第2話 少年の胸に灯る小さな炎


「オレがお前をここから連れ出してやる。だからお前は、オレの旅の手伝いをしてくれねえか」


 突然の誘いに、ファルドは生唾を飲み込んだ。


 それはとても甘美な誘い。

 長年夢見続けた、『英雄になるための一歩』。


 もう二度と願ってはいけないと諦めた。

 もう二度とここから抜け出すことは叶わないと悟っていた。


 だが、心のどこかで諦められなかった夢が。夢への一歩が目の前にある。


 自分の手の届く場所に。


「手伝い、って一体何をすれば……」


「ある男を探してる。呪術師と呼ばれる男をな」


 誰かを探す旅ということは、世界中を回るということ。

 それは長年見続けた夢そのもの。


「さあ、どうする? お前の答えを聞かせてくれ」


「僕は――」


 ファルドが口を開いたその瞬間、女の悲鳴が闇夜に響いた。

 そして、悲鳴からすぐに聞こえてきた誰かの叫び。


「ば、化け物だァッ! 化け物が出たぞーッ!」


 日常を壊していく悲痛な叫びが村のあちこちから飛び交う。


「ば、化け物? どうしてこんな辺境の村なんかに……!」


「さてな、ただの偶然かあるいは――」


 レクスは眉をひそめて村を見渡す。


「この話は一旦終わりな。オレが戻るまでに答えだしとけよ」


「あ、あんたはどうする!」


「化け物退治だよ」


 そう言って、レクスが飛び降りるように視界から消えていった。

 その様を視認していたファルドは一目散に窓へと駆け寄る。


「ば、馬鹿か!」


 物見の塔から飛び降りるなど正気の沙汰ではない。

 普通なら大怪我、当たりどころが悪ければ死に至るような高さだ。そんな場所から飛び降りたことが到底信じられなかった。


 しかし、その心配は次の瞬間に全く別のものへと変化する。


「炎の、足場?」


 窓の鉄格子に手をかけ、下を覗き込んだファルドの視界に移ったのは炎で出来た足場。

 彼の位置からでは真下を覗くことはできないが、それは等間隔で下まで続いているようだった。


 少しの間眺めていると、肌をなでる熱風と共に炎の足場は煙のように消え去る。

 音もなく消え去ったのと同時に、いつもと変わらない肌寒さが戻っていた。


 その一連の様に、ファルドは思わず。


「これが、神子の力……」


 そう口にする。


 伝記の中ではない、実在する神子の力。

 このような状況だというのに、心躍ってしまう。

 だがやはり、今はそのような状況ではない。そう思ったファルドは心を落ち着かせて思考を巡らせる。


 とにかく今はここから離れるべきか。それとも、この場に残るべきか。

 幸か不幸か、この塔は他の建物に比べても頑丈に造られていた。村で一番目立つ物見塔であるが故に、外敵に真っ先に狙われても耐えられるようにと、村の誰かが言っていたことを思い出していた。


 しかし、どのみちファルドには塔に残る手段しか残されていない。

 例え、頑丈だと言われている塔が化け物に襲われて破壊されるようなことがあろうともだ。


 あるいは、誰かがこの部屋の鍵を外したのなら話は別だが。


 と、その時。

 扉の向こうからかすかに足音が聴こえてくる。


 足音は徐々に大きくなり、扉の前でそれは止まった。


「ファルド、無事!?」


「ベルタ! どうしてここに!」


「待ってて、すぐに鍵を開けるから!」


 扉の向こうのベルタがそう伝えると、金属が微かに擦れるような音が耳に入ってきた。

 カチャ、と何かが外れた音がしたと共に、目の前の扉が勢いよく開かれる。


「大変なの! 村に化け物がやってきて、村の皆は避難所に向かってる!」


「なら君はどうしてこんなところに来てるんだ! ここに来たら危ないだろ!」


「ファルドを見捨ててなんていけないよ! ほら、早く逃げよ! ここにいると危ないよ!」


「でも、この塔は頑丈だから下手に動くより安全なんじゃ――」


 突然。背後から聞いたことのない鈍い音が聴こえた。まるで、壁が崩されたような鈍い音。


「ひっ」


 ベルタがそんな悲鳴を上げる。


 恐る恐る振り返ったファルドの視界に入ったのは、壁を貫通した一本の腕。

 大きさは人と同じくらい――だが、形状があまりにも異質だった。


 四つの指には鳥のくちばしのように鋭い爪、手首から肘にかけてあまりにも太すぎる腕。

 そして、その肌は禍々しさを覚えるほどに、黒く染まっていた。


「なんだよ、これ」


「ファ、ファルド……」


 腕はもぞもぞと動きを見せるものの、こちらに何かをしてくるような様子はない。

 壁の向こうにいる何者かが、腕を引き抜こうとしているのだろうか。


 頭に浮かんだ考えを捨て、ファルドはベルタの腕を掴んでいた。


「に、逃げよう!」


 全速力で、二人は螺旋階段を下っていく。

 窓の外を見る余裕もなく、ただひたすらに下へ下へ。


 その窓から見える景色が、炎に包まれているとも気づかずに。


「足が、もつれるっ!」


「ファルド、大丈夫!? 息、おかしいよ」


「し、仕方ない、だろ! ずっと、部屋の中、だったからっ」


 塔の中に幽閉されていたファルドは、ここ三年ほどまともに体を動かしていない。

 そんな人が急に激しい運動をすればどうなるのか、答えは明白だった。


 呼吸の乱れは激しく、足すらおぼつかない。

 走る速度は急激に遅くなり、早歩きで階段を降りるのが精いっぱいだった。


 だが、幸いなことに先程の腕の正体が追ってくる気配はなく、二人は息を切らしながら一階を目指す。


「玄関、見えたよ!」


 ベルタがファルドの手から離れ、一人玄関へと向かっていく。

 ファルドは手すりに掴まりながら、階段を先に降りていく彼女を追った。


「ファルド、早く――」


 勢いよく玄関の扉を開けたベルタが立ち尽くす。

 そんな彼女を不思議そうに見つめながら、ファルド自身も違和感を感じた。


「外が、明るい?」


 今は真夜中。となれば、いくら月明かりに照らされようとも、昼間のような明るさはないはず。

 だが、ファルドの目に映る明るさは、昼間のようで――それとも違うような。


 階段を降りきってベルタのもとへ近づき、言葉を失った。


 その明るさは、ファルドの想像通り月明かりによるものではない。ましてや朝日でも。


「ファルド、嘘だよね? こんな、こんなの」


「村が――燃えてる?」


 ぱちぱちと、火の粉が舞う音が嫌でも耳に届く。

 視界に映るあちこちから、火の手が上がっている。


 2人はただ茫然と、その光景に立ち尽くすしかなかった。

 ただ壊れていく日常を傍観することしか、惨劇を目に焼き付けることしかできなかった。


「夢、きっとこれは悪い夢だよ。私たちの村が、こんな」


 もしそうだったのなら、どれだけ良かっただろう。

 ファルドは唇を噛みしめながら、何もできない自分に悔しさを感じていた。


 それでも世界は残酷で、彼らを現実に引き戻したのはおぞましい叫び声。化け物の声だ。


「と、とにかく村の避難所へ急ごう! そこならきっと!」


「う、うん! こっち、着いてきて!」


 そう言って、ベルタは燃える村の中へと足を進めていく。

 

 ファルドは彼女の背中だけを追いかけて、着いていく。周りの景色をできるだけ見ないようにして。

 目にすればきっと立ち止まってしまう。目を背けていれば、きっと立ち止まらず進めるはずと、そう思っていた。


 伝記に載っている神子ならば、こんな時どうしただろう。きっと、足を止めて一人でも多くを救おうとするはずだ。

 ファルドの知る――憧れた神子たちならば、見捨てるなんてことはしないはずだ。


(でも僕は神子でも、ましてや英雄でもない)


 ファルドの心は、恐怖でいっぱいいっぱいだった。

 

 昔から、英雄は憧れだった。

 もし自分が神子だったらと、英雄だったらと考えたことは一度や二度ではない。

 困っている人を助けて、救いを求める人に手を差し伸べて。そんな風になりたいと。


 だが、今の彼はどうだ。表情は強張り、周りの様子には目もくれず、ただひたすらに走っている。

 困っている人がいるかもしれない。救いを求める人がいるかもしれない。


 それでも彼は目を向けない。

 そんな自分が憎くて悔しくて堪らなかった。


(僕は結局、どっちにもなれないんだ。誰一人助けようともせずに、僕は……)


「そこの十字路を右に曲がればすぐだよ、ファルド!」


「う、うん」


(自分が、嫌になる)


 力ない者は、何も成せない。力ある者にしか、何かを成すことはできない。

 そんな考えが、彼の頭に浮かぶ。


「もうちょっとで――ひっ」


 先頭を走っていたベルタの足が止まる。

 

 次の瞬間、十字路の角――目の前にのそりと何かが現れた。

 人の二倍はある体躯に、金色の双角を持ったウシの怪物。


「ミノタウルス……」


 ファルドが思わず呟く。

 伝記上の化け物、ミノタウルス。


 その化け物の視線はベルタへと向き――。


「に、逃げろッ! ベルタ!」


「ひ、あ――」


 みし、と鈍い音と共にベルタの身体が飛んだ。

 側の家屋へと体を打ち付けられた彼女はその場に項垂れる。


「ベル、タ……?」


 そして、化け物の視線はファルドへと移り、恐怖で立ち竦む彼の体をいとも容易く殴り飛ばした。

 宙を舞い、ベルタとは別の家屋の扉を打ち破って静止する。


「う、あ」


 体を強く打った衝撃か、上手く声が出ていない。

 

(体が、熱い。うまく、動かない)


 ファルドが体を起こそうとするも、力が入らずに立ち上がることすらできなかった。

 何とか顔だけでも動かすと、そこに映ったのはベルタに近づくミノタウルスの姿。


「や、やめ……」


 ファルドの口から思うように言葉が出ない。

 一歩、また一歩とミノタウルスは近づいていく。


(なんで、僕には力がないんだ)


 体が痛いというのは理由の一つに過ぎない。

 彼の身体が動かない一番の理由は、恐怖だった。


(恐い、恐い。またあれを受けたら、今度こそ殺されてしまう)


――今のうちに、このまま逃げてしまおうか。

 そんな考えが頭を過った。


 ミノタウルスの注目はベルタへと注がれている。ならば、今は最大の好機なのではないかと、彼の中の何かが囁く。


(そうだ、逃げてしまおう。僕は英雄じゃないんだから)


 ファルドは重たい腰を上げ、ふらつきながらも立ち上がる。

 

 そんな時だった。

 ベルタがこちらを見て、何かを伝えようとしているのに気が付いたのは。


 虚ろな目で、同じような口の動きを何度も。何度も。

 

(何を言おうと――に、げ、……?)


――逃げて。


 どくんと、ファルドの心臓が脈打つ。

 死ぬかもしれない状況で、ベルタは何度も逃げるように伝えている。


 彼女を置いて逃げてしまおうと考えた男に向けて。

 死の恐怖を払いのけて、何度も何度も。


 自分が囮となっているうちに早く。そう言わんばかりに。


 そして、彼女は意思が伝わったと察すると、ファルドに向けて笑みを浮かべてみせる。


 ――それが引き金だった。

 ファルドは側の物干竿を手に取ると、恐怖で震えていた足で前進した。彼自身驚くほど、先程の震えが嘘のようにすんなりと身体が動いていた。

 

「化け物ォォ!!」


 ファルドの叫びに、ミノタウルスは動きを止めて振り向く。

 

「お前の相手は、僕だッ!」


 ミノタウルスと視線が合わさり、彼は一瞬怯えた様子を見せる。しかし、瞳は決して死んでなどいなかった。

 むしろ、その瞳には淡い光が宿っているように見える。


(何を考えていたんだろう、僕は。一瞬とはいえとんでもないことをしようとしたんだ。目の前の命を見捨てようとした)


 竿を持つ手に力が込められる。

 

 彼が憧れた神子は、こんな時に誰かを見捨てるなんてことはしなかった。

 彼が憧れた英雄は、たった一人でも多くを救おうとした。

 彼が憧れた者たちは、どんな状況でも決して諦めず前を向いていた。


 そんな真っ直ぐな英雄たちに、ファルドは憧れていた。


「僕は、英雄じゃない。でも、それでも――!」


 力ある者、力ない者。そんなものは関係ない。

 どちらだろうと、最後に必要なのは何かを成すために勇気を見せたかどうかだと。


「僕は成りたいんだ! 皆を救う、伝記に載るようなかっこいい英雄に!」


 夢物語かもしれない。叶わないかもしれない。

 それでも希望だけは捨てたくないと、彼は思う。


 彼の憧れた者たちが、最後まで希望を失わなかったように。


「ここが原点――英雄への、第一歩だ!」


 そんな時、ファルドの想いに呼応するかのように、右腕が淡い光を放ち始めた。

 光はファルドを祝福するかのように、淡くされど強い輝きを放っているようだった。


 ミノタウルスはその光を見るや、目の色を変えて咆哮を上げながら輝きのもとへと向かってくる。

 地面を抉りながら、強靭な体躯がファルドへと迫る。


 だが、もう彼は下がらない。目を逸らさない。


 目の前の恐怖から逃げ出したりしない。


「僕はッ、悪魔なんかじゃない!」


 物干竿を構え、迫りくる敵へ狙いを定める。


 こんな竿では化け物を倒せない。否、倒せない道理はない。

 素人の一撃など、避けられる。否、必ず当たる。


 どんな時でも、希望だけは失わないと決めた。


「英雄に、なるんだッ――!」


 腕の光が輝きを増すと同時に、ミノタウルスの胸目がけて物干竿が放たれる。

 勢いよく迫ってきたミノタウルスは避けきれずに、その勢いのまま自ら竿に突き刺さった。


 光は竿までも包み込み、一撃を後押しするかのようにミノタウルスの胸を穿つ。

 風穴をあけられた化け物はその場に倒れ込み、やがて沈黙した。


 そして、ファルド自身もふらりと倒れ込んで意識を手放す。

 先程まで輝いていた腕の光は、何事もなかったかのように消えていた。







 ファルドが物見塔を飛び出した頃。

 村の一角では、炎を操る青年が化け物を次々と討伐していた。


「なんだってこんなにわんさかと現れんだ、くそ!」


 身の丈ほどの大剣に力を込め、五つの火球を創り上げると、勢いよく化け物へと飛ばしていく。

 それは化け物の体を簡単に燃え上がらせ、悉くを沈黙させていった。


「わ、若いの! 助かったよ、ありがとう」


 馬車に身を潜めながら、活躍を見守る馬主が言う。

 

「あんたに死なれちゃあ、王都までの足が無くなっちまうからな! そこでおとなしくしてくれると助かるぜ」


「それにしても、神子だったとは。生きてるうちに本物の神子を見ることができるなんて、この歳まで生きてた甲斐があったよ」


「ま、表舞台に立つ神子も減ったからな。見る機会は少ないだろうがよ、今はそんな悠長に話してる場合じゃねえだろ!」


 死角から馬車に近づく化け物に対し、青年はすぐさま駆け寄って両断する。

 

「いったいどうなってんだ、こんなの知らねえぞ――」


 近辺の化け物を殲滅した青年が、誰に聴こえるでもない大きさで呟く。

 彼が大剣を背負い、馬主に近づいていくその時。


「な、なんだ。あの光」


 馬主が突然に、青年の背後を指さす。


 指さす方へと視線を向けると、さほど遠くない家屋の向こう側から淡い輝きが放たれていた。

 その光は決して炎の明かりではない。根拠のない何かが、彼の心に訴えかけている。


 不思議と不気味さを感じない、暖かく優しい光。

 それを見て、青年は思わず駆け出していた。


「――王都への旅路、1人追加頼むわ」


 青年はそう告げると、金貨の入った小包を馬主へと投げ渡す。

 

 背後から馬主の声が聞こえてくるが、青年の耳には届かない。

 彼の頭の中は既に、光のことで一杯だった。


 村の中を進み、光のもとへ。

 

 そして、青年はその光の正体を目にする。

 輝きを放ちながら、化け物を打ち倒す少年の姿を。


 やがて輝きを失い倒れた少年に歩み寄り、呆れた様子で口元を緩ませた。


「そうか、お前が……」


 辺りから化け物の気配が消えたのを感じ取った青年は、ひとり天を仰ぐ。

 その表情は、どこか嬉しそうに見えた。

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