第11話 王都の噂


「聞いたか、あの話」


 陽の光が差し込む城内の一角で、2人の男が話始めた。


「騎士団長殿がまた手柄を上げたそうだな」


「どうやら、実際に手柄を上げたのはあの女らしい」


「……騎士団長の娘がか?」


 面白くなさそうな表情で聞き返す。


「困ったものだな、あのお転婆娘は。いい加減大人しくしてほしいものだ」


「女の癖に、貴族である我々を差し置いて手柄を上げようとしているのが実に腹立たしい」


「今は騎士団長の娘だからと大目に見られている部分もあるが、所詮女……いずれ騎士団長になどという甘い夢は捨ててもらいたいものだな」


「全くだ。女である以上出世などできん。そうでなければ手柄が奪われることなどあるものか」


「さっさと貴族のもとへ嫁いだほうがあの女の為になるだろうに」


 ふんと鼻息を荒くしながら、声音も強くなっていく。


「貴族のもとへ嫁ぎ、優秀な子を産むのがこの国の女の務め……あの女も体は優秀なのだから俺がもらってやっても――」


「おっと、噂をすれば……」


 2人の視線の先、廊下の奥から歩いてくる女の姿が見える。

 

 噂の種。

 オリヴィア・ヒルデヴラント。


「……」


 無表情に、歩幅を緩めずに歩いてきたオリヴィアが男たちを通り過ぎていく。


「……ふん、気取りおって」


「行くぞ」


 男たちは、オリヴィアとは反対方向へ歩き始める。


「……」


 男たちが歩いてからしばらくして、オリヴィアが立ち止まる。

 振り返ることなく、その両の拳がどこか悔しそうに力強く握りしめられた。







 ファルドたちが町長への挨拶を終え、王都へと戻ってきたのは3日後の事だった。

 王都では、凶悪な盗賊を討伐したという騎士団の話で持ち切りのようで、王都全体が祭り騒ぎ。

 

 だが、その話の中心にファルドたちの存在は無かった。


「今日の夕方、オスカーのとこに行くぞ。それまでは自由行動ってことで、じゃ!」


 そう言い残し、レクスは王都の街並みに消えていった。

 レクスは相変わらずというか、まるで気にする素振りもない。

 

(僕たちの頑張りが無かったことになってるのに、全然気にしてないんだな、レクスって)


 盗賊討伐の件は、全て騎士団による功績。

 多少、頑張りを認めてほしいという気持ちが残るファルドにとっては考えられないことだった。

 

(でも、考えても仕方がないってことなんだろうな。頑張りを認めてもらう為にやったことでもないんだし)


 レクスの楽観さが、少しだけ羨ましくも思えてしまう。

 しかし、そんな彼の態度に救われたのもまた事実。


 少しだけ気分が晴れたファルドは、宿の自室から王都を眺める。


 雲一つない晴れた空の下、賑わいを見せる王都の姿。

 せっかくの自由行動に、ファルドの心は踊る。


「折角の機会だし、王都を見て回るか!」


 ファルドはすぐさま部屋を飛び出し、街中へと飛び出した。


 王都の入り口から王城までまっすぐに伸びる中央通り。

 ファルドたちの泊まる宿を含め、ここには様々な店や施設が並んでいる。


「王都で採れた新鮮な果物はいかがかな!」


「ここに並ぶ魚は全て、隣の港町から仕入れた鮮度抜群の魚だよぉ!」


「そこ往く御仁! 王都の外へ出向くならウチの店で道具を揃えていきな!」


 気をつけていなければ肩がぶつかってしまいそうになるほどの往来の中、様々な声が入り乱れる。

 知っている世界がどれだけ小さかったのかを自らの目で確かめられる。

 それがどれだけ幸せか、ファルドは目を輝かせながら実感していた。


(王都についた頃はゆっくり見てられなかったけど、これが都会か! 凄いな、ここだけで何でも揃えられそうだ!)


 山の幸、海の幸、雑貨品や武器に防具まで。

 揃えられないものなど何もないのではないかと思えてしまう。


「いかがですかー! 神人さまの活躍が載った『神人伝記』! まだ読んだことのない方はぜひ!」


 言葉が飛び交う中、聞こえてきたのは興味をそそる単語。

 最近聞いたばかりのそれに、ファルドは吸い寄せられるように足を運ぶ。

 

「いかがですかー!」


「あの、さっき言ってた神人さまって何ですか?」


 書物が並ぶ店の前で接客する店員。

 ファルドは店員に、気になった単語について問いかける。


「あら、いらっしゃいませ! その恰好からして、最近王都に来たばかりですか?」


「えっと、そうなんです。最近田舎から出てきたばかりで。それで、さっきの話なんですけど」


 格好ですぐに田舎者だとばれてしまうことに恥ずかしさを覚えるも、誤魔化すように話を戻す。


「神人さまというのは、古くから伝わる偉人のことですよ! ほら、読んだことありませんか『神人伝記』! あそこで語られる方々のことをそう呼んでいるんですよ!」


 そう喜々として話す店員は、近くの棚からその本を持ってくる。


 手に持っているのは『神人伝記』。

 馬主に教えてもらった、世間では主流の伝記。


 そして同時に、理解する。

 この店のどこにも、『始まりの伝記』が置かれていないことに。


「ほら、これが『神人伝記』です!」


「……実は一度も『神人伝記』を読んだことがなくて。『始まりの伝記』なら何度か読んだことがあるんですけど」


「それは勿体ない! でしたらぜひ『神人伝記』を読んでみてください! 間違いなくその『始まりの伝記』? なんかより面白いですよ!」


 どこか会話に違和感を覚える。


「……ちなみに、『始まりの伝記』って置いてありますか?」


「うーん、いえ。そういった書物は置いてないですねえ。結構有名な書物なんですか?」


 言葉にならなかった。

 心のどこかで期待していた。馬主が言っていたことは少し大げさだったのではないかと。


 ただ、その期待が一瞬で崩れ去ってしまった。


 これが、現実なのだ。


「い、いえ。えっと『神人伝記』1冊、買います」

 

「毎度ありー!」


 会話を終わらせ、書物を受け取る。

 ファルドは足早にその場を去った。


(あとで時間が空いた時にでも読んでみよう)


「またのお越しをー!」


 伝記の入った袋を抱え、再び中央通りを進んでいく。

 歩いている最中、考えてしまうのは先程のやり取り。


(本当に、『神人伝記』が主流なんだ)


 今まで信じてきたものを否定されているような感覚にずっと見舞われる。

 折角王都の街並みを観光しているのに、このままではいけない。


 そう考えたファルドは、王都の食事を堪能するべく中央通りから一本逸れた市場へと足を延ばす。


 中央通りから逸れたとはいえ、市場は変わらぬ賑わいを見せていた。

 そんな様子に圧倒されながらも、見渡しながら進んでいく。


 歩いてしばらく、市場の角に比較的賑わっている店を見つけた。

 店の中は勿論、外でも食事を楽しめるようで、それぞれのテーブルにはほぼ満員の人々が食事を楽しんでいる。


(何の店なんだろう。えっと――)


 店の入り口に置かれた看板。

 そこに大きく看板商品の名前が書かれている。


(パン?)


 商品の名前を見て、頭に思い浮かべたのは硬くもっさりした食べ物。

 村の中で食べたパンは、そんなものだった。


(村にいた時もパンは食べていたけど、あんまり美味しいとは言えなかったな。硬くてもっさりしてたし)


 比較的空いた列に並び、看板商品であるパンを購入。

 店外のテーブル席へ腰かけた。


(王都の人たちって、こういう硬いものが好きなのかな。だとしたら都会の食事って合わないかも)


 村で食べたパンの味を思い出しながら、買ったばかりのパンを頬張る。


「……!?」


 あまりの衝撃に硬直する。


(これが……パン……!? こんなに柔らかくてふわふわしたものが、パン!?)


 村で食べたものとは似ても似つかない全く新しい食べ物。

 ファルドの中のパンという概念が崩れた瞬間だった。


(これが王都、これが世界か……!)


 思わずこぼれてしまいそうになる笑みを我慢しながら、大事に頬張っていく。

 先程まで感じていた悲しみも、すっかりパンの感動に打ち消されていた。


 そんな時、隣のテーブルから興味深そうな話が聞こえてきた。


「そういや聞いたか。例の噂」


「噂? ああ、あれだろ。不思議な悪夢を見るっていう」


 神妙そうな面持ちの男の言葉を、あしらうように吐き捨てる男。


「なんだよ、知ってたのか。嫌な話だよな。悪夢がそのまま現実に起こるなんてよ」


「信憑性も薄いだろ。実際悪夢見ても現実に起こってる奴なんざ殆どいないって話だぜ。しかも満月の夜にしか見ることができねえなんて嘘くせえだろ」


「まあ、確かにそれもそうか」


「そんなことよりもだ。そんな話よりも魔族の話のほうがやばいだろ」


(魔族? 確か神々の黄昏で邪神派に属したっていう種族か?)


 魔族。

 伝記にも登場する種族であり、神々の黄昏では邪神派と呼ばれる派閥に属した種族。

 ファルドでも聞いたことのある単語に、一層聞き耳を立てる。


「勢力拡大が進んでて近々戦争が勃発するかもしれねえって話か? それこそ俺達には関係ないだろ。隣の大陸ならまだしも、接点もねえ別大陸のことなんだからよ」


「関係なくはないだろ。向こうの物が手に入れづらくなるんだからよ。物価だってあがるぞ」


「……確かにそいつは一大事だな」


「だろ? だから今のうちに揃えられるものは揃えといたほうが良いって話よ」


 2人の会話はここで途切れ、また別の話題へと移っていく。

 まるで関係のない日常生活の話が始まってから、ファルドは聞き耳を立てるのをやめた。


(戦争が始まるかもしれない……その噂が本当だとしたら、一体誰が何の為に? しかもそんな噂どこから流れてくるんだ)


 気になることは山ほどある。

 だが、考え出したらきりがない。


 気付けば、もうじき日が暮れる夕方に差し掛かっていた。


(そろそろ戻ろう)


 ファルドは店を後にすると、早々と宿屋まで戻っていった。


 宿屋に戻った彼を出迎えたのは、ベッドでくつろぐ男。

 

「あ、レクス。戻ってたんだ」


「まあな。お前のほうは……ああ、聞かなくてもわかるわな。随分楽しんできたみてえじゃねえか」


「うん、やっぱり王都は凄いな! 何でも揃ってるし、歩いてるだけでワクワクするよ! まあ、人が多すぎて目が回りそうになるのが難点だけど」


「早速都会の洗礼を浴びてやがるな」


 嬉しそうに話すファルドの姿を見て、レクスは満足げに笑った。


「レクスが言ってた用事はもう済んだの?」


「おう、用事って言っても大したもんじゃねえからすぐ終わったぜ」


「そうなんだ。すぐ終わるなら一緒に連れて行ってくれても良かったのに」


「連れてかねえよ。んなことより、今日中に迎えが来るらしいからもう出かけんなよ。たく、オスカーの奴も仕事が早えのな」


「迎え? どこの?」


「王様のだよ。オレたちは今日中に王都を統べる王様と謁見すんだよ」


「……今日!?」


 唐突な報告に、ファルドは目を丸くする。


「急だがまあ、願ったり叶ったりだな。もう少し帰りが遅けりゃお前の事を探す羽目になってたが、早めに帰ってきて良かったぜ」


「だけど、もう夕方だけど会いに行って大丈夫なのか? 今日中って言ったって夜になったら王様も困ると思うんだけど」


「空いてんのが今ぐらいの時間しかねえんだろうさ。ま、オレたちのために時間を割いてくれたんだ。ありがたく思っとこうぜ」


「それはそうだけど」


 会話を遮るように、それは突然やってきた。

 コンコンと、部屋の扉が2度叩かれる。


「どうやら来たみたいだぜ」


 レクスの言葉の後、扉の向こうから声が聞こえてくる。


「こちらはレクス殿の宿泊する部屋で間違いないか」


「ああ、入ってくれ」


「失礼する!」


 そう言って入ってきたのは、軽装の鎧で身を包んだ男。

 入って早々にファルドたちに向けて敬礼すると、続けざまに言葉を発する。


「陛下の命により、貴殿らを王城へと案内するよう仰せつかった。今から同行願えるか?」


「ああ。さ、王様が眠らねえうちに早いとこ行くとしようぜ」


 城の兵士に連れられ、ファルドたちは王都の中心――アルベンハイル王の住まう王城へと足を運んだ。


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