

『要らなくなったら、買い取るよ……』

 武器屋の店主の言葉が頭をよぎる。

 よぎるけど、さすがにこれは買い取ってくれないだろう。

 自分の手で破いちゃいました、で買い取り請求なんて許されるわけがない。

 革の鎧は、そのまま、壁に立てかけておくことにした。

 初めて買った鎧の記念として。……いや、もったいないとか捨てるのが恥ずかしいとかじゃないから。

 そのかわり、棍棒は大丈夫だった。

 それなりの重さに、手で持つ部分には滑り止め用の布が巻かれてあるので振りやすい。これなら、戦闘もできそうだ。さすが初心者ご用達の武器。

 まぁ、攻撃力が高い銅の剣にしなかったのは、今までの人生で剣なんか手にしたことがないからだ。

 それなら、何度か振り回したことのあるバットに似た物がよいという考えに至ったわけである。

 ……はい、嘘つきました。

 腰の引けた状態で銅の剣を振り回す自分がカッコ悪いと思ったからです。

 なんなら、自分で自分を切りそうな自信もある。

 よし、準備は整った。

 これから、冒険の旅が始まるぜ!


 ……の前に、あんなこんなで夜遅くなったので、今日は寝よう。

 これで次の朝、「はい、夢でした~」で目覚めたとしたら、とてつもなく悲しくなるけれど……俺はベッドに横たわる。

 ……おやすみなさい。

 

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