英雄の歩み方

はるば

籠の中の鳥は大空を夢見る

第1話 運命が交わる日

  

 古より、人から人へと語り継がれる言い伝えがある。

 神に愛されし者は、人知を超えた力を得ると。

 

 神に愛され、人知を超えた力を得た者たちの行いは、世界のあらゆる地方へと語り継がれていった。

 ある者は、国を脅かしていた巨大な大蛇を喰らったと。

 ある者は、大陸の半分を氷漬けにしたと。

 ある者は、未来を視たと。

 ある者は、光を操り、世界に輝きを取り戻したと。


 神に愛された者たちは総じて神の子――

神子みこ』と呼ばれた。


 彼らの言い伝えは伝記と呼ばれ、当世の世まで語り継がれている。

 そんな伝記の最終章。そこに描かれていたのは、人類が幸せに満ちた物語ではなく。世界が光に包まれる物語でもない。


 神に愛された者同士が滅ぼし合う最低最悪の結末。

 人知を超えた力がぶつかり合うこと、すなわち破滅を意味する。


 それは今なお語り継がれる伝記の結末。

 神話大戦――『神々の黄昏ラグナロク』と呼ばれた。


「――……神々の黄昏ラグナロク、ねえ」


 馬車の荷台に寝転がった釣り目の青年が、分厚い本を閉じながら呟いた。


「若いの。ひょっとすると、それは『伝記』かい?」


 先頭で手綱を握る老人は、青年の分厚い本を横目で追いながら問いかける。

 

「あー、これか? ま、そういうこった。とはいえ、最新版でもねえ『始まりの伝記』なんだがな」


 寝転がりながらもひょいと本を掲げる。その本はところどころ汚れていて、何度も読み直したような跡が見て取れる。

 

「『始まりの伝記』とは、いやはや懐かしい。しかし、今時の若いのがそれに興味を持つとは珍しいなあ」


「今じゃあ『神人かみびと伝記』――大戦が終わった後の話が主流だもんなぁ」


「それはそうだろう。最低最悪の大戦後に世界を救った人たちの話だからね。私も幼いころに『始まりの伝記』を呼んでいた記憶があるけど、断然『神人伝記』の方が好みだよ」


「……ま、そうだろうな。オレもどちらかと言えば『神人伝記』の方が好きだぜ」


 掲げた本を見つめながら、青年は一呼吸おいて。


「だけど、その伝記が偽りの記録だとしたらどう思う?」


 青年の問いに、疑念の表情を浮かべた老人が小首を傾げる。


「それは一体どういう――」


「なんてな、軽い冗談さ。こういうこと言うと、ちょっとそれっぽいだろ?」


 青年が差す「それ」の意味を理解したのか、老人は納得の表情を浮かべた。

 

「なんだ、本当にそうなのかと思って驚いてしまったよ。『伝記』は各地に語り継がれている『神子』の伝説……それが偽りだなんてあるはずもないのにね」


「ははっ、なかなかの演技力だったろ? 王都に着いたら演者でも目指そうかと思ってんだ」


「なるほど、どうりで」


 整備されていない砂利道を通る車輪が石を弾いて進む。

 ガタガタと揺れる荷台の上で、青年がぽつりと呟いた。


「――偽りである証明もなければ、本物である証明もないんだけどな」


 雑音にかき消された呟きの後、青年は身体を起こして遠くを見つめる。


「ところで、王都まであとどのくらいだっけか?」


「王都までは速くてもあと三度朝日を拝むことになるけど、道中ラミールって村に立ち寄るから四度朝日を拝むことになるかなあ」

 

「そりゃ随分と遠いこったな、王都は」


「演者になるって話だったけど、急ぐならラミールには――」


「あー、演者は嘘さ。オレはただ探し物をしてるだけなんだよ。王都に行けばそれもきっと見つかると思ってんだ」


 揺れる荷台の上にもう一度寝転がった青年は、伝記を開いて顔にかぶせる。

 頭上の陽の光を感じてもなお肌寒い、寒冷の月の昼下がり。青年を乗せた馬車は辺境の村へと向かっていく。

 新たな物語が生まれる地――ラミールへと。







 ラミールと呼ばれる村にある大きな屋敷。その外れの物見塔――最上階の部屋にて、ぼさぼさな小麦色の髪の少年がじっと座っている。

 少年は部屋の中心に置かれた机の上で、書物を読んでいる最中だった。


 本に目を通すその表情は、真剣というにはかけ離れた――何もかもを諦めたような無力な表情を浮かべていた。


 ふと窓の外に目をやった少年が本を閉じると、立ち上がって窓へと足を運ぶ。

 日も暮れ始めた寒冷の月の夕暮れ。窓に設置された何本もの鉄の棒の隙間から、西日が差し込む。


「また、一日が終わるんだ」


 等間隔で設置された鉄の棒の隙間から外を覗き込み、少年が溜息を吐く。

 この部屋の窓には全て同じように鉄の棒が設置されており、それはまるで檻のように思えてしまう。


「僕が一体、何をしたっていうんだ」


 力ない呟きは誰のもとにも届かない。

 少年はボロボロのベッドに腰掛けると、ぼーっと地面を眺め始めた。


 もういっそ、ここで死んでしまおうか。そう思ったことは一度や二度ではない。

 それでも少年が死を選ばないのには理由があった。


 一つは、そんな勇気など少年は持ち合わせていなかったということ。

 もう一つは――。


「ねえ、起きてる?」


 押しても引いてもびくともしない、外から鍵がかけられた扉の向こうから、少女の声が聞こえてくる。


「うん、起きてるよ」


 少年は立ち上がると、すぐさま扉の方へと近寄っていく。

 心なしか、少年の瞳には光が戻っているようにも見えた。


「きっと今日も退屈だったろうから、来てあげたよ。ファルド」


「うん、ありがとう。この時間は毎日楽しみにしてるんだ」


 扉の向こうにいる声の主こそ、ファルドと呼ばれた少年が死を選ばない理由の一つ。

 村の者たちから「悪魔」と呼ばれるファルドに、毎日会いに来てくれているのが彼女――ベルタだった。


「村の皆は相変わらず、ファルドのことを悪魔だって信じ切っちゃってるよ。ファルドは絶対悪魔じゃないのに、まだ予言者の言葉を信じてるみたい」


「いずれ世界を破滅に導く悪魔、だなんて馬鹿げてる。僕にそんな力なんてないのに」


「予言者が村に来てから、もう4年も経ったのに……皆相変わらずでほんとに馬鹿みたいだよ」


 今から4年前、ここラミールに予言者と名乗る旅人が現れた。

 その予言者は人格者で、村に滞在している数日で瞬く間に人望を得ていった。自ら率先して村人たちの助けになるその姿に感銘を受けたのだろう。

 村の子供たちの世話もし、いつしか村人全員の人気者へとなっていたのだ。


 だが1年が経ち、予言者が村を出ていく日。予言者は村人全員を占い始めた。

 予言者がファルドを占った時、彼がいずれ世界を破滅へ導く悪魔と化すという予言を告げたのだ。


――今からでも遅くはない。その少年が村から出ないように閉じ込めて監視するようにと。


 村人たちからの人望を得ていた予言者の言葉を疑う者はおらず。

 こうして、ファルドは物見塔に監禁されてしまったのだった。


「いくらあの予言者が良い人だったからって、たった1年で皆簡単に信じすぎだよ! ファルドのほうがずっと長く皆と一緒に暮らしてるのに!」


 扉の向こうにいる彼女が言ったように、あれから3年が経った今も村人たちは予言を信じ続けている。


「仕方がないよ。僕だって結局はよそ者なんだ。この村の出身じゃないから、守ってくれる人なんてほとんどいない」


「それは……」


 扉の向こうのベルタの言葉が詰まる。


「でも、ファルドももう17の歳でしょ? 本当なら村を出てるはずなのに、ここにずっと閉じ込められたままなんて……やっぱりおかしいよ」


「16の歳を迎えた者は、外の世界を知るために村を出て旅をするって掟か……。たしかに、外の世界を見てみたいよ。でも、それはもういいんだ。どうせ叶いもしない夢のまた夢の話なんだから」


「……私、やっぱり皆を説得してみるよ。あと半年もすれば、私も16の歳になる。その時、一緒に世界を回らせてもらえるようにお願いしてみる」


 彼女の言葉に、ファルドの眉がピクリと動く。

 唇を噛みしめ、自らの想いを殺した彼は口を開いた。


「……身寄りのない僕に良くしてくれた君もそうだし、おばさんやおじさんにも感謝してる。だから、これ以上はもういいんだよ」


「でも!」


「僕を庇うと、ベルタやおばさん達も何をされるかわからない。僕の事はいいから、今まで通りここに来てくれればそれで……ほら、そろそろ巡回の時間だ。見つかると怒られるから早く行った方がいい」


「もうそんな時間……。でもファルド、これだけは憶えておいて。私は絶対に諦めないからね」


 彼女はそう言うと、「それじゃ」と続けてその場を離れていった。

 離れていく足音が二度三度と聞こえた時、「そういえば」と彼女が発した。


「今ね、世界を回ってるっていう若い男の人が来てるみたいだよ。その人から外の世界の話聞いたら、ファルドに教えてあげるね。それじゃ!」


 早口で告げた彼女は、今度こそ離れていった。

 足音が聞こえなくなった後、ファルドは扉にもたれかかるように背を預けると。


「外の世界、か」


 彼の呟きは驚くほど鮮明に響き渡る。

 だが、その呟きを聞く者は誰もいない。


「僕だって、外の世界を回りたいよ。伝記に出てくる人たちみたいに、冒険だってしてみたい」


 流せる涙はもう流し尽くした。

 彼の瞳からはもう何も零れない。


 出るのは、心から零れる悲壮な言葉だけ。


「なんで、僕だけ……」


 扉が2回叩かれ、下部に備えられた連絡窓から食事が渡される。


「今日の夕食を持ってきたぞ。食べ終えたら、いつものように連絡窓から食器だけ出しておけ」


 そうして、足音は遠ざかる。

 

 ファルドは出された食事を机に運び、ゆっくりと食べ進める。

 黙々と、何も考えずただ黙って、食事を口に運び続けた。


 食事を食べ終え、言われたように連絡窓から食器を外へ。

 そして、いつものように分厚い書物を手に取ると、椅子に腰かけて読み進める。


 彼が読んでいるのは、古くより伝わる言い伝えが記された本。

 巷では『始まりの伝記』と呼ばれている、原初の伝記だ。


 いつ、誰が、どのような目的で伝記を書き記したかは謎のままだが、原本が複製されてからは世界中で読者を増やし続けた書物となった。


 彼が読み進めているそれは、心躍るような冒険譚や英雄譚が綴られた書物。

 幼い頃から大好きな、彼にとっての憧れ。


「……」


 ファルドは、何度も読み返された跡を残す頁をめくる。

 

 この書物を何度読み返したのかわからない。ここに閉じ込められてからは毎日のように、伝記を読み漁っていたかもしれない。

 そんな伝記のなかでも、彼が特に憧れを抱いた話がある。


「神子アルバーディ。輝きを操った英雄……」


 それは、『始まりの伝記』の序章に記された英雄の話。

 この世界が未だ闇に覆われていた頃、光を操る青年が仲間たちと共に、世界に輝きを取り戻したとされる伝記。


 幾たびの苦難を乗り越え、強敵を退け、辿り着いた末に世界を救った英雄。

 何度挫けそうになっても、何度倒れても、決して諦めることはしない英雄。


 そんな英雄に、憧れていた。


「僕もこの人みたいに、胸躍るような冒険がしてみたかったな」


 何度も、何度も。

 そう願っては、諦めた。

 

「かっこいい英雄みたいに、なりたかったな」


 頁をめくるたびに、想いは込み上げる。

 ただ、虚しさだけが募るわけではなかった。


 何度も、何度も。

 読み続けてきても、決して色褪せることのない感動が『伝記』には詰まっているのだ。


「――……諦めない、か」


 ふと、毎日会いに来てくれるベルタのことを思い出す。

 彼女が先程口にした、諦めないという言葉が頭から離れない。


「やめだ、やめ。これ以上考えたところで、何も変わらないんだから……」


 窓の外に目をやり、いつの間にか夜のとばりが下りているのに気が付く。

 またこうして、一日が終わっていく。何もせず、塔の中でこれからもずっと暮らしていくことになる。


 負の連鎖が止まらない考えの中、ファルドはベッドへと寝ころんだ。


「……本当は、僕だって」


 虫のさざめきが響く夜に、ファルドの呟きが悲しく散った。


 コツ、と。

 突如、何か小さな物が当たる音が響いた。


(どこから? 窓の外?)


 その音はしばらくして、コツと再び響いた。


「何だろう、一体? 鳥でも壁に当たってるのか?」


 起き上がり、窓の外を覗こうと身体を動かした直後。

 寒冷の月に不釣り合いな、蒸し暑さを感じ取る。


 そして、熱気と共に現れた一つの影。


「――お、いたいた。お前がファルドだろ?」


 暗闇から突如現れた影は、人の言葉で語り掛けてきた。

 ファルドは突然の出来事に頭の整理が追い付かず、ただ一点を見つめて立ち尽くしている。


「おーい、聞こえてんのか? 物見塔って言えばここしか見当たらねえから、絶対にここだと思ったんだけどなぁ」


 物見塔。その単語にハッとした表情で意識を戻す。


「あ、あんたは一体誰なんだ! それに、ここは物見塔の最上階なんだぞ! どうやってこんな高さまで!」


「いやー、まさかこんなに高い場所だとは思ってなくてよー。梯子掛けて登って来たんだが、途中で不正しちまったぜ」


 陽気に笑いながら、問いに答える影。

 その答えは到底信じられるものではなかった。

 

 小さな村全体を見渡せるほどの高さしかないが、物見塔は梯子で登ってこられるほどの高さではない。

 そもそも、物見塔は村で一番大きな屋敷――村長宅の敷地内にある。わざわざ塔の中からではなく、外壁から来たという事は村長の許可を得ていないと推測できる。

 

「梯子なんかで登れる高さじゃないだろ! 何が目的なんだ!」


「だから途中で不正したって……あー、まあそれはいいや。目的なんざ、ここに来てる時点で決まってんだろ。お前だよ、悪魔のファルド」


「っ、僕は悪魔なんかじゃない! 人だ!」


「まあ、それもどうでもいいんだよ。オレはただ、お前に世界の話をしてほしいって頼みを聞いてここにいるんだし」


「世界の、話を?」


 窓の外の男の言葉で、ベルタが去り際に言った話を思い出した。


 世界を回っている若い男の旅人が村に来ている。

 目の前にいるのは、もしかして。


 そう思った途端、ファルドの想いは止められなかった。


「――世界は、広いの?」


「ああ、世界は果てしなく広いぜ。誰も行ったことのない未開の地だってあるかもしれないぐらいにな」


「世界には色んな種族の人がいるって、本当?」


「ああ、たくさんいるね。頭に角はやしたやつとか、耳が翼の形してたりとか、魚人間とか。たくさんな」


 答えを聞くたびに、心が弾む。

 ファルドは目を輝かせながら、この瞬間に『本物』を聞いている。


 世界は本当に広い。世界にはさまざまな人種がいて、それぞれの生活を送っている。

 本の中だけしかなかった世界が、徐々に現実味を帯びていく。


「僕もこんなじゃなかったら、世界を回って、伝記に描かれている神子みたいな英雄になりたかったな」


 何も考えず、ふと口から出た言葉に、男が反応する。


「伝記ってお前それ、『始まりの伝記』か?」


「え? ああ、うん。ここに閉じ込められる前からずっと、この『始まりの伝記』が好きなんだ。仲間と一緒に困難に立ち向かう話だったり、秘宝を求めて冒険する話だったり、心躍るような話がたくさん書かれてて……。僕の憧れなんだ」


 ファルドの言葉に、男が小さく笑ったような気がした。


「いつか僕も、これに載ってる英雄みたいになれたら、世界を回れたらって……。伝記の内容が本当なのか、ましてや神子なんて実際いるのかわからないけど」


「――なあ、お前……世界を見て回りたくねえか?」


「え?」


「この世界は果てしなく広い。本だのなんだので語られているものは世界のほんの一部でしかねえんだ。誰も行ったことのない空の島や、海に沈む町、ここではないどこかへ繋がる道。そんなもんがあるかもしれねえ。だってそうだろ、世界を知り尽くしている奴なんざ一人もいねえんだから」


 雲に隠れていた月が、隙間から姿を見せる。

 雲間から覗く月明かりが地上を照らし、目の前の男の姿を彩った。


「世界を回れば、英雄にだっていつかきっとなれる。お前にその気があればだけどな」


「僕が、英雄に……?」


「心の底から英雄に成りたいって思う奴だけが英雄に成れる。人に認められる程の偉業を成し遂げる根性なんだ、生半可な覚悟じゃ出せない。本気で成りたいって思ったやつじゃないと出せないだろ?」


 月の光は、窓の外にいる赤髪の青年の姿をはっきり捉える。それと同時に目に映る熱気。

 その熱気は男の周りを漂い、まるで身に纏っているように見えた。


「あんたは一体……」


「――オレの名はレクス。正真正銘の『神子』さ」


「本物の、神子……」


「オレがお前をここから連れ出してやる。だからお前は、オレの旅の手伝いをしてくれねえか」


 突然の提案に、ファルドは生唾を飲み込んだ。

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