第3話 そして運命は変わり始める

 

 目を覚ますと、いつもとは違う天井が視界いっぱいに広がっていた。

 ぼんやりとした記憶の中、ファルドはおもむろに身体を起こす。


「ここは……」


 窓を覆う布の隙間から差し込む陽の光。

 僅かに上体を動かし、布をめくった先の光景を見て、今が朝だという事に気づく。


 そして、昨日まででは考えられない状態であるという事も。


「物見塔、じゃない」


 窓の先に広がる普段より低い、村人たちと同じ目線の光景。

 驚くまま部屋の中を見渡し、ここが物見塔の中ではないという事を実感する。


「一体どうして……僕は昨日――」


 思い出そうとした時、腹部に一瞬の痛みが走った。

 思わず声を上げてしまったファルドは、自らの服をたくし上げる。


 痛みを感じた場所には丁寧に包帯が巻かれ、何らかの治療が施されていた。


 そこで蘇る昨日の記憶。


「そうだ、僕は怪物と戦って……」


 その先の記憶がない。

 結局、怪物はどうなったのか。


「ベルタ、ベルタは……!」


 一番新しい記憶の中にいる彼女は、怪物に打ち付けられ瀕死だった。

 もし、あのまま怪物に殺されてしまっていたら、などと最悪の展開を予想してしまう。

 

 どうしようもない不安で押しつぶされそうな彼の耳に、扉を叩く音が聴こえてくる。

 そして、彼の返答を待たないまま扉は開かれ、見えたのは不安の種。


「あ、ファルド! よかった、目が覚めたんだ!」


「ベルタ……? 本当にベルタなのか?」


 部屋に入ってきた彼女は、記憶の中の彼女とは違って怪我もなく平気な様子だ。


「身体は何ともないのか? 傷の方は……」


 そう問いかけると、ベルタは胸を張って元気な表情を見せる。


「うん、大丈夫。ファルドが護ってくれたから。見てたよ、私を庇って助けてくれたファルドの姿……ありがとう」


 昨日の記憶が徐々に蘇ってくる。

 ミノタウロスに襲われ瀕死になっていたベルタと、彼女を置いて逃げようとした自分自身。


「いや、お礼を言われる資格なんてないよ。僕は一度、君を置いて逃げようとした……だから」


「それでも、助けてくれた。でしょ? 私はファルドのおかげで、今もここにいるんだから」


「……でも」


「村の人たちもね、全員無事とは言えないけど怪我だけで済んでるの。それも、ファルドと旅人さんが怪物を倒してくれたおかげなんだよ?」


 優しい微笑みを浮かべながら、村の状況を話すベルタ。

 村人が無事であるという事実に安堵しながら、ファルドは自らの体に起きた異変を思い出していた。


(あの時の光……一体あれはなんだったんだろう)


 無我夢中で飛び出した時に浮かんだ光。あの光が無ければ、今頃はこの場所で会話することすら叶わなかったはずだ。

 光を帯びていた右腕に視線を移すが、何も変化はない。普段通りの見慣れた右腕のまま。


 そもそも、昨日の出来事が全て現実であるかも定かではない。彼の記憶は、そのくらい曖昧なものだった。

 頭の整理が付いてない状態で謎の光について考えたところで何も解決しない。

 ファルドは視線を戻して、不思議そうに見つめるベルタを見やった。


「そうそう、それでね。ファルドの目が覚めたら村長が話したいって言ってたよ。何の話かはわからないけど、とりあえず目が覚めたことだけ伝えてくるね」


「あ、いや、いいよ。僕が直接話をしに行くから」


 両足を地面に着き、起き上がろうと力を入れる。

 

「痛っ……」


 腹部に走る痛みに思わず声が出てしまう。

 治療が施されているとはいえ、彼の体はまだ本調子ではない。


 痛がるファルドに反応して、ベルタが心配そうに駆け寄る。


「大丈夫? あんまり無理しない方が……」


「大丈夫だよ、ありがとう」


「……そっか、それじゃあ私が案内するね」


 ふらつく体を支えられながら、ベルタに先導され歩いていく。

 

 玄関を出た先で、陽の眩しさに一瞬目を瞑る。

 ならすように目を開けた彼の目に映るのは、落ち込んだ村人たち――ではなく。


「おーい、そっちの木材取ってきてくれ!」


「誰か俺の道具知らねえか?」


「ほら、あんたら差し入れだよ!」


 壊れた村を立て直すために奮闘する村人たちの姿がそこにあった。


「ね? みんな無事でしょ?」


「……うん、そうだね」


 軽く相槌を打ち、再び先導され歩く。

 村人たちがファルドに気づくたび、彼らは作業を止めて注目してくるが、ファルドはそんな視線をまるで気にせずに歩き続ける。


「ところで、あの人は無事?」


 ふと、ファルドがそう問いかけた。


「あの人?」


 ベルタは誰の事かわからずに小首を傾げる。

 しかし、少しの間をおいて思い出したように声を上げた。


「ああ、旅人さん! あの人すっごく強いみたいだね。村の皆も助けてもらったみたいで、口をそろえて旅人さんは凄いって言ってるんだよ!」


 ふと、ベルタがそう言い出した。


 世界を周っているという旅人――レクス。

 昨日の晩に突如現れたかと思えば、ファルドを勧誘してきた男。


 あの時の問いが、彼の頭にずっと残っている。


(世界を旅して周りたい。だけど……)


 その答えを未だレクスに返答できずにいる。

 いや、答えは決まっているが覚悟が決まっていない。そう言った方が正しいのだろう。


「しかも、ファルドもびっくりするような人だって! なんでかわかる?」


「さ、さあ」


 食い気味で問いかけてくる彼女に対し、さらっと嘘を吐いたファルド。

 知らないふりをしていた方が都合が良いことだってある。


「なんとね、旅人さんは神子なんだって!」


 思った通りの言葉に、ファルドは驚くふりすら忘れて黙り込む。


(やっぱり、物見塔で見たあれは神子の力だったんだ。あの人が、本物の神子)


 神子に出会った。その事実がファルドの胸を高鳴らせる。


 憧れていた神子という存在がすぐ近くにいる。

 憧れていた神子という存在に勧誘されている。


 外の世界への憧れを高まらせる理由は、それで十分だった。


「ファルド?」


「ああ、いや、驚いて声も出なかったよ」


「でしょ? あ、でも旅人さん、今日には村を出るって言ってたなぁ」


 今回のような絶好の機会、二度と訪れないだろう。それはファルドにも理解できていた。


(もし、あの話が本当なら、僕は……)


 外の世界を旅したい。

 だが、それは許されない行いだ。


 悪魔と呼ばれた彼は、これから先もずっと、物見塔から村を見下ろす生活を強いられることになる。

 仮に逃げ出そうとするなら、彼を庇っていたベルタやその家族に危害が加わるかもしれない。その想いが、彼の覚悟を鈍らせている。


「――ファルド」


 聞き覚えのある声に呼ばれ、ファルドたちは足を止めた。


「……村長」


 そう呼ばれた老人は、杖を突きながらファルドのもとへと近づいてくる。


「傷の具合はどうだね?」


「はい、治療していただいたおかげでこの通りです」


「そうか」


 暫くの沈黙が続く。

 沈黙の中、1人、また1人と村人が集まってくる。集まってくる人々は皆ばつが悪そうな表情で様子を窺っていた。


「とにかく、中で話そう」


 村長に促され、ファルドたちは仮設の住居へと入っていく。

 木の骨組みに布を被せただけの住居の中には、燃えずに残った椅子が寂しげに二つ置いてあるだけだった。


「さあ、座ってくれ」


 言われた通り、ファルドは椅子に腰かける。

 村長も椅子を持ち出し、向かい合わせになるように座った。


「……」


「……」


 気まずい雰囲気が流れ続け、ベルタさえも黙り込んだまま下を向いている。

 話があるのではなかったのか、物見塔に戻すなら早く戻してくれ、と彼は心の中で何度も呟く。


 この雰囲気のまま、留まっていては気がおかしくなってしまう。

 気まずさに耐えきれなくなったファルドは意を決して口を開こうとした。


「ファルド。その、すまなかった」


 だが、先に口を開いたのは村長だった。


「え?」


 驚きのあまり、硬直してしまう。

 村長の口から発せられたのは、一番聞くことが無いと思っていた言葉。


「話はベルタと旅人殿から聞いた。村を守るために怪物を倒してくれたとな……。お前に散々非道な事をしてきたというのに、予言者の言葉に踊らされ悪魔と蔑んだこの村を救ってくれたと」


「い、いや。僕はただ……」


「謝ってすむような問題でないのは承知の上だ。お前の大切な三年間を奪ってしまったこと、悪魔と呼び蔑んだこと――本当に申し訳なく思っている」


 謝罪の言葉と共に、村長は深々と頭を下げた。


「本当に、すまなかった」


「そ、村長……」


 まさかこんな事態になるなど、予想もできなかった。

 これからも物見塔での暮らしが続くのだと、それが運命なのだとつい先程まで考えていた。

 村長から謝罪の言葉が聞けるなど、夢にも思わなかった。


「本当に、心の底から申し訳ないと思っている。それでも、村の長として頼みがある――」


 しかし、村長から続けられた言葉は無慈悲なものだった。


「この村を、出ていってもらえまいか」


「え?」


 何を言われたのか、一瞬理解が出来なかった。


「そ、村長! どういう事ですか、ファルドを村から追い出すなんて!」


「わかってくれ、ベルタ! お前のように恩を感じている者もいるだろうが、『悪魔』のせいでこの村が襲われたと思う者が大半なのだ! そのような状況で、ファルドを村に置いておくことなどできん!」


「ファルドは悪魔なんかじゃない! 神子と力を合わせて村を救ったんですから、この村にとってはむしろ英雄でしょう!?」


「神子は英雄などではないのだ、ベルタ!」


 追い打ちをかけるような言葉だった。

 彼の今までの理想を全て覆されるような。


「そ、それってどういう……」


「……外の世界では、神子は腫物扱いを受けておる。神子こそが世界を滅ぼす根源たる存在だとな。お前たちの思うような英雄譚など、今はもう存在しないのだ」


 ファルドの心が、音を立てて崩れていく。

 今まで信じてきた理想が、憧れが、全てが崩れていく。


(じゃあ、僕が今まで信じてきたものは一体、なんだったんだろう)


 俯いたまま、顔すら上げることができない。


「旅人殿にも先程お帰り頂いた。恩人であろうと、神子のような危険因子を村に留めさせておくことはできん」


――心のそこから英雄に成りたいって思う奴だけが英雄に成れる。


 ふと、レクスの言った言葉を思い出す。

 

 例え村長の語る英雄の実態が真実だとしても、ファルドが信じてきた英雄像は揺らぐことはない。

 伝記のような英雄がいないなら、成ればいい。

 誰もが憧れるような、英雄譚の主人公に。


(そうだ、真実がなんだって構うものか。僕はただ――)


 それは、彼の運命が変わり始めた瞬間だった。


「――頭をあげてください」


 一呼吸おいて、ファルドは口を開いた。

 声は村長の耳に届いている。だが、まるで頭を上げる様子は伺えない。


「上げられるはずがない。お前を悪魔と蔑み、あげく村を追い出そうとする者がどうして頭を上げられようか!」


 それに対してファルドは困った表情を見せるも、言葉を続けた。


「謝られたところで僕の3年は戻らない。村のみんなから受けた傷も癒えない。だけど、僕も村のみんなを見捨てて逃げようとした……だからお相子です」


「ファルド……」


「だから、頭を上げてください。僕らは同じ村の仲間なんですから」


 優しさに包まれるような声音に、村長の頭がゆっくりと上げられた。

 申し訳なさそうにばつの悪い表情の村長に、ファルドは思わず苦笑いを浮かべる。


「すまない、本当にすまない」


「……言われた通り、僕はこの村を出ます。でもこれは良い機会だと思うんです」


「良い機会……だと?」


 ファルドの視線は窓の外の景色――どこまでも続く青空へと向けられた。


「塔の中にいる間、ずっと夢見てたんです。この空の向こうまで、行ってみたい。伝記の英雄たちのように、世界を旅して回りたい。そしていつか、伝記に載るような誰もが憧れる英雄になりたいって」


 そう語る彼の瞳は、曇り一つない空のように澄み切って。


「だから、むしろ嬉しいんです。村を出られるってことは、外の世界を見れるって事ですから」


 塔の中にいた頃の、何もかも諦めたような姿はなく。

 希望に満ちた彼の姿が、そこにあった。


「ファルド、本気で出ていくの……?」


「うん。外の世界を旅して、色んな人と出会って、時には辛い時や苦しい時があるけど、仲間と一緒に乗り越えていく……そんな冒険がしたいから」


 ファルドは恥ずかしそうに頭を掻きながら、村長に向けて手を差し出す。


「だから僕は、この村を出ます。英雄になるために」


「こんな事を今更言うなどおこがましいと思うが……きっと、お前のような者が英雄になるのだろうな」


 差し出された手に村長は柔らかな笑みで応えながら、ファルドの手を取った。


「せめて旅の選別だけでも受け取ってほしい。今から用意させるから、物見塔に残したものがあれば取ってきてくれまいか」


「わかりました。支度を終えたら、もう一度戻ってきます」


「ま、待って! 私も手伝うよ!」


 ファルドはにこやかに笑うと、ベルタと共にそのまま家を出ていった。

 そんな彼を見送った後、奥の部屋から出てきた村長の妻が口を開く。


「本当にいいんですか? あの子に真実を告げなくても……せめてベルタにくらいは本当の事を伝えてもいいのでは?」


「いや、これでいい。我々がいくら蔑まれようと、あの子を守るにはこれしか方法がないのだから」


「私はもっと、あの子に何かできたんじゃないかと思ってしまいます」


「そうだな……この選択でしかあの子を守れなかった我々の弱さを恥じるしかあるまいよ。さて、最後の選別を準備しよう。村の皆にも伝えねば」


 悲しげな表情の妻の方に手を置き、諭すように告げた。







 ラミール村から少し離れた馬小屋で、馬車の準備をする男が張り切りながら。


「さて、それじゃあ王都に向かうとするかい?」


 問いに対して、馬車に寝転がる青年は「いや」と即答する。


「悪いな、もうちょい待ってくれ」


「別に構わないが、本当に来るのかい?」


「きっとそろそろだと思うぜ」


 口元に笑みを浮かべながら、青年は空を仰ぎ見る。

 遠くから聞こえてくる声に耳を立て、待ちくたびれたと言わんばかりの表情のまま起き上がる。


「おーい! 待ってくれー!」


「噂をすればなんとやらだ」


 青年の視線の先には、外套に身を包む旅支度を済ませた少年の姿。ぼさぼさだった髪は見る影もなく、爽やかに整えられていた。

 村の方から走ってきた少年は馬車に近づくと、息を切らしながら背の荷物を持ち直す。


「心は決まったみたいだな」


 青年の問いかけに、少年は決意に満ちた瞳で真っ直ぐに。


「僕も、一緒に連れて行ってほしい。伝記でしか知らない外の世界を見てみたい」


 彼の瞳は、昨夜出会った時のものとは別物で。


「そして、いつか伝記に載る神子たちのような英雄になりたいんだ」


「ま、動機としちゃ十分だな」


 笑みを浮かばせながら、青年が手を差し出す。


「オレのことはレクスでいい。これからよろしく頼むぜ、相棒」


「なんだよ、相棒って……。僕はファルド、よろしく」


 2人の手が固く結ばれる。


 この先で待ち受けるであろう数々の冒険に胸を膨らませながら、ファルドは歩き始めた。


 籠の中の鳥が、空という自由を知るために。

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