第6話 縮まる距離


 盗賊が潜む遺跡へと赴く前に、ファルドたちは必要物資を買い揃えに町を回っていた。


「貴方たち、魔法は使える?」


 1人で前を歩くオリヴィアが立ち止まって振り返る。

 魔法という聞きなれない単語に、ファルドは思わず首を傾げた。


「魔法?」


「神子の持つ超人的な力――加護。それとは違う、この世に生きる全ての者が持つ可能性の力――それが魔法だ。人間誰しも生まれた時に地水火風の中から1つだけ、魔素を持って生まれてくんのさ。火なら火を、水なら水をってな感じで使える魔法は違ってくる。ま、それ以前に魔法の適性がなけりゃ魔法は使えねえがな」


「……そうなんだ、そんな力があるのか」


「まさか魔法を知らないだなんて……本当に同盟からの使者なの?」


「こいつはつい先日まで辺境にいたんだ。世間知らずなとこもあるだろうが大目に見てやってくれ」


「色々事情があって……すみません」


「……ファルド君は悪い人には見えないから、きっと本当の事なのでしょうね。だけど、貴方の事はまだ信用しきれないけれど」


 そう言って、レクスの方を見るオリヴィア。

 レクスは呆れるように笑いながら。


「おいおい。これから一緒に盗賊を倒しに行くってのにそりゃ無いぜ。じゃあ、これ見ても信用できねえか?」


 身体全体を覆っていた外套から左腕を出す。

 姿を見せた真紅の籠手を見て、オリヴィアの目の色が変わった。


「貴方、まさか『赤腕』……!?」


(オリヴィアさんもレクスの事を知っているんだ。やっぱりレクスって相当有名人なんだろうな)


 左腕を外套の中へと隠し、レクスはへらへらと笑う。


「どうよ、ちょっとは信用できそうか?」


「余計信用できなくなったわ。どうして神子である貴方がこんなところにいるの?」


「そりゃ盗賊退治の為に同盟から派遣されたからに決まってんだろ」


「……今はそういう事にしましょう。この依頼が終わった後に話は聞かせてもらうわ」


 いくら人通りが少ないからといって立ち往生するのも良くないと思ったのか、オリヴィアは再び歩き出した。

 

(レクスの呼び名の『赤腕』。もしかしてそれを知っている人には神子だってバレてるってことなのかな。だとすると同盟にいた人たちにも……)


 彼の考えなんてよそに、レクスは気にせぬ素振りでゆっくりと足を動かし始めた。

 

 ファルド自身何度か目にした真紅の籠手。誰にも見えぬように外套の中へ隠して歩くレクスを見て、ふと考えが過る。


(あの左腕の籠手が『赤腕』の印なら、どうして外さないんだろう)


 腕全体を覆う真紅の籠手があるから、『赤腕』だと気付かれるのなら外した方が良いだろう。

 だが外さないのには理由があるはずだ。ファルドにはファルドの事情があるように、人には人の事情があるのだろう。

 そう思いを巡らせているうちに、薬屋へと辿り着いていた。


 そして再び、最初の質問が飛ぶ。


「それで、魔法は使えるの?」


 ふと、ファルドの脳裏を過ったのは、燃える村での記憶。

 伝記上の化け物だと思っていたミノタウロスと対峙した際、右腕が光りだすと同時に力が湧いたあの現象。


 曖昧で朧げなその記憶を信用はできない。

 もう一度あれをやれと言われても恐らくできないだろう。


「どうだろう……。僕は使えないと思います。自分がどの魔素をもっているのかもわからないし」


 不確定な要素は告げずに誤魔化した。


「そう。なら貴方は?」


「オレも無理だぜ」


「炎の加護を持つ神子が魔法を使えないなんて冗談でしょう?」


「加護と魔法は別物なんだよ。そりゃ神子の中でも使える奴はいるだろうが、オレには適性がねえからな。ま、加護がありゃ魔法なんざ使わないだろうぜ」


「そうなんだ。僕はてっきり火の魔法が使えるんだと思ったけど」


 これには、ファルドも意外だと感じる。

 ラミール村の物見塔で見た炎の力で、レクスが炎の加護を受けた神子だと思っていた。

 だからこそ、火の魔素を持ち火の魔法も使えるものだと。


「魔法が薪や松明に火を点ける力だとすりゃあ、加護は火を生み出し、その火を自由自在に操れる力ってくらいには違いがあるもんだ」


 レクスの説明通りに力の差があるのならば、神子は魔法を使えたところで加護を使用するだろう。


「神子が言うと説得力があるわね。わかったわ、教えてくれてありがとう。私も魔法は使えないから、薬は傷薬だけでよさそうね……。あとは――」


 薬屋の入口に置かれた物品表を眺めるオリヴィア。

 そんな彼女をレクスは物珍しそうにまじまじと見つめた。


「……何?」


 それに気付いたオリヴィアが、訝し気な目でレクスへと視線を向ける。

 彼はそんな彼女に。


「いやお前、ありがとうとか言えんだなって……」


「わ、私だってそのくらい言うわよ!」


 オリヴィアは顔を背けて、薬屋の中へ入っていく。


「いやあ、つい口に出ちまった……」


「レクスって思ったことをすぐ口に出すよね……。あとで謝ったほうが良いよ」


 2人は、先に中へ入っていったオリヴィアを追って中へ入る。

 その後、薬屋で傷薬を買い、日持ちの良い食料を2日分。雑貨屋で野営用の道具を揃えた頃には、太陽も沈みかけ赤みがかった夕空になっていた。

 

「――ここから例の遺跡まで、急げば夜更けには着くんだっけか?」


「ええ。地図によると、丘を超えた先にある森を抜ければ遺跡のはずよ」


「準備も出来たことだし、早速行こうぜ。陽が沈む前に丘は超えてえしな」


「わかった。僕も暗い中進むよりはそのほうが良いと思うよ。オリヴィアさんもそれで良いですか?」


「私も同意見よ」


 言いながらこくりと頷くオリヴィア。

 3人の意見が一致すると、買い揃えた荷物を各々分担して持ち始める。


 野営用の道具が詰められた布袋と、薬等が入った小さめの袋が残り、オリヴィアが重たそうな野営用の道具袋を背負った。

 実際重かったのだろう。背負った彼女はふうと息を吐きながら重い足を動かしている。


 それを見ていたファルドは、彼女が背負った道具袋に手を伸ばして。


「オリヴィアさん、それは僕が持ちます」


 声を掛けられた彼女は表情を変えず。


「……どうして? 私がこれを持つから、貴方は薬袋の方をお願い」


 そう言われても、重そうに背負う彼女の姿を見てしまったからには、はいそうですかと納得もできない。


(表情を変えないようにしているんだろうけど、一瞬だけでも辛そうな目を見てしまったら僕は――)


「少しでも重たい物を持って、鍛えたいんです。それに、一番大切な薬袋なんて大切なもの僕には持てません。そういう大切なものはオリヴィアさんに持っていてほしいんです。僕もレクスも適当だから、すぐ投げちゃいそうで……」


 精一杯の言い訳を作る。

 そんな彼の言葉に説得されたのか、オリヴィアは背負っていた道具袋を地に降ろした。


「……そういう事なら、そうね。お願いするわ」


「よい、しょと。……よし、行きますか」


(思ったより、結構重たいかも……。でも、鍛えるには丁度良いな)


 少し強がってしまったかもしれないが、今の自分にできる事をしたい。

 そんな考えと共に、ファルドは歩みを進める。


「……」


 オリヴィアは薬袋を持つと、道具袋を代わりに背負い先を往く少年に視線を移す。

 

「一体なんなのよ――」


 その呟きは誰にも聞こえず、風と共に流れていった。







 静まり返った森の中。

 暗闇の中に灯る小さな火を中心に、ファルドたちが囲むように座っている。


「とりあえずは順調にここまで来れたな」


「この森を抜けたら目的地のはずよ。ひとまずは夜明け前まで身体を休めて、その後に遺跡に向かいましょう」


「野営用のテントも張ったし、あとは見張りを決めるだけか」


「そうね……」


 口元に手を置き、何かを考えるような仕草を取るオリヴィア。

 だが、レクスの方は考えるまでも無かったようで。


「よし、お前ら2人とオレで分かれて見張りをしよう。ってことで、お前らが先に見張りやってくれ。月が半分沈んだら残りはオレが見張る」


「えっ、僕とオリヴィアさんで?」


 ファルドの口から、思わず疑問が飛び出た。

 野営中の見張りなど、旅の経験が無いファルドにとっては口を挟むことができない話だ。

 しかし、3人いるのだから1人ずつ交代で見張りをするんだろうとは予想をしていた。それが1人と2人に分かれるとは予想だにしていなかったのだ。


 ファルドが感じた疑問は当然のことだったらしく、知識があるであろうオリヴィアさえも疑問の異を唱えた。


「私とファルド君がどうして同じ時間帯に見張りをするのか、ちゃんとした理由があって言ってるんでしょうね?」


「単純に戦力の問題だっての。見張りの最中に襲われても、お前ら2人ならなんとかなんだろ」


 レクスの言葉に、オリヴィアが眉をひそめる。


「……貴方は1人でも対処できるって? 随分な自信ね」


「そりゃ神子だからな、当然だろ」


 暫くの沈黙が続き、溜息を吐きながらオリヴィアが口を開いた。


「……わかりました。それなら早速、貴方は身体を休めた方が良いわね。1人の見張りは大変でしょうから」


「じゃ、よろしく頼むわ」


 レクスは野営用のテントの中へ入っていく。

 そして、残された2人の間にまた沈黙が流れる。


「……」


「……」


(気まずい……)


 見張りの件で、この場の雰囲気は悪くなってしまったままだ。

 

(レクスはどうしてあんな言い方しかできないんだろう……。本当はちゃんとした理由があるはずなのに)


 例えば、旅の経験も浅く見張りの経験もないファルドを1人にさせないように、わざと2人になるようにしたとか。

 今更そんなことを考えても仕方がないと諦め、ちらりとオリヴィアに視線を移す。


 オリヴィアは姿勢よく、ただじっと座り続けて焚火に視線を向けている。


(表情には見えないけど、きっと怒っているんだろうな……。そっとしておこう)


 視線を戻し、隣に立てかけた剣を見やる。

 見張りとはいえ、剣を振って鍛えるくらいは構わないだろうと立ち上がった。


「すみません、ちょっと身体動かしますね」


 そう言って、ファルドは石製の剣を手に、腕を振るい始めた。

 そんな彼の様子をじっと見つめるオリヴィア。


「見張りの最中とはいえ、身体を休めておくことはできるわよ」


「ああ、いえ。こんな隙間時間でも、少しは鍛えておきたいので」


「……昼も、そんなことを言っていたわね。どうして鍛えようとするの?」


「英雄になりたいんです」


 即答だった。


「英雄は、僕の憧れなんです。伝記に出てくる神子のような英雄になるためには、強くならなくちゃいけない。だから、鍛えるんです」


 そこまで言って、口を滑らせたことに気づいた。

 全員ではないとはいえ、神子は世間から蔑まされている。レクスにも気を付けろと言われていたはずなのに、思わず口に出していた。


「あ、いや! えっと、神子に憧れたんじゃなくて、ただ英雄になりたいっていうか!」


 慌てて誤魔化そうとするも、手遅れだとは分かっていた。

 しかし、返ってきた言葉は予想外のもの。


「……別に、良いと思うわよ。何に憧れようと、それは個人の自由だわ」


 そう話すオリヴィアの視線は、焚火へと戻っていた。

 意外な返答に固まっていると、彼女はさらに口を開く。


「だけど、それと強さは別。憧れだけじゃ強くはなれない。我武者羅な努力も、報われなければ意味がないのよ」


(まただ、この寂しそうで悲しそうな目だ)


「強くなるには、全てを犠牲にしなければいけない。孤独と引き換えに手に入るものこそ、強さなの」


 その目は、焚火を見ているようで見ていない――遠くを見つめているようだった。

 

 例えるなら、何もかも諦めた目――違う。

 例えるなら、理想を追い求める目――違う。


 届かないと知っていながらも終わり無い道を走っているような。例えるならそんな目に見えた。


「だから、私は馴れ合うつもりなんてないの。馴れ合う暇があるのなら、私はもっともっと強くならないといけないのよ……」


 そう言い切ったところで、彼女はハッとする表情でファルドに顔を向けた。


「……ごめんなさい。こんな話するつもりなかったの。忘れて」


 そしてまた、すぐに視線を外される。

 

 自分には自分の。他人には他人の事情がある。考えがある。

 それを否定するつもりはない。だが、今この場では、自分自身の考えを言うべきだとファルドは感じていた。


「馴れ合いが人を弱くする……確かに、そうかもしれませんね」


 笑いながら、剣を振り続ける。


「――でも、僕の憧れた人たちは孤独じゃなかった」


 思い浮かべるのは、伝記の中の英雄たち。

 決して1人ではなく、仲間と共に戦い抜いた者たちのこと。


「色んな人と出会って、色んな事を教わって。仲間や友人たちと肩を並べて成長して……。ずっとずっと強くなろうと努力し続けた英雄たちに憧れたんです」


 1人で全てをこなす英雄もいた。

 1人では誰かに劣る英雄もいた。


 しかし、彼らの側には総じて仲間がいた。

 伝記で事細かに書かれてはいなかったが、仲間がいたからこそ英雄に至れたのだと――ファルドはそう信じている。


「夢物語よ、それは」


 その通りだ。伝記はただの夢物語。

 媒体として語り継がれているとはいえ、実際に起きたことかどうか知る者はいない。


「――ええ、夢物語です。でも、そんな夢物語だからこそ、信じたいんじゃないですか。憧れるんじゃないですか」


 そんなことは百も承知だった。

 本物だろうが偽物だろうが、ファルドには関係ない。

 

 ファルドが感じた希望は、憧れは。

 その伝記の中に確かに存在するから。


「えっと、つまりそういう事なんです。僕が剣を振り続けてるのは。あ、勿論体幹とかも鍛えてますよ! やっぱり基礎を鍛えないといけないってレクスにも教わったので!」


「……貴方って本当に不思議な人ね。夢物語を信じているし、昼だって見ず知らずの女である私に頭を下げるし」


「え? 謝るのに男も女も関係無いと思いますけど……」


 またも思いがけない言葉に、ファルドは手を止めて彼女へ身体を向けた。


「は?」


「悪いことをした方が謝る! これが普通じゃないですか?」


 ファルドの言葉に、偽りはない。本心からの言葉だった。

 そんな言葉に、ぽかんとしばらく固まったままのオリヴィアの口元が歪んだ。


「――ぷっ、ふふ。そうね、その通りだと思う。謝るのに男も女も関係ない……全くその通りね。貴方と話していると、なんだか私の考えてることが馬鹿らしく思えてくるわ」


 月明かりが、木々の隙間から差し込んで彼女を照らす。


 それは、笑顔だった。

 ふにゃっと表情が崩れた彼女の顔を見て、ファルドは思わず目を奪われる。


 あまり表情に出ない人だと。クールな人だと。

 だが、初めて見た笑顔は、燦々と輝いて見えた。


「あの時は私も悪かったわ、ごめんなさい」


 そう言って頭を下げたオリヴィア。

 最初、彼女の言うあの時が思い浮かばなかったが、すぐにモルドモルでのことだと気が付く。


「いや、不法侵入した僕たちが悪いから、オリヴィアさんが謝ることは!」


「それでも、いきなり喉元に剣を向けるのは良くなかったと思うの。それに、貴方にも強く当たってしまって。だから、ごめんなさい」


「僕は全然気にしてないので……。剣を向けられたのもレクスだし」


「そうね、彼にも後で謝らないといけないわね、ふふっ」


 くすくすと笑うオリヴィア。


(オリヴィアさんって、こんなにも明るい人だったのか……)


 昼とはまるで違う別人のようなオリヴィアに戸惑う。

 少しは心を開いてくれたのだろうかと、自惚れた思いを抱く。


(いや、もともとこういう人なんだろう! それに僕が気付かなかっただけなんだ)


「それじゃあ私も少し、身体を動かそうかしら。貴方の影響受けちゃったみたいだから」


 オリヴィアは立ち上がると、腰に携えた細身の剣に手をかける。


「――ああ、それと」


 サッと身体をファルドへ向けると、彼女は薄く笑みを浮かべながら。


「敬語は使わなくていいわ。年齢も変わらなそうだし、一時的とはいえ一緒に盗賊を倒しに行くのだから、ね?」


「うん、それじゃあ、敬語は使わないよ。オリヴィアさん」


「――オリヴィア」


「え?」


「さんはいらないわ、『ファルド』」


「……わかった。よろしく、オリヴィア!」


 少し、ほんの少しではあるかもしれないが。

 オリヴィアとの心の距離が縮まったのかもしれないと、ファルドはそう思った。

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