オーストリアのオーストラリア

福田 吹太朗

オーストリアのオーストラリア


◎人物


カロルド・メッツェンバウム ・・・二十年以上、消息不明になっている、大富豪。

ハーディング ・・・捜査官。

クレイトン ・・・同上。

タウンゼント ・・・メッツェンバウム家の顧問弁護士。

トム ・・・メッツェンバウム家の次男。

ジェームス ・・・同上の長男。

ヴェロニカ ・・・同上の長女。

サウル ・・・同上の三男。

クイン氏 ・・・とある有力者。

ゲオルグ ・・・ロベルトの使用人。

シメオン ・・・S町の有力者。

ウルリッヒ ・・・S町の元警官。

ミュラー ・・・「エスペランス・ホテル」の支配人。

テオ神父 ・・・町の教会の神父。

バルトロ ・・・同上の町民。

アタナシウス ・・・賞金稼ぎ。

ピエト ・・・トムが雇った男。

ドロテア ・・・町の女。

テレーゼ ・・・同上。

ミヒャエル ・・・S町の若者。

エッダ ・・・V村の娘。

ロベルト・モンテビデオ ・・・「エスペランス・ホテル」に住む男。

エドヴァルド ・・・V村の村人。








プロローグ


「・・・そこは・・・オーストリアなのですか・・・? それとも・・・オーストラリアなのですか・・・?」

「・・・どちらとも言える・・・」

「・・・つまりは・・・何か共通した様な・・・こう・・・」

「・・・そうとも言える・・・」

「・・・この二つの名は・・・よく似通っているので・・・時々、ジョークのネタになったりするとか・・・聞きますが・・・?」

「・・・まあ・・・そんな事もあるだろうな・・・」

殆んど真っ暗闇の中で・・・三人の男たちの会話する、声だけが・・・

「・・・で。・・・我々は・・・どちらに向かえばいいのですか・・・? ・・・オーストリアですか? ・・・オーストラリアですか・・・?」

「それは・・・自分たちで考えなさい・・・。・・・私の口からは直接は言えない・・・」

「つまりは・・・この二つの国の・・・中に何か共通する・・・事柄と言いましょうか・・・あるんですね・・・?」

「・・・まあ、そういう事にしておこうか・・・」

・・・闇の中で・・・一番年老いた様な・・・声の主が、最後にこう言った・・・。

「・・・とにかく頼むよ・・・? これは・・・国際法的に見れば・・・無論の事、違法ではあるのだが・・・しかしながら・・・彼をこの国で裁くには・・・この方法しか無いのだよ・・・分かってはもらえるかね・・・?」

「・・・ええ、もちろんですとも・・・」

「・・・最善を・・・尽くします・・・」

「・・・とにかく・・・頼んだよ・・・? ・・・君たちだけが、頼りの綱なんだ・・・」

そして・・・バタン、と扉の閉まる音が聴こえ・・・ほんの一瞬の間、沈黙の時間が流れたのだが・・・

「・・・よし。・・・行くとしようか・・・?」

「・・・一体どちらなのでしょうか・・・? ・・・オーストリア? それとも・・・オーストラリアですか・・・?」

「・・・まあ・・・行けば分かるさ・・・」

そしてまた・・・扉の開閉する音が、二回・・・聴こえ・・・辺りは再び、静かに・・・ただ微かにではあるのだが・・・遠くの方で・・・町の喧騒らしきものが・・・僅かに聴こえ・・・るのみなのであった・・・。



 ・・・二人の男が・・・駅のプラットホームに立っていた。・・・まるで、誰かを待っているかの様に。

・・・彼らが立っている間にも・・・電車は四本、いや五本は通り過ぎただろうか・・・?

男のうちの一人・・・革製のハットを目深に被り、目の下にほんの少しだけ隈のある、色白で体格の良い男の方は・・・ハーディング、と言い・・・もう一人、かなり痩せてはいるが、若干日に焼け、時折サングラスを外したり付けたり・・・している方の名は、クレイトン・・・と言った。

二人は・・・どちらともなく、ふと、腕時計を見て・・・そして互いに黙ったまま、目で合図をして・・・鉄道の駅からは出て行ったのであった・・・。


・・・それからおおよそ、30分ほど後の事・・・二人の姿は地元の、流行っているのだか、寂れているのだかはよく分からぬ様な、レストランの中にあった。

ちょうど時間はお昼時で・・・その割には、彼ら二人の他には、店内には客はほんの僅かしかおらず・・・しかしながら、その様な事は全くお構いなしに、ハーディングはハンバーグを、クレイトンはサラダと、熱いスープを、交互に、口に運んでいるところなのであった・・・。そうこうしているうちにも、パスタが運ばれてきて・・・。

店の主人は、恰幅が良く、とても愛想も良さげに、敢えて英語で、二人に話しかけるのであった・・・。

「こちらには・・・観光ですかい? 残念な事に・・・若干季節外れではあるんですが・・・それでもここは、いい町ですよ・・・?」

ハーディングが・・・几帳面な性格なのか、全てハンバーグを最初に小口切りにしておいてから、それを口に運びつつ・・・店主に尋ねた。

「・・・この町の、人間かね?」

店の主人は、満面の笑みを浮かべると、

「・・・そうでさぁ・・・アタシはこう見えても、この町に住んで・・・皆、都会の出身じゃないのかと、疑うんですがね・・・?」

主人はまだ何か言いたげだったのだが・・・それをクレイトンが遮る様に、

「・・・この町のホテルは、あの一軒だけか・・・?」

窓の外には・・・天気は晴れ渡っていて・・・遥か遠くの山並みまで、良く見通せるのだった・・・。

・・・そして、その手前には、一軒のロッジにしては大き過ぎる建物があり・・・。

「ええ、ええ。・・・エスペランス・ホテル、の事でしたら・・・」

ハーディングがすかさず、

「・・・コーヒーを頼む。」

と、言ったので・・・店主は笑顔のまま、下がって行ったのだった・・・。

それを見届けると、クレイトンが、

「・・・現れませんでしたね? ガセ・・・だったのかな?」

「・・・我々に、クイン氏が、その様な情報を渡すと思うか? きっと何か・・・手違いでもあったんだろう。」

「あのホテルで・・・間違いはないんでしょうか?」

「・・・ああ。・・・オーストラリアにも、エスペランス、っていう町は有るからな。・・・とても小さな町だが。」

「てっきり・・・町の名前かと思ってましたがね。・・・まさかホテルの名前とは。」

すると、コーヒーの入ったガラスのポットを持って、店主が相変わらずの満面の笑みで、

「・・・ところでお客さんたちは・・・アメリカからの? それとも、イギリスですかね?」

「オーストラリアだよ。」

クレイトンがそう答えると・・・途端にハーディングは、渋い表情をしたのであった・・・。



 ・・・二人はレストランを出ると、開口一番、ハーディングが、

「あまり・・・余計な事は言うなよ?」

クレイトンはやや気まずそうに、

「・・・すいません。ついうっかり・・・」

「こんな小さな町じゃ・・・すぐに噂は広まっちまう。特に・・・シーズンオフの外国人の男二人だけの旅行客、とくれば、なおさらだな。」

「まあ・・・そうでしょうね。」

二人の今現在立っている場所は・・・ヨーロッパのほぼ中央、オーストリアの・・・ここではいろいろと訳あって、仮にS町、とでもしておこう。

二人はやがて・・・自然とその、町に一軒しか無いという、その割には豪華なホテルへと、向かっていたのであった・・・。


 ・・・ホテルの中は、シーズンオフという事もあるのだろうか・・・? ロビーは閑散としていて・・・しかしながら、全くの無人という訳でもなく・・・四、五人の客がいて・・・そして入口の半透明のガラスのドアを入った、真正面のフロントには・・・一人のやや年輩ではあるが、ホテルマンらしく、姿勢は良く、悠然としていて・・・入って来たハーディングとクレイトンの事はきちんと、目だけで追っていたのであった。

二人は・・・ゆっくりとロビーを見渡しながら・・・フロントへと近付くと、ハーディングが、ジャケットの内ポケットから、平べったい身分証、の様な物を取り出して見せ、

「・・・国際刑事警察機構、OIPCのハーディングだ。」

すると、クレイトンも、身分証の様な物をさっと見せてすぐに引っ込め、

ハーディングが、

「・・・こちらに、宿泊している、外国人、の名簿というか、リストを見たいのだが。」

・・・と言うと、その、胸の名札には『ハインリヒ・ミュラー 支配人』・・・と書かれたプレートを付けた男は、とても落ち着き払った態度で、

「・・・外国人のお客様と申されましても・・・こちらに宿泊されておりますお客様は、ほとんど全てが・・・外国人の方ばかりでして・・・」

・・・などと、はぐらかすかの様に答えたのだが・・・

ハーディングはほんの少しだけ、苛ついた様な口調で、

「・・・こちらに・・・メッツェンバウム・・・という人は宿泊しているかね・・・? 多分・・・もうかなり長い期間かもしれないが。」

すると、『エスペランス・ホテル』の、一応現場での最高責任者である、ミュラーは、

「・・・いいえ。その様な方は。こちらには。」

すると、クレイトンも若干苛立ってきたのか、カウンターの台の上を、指でトントンと何回か叩いてから、

「出来る事なら・・・名簿を、ザッとでいいので・・・」

するとあくまでも、支配人は冷静さを失わずに、

「それでしたら・・・いわゆる令状の様な、書類を・・・ご持参いただかないと・・・一応、そういった決まりですので・・・」

するとハーディングは、一旦は諦めたのか・・・少し考えを巡らせてから・・・一転笑顔になると、

「・・・ところで、空いている部屋はありますか・・・? あまり高くない部屋でいいので。・・・あ。もちろん二部屋で頼む。」

するとミュラーは、ほんの若干表情が柔らかくなった様な感じで・・・

「・・・もちろん御座いますとも。今の時期は、オフシーズンなものでして・・・。」

・・・そして分厚い、使い古した様な台帳を、カウンターの上にスッと、差し出して、

「ではこちらに・・・ご署名と・・・あと出来ましたら、何か身分を証明する物が、御座いましたら・・・。」

クレイトンは思わず、先程の身分証、を取り出そうとしてしまったのだが・・・慌ててスーツケースから、パスポートを取り出して、

「・・・これでいいですか?」

と、見せると・・・その支配人は、その時になって初めて、ニッコリと微笑むのだった・・・。



 ・・・そこは、欧州にある‘オーストリア’ではなく、豪州、つまりは南の海に浮かぶ大陸の、西南の外れ、パースという町の、郊外にある・・・とある邸宅というか・・・つまりはかなり豪華な造りの、お屋敷だったのであるが・・・そこへ、その家の主だった者たち、が集まっていて・・・皆一様に、不安そうな表情を浮かべ・・・。

・・・そして、大広間の、それだけでも庶民が暮らせる様な、家が一軒買えてしまうのではないか?・・・と、いう風にも見えなくはない、もはや骨董品と呼ぶにふさわしい、巨大な振り子時計が、ゴーン・・・と鳴り・・・午後三時を告げると同時に・・・その家のお抱え顧問弁護人である、タウンゼントが・・・こう切り出すのであった・・・。

「・・・皆さま。本日は・・・お忙しいところをわざわざお集まり頂き・・・誠に・・・」

・・・すると、その話というか、前口上すらまだ終わらぬうちに、長女である、ヴェロニカが・・・

「・・・あのお父様が・・・生きていたっていうのは・・・本当なの・・・?」

タウンゼントは、説明を始めようとするのだが、今度は長男のジェームスが、

「・・・親父は・・・一体どこに・・・?」

「・・・ええ。ですから、今からそれを・・・説明致します・・・」

皆がようやく、落ち着いて来たのか、ようやく顧問弁護士の話に、耳を傾けるのであった・・・。

タウンゼントは、なるべく細かい事象やら、抽象的な事や、まだ真実かどうか確信の得られてはいない事柄は省いて・・・そうして、淡々と落ち着いた口調で、説明をするのであった・・・。

「・・・ええ・・・つまりはですね・・・お父様は、カロルド様は・・・どうもヨーロッパで・・・生活していらっしゃる様でして・・・」

「・・・なぜそれが分かったんですの・・・? しかも今頃。」

タウンゼントは一つ、咳払いをしてから、

「・・・それがですね・・・皆さんも、お父様の、健康オタクぶりというか・・・覚えていらっしゃると思うのですが・・・」

「ええ、覚えているわ。あれはそう・・・少し常軌を逸しているというか・・・」

長女のヴェロニカがそう言うと、長男のジェームスが、少し眉をしかめて、

「・・・それはちょっと・・・言い過ぎじゃないのか・・・? それにしても・・・それとオヤジの生存と、一体何の関係が・・・?」

タウンゼントはあくまでも、平静さを保つ事に、留意しているかの様なのであった・・・。

「・・・ヨーロッパのとある国・・・とまでしか今はまだ申し上げられないのですが・・・」

「・・・なぜ隠すんだ・・・?」

・・・と、ジェームスが言うと、

「・・・決して隠しているわけではございません・・・ただ・・・」

「・・・ただ?」

「まだはっきりと・・・きちんと人をやって・・・確認したわけでは・・・」

「・・・じゃあどうして、父だと分かったの・・・?」

ヴェロニカはじめ、兄弟たちはやや不満そうなのであったが・・・

「・・・とあるホテルに長期滞在しておられるお方が・・・お父上の名義で・・・健康器具一式を・・・お買いになったものですから・・・」

「・・・それだけ? それだけで・・・父だと・・・?」

ヴェロニカはまるで、タウンゼントに食ってかからんばかりに・・・それもその筈で・・・その大富豪の父親は、失踪はしたものの・・・まだ死亡がはっきりと確認された訳ではなく・・・その為、その子供たち・・・実はもう一人いたのだが・・・四人はほとんど一切の、遺産を受け取る事すら出来ず・・・しかしながら、もしどこかで生きているという事になれば・・・その年齢から言って、もうかなりの高齢になる筈であり・・・つまり彼ら兄弟たちにしてみれば・・・父が存命で、しかも健康に暮らしている事が問題なのではなく・・・彼が、遺言書、をきちんと残して・・・そうしておそらくではあるのだが・・・この南の大陸に連れ戻して来て・・・さらには、葬儀の光景まで・・・頭の中に思い抱いている者がいたとしても・・・それは決して、妄想だとか、想像力が豊か過ぎるとか・・・そういった事ではなかった筈なのである・・・。

タウンゼントは・・・まだその、カロルド、の生存に関して、半信半疑である、兄弟たちに向かって、こう締め括ったのであった・・・。

「・・・ともかく。ともかくです。早急に・・・現地に誰か人間を派遣して・・・その真偽を一刻も早く、確かめたいと思います・・・!」

「・・・それがいいわ・・・」

「・・・そうだな。・・・さすがは腕利きの弁護士だ。やる事が的を射ている。」

・・・どうやら長男と長女とは・・・一応納得したようなのであったが・・・次男の、実はこの兄弟たちの中では一番野心的で、そのせいなのか、幅広くビジネスを手掛けてもいる、次男のトムは、タウンゼントを誰もいないキッチンの方へと、引っ張り込んでいって・・・。

「・・・なあ。一体、どういった人物を雇うつもりなんだ・・・? まさか・・・君自ら・・・オーストリア・・・オッと、これはまだ秘密だったな。・・・ともかく、しっかりとした、人物でないと・・・」

タウンゼントは、用心深く声を潜めて、

「・・・はい。実は・・・トムおぼっちゃま。明日は・・・都合はお有りでしょうか・・・? その人物に直接、お会いになるのは?・・・ピエト、という男なのですが・・・」

「・・・どこの国の人間だね・・・?」

「・・・オランダ人ですが・・・それはあまり関係は・・・イスラエルで訓練を受け、中東やら、アフリカやら・・・世界中の紛争地域で、傭兵などを、やっている者でして・・・」

すると途端に、トムの目は輝き出して、

「・・・そいつはいい。・・・よし。明日、時間を作ろう。またいつものように・・・連絡を頼むよ・・・?」

タウンゼントは黙って頷くと・・・しかしあまりこの次男だけと、二人きりでいるのは怪しまれるので・・・また大広間へと、何食わぬ顔で・・・戻って行ったのであった・・・。

どうやらこの野心的なトムと、顧問弁護士とは、以前から連絡は取り合っていたらしく・・・トムもひとまずは胸を撫で下ろし・・・そして他の兄弟たちを出し抜いて・・・自分の取り分を、少しでも多くしようと・・・まあ、普段からビジネスの場で、タフな交渉には慣れっこになっている彼からしたら・・・特にそれほど憂慮する事ではないと・・・その時は・・・考えていたのであるが・・・。



 ・・・例の『エスペランス・ホテル』の一室・・・ハーディングの部屋には、クレイトンがやって来ていて・・・おそらく今後の計画を・・・

そこで、クレイトンがまず、

「・・・ところで・・・これからどうします・・・? あの頑固そうな支配人は、とても宿泊客の名までは、教えてくれそうにはありませんし・・・」

ハーディングは、少し遠くの壁を見つめながら・・・

「・・・そうだな・・・だが、大体の目星は付いている。」

「・・・エ!? ・・・本当ですか? 一体、どの様な・・・」

ハーディングは、そのホテルのベッドの感触が気に入ったのか、ウイスキーの入ったグラスを持ったまま、横になると、

「例の・・・メッツェンバウム氏とやらは・・・とても豪勢な、健康器具一式を、ホテルの自分の部屋に、つい先日、購入したそうだ・・・。その線から・・・搬入した業者なり、運転手を割り出して、少し金を握らせさえすれば・・・」

「・・・なるほど。ところで・・・」

クレイトンの方は、どうも落ち着かないらしく・・・部屋の中を行ったり来たりしていたのだが・・・

「・・・私たちを雇った、その、クイン氏というのは・・・一体何者なんです・・・? やはり・・・司法関係者とか?」

「・・・さあな。俺も詳しくは知らん。何でも・・・その富豪の、古い友人、だとか何とか・・・」

「なんか・・・イヤ、やめておきます・・・」

ハーディングは、グラスを持ったまま、勢いよく起き上がると、

「・・・危険なのは、毎度の事だろ・・・? 心配するなって。俺たちはただ・・・その・・・このホテルにいる男がメッツェンバウム氏かどうか確かめて・・・クイン氏に報告をして・・・それでおしまい。・・・後は特殊部隊か、別の組織の人間にでも・・・やらせりゃ・・・それだけだよ。簡単なこったい。」

「・・・それにしても・・・国際刑事警察・・・機構?ですって・・・!? よくもそんな・・・しかもちゃんと身分証まで用意して・・・」

「・・・本当の、身分を明かせると思うか・・・? ・・・お前もいろいろと持っていると・・・何かの時に役に立つぞ? 持ってるか? ニセの、身分証を何枚か。」

「いえそれが・・・あるのはこれだけです。」

・・・と、クレイトンが取り出したのは・・・オーストラリア、の警察手帳・・・だけなのであった・・・。

ハーディングはまるで、鼻で笑うかの様にして、

「それはここでは全く役には立たないな。ここは・・・オーストラリア、ではなくて・・・オーストリアだ。ちょっとの違いだが・・・えらい違いでもある。」

クレイトンはただ・・・苦笑いをするしか・・・ないのであった・・・。



・・・その、翌々日の事・・・ハーディングとクレイトンとは、一人の男を・・・じっと息を殺して、見張っていたのであった・・・。

その男は・・・ただでさえ背が低いというのに、恐ろしいほどの猫背で・・・まるで縮こまる様に・・・その日の朝に出す分のゴミを、ゴミ置き場へと・・・出すところなのであった・・・。

すかさずクレイトンが、飛び出そうとするのを・・・ハーディングが無言で制止して・・・そして再びその男、ゲオルグ、はドアを開けて、ホテルの中へと、引っ込んでしまったのであった・・・。

クレイトンは、彼にしては珍しく、少しだけ冷静さを欠いていた様で、ハーディングを、睨みつけたのだが、

「・・・まだだ。もう少し・・・様子を見よう・・・。」

「・・・なぜです?」

「・・・なんかイヤな予感がする。」

「・・・予感・・・!? ・・・今はカンよりも・・・早いとこ、この仕事を片付けちまって・・・。・・・あいつは、その、富豪の・・・間違いないですって。」

「・・・ああ、確かに・・・。身の回りを世話している男だ。・・・だが。」

「・・・何か問題でも?」

ハーディングには、何か深い考えがあるらしく・・・

「・・・俺がクインさんから受け取った情報では・・・その、何とかという失踪した富豪は・・・」

「・・・そもそも、その・・・メッツェン・・・は、何をやらかしたヤツなんです? もう・・・二十二年前の事件ですよね? 私はまだ・・・よちよち歩きでしたよ・・・。」

「・・・聴くところによると・・・国際有価証券取引法違反・・・やら、マネーロンダリングやら、違法な物品の商取引・・・その他諸々らしい・・・。・・・経済の事は生憎と、俺には・・・我々が裁きたいのは、別の罪だ・・・。」

「・・・時効には、なってはいないんですね・・・?」

少し熱くなりかけている、クレイトンを、なだめるかの様に、

「ああ・・・そうなんだが・・・クイン氏の情報では、その、メッツェンバウムは・・・踵を、もうかなり昔から怪我をしているらしい・・・。」

「・・・それが何か?」

ますます訝る相方を必死に説得しようと、ハーディングは、まだ告げてはいなかった、これまで小出しにしていた情報を・・・ようやく、ほとんど全て、吐き出すのであった・・・。

「・・・昨日の奴の姿・・・ロベルト・モンテビデオ・・・などと名乗っていたっけ・・・?」

「・・・ええそうです。・・・奴が正真正銘の、メッツェンバウムですよ。」

「それが・・・あの歩き方を見ただろう・・・? ・・・足を引きずっていたか・・・?」

そこでほんの一瞬、クレイトンも考え込んでしまったのだが・・・

「・・・しかし・・・クイン氏の・・・情報が、間違っているという事も・・・」

「・・・その様な事は、俺の経験では、今まで一度も無かったぞ?」

「あるいは・・・今は義足にしているとか?」

ハーディングは、眉間にシワを寄せて、

「・・・それにしても・・・何か臭う・・・」

「・・・連邦捜査官の、勘、てヤツですか・・・?」

「・・・実は・・・俺は、クインさんには恩義がある。・・・ここで下手に焦って、失敗したくはない・・・」

「・・・あんたの気持ちは分かるが・・・あの、ロベルト・モンテビデオが・・・メッツェンバウムに・・・間違いはないですって。」

「じゃあ何で・・・あの時駅に、情報屋が現れなかったんだ・・・? いつまで経っても・・・。」

「それは・・・」

クレイトンもさすがに、何かを感じ取ったのか、黙り込んでしまった・・・。ハーディングが、捜査官、の鋭い目付きで、

「何かこう・・・上手くは言えないんだが・・・裏で・・・黒い、とまでは言えないまでも・・・灰色の・・・影の様な物が・・・うごめいている様な・・・気がして・・・」

「・・・考え過ぎでは・・・? ただの・・・金持ちの爺さんですよ・・・? ・・・犯罪人では、ありますが・・・。」

「・・・そうかな・・・? 奴は・・・もし他の誰かが、生捕りにすれば・・・金になる・・・。あるいは・・・」

「あるいは・・・?」

「・・・おそらく恨んでいる者も・・・大勢いる事だろう。」

二人はそこで・・・『エスペランス・ホテル』の裏口の、人通りのほとんど無い所で・・・思わず固まってしまったのだが・・・やがてハーディングが、決心というか、この先の方針が固まったのか、

「・・・よし。しばらくは・・・二人をそれぞれが見張って、様子を窺う事としよう。俺はその、モンテビデオを・・・」

「・・・逆にしましょう。」

と、クレイトンが言うので・・・正直なところ、ハーディングにすれば、どちらでも特に変わりはなかったので、

「・・・よし。じゃあ俺が・・・今の男・・・ゲオルグとか言う・・・張る事とする。ロベルト・・・なんとかの方は・・・頼んだぞ?」

クレイトンは、やれやれという様に、肩をすくめて見せ・・・その日から、二人は別行動をとる事となったのであった・・・。



 ・・・実のところ、ハーディングの予感は・・・当たらずとも遠からずで・・・その駅で接触する筈であった、クイン氏との仲介役であった情報屋は・・・その直前にすでに・・・殺されていたのであった・・・。

しかしながら・・・その情報屋の存在自体は、さほど重要ではなく・・・それを、実行、した者の方が・・・とても重要なのであり・・・特に、ハーディングとクレイトン、あるいはその他の人々にとっても、とても厄介な事態だったのだ・・・。

それは・・・その情報屋の口を割った上に、この世から消し去って・・・自分以外にもメッツェンバウム氏を、追っている者たちがいる事を、いち早く掴んだのは・・・裏の世界では知らぬ者はいない・・・アタナシウスという・・・賞金稼ぎ、の様な商売をしている男なのであった・・・。

そして・・・彼を雇った人物は、おそらく誰にも皆目見当は付かなかっただろうが・・・彼の受けた指示とは・・・メッツェンバウム氏を‘生死問わず’・・・捕らえよ、と、いう事なのであった・・・。

アタナシウスは、背がヒョロリとして高く、銀髪で・・・その容貌からなのか、あるいは、性格からか、狼、という名で・・・いろいろな国の言語で・・・そう呼ばれていたのであった・・・。


 ・・・一方、トムやタウンゼントと会見をした、ピエトは・・・見掛けはまるで正反対で・・・金髪で、一見、快活で陽気そうな男なのであった・・・。

抜け目が無く、また疑り深い、トムとしては・・・正直、この男で大丈夫なのか?・・・などと思ったりもしたのだが・・・話を聞いているうちに、この男の魔力というか、話術にすっかり引き込まれ・・・無事年老いた父親を、このオーストラリアのパースへと、連れ戻して来てくれる事を期待し、託して・・・無論の事、報酬はたっぷり支払うと約束をして・・・前金だけは口座に入金すると・・・その、ピエトという男も・・・例の、ロベルト・モンテビデオ氏の元へと・・・向かったのであった・・・。


 ・・・そして、どこの国の、どこの田舎町でも、裏の世界に生きている人間という者は、いる様なのであり・・・元警察官、である、ウルリッヒ、という男が、その町の有力者である、シメオン、の元へと・・・元々ウルリッヒは、賄賂を平気な顔で受け取る様な、悪徳警官、として通っており、そのせいもあってなのか・・・今は単なるゴロツキとして・・・しかしながら、誰もやりたがらない、町の厄介事、後始末は、彼が殆んど全て、一手に引き受けているのであった・・・。

そして・・・それらの事は、決して市長だとか、町長だとか、そういった立場でも無い・・・シメオンへと・・・逐一、報告を入れているのであった・・・。

彼はその日も、シメオンのオフィスへと顔を出し・・・その町の有力者は、表向きは、不動産や土木などを扱う会社を経営していた・・・そして、一番奥の部屋で、ウルリッヒは、次の様な報告をするのであった・・・。

「・・・シメオンさん・・・。最近どうも・・・この町に、鬱陶しい、ハエが何匹か、群がって来ている様でして・・・」

するとシメオンは、まるでその話は、以前から織り込み済みであった、とでもいう様に・・・

「・・・例の・・・失踪して姿を隠しているとかいう・・・富豪の元へと・・・ゾロゾロと、アリの様に・・・群がって来たか・・・」

と、納得したかの様に頷き、ウルリッヒには、

「キミは・・・全て私の指示に、従っていれば・・・それは今までと全く同じだよ・・・?」

「ハイ・・・了解しました・・・。」

・・・と、そのハイエナの様な男は・・・すぐにまた町へと・・・放たれたのであった・・・。


 ・・・一方、ようやくオーストリアの、S町の駅に最終電車で、降り立った、ピエトは・・・街灯など僅かばかりの、殆んど真っ暗な町の中を、用心しながら歩いていたのだが・・・そこで偶然、例の男、つまりはアタナシウスを・・・目撃してしまったのであった・・・。

ピエトは慌てて、コソコソと隠れる様にして・・・建物の陰に身を潜めて・・・内心、この仕事を引き受けてしまった事を・・・今頃になって、後悔し始めていたのであった・・・。



・・・翌日の午前中の事・・・『エスペランス・ホテル』の正面の、入り口に横付けされたタクシーからは・・・その例の、ロベルト・モンテビデオ氏が、降りて来て・・・無論の事、その様子を、遠くからではあるが、クレイトンがしっかりと見張っていたのだが・・・確かに、モンテビデオ氏は、片足を引きずるどころか、ごく普通に‘しっかりと’歩いて、ホテルの中へと・・・実はクレイトンは、昨晩のうちに、クイン氏による詳細な資料を・・・ハーディングから初めて渡されたのであったが・・・確かにそこには、彼が・・・つまりは、メッツェンバウム氏の事だが・・・五、六歳の時に、自宅の屋根から落ちて、左足の踵に・・・大怪我をしたと・・・記載されていて・・・。

しかしクレイトンにしてみれば、そのクイン氏自体の正体がよく分からないままだったので・・・果たして、一体誰や何をどこまで信頼して良いのやら・・・。

しかし考えれば考えるほど、深みにはまっていく事は明らかだったので・・・それ以上余計な事は考えずに・・・ただひたすら、獲物を追う、ハンターの様にじっと、息を潜めて・・・見張る事しか・・・今は・・・。


一方・・・相方のハーディングはというと・・・モンテビデオ氏の身の回りの世話をする、ゲオルグという男を尾行して行くと・・・意外な事に、ゲオルグの向かった先は・・・町の外れにある、教会なのであった・・・。

・・・それは決して、荘厳だとか、豪華な造りの建物ではなかったのだが・・・しかしながら、きれいに清掃やらメンテナンスが施されているのか、清潔でまだ真新しく見えるのだが・・・おそらくは、建てられてからは、かなりの年月が経っていて・・・ゲオルグはその中へと、入って行ったのであったが・・・。

さすがに、その中の様子までは窺い知る事は不可能であったので・・・ハーディングは、外でしばらく、待つ事にしたのであった・・・。


・・・ピエトは・・・彼もその町にはホテルは一軒しか無かったので・・・仕方なく部屋を取り・・・そしてまだその中からは一歩も外には出ずに・・・誰かと携帯で話しているのであった・・・。

「・・・ええ。そうなんです。とても・・・厄介なヤツです。この私でも・・・まともに真正面からぶつかったら・・・果たして・・・」

どうやらそれは・・・タウンゼントに、アタナシウスの一件を・・・報告している様なのだったのだが・・・正直なところ、ピエトにしてみれば、最悪この件からは手を引くか、あるいは、せめて報酬を引き上げて貰うしか・・・割りに合わない仕事だったので・・・そしてどうやら、タウンゼントの答えは・・・後者の様なのだった・・・。

そして・・・もうこれは引き返せないと・・・ピエトは覚悟を決め、彼にしても、プロとしての‘意地’というモノは有ったので・・・例え、狼、と刺し違えたとしても・・・やり遂げる覚悟を・・・と、腹を括ったのであった・・・。


・・・タウンゼントは・・・携帯を切って、スーツの内ポケットにしまうと・・・

「・・・何なんだい? ・・・厄介事かね・・・?」

と、丁度そばにいたトムが訊いたのだが、その顧問弁護士は、平然とした表情で、

「・・・いえ。ただ・・・あなたのお父様の周りに・・・ハイエナどもが、カネの匂いを嗅ぎつけて・・・集まりだした様でして・・・」

「それはまずいんじゃないのかね・・・?」

「いえいえ・・・彼も・・・一応プロですし・・・こういった事は、何度も経験済みの筈です。もしそれでも・・・その時は・・・」

「・・・その時は?」

「その時は・・・すぐにまた、若くて血の気の多い連中でも何人か雇って・・・ヨーロッパの中央へと・・・送り込むだけです・・・。」

「・・・なるほど。」

その言葉を聞いて・・・トムは一応納得した様なのであったが・・・

「・・・キミも承知しているだろうが・・・姉貴はあの通り、親父の遺産を全て持って行こうかと言うぐらいの、勢いだし・・・兄貴はまあ、いつものことで・・・全くアテにはならないし・・・」

するとタウンゼントは、以前から気になっていたのか・・・少し熟考する様な素振りで・・・トムに尋ねたのだった・・・。

「・・・ところで・・・サウルおぼっちゃまは・・・今どこに・・・?」

それはトムの弟の、三男の事なのであった・・・。

「・・・ああ、あいつは・・・昔から、放浪癖があるからなぁ・・・今頃一体どこにどうして・・・いるのやら・・・? ・・・この俺にもサッパリ、分からんよ。」

「しかし・・・一応遺産を受け取る、権利はあるわけですし・・・」

するとトムは、やや苛立った様に、

「・・・ああああ・・・分かってはいるとも・・・! ・・・分かっちゃいるが・・・わざわざ人を雇って、探し出したところで・・・」

するとタウンゼントも、一応納得をしたのか、

「・・・まあそうですね。今はまだ・・・その時になったら・・・考える事としましょう・・・」


・・・その広大な邸宅の中には・・・斜めにオレンジ色の、夕日が差し込んでいたのだった・・・。

この南半球の広い海に浮かぶ、大陸の西の端の町では・・・もうそろそろ、夜の帳が、下りようとしていて・・・。

一方・・・。



 ・・・一方、そのほぼ同じ時刻・・・ヨーロッパのほぼ真ん中辺りに位置する、S町では・・・朝の、若干慌ただしい時間は少し回っていて、天気は晴天で・・・おそらくは通常ならば、とても気候も良く、空気もキレイで・・・平和で、平穏無事な町であったのだろうが・・・今はその小さな町に、当人たちの、灰色に薄汚れた思惑などと共に、金のニオイや、何かを嗅ぎつけて・・・ハイエナやら、狼やら、ハエやらアリやらが・・・集まって来ていて・・・それも、たった一人の、本当にその人物かどうかは、まだはっきりとは分からない・・・老人一人を目掛けて・・・なのであった・・・。


 ・・・ハーディングは、子供の頃はともかく、ここ何十年も、教会の中などには足を踏み入れた記憶すらなかったのだが・・・皮肉な話で、まさかこの様な、地球のほぼ反対側で、十字架を、拝む事になろうとは・・・。

中にはほんの数人、おそらく町の人々がいただけだったのだが・・・この教会の責任者、と言うには少し表現が違うかもしれないが・・・丸い銀色の縁の眼鏡を掛けた、テオ神父が現れて・・・そうして自然と、全く初めて見る顔の、ハーディングの方へと、近付いて来たのであった・・・。

テオ神父は、とても物腰柔らかに、

「・・・失礼ですが・・・旅行者の方ですか?」

ハーディングは、彼の長年の、職業的な勘、から、この人物は無害で、悪意の無い人間であると感じたので・・・それは、聖職者であったから、という訳では決してなく・・・自然と右手を差し出して・・・テオ神父が差し伸べた手と、握手を交わしていたのであった・・・。

「・・・ええまぁ。・・・そんなところです。」

神父は、何気なく教会の中を見回して、

「不思議なもので・・・こんな田舎の、観光以外には何も無い様な・・・町であるのに・・・最近は、外国からおいでになる方が多くて・・・何かの偶然でしょうかね?」

ハーディングは、皮肉と捉えて良いのか分からなかったので、ただ苦笑するしかなかったのだが・・・彼にはどうしても、訊いておかなければならない事があったので・・・意を決して、神父に率直に、尋ねてみたのであった・・・。

「あの・・・失礼は承知の上でお訊きいたしますが・・・よくこちらに来られる・・・その・・・少し背中の曲がった・・・」

おそらくはその一言だけで、それがゲオルグの事を言っているのだという事は、神父には分かったのだろうが・・・むしろ、だからなのか、

「あなたのおっしゃりたい事は・・・おおよそ察しがつくのですが・・・申し訳ありませんが、その様な質問には・・・お答えする事は出来ません。・・・申し訳ございません。」

しかしハーディングは、その様な解答が帰って来るのは、ある程度予測はしていたので、

「・・・いえ。こちらこそ・・・いきなりやって来て、この様な・・・どうかお気を悪くなされたのならば、お詫び致します。」

・・・と、そこはひとまず、軽く一礼をして・・・教会を出て行き・・・改めて出直そうと、神父に背を向けると、その背中に、テオ神父が、

「どうやらあなたは・・・悪い人間では無いようですが・・・どうかご理解ください。私には・・・この町の人々、そして何より、この教会に祈りを捧げに足繁く来られる人々の・・・不利益になりそうな事を、申す訳にはいきません。・・・誠に申し訳ないが。」

ハーディングは、その様な答えも・・・覚悟はしていたので・・・ただ黙って、とりあえずはその建物を後にしたのであった・・・。


・・・一方、ようやくホテルの自分の部屋から表へと出た、ピエトは早速・・・さすがに彼は仕事だけは素早いらしく、早くもロベルト・モンテビデオ氏の存在は嗅ぎつけたらしく、どこか見通しのいい場所で、彼を待ち受けようと・・・しかしながらその場所を探している最中に、クレイトンの姿を偶然発見し・・・自分と、アタナシウス以外にも・・・メッツェンバウム氏を追いかけている者がいるのだと・・・しかしながら、クレイトンに関しては全くの、初めて見る顔であったので・・・が、少なくともあのアタナシウスは、冷酷な殺し屋、としてもその名が知られており・・・必ずしも、メッツェンバウム氏を、生きたまま連れて帰る・・・とは限らなかったので、その様子は探りながら、警戒はしつつ・・・けれども無論の事、万が一にも出くわさない様にと・・・ヒヤヒヤしながら、その、メッツェンバウム氏であると思われる、モンテビデオ氏がホテルの中から、現れるのを・・・辛抱強く待つしかないのであった・・・。



 ・・・ウルリッヒは、かつてはこの町の警官であった・・・。

しかしながら・・・賄賂を受け取って、容疑者を見逃す事が度々あり・・・初めのうちは、上司や警察署長も目をつぶってくれてはいたのだが・・・しかし段々と、その行為も日常的となり・・・さすがに目に余る様になってきていたので・・・しかしながら、彼には、いきなりクビを切る、という様なやり方ではなく、あくまでも穏便に・・・退職する、という形で、辞めてもらう他無かったのであった・・・。

そして・・・ウルリッヒはそれ以来・・・皮肉な事に、賄賂を受け取っていた者たちとの間に、コネクション、の様なものが自然と出来上がっていたので・・・それを活かさない方法など、彼には思い付かず・・・そうして次第に・・・結局のところ、この町のいずれにしろ誰かしらが、まるで季節の変わり目にでも突然やって来る、流行りの風邪か何かの様に・・・知らず知らずのうちに降って湧いてしまう、厄介な仕事、をやらなければならない状況も、時としては有り・・・彼が警官を辞めてからは、その様な仕事はほぼほぼ一人で、引き受ける事となり・・・その過程で、例の、町の有力者である、シメオンと懇意となっていったのであった・・・。

・・・そして・・・さすがに彼の情報網は素早いのか、もうすでに、ハーディングとクレイトン、そしてピエトの存在でさえも・・・掴んでいたのであった。・・・のだが、なぜかアタナシウスだけは、上手い事旅行者の群れの中に溶け込んだのか・・・さすがの、町の掃除人、であるウルリッヒでさえも・・・まだその存在すら・・・掴めてはいなかったのであった・・・。

・・・実際、そのアタナシウスは、『エスペランス・ホテル』には宿泊はしておらず・・・かと言って、どこかに家を一軒丸ごと借りているとか・・・そういった訳でもなさそうで・・・どこでどうしているのかは、全くの・・・不明なのであった・・・。


ウルリッヒはその日も・・・シメオン氏にほぼ毎日の様に、行なうまるで日課の様な、現在の町の様子と、不審と思われる外国人の動きを・・・報告したところで・・・そこへ、彼が事務所として借りている、小さなオフィスのドアを叩く者がいて・・・ウルリッヒは、

「・・・バルトロか? 入っていいぞ・・・?」

と、言うと、一人のあまり清潔ではなさそうな身なりの・・・しかし体型だけはガッシリとして肩幅が広く・・・どうやら彼は、ウルリッヒの助手というか、下働きの様な事をしている人物の様で・・・そのオフィスと呼ぶには、あまりにも狭く、乱雑でむさ苦しい部屋の中を、ゴソゴソとしばらく漁っていたかと思うと・・・二つ三つの大き目のゴミ袋にまとめて・・・また入って来た場所と同じドアから、出て行くのであったが・・・。

彼は何と・・・片足を、それも左足を・・・引きずりながら、ゆっくりと歩いて出て行ったのであった・・・。

・・・まさか自分の町を我が者顔で歩き回る、異国の人間たちが血眼になって探している、メッツェンバウム氏が、左足の踵を怪我している、などという情報までは、持ってはいないウルリッヒは、その、男が、いつもの様に、出て行くと、もうすでにドアは閉まってしまったぐらいのタイミングで、

「・・・じゃ、またな。また明日も・・・ゴミをよろしく・・・!」

・・・などと適当に声を掛けて、PCの画面で町の防犯カメラをチェックしたり、メールを見たり・・・そうして遅目の昼食を、取るところなのであった・・・。


10


 ・・・S町から、ほんの少しばかり・・・と言っても、小一時間程は掛かるのだが・・・町外れから、山の斜面の様な、急勾配の細い一本道を登って行くと・・・まるで中世に取り残された様な・・・と言うのは少し大袈裟かもしれないが・・・少なくとも大都会の喧騒からは、はるかに外れた、V村、という所があり・・・村人はおそらく、どんなに多く見積もっても、五百人いるかどうか、といったところだったのだが・・・その村の外れに、粗末で、木の板や有り合わせの木材で、まるで素人が作った様な・・・実際そうなのだったが・・・掘っ建て小屋、があり・・・そこにはもう数年程前から、一人のそれほど歳は取ってはいない、かと言って特別若いという訳でも無かったのだが・・・男が住み着いていて、特に毎日、何をやるという訳でもなく・・・要するにほぼ自給自足の生活をして、日々やり過ごしている様な感じなのであった・・・。

・・・しかしながら、村の人々は、そんな彼を決して白い目で見る様な事はせず、彼も時たま気が向くと、村の中心部辺りに不意に出現したり、プラプラと村の中を歩き回ったりする事もあるのだが・・・すれ違った村人たちは、決して眉をひそめるとか、まるで異人種を見る様な顔をする、などという事はなく・・・いやむしろ、たまにではあるのだが、まるでお客様か何かの様に、丁寧に立ち止まって挨拶を交わす者さえいる程なのであった・・・。

そして彼の名は・・・サウルと言った・・・。

・・・そう。あの、カロルド・メッツェンバウムの三男の、サウル、その人なのであった・・・。

なぜ彼がこの様な・・・地球の反対側の、しかもとても辺鄙な・・・田舎の村に・・・実はそれには、とある理由が有ったのだが・・・それは今は置いておくとして、それよりはるかにごく最近になり・・・この村の隅も隅、それもほとんど森の中に、テントを張って生活をしている男がいた。それがあの・・・アタナシウスだったのである。

彼はあのS町に入った瞬間に、町中の至る所にカメラが仕掛けられているのをすぐに発見して・・・それは無論の事、ウルリッヒがシメオンの指示で、張り巡らせた物だったのだが・・・町にとどまるのは危険であるとの考えが働き・・・そうして周辺の地図を調べたりなどした結果、この、V村へとたどり着いたのであった・・・。

そこはやはり、ピエトよりは数段頭は切れ、経験もはるかに豊富なプロの人間のやる事なので・・・まず何より、そのV村はかなりの高台にあったので、S町の様子が、手に取るように見えたのである。・・・さらには、いざ、という時には・・・無論の事、彼にしてもその様な状況は望むところでは無かったのだが・・・村に逃げ込む事も出来たし・・・そしてやはり一番大きな理由は・・・いくら観光で栄える町とは言え、あの様な小さな町では、やはり彼の様な存在は否が応でも目立ってしまい・・・自由に身動きが取れないばかりか、おそらく、次の策を練るのも、彼ほどの人間にしても、別の事に常に神経を尖らせていなければならず・・・果たしていざという時に、妙案が浮かぶのかどうなのか・・・気になったいたのであった・・・。

しかし・・・大方の村人たちは、まさか村の外れの森の木立の中に、凄腕の殺し屋、がテントを張って過ごしているなど夢にも思わず・・・実際、アタナシウスは、登山をする時の様な格好をして、上手く欺いていた・・・ごく一部の、村人を除いては・・・。

そうしてそこでその・・・狼、は・・・じっと息を潜めて、時が来るのを、ひたすら待っていたのであった・・・。


11


一方町では・・・ピエトが、満面の笑みで、駅のプラットフォームに立っており・・・そうして到着した車両からは、五人の、タウンゼントが送り込んだ助っ人が・・・ピエトはこれならばかなり有利に、と言うより、殆んどその時は自分の勝利をまるで確信したかの様に・・・そのイカつい五人のオージーメンたちと、ハグを交わすのであった・・・。


・・・無論の事、彼らが町へと入った途端に、その事はウルリッヒに全て把握されており・・・しかし実は、彼はその瞬間には、別の件で手が離せずにいて・・・。

・・・すると、いつもの様に、コンコンと、入り口のドアをノックする音が聴こえ・・・ウルリッヒの両腕からは、まるで逃れるかの様にして、一人の若い女が、ドアを押し開けて出て行ったのであった・・・。

「・・・何だ? ・・・バルトロか? ・・・マッタク、もうそんな時間か・・・」

ウルリッヒが事務所の奥の、ギシギシと軋む金属製の、とても寝心地は悪いであろう、ベッドから起き上がるのとほぼ同時に・・・バルトロは、いつもの様に無言で、左足を引きずりながら、入って来たのであった・・・。

・・・すると今度は、それに続いて一人の女が・・・まだ朝だというのに、濃い化粧をしていて、まるで商売女の様なのであったが・・・ベッドにまだ、着衣も乱れたまま腰掛けているウルリッヒを見て、少し嘲る様な感じで笑い、

「アンタも・・・懲りないねぇ・・・ここまで来ると・・・何かの病気かもしれないわね・・・?」

「何を抜かしやがる・・・」

朝の、寝起きで、しかも‘途中で’ジャマが入り・・・と言っても、もう11時前だったのだが・・・機嫌の悪かったウルリッヒは、吐き捨てる様にその女に言うと・・・

・・・その女の名は、ドロテア、と言ったのだが、再び嘲笑うかの様に、

「・・・オヤ? そんな事を・・・言ってもいいのかしら・・・? 私との事を・・・」

ウルリッヒはようやくその、居心地の悪そうなベッドから立ち上がりながら、

「・・・その時は・・・お前も道連れだからな・・・」

・・・しかしドロテアは、口の端に笑みを浮かべたまま、一枚のメモを・・・文字の書かれた側を下面にして、ウルリッヒの事務机の上に・・・

そうして・・・ただ黙って、去って行ったのであった・・・。

その間中も、バルトロはいつもの様にゴミをガサゴソと集めつつ・・・それが終わったのか、その日は一つだけだったのだが・・・大きなゴミ袋を持つと、やはり左足を引きずって・・・無言のままその、事務所、からは出て行ったのであった・・・。


先程の・・・つまりは先にウルリッヒの事務所から、逃げる様にして出て行った女は・・・まだ全力で駆けていて・・・町の建物の角まで来ると、ようやく立ち止まって、ハァハァと・・・荒い息をしながら、身体を少しだけ、震わせているのであった・・・。

・・・するとそこへ、一人の若者がいつの間にやら、近付いて来ていて・・・若者の名はミヒャエルと言い、若い女の方は、テレーゼと言ったのだが・・・二人は隠しカメラの死角から逃れる様にして入り込むと・・・きつく、抱きしめ合っていたのであった・・・。

実は二人は以前から付き合っていて、結婚も目前、という時に、テレーゼが、まるでウルリッヒから奪い取られるかの様にして・・・強引に愛人とされてしまったのであった・・・。

そして二人は・・・二言三言、何事か言葉を交わすと・・・別々の方向へと・・・それはただ単に自宅のある方向だったのだが・・・向かい、去って行ったのであった・・。

もちろん、例の事務所の中では・・・死角になっていた所は窺い知れなかったのだが・・・一匹の飢えた好色で獰猛な犬が・・・しっかりと見張っていたのだが、彼はやがてすぐに、モニタリングしているカメラを別の地点の物に変えると・・・そこには一人と、五人の見慣れない男たち・・・一人はピエトで、残りは助っ人たちだったのだが・・・それをようやく、発見、すると、すぐに電話を手に取って・・・まるで腹の中では、グツグツと何かが燃えたぎっているかの様な、忌々しい、といった表情で、シメオンに報告をするのであった・・・。


12


 ・・・ピエトは、加勢を得て、自信を強めたのか、あるいは、彼自身の、ハンター、としての勘で、今が勝負時、であると判断したのか・・・ともかく、彼はその日、『エスペランス・ホテル』の中のレストランにいて・・・例の五人、は店の外の入り口付近に、待たせていた・・・彼の目の前には、何かの料理、ステーキだろうか?・・・を食べている、モンテビデオ氏が・・・。

ピエトは、開口一番、こう切り出したのであった・・・。

「・・・ところで・・・ええ、何とお呼びしたらいいのでしょうかね? ・・・モンテビデオ氏ですか? それとも・・・メッツェンバウム氏・・・ですかね?」

モンテビデオ氏は、分厚い肉を食べる手を止めて、顔を上げてから、ゆっくりとナプキンで、口の周りを拭ってから、

「・・・あなたは? 一体・・・どちら様でしょう。以前に・・・お会いした事が?」

ピエトは、悠然とした態度で、

「・・・いえ。多分。・・・無いでしょうねぇ。しかし、私の依頼人が・・・」

モンテビデオ氏は、少しだけキョトンとした表情で、

「・・・依頼人? ・・・一体、何の事です? それと・・・先程の・・・二番目の名前は・・・?」

ピエトはふと、腹でも減ってきたのか・・・時刻は正午を回っていた・・・

「それは・・・何の肉ですか?」

するとモンテビデオ氏は、なぜだか少し嬉しそうに、

「カンガルーですよ。・・・珍しいでしょう? その肉の、ステーキなど・・・」

ピエトは思わずニタリと笑い、

「故郷が・・・愛しくなったという訳ですか。」

するとモンテビデオ氏は、ますます訝しげな表情となって、

「・・・故郷? 私の故郷は・・・アルゼンチンですが?」

そこでピエトは、やれやれという風に首を振って、

「トボけるのは・・・もうやめにしませんか? あなたが・・・メッツェンバウム氏だという事は・・・」

すると、今度は本当に、真剣な表情で、

「メ・・・なんですって!?」

「・・・私は、トムさんと、タウンゼント氏から、依頼を受けておりましてね。あなたをパースへと・・・連れて帰る為に・・・」

すると、おそらくバカにされたか、担がれたとでも思ったのか、スクリと立ち上がると、

「一体・・・何なんです・・・!?」

「息子さんに、会いたいとは思いませんか?」

しかし、ロベルト・モンテビデオ氏は、料理は皿の上に三分の一程残したまま、

「私には・・・息子はおりません・・・! ・・・娘なら、国におりますがね?・・・悪いが、失礼しますよ?」

・・・と、レストランから、出て行こうとしたのだが、生憎、その真正面を五人の屈強な、ラグビー選手の様な体型の男たちが、行く手をふさぐと・・・モンテビデオ氏は、怒鳴り出したので・・・ロビーの方向から、支配人である、ミュラーが、慌ててやって来たのであった・・・。

ミュラーは、ほんの若干、慌てつつも、あくまでも平静な対応で、

「・・・何か問題でも・・・御座いましたか?」

するとモンテビデオ氏が、ピエトを指差し、

「この男が・・・! 私を・・・誰かと・・・!」

ミュラーはあくまでも、落ち着かせる様に、

「どうか・・・ひとまず、ここはどうか・・・少し冷静に・・・何かの、手違いという事も・・・」

そして今度はピエトに向かって、

「これは一体・・・どういう事でしょうか・・・? 場合によりましては・・・」

するとピエトは、戦況が不利と悟ったのか、

「・・・いえ。私の・・・勘違いでした。・・・申し訳ございません・・・」

・・・と、丁重に詫びて・・・ひとまずその場を、後にしたのであった・・・。


・・・一方その頃、例の教会の中には・・・ゲオルグとテオ神父と・・・そしてハーディングの、三人だけがいたのであった・・・。

ハーディングは、ゲオルグに話しかけたそうな、素振りであったのだが・・・テオ神父のオーラというか・・・雰囲気も顔の表情も、あくまでも穏やかではあったのだが・・・何となく近寄り難い・・・なぜかその様な印象を、ハーディングは抱いてしまい・・・二人とはほんの少しだけ離れた席に座っていて、何も切り出せずにいたのであった・・・。


・・・再び『エスペランス・ホテル』の・・・すぐ外の、路地裏では・・・ピエトが本国の、タウンゼントと電話で連絡を取っていたのであった・・・。

「・・・え!? ・・・片足が・・・! ・・・いえ。今初めて聴きましたよ。すると・・・ええ・・・分かりました。実を言うとさっぱり分からないんだが・・・とにかく・・・別の策を・・・では。」

ピエトは少し苦々しい表情で、携帯をしまうと、辺りをキョロキョロと見回し、すぐそばに、ピエト以上に、訳の分からない表情をしている五人に向かって、

「・・・よし。とりあえず・・・あの店に、行くとしようか。・・・マッタク・・・!」

・・・と、一軒の少し離れた所にポツンと建っている、古びたカフェの様な店へと向かうのであった・・・。


・・・教会の中。

ゲオルグは、その日の礼拝は終えて・・・そうして黙って神父に軽く会釈をすると、曲がった背中を左右に揺らしながら、教会からは出て行くのであった・・・。

しかしながら・・・ハーディングは、あえてその後は追わず・・・すると、テオ神父は、

「・・・いいのですか? 何か・・・訊きたげな、表情でしたが。」

ハーディングは、なぜだかこの神父の前にいると、文字通り、まるで父の前にでもいる様な気分となって・・・歳はほぼほぼ、同じぐらいだというのに・・・。

すると、テオ神父は、それまではじっと、殆んど同じ場所に動かず立っていたのだが、すぐそばの、席にゆっくりと腰を下ろすと、おもむろに・・・

「・・・分かりました。あなたには・・・正直、根負けしましたよ。・・・全て・・・お話ししましょう・・・」


13


・・・V村の昼下がりは、とてものどかなのであった・・・。

小鳥たちのさえずる声と、少し遠くで、小川のせせらぎの様な、水の流れる様な音が、微かに・・・。

そして・・・その村のほぼ中心にある、そこだけレンガを敷き詰めた場所には、地下水を汲み上げるポンプがあって・・・それはもちろん、電動式、などではなかった・・・そこに、若い女性、おそらくはまだ、二十歳になったかならぬか、というぐらいの女性が、必死に両腕で、バケツに水を汲んでいて・・・するとそこへ、同じく小さなバケツと、コップを持った、中年の男性が現れて・・・その男性は、白髪混じりで、中年というよりは、高齢に近かったのだが・・・姿勢はシャンとしていて、そして、右足を、引きずっていたのであった・・・。

男性の方が先に、

「・・・やあ、エッダ。・・・元気かい?」

するとそこで初めて、その、エッダは、男性の存在に気が付いて、

「・・・これはエドヴァルドさん・・・! ごめんなさい・・・! 私・・・全く気が付かなくって・・・」

その、エドヴァルド、という村人は、優しくエッダに微笑みかけながら、

「・・・いいんだよ。大変だろう・・・キミの家も。弟さんが、四人もいるんだっけ?」

エッダは汗をかきながら、必死でポンプを汲み上げつつ、

「・・・ええ。エドヴァルドさんは、お変わりなく?」

「ああ、まあね。一人で気楽に、毎日過ごしているよ。」

・・・と、相変わらず笑みは絶やさず、話すのであった。

エッダは、ようやくバケツの中がいっぱいになったらしく、顔を上げると、

「・・・アラ? その・・・コップは?」

エドヴァルドは笑い、

「・・・ああこれね。・・・コーヒーを入れようと思ったんだが、ちょうど一杯分、足りなくってね。」

するとエッダは、突然笑い出して、

「それなら・・・そのバケツから、すくえばいいんじゃないかしら? わざわざ・・・もう片手に、持たなくても。」

「・・・ああそうか。」

思わず二人とも、大笑いしていたのであった・・・。

そして・・・その前を・・・何気無くだが、視線だけはそれとなく二人に注ぎながら、例の、サウルが通り過ぎて行き・・・エッダはすぐに気が付いて、

「・・・サウルさん・・・! こんにちは!」

サウルはただ、軽く頭を下げると・・・またフラフラと・・・歩いていずこへと、去って行ったのであった・・・。


 ・・・話は戻り、教会の中・・・。

ハーディングは神妙な面持ちで、テオ神父の話に聴き入っていたのだが・・・やがて無言で、立ち上がると・・・

「・・・ありがとうございました。・・・そういう事でしたか。全て・・・はっきりしました。」

神父も立ち上がり、

「それは良かった。ところで・・・」

「何です?」

「あの方を・・・どうされるつもりなのですか? ・・・あなたの国に連れて帰って、法で裁くおつもりですか・・・?」

ハーディングはしばらくの間、考え込んでいたのだが・・・

「実は・・・私が以前、というより今でもなのですが・・・大変御恩がある人物がおりまして・・・彼、つまりはメッツェンバウム氏が逃亡する際になのですが・・・一人の捜査官、それも女性で・・・命を落としましてね。それはたまたま、不慮の事故と言えば、そうとも言えるのですが・・・その人物は、今でも恨んでおりましてね・・・何しろ、たった一人の、娘を失ったのですから・・・そして、その女性は、私の捜査官としての先輩でもあります。・・・ですので。何が何でも、例え国際法的に見て、違法であったとしても、私には、メッツェンバウム氏を、国に連れて来てもらい、自らの手で、裁きたいと・・・」

「・・・なるほど。まあそのお気持ちは・・・分からなくもないが・・・。」

ほんの少しだけ、静かな沈黙の時間が、その建物の中では流れた。教会の外では・・・小鳥がピィピィピィ・・・と、鳴く声がしていて・・・。

するとテオ神父が、思慮深げに、

「・・・で。あなたは? あなたにも・・・ご自分のお考えが、お有りでしょう?」

ハーディングは、うつむきながら、じっと、考え込む様にしてから、

「・・・ええ、まあ・・・。しかし・・・」

「・・・はい・・・」

「その人物を・・・つまりはメッツェンバウム氏を、直に見るまでは・・・というより、会ってどの様な人物なのか、実際にこの目で、確かめてみたくなりました・・・」

「・・・そうですか。」

ハーディングは、神父に礼を言いつつ、教会から出ようとしたのだが、その背中に、

「私は・・・彼の居所も、人となりも、良く知っているのですが・・・とても、自ら進んで、他人の命を殺める様な人物ではありません。・・・ですが・・・しかしながら、今はまだあなたには、お教えする訳には・・・何せ、この辺りにはウヨウヨと、欲の塊の様な人間が沢山集まって来ておりましてね。・・・あなたも・・・お気付きでしたか? おそらくここへ来る際にもずっと・・・尾行されていた筈ですよ?」

ハーディングは、やや申し訳なさそうに、

「・・・ええ。神父様には・・・ご迷惑をお掛けしてしまい・・・申し訳ありません。」

しかしテオ神父は、人格者らしい受け答えで、

「・・・いえ。慣れておりますから。・・・こういった事には。あなたこそ・・・お気を付けになって下さい。特に・・・元警官、の、顎の所に傷のある人物と・・・その背後にいる人物には・・・」

「ご忠告・・・ありがとうございます・・・」

そう言って、教会の重い扉を開けて・・・ハーディングは、表の世界へと出ると・・・思わずその日差しで、顔をしかめながら・・・ゆっくりと歩き出し・・・そうしてまた、町の中心部、おそらくは『エスペランス・ホテル』へと・・・そして、その後を、15メートル程離れて・・・大方、ウルリッヒの配下の者が一人・・・後を付けていたのであった・・・。


14


・・・例の、狭苦しい事務所、をすぐ出た所に、ウルリッヒは少し冴えない表情で立っていた・・・。

顎の下の、昔の銃弾かかすめた古傷が痛むのか・・・少し触りながら、辺りを見渡していると・・・突然、彼の携帯が鳴り、それに出ると、

「・・・何? アハハ・・・そいつは傑作だな・・・!」

・・・と、言いつつ、携帯を切りしまうのであった・・・。

どうやらそれは、例の、ホテルでのピエトとモンテビデオ氏の一件の、報告の様なのであった。

どうやら彼には、この町で起こっている事は全て、筒抜けらしく・・・そしてそれはそのまま、シメオン氏の元へと伝わり・・・しかしながら、時として、彼の勝手な判断で、伝えない事もあり・・・そういった時はまるで、彼自身が、この町を支配している様な、そんな錯覚に陥るのであった・・・。

彼はふと、シャツのポケットから、一枚のメモ紙を取り出し・・・それは先程の、ドロテアの残したメモだったのだが・・・ウルリッヒは、なぜだか彼自身が設置した筈の、防犯カメラを気にしつつ、その文面を、もう一度確かめるのであった・・・。

そしてそこには・・・ドロテアからの、夜のお誘いの文言が・・・それは彼の記憶によると、確か六回、いや、七回目だったか・・・しかしながら、ドロテアという女は、あのシメオンの女でもあり・・・危険は承知の上で・・・しかし危険である程、なぜだか胸の内というか、余計に熱くなってきて・・・ついその欲求を抑える事が彼には出来ずに・・・そうしていつの間にやら・・・。

しかし表向きは、というか、この町を牛耳るシメオンに逆らう事などは、考えた事すらなく、これからも・・・何か、余程の事でも無い限りは・・・。

・・・彼は、一つ伸びと大きな欠伸をしてから、また狭苦しいオフィスへと、戻って行ったのであった・・・。


・・・一方、『エスペランス・ホテル』へと、戻って来たハーディングは・・・自分の部屋に、クレイトンを呼び出して・・・。

クレイトンは、少し不思議そうな顔をしていて、

「・・・どういう事です? もう・・・モンテビデオ氏を、見張らなくてもいい、というのは・・・?」

「・・・彼は別人だ。」

それでもまだ、クレイトンには何の事やらさっぱり、分からなかったのだが・・・

「・・・ところで、聞きました? オーストラリアから仲間を引き連れてやって来たという男が・・・おそらくは、メッツェンバウム氏の一族にでも、依頼されたのでしょうが・・・」

しかしながら、今のハーディングには、そういった話は全く興味は無いらしく・・・そうして・・・

・・・全ての、事の顛末、真実を聴くと・・・さすがにクレイトンも黙ってしまい・・・

「・・・と、いう訳だよ。つまりは・・・」

「・・・我々がずっとマークしていた人物は、全くの、赤の他人、だったという訳ですか?」

「ああ、多分な。」

「すると・・・例の、健康器具の件はどうなります? あれには確かに、メッツェンバウム氏の、直筆のサインが・・・筆跡鑑定の結果も、ほぼ間違いは無いとの事ですので・・・」

ハーディングは、もう何もかもお見通しだといった感じに、

「ああ・・・何でも、テオ神父の話によると・・・あのモンテビデオ氏も脛に傷持つ身というか・・・要するに、彼自身の名義では、高価な物は買えないらしく・・・本物の、メッツェンバウム氏が、ご親切にも、代わりにサインをして上げたそうだ・・・まあ、言ってみれば、同じ穴のムジナ、ってとこだからな。・・・ウマが合ったのかもな。」

そこでクレイトンが・・・おそらく捜査官ならば当然というか、ごく自然の質問を・・・

「では・・・本物の、メッツェンバウム氏は・・・一体どこに・・・?」

・・・すると、先程までは歯切れが良かったハーディングも・・・少し考え込んでしまい・・・

「・・・ああ・・・そこだな、問題は。なあ、一体どこだと思う・・・?」

「私に訊かれましても・・・私が知りたいぐらいです。」

クレイトンはえらく戸惑っていたのだが・・・。

ハーディングは・・・どうやらそれとは全く別の、件で何か心に引っかかるらしく・・・

「問題は・・・だ。あのピエトという男はじめ・・・他にも、欲の皮の突っ張った人間が・・・そしてこの町は、沸騰寸前だという事だよ・・・!」

「・・・どういう事です・・・?」

訝るクレイトンに、ハーディングは、

「ところで、拳銃はもちろん、持って来ているよな?」

「・・・一体何が始まるんです? ・・・ええ、もちろん常に、携帯はしていますが・・・」

そしてハーディングは・・・その決して広いとは言えない、ホテルの部屋の中を歩き回りながら・・・

「・・・どうやらもう一匹、厄介な化け物が・・・どこかに潜んでいるらしい・・・。さらに、あの・・・元警官だという男も、恐ろしく凶暴らしいぞ・・・。」

クレイトンはそれを聞くと・・・すっかり黙り込んでしまったのであった・・・。


15


・・・いつものむさ苦しい事務所などではなく・・・『エスペランス・ホテル』の、スウィートルームにいたウルリッヒは・・・そしてその隣には、ドロテアが、ベッドの上に、横たわっていたのであった・・・。

ウルリッヒは、柄にも無く、葉巻などを吸いながら、ポツリと・・・

「・・・この町も・・・いい町なんだがな・・・。マッタク、いつか大掃除をしたいモンだぜ。」

「それはつまり・・・アンタが一番上に立つって事かしら・・・?」

と、ドロテアが探るかの様に尋ねると、ウルリッヒは、つい油断したのか・・・本音とも取れる様な言葉を・・・

「・・・ああまあ、それが出来たらな。・・・だが無理だろ?」

ドロテアは、ほんの少しの間、考えていたのだが・・・

「ならアンタが・・・アイツに取って変われば、いいだけの事じゃないのさ。」

さすがにウルリッヒも、それには返答をしなかったのであるが・・・彼が何事かを、思案しているのは確かなのであった・・・。


・・・その全く同じホテルの、ごく普通の部屋、には・・・相変わらず二人の捜査官がいて・・・

すると突然、ハーディングが、奇妙な声を上げた・・・。

「・・・ン?」

・・・クイン氏から入手したという・・・資料をもう一度読み返していた彼は・・・おそらくその中の、一文に、気になるところがあったのか・・・

「・・・どうしたんです? 気になるじゃぁ、ないですか・・・?」

クレイトンの言う事も、最もな事であり・・・ハーディングはようやく、その資料の一部分を指で指し示して、彼に手渡すのであった・・・。

「そこを・・・その箇所をよく見てみるんだ・・・」

「ええと・・・」

「確かメッツェンバウムは・・・子供の頃に、屋根から落ちて、足を怪我したんじゃ・・・なかったのか?」

「ええ、そうですが・・・それが何か?」

「良くその文面を・・・見てみるんだな。」

・・・しかしクレイトンには、この賢明な、先輩の指摘した点が、まだ良く分かってはいないらしく・・・

「・・・すみません・・・私には、さっぱり・・・」

「そこの・・・left、の文字の所だよ。・・・スペースが・・・一文字分、多くはないか・・・?」

「確かに・・・言われてみれば・・・。パッと見では・・・全く気が付きませんでしたが・・・。これはつまり・・・?」

「・・・もしこの文字が書き換えられていたとして・・・right、ならば、文字数がピッタリ合うんじゃないか・・・?」

「・・・なるほどね・・・。・・・しかし、なぜ?」

・・・それはクイン氏を心の底から信頼していた、ハーディングにとっては、もし資料が彼によって、意図的に書き換えられていたとしたのならば・・・その事実だけでも、精神的には少々困惑してしまうところなのであったが・・・しかしその、理由まではさすがに・・・。

もしかしたらクイン氏は、娘の仇は討ちたいとは思っていたのではあろうが・・・心のどこかでは・・・迷いというか、逡巡というか・・・成功しても失敗しても、それは成り行き・・・神のお導きであると・・・実のところ、クイン氏はさほど熱心にそういったものを信仰している訳ではなく、ハーディングも、つい最近までは・・・そうであったのだが・・・あの、テオ神父に会うまでは・・・。

「ああ、たぶん・・・ただ単に、スペースを一字余分に入れただけかも知れないけどな・・・。あるいは、おそらくいろいろな人間の、手に渡っている筈だからな・・・誰がやったのかまでは・・・」

「まあ・・・そうですね。」

・・・取り敢えずその場は、そう言って取り繕ったのであるが・・・幸か不幸か、相棒は単純な性格らしく・・・それが時として彼の長所になったりもしたのだが・・・しかしハーディングは、自分も歳を取り、疑り深くなったものかな?・・・などと、その時はその様な感情にも捉われていたのであった・・・。


16


・・・その森の中では・・・フクロウの、ホウ、ホウ・・・という様な・・・鳴き声が少し遠くで聴こえていて・・・その晩は特に、月がキレイで・・・そこにひっそりと置かれている、テントの中には、アタナシウスがいて・・・彼は携帯電話も持ってはいたのだが・・・もう一つ、もはや前世紀の、遺物、と化してしまった、ポケットベル、などという物を・・・。

彼はそれを、特別重要な連絡用に、使っていたのであった・・・。

携帯では、今の時代の技術では、いとも簡単に、盗聴されて会話を聴かれたり、データを抜き取られたり・・・されないとも限らないので・・・逆に昔の技術の方が・・・誰が今時、ポケベルなどという骨董品を、使っているなどと・・・思うだろうか・・・?

そして・・・夜もすっかり更けた頃・・・その夜はなぜか、空の星も格別綺麗なのだった・・・彼のその、通信手段には、彼の依頼人からの、メッセージが・・・そこにはただ、

「・・・たあげっと ヲ カタヅケロ ハヤイウチニ・・・」

・・・とだけ、記されていて・・・さらに、その三十分程後には・・・

「・・・うるりっひ モ ヤレ・・・」

・・・との、指示が記されていたのであった・・・。

その、冷静沈着で、かつ、冷酷無比な、狼、は、早速持ってきた武器や装備の手入れを始め・・・実は彼には、その森の中にテントを張った理由がもう一つあった・・・。

この季節、早朝になると、毎日ではないのだが、かなりの頻度で、朝霧が辺りに立ち籠めるのであった・・・。

そしてその高台にある場所では、その事が真っ先に分かり・・・時間が経つにつれ、白くてまるで生き物の様な、モヤはゆっくりと時間を掛けて・・・町の方へと降りて行くので・・・。


・・・そこはその小さな町には似つかわしくない、大きな邸宅で・・・その広い寝室には、町を牛耳る、シメオンと・・・ベッドの上には、あの・・・ドロテアがナイトガウン一枚で・・・彼女はウルリッヒとの情事の後、あっという間に、いつもの愛人の元へと・・・チーターも顔負けの素早さで、取って返して・・・そしてまたいつもの、女豹の様な風貌へと戻ると・・・何食わぬ顔で・・・ワイングラスを片手で揺らしながら持ち・・・なぜだか少しだけ嬉しいのか、まるで悪魔でも呼んでしまいそうな、その様な笑みを浮かべて・・・

「・・・だから言ったでしょ? アイツは始めから・・・いずれあなたの地位を、奪うつもりだったのよ。」

そう言うと・・・そのグラスの中のものを、一気に飲み干すのであった・・・。

女性の心理などというものは・・・おそらく、恋愛にいくら長けた者であっても、あるいは心理学者にも、哲学者にも物理学者にも、天文学者にも・・・そしてAIを以ってしたところで・・・永遠の謎のままであったのだろうが・・・この時のドロテアには、おそらく、シメオンとウルリッヒを天秤にかけて・・・果たしてどちらがこの町のボスに相応しいのかを・・・まるで自分が勝利の女神か世界の創造者にでもなったかの様な・・・その時の笑みは、まるでその様に、見えなくもなかったのだが・・・無論の事、ウルリッヒにも、そしてシメオンでさえも・・・窺い知る事は出来なかったろう・・・。

しかしながらこの女性は・・・決して勝利の女神などではなく・・・不和のリンゴを投げ入れたという・・・争いの女神に、違いなかったのである・・・しかもそれは・・・とても厄介で、この町の者たちにとってみれば、迷惑極まりない・・・。

そしてそれは・・・もうまもなく、始まろうと・・・していたのであった・・・。


17


 ・・・その日は、おそらく朝から晴れていたのだが・・・生憎の朝霧とモヤ、によって辺りは・・・そして、それを待っていたかの様に、アタナシウスが遂に、動き出したのであった・・・。

・・・彼は完全武装で・・・と、言っても、彼の考え方は、いかになるべく軽武装で、身軽に動き回れるのかが、生死を分けるカギであるとの考えだったので・・・ほんの僅かな装備のみで、V村のある、山の中腹から、まるで真っ白いレースカーテンの様な、霧を追いかけるかの様に、下って行ったのであった・・・。


 ・・・そうしてS町の中へと入って行くと・・・ウルリッヒはいつものごとく、軋んだ寝心地の悪いベッドですっかり寝込んでいたのだが・・・全く別の、町の治安を守る、というよりは自分達の縄張りを守る為の、下っ端のチンピラの様な男が、モニターでしっかり監視していたのであった・・・。

「・・・ウルリッヒさん・・・! 大変です・・・!」

事務所の中に、その男が駆け込んで来た。

すっかりいい気分で寝込んでいた彼は、いきなりそれを邪魔されたのだが・・・どうやらただならぬ気配を察知し、表へと出ると・・・もうすでに、アタナシウスの姿はどこにもいなくなっていたのであった・・・。

ウルリッヒは慌ててオフィスのPCの画面を覗き込むと・・・もう彼はすでに、『エスペランス・ホテル』のすぐ手前へと、たどり着いていたのであった・・・。

「・・・よし! ありったけの人数を集めろ・・・! チクショウ・・・まだ別のゴキブリがいやがったのか・・・オレの目の届く所で・・・好き勝手させるものか・・・!」

ウルリッヒは目の色を変えて・・・ホテルへと向けて、脱兎の如く駆け出したのだった・・・。


ピエトはというと・・・彼の習慣なのか、それともただ単に眠りが浅いだけなのか・・・大体早い時刻にはもうすでに起きていて・・・ふと、窓の外を見ると・・・数人の銃を持った屈強そうな男たちが、ホテルに向かって、物凄い勢いで・・・。

「おい・・・! まずいぞ・・・!」

彼の使命は・・・メッツェンバウム氏を無事、本国へと送り届ける事だったので・・・慌てて例のラガーメンの様な五人を叩き起こして・・・モンテビデオ氏の部屋へと、向かうのであった・・・。


・・・一方その頃、ハーディングとクレイトンとは・・・なぜかV村にいたのであった・・・。

実は、前の日の晩に、ある男が彼らの元を訪ねて来て・・・

「・・・私は・・・サウルと言います・・・カロルド・メッツェンバウムの・・・」

・・・そしてサウルは、彼ら二人を・・・それはテオ神父の助言によるものなのであったが・・・村へと案内するのであった・・・。

実は三男である、サウルがこの村に滞在していた目的というのは・・・年老いた父を、それとなく見守る為であったのだ・・・。

その一連の話を、道すがら聞かされながら・・・ようやく村へと着くと・・・年を取ってはいるが、姿勢はシャンとしていて、そしてやはり・・・左、ではなく、右足を引きずった、一人の老人が・・・笑顔で待ち受けていたのであった・・・。

本物の、メッツェンバウム氏は、あくまでも物腰は柔らかに、

「・・・お二人の事は・・・神父からお聴きしましたよ? 私の為に・・・申し訳ありません・・・わざわざ・・・そして、クイン氏の、娘さんの事も、ずっと心の中に、引っ掛かってはいたのですが・・・」

そう言って少しうなだれる彼は・・・二人の捜査官らには、この国に来る前に想像していた姿とは・・・似ても似つかないものなのであった・・・。


・・・以上のV村での事が、昨晩の事で・・・テオ神父の元へも、ウルリッヒ程ではないのだが、いろいろと情報が入るらしく・・・何やら不穏なものを感じ取った神父が、ようやくハーディングらに、彼らの追い求めていた人物の、居所を教えたのだった・・・。


・・・そうとは知らず、全くの別人である、ロベルト・モンテビデオ氏を探し求める、ピエトと五人の男たち・・・それに、それ以上の人数を引き連れて来ようとしている、ウルリッヒ・・・そしてたった一人で、おそらくどこかすぐ近くにいるであろう、アタナシウス・・・と、ヨーロッパのほぼど真ん中の、地図上ではまるでシャープペンシルで記した点、程の、小さなS町は・・・朝っぱらから、物々しい雰囲気に包まれていたのであった・・・。


・・・しかしながら、現実というものは実に滑稽なもので・・・実を言えば彼らが本物、と思っているメッツェンバウム氏である、モンテビデオ氏は・・・昨晩のうちに、最終電車で、こっそりと防犯カメラにもそれと分からぬ様、変装をして・・・町を脱出していたのであった・・・。

つまりは・・・三つの勢力は・・・全くのニセモノどころか、その姿すらもうそこには無い存在を・・・銃を構えて血眼になって、探し求めていたのであった・・・。


そうこうするうち・・・一人、また一人と、ウルリッヒの配下の者たちが、何者かに狙撃され・・・それはおそらく、どこかしらの建物の屋上から狙う、アタナシウス以外には考えられないのであったが・・・いつの間にやら十人近くいた、ウルリッヒとその手下どもは、彼を含めてほんの二、三名へと、なっていたのであった・・・。

しかしウルリッヒは、これはてっきりピエトの仕業であると勘違いをし、二つの勢力の間で、激しい銃撃戦となったのであった・・・。


・・・そして・・・銃声がほぼ止んだ頃・・・残っていたのは、ピエトと、かなりの深傷を負ったウルリッヒのみで・・・そこでようやく、全くの無傷と言ってもいい、アタナシウスが建物の屋上から下りて来て・・・。


18


・・・V村では、ハーディングが、何かを決断したかの様に、おもむろにエドヴァルド、つまりはカロルドに、告げるのであった・・・。

「私たちは・・・これで引き上げます・・・。クイン氏には・・・あなたは結局見付からなかったと・・・」

するとすぐ横にいたクレイトンも、それで納得したのか、黙って軽く頷き、メッツェンバウム氏はというと・・・目に少し、涙を浮かべながら・・・

「・・・誠に申し訳ない・・・その、クイン氏の娘さん・・・」

「・・・カレンです・・・。」

「・・・彼女には、カレンさんには、これで、せめて花束でも・・・」

・・・と、札束を、封のついたまま、ハーディングに手渡すのであった・・・。

「・・・ありがとうございます。・・・では。」

と、彼ら二人が立ち去ろうとすると、サウルが、

「まだ下には行かない方がいいですよ・・・? まだ先程から、ドンパチ、やっていますから・・・」

・・・などと言うのであった・・・。


・・・サウルの言う通り・・・まだこの勝負の決着は、完全にはついてはいなかったのだった・・・。

しかしもうすでに血だらけで、傷だらけのウルリッヒは・・・ヨロヨロとなりながら・・・ピエトとアタナシウスに背を向け・・・一足先に、戦線離脱したのであった・・・。

そして・・・建物の角を曲がった所で・・・何とあの、この町の青年である、ミヒャエルが立っていて・・・手には、どこで拾ったのか、一丁の拳銃が・・・。

 パーーン・・・! ・・・という、乾いた音が裏通りの方で響き・・・建物の角から、ほんの一瞬だけ、その、ミヒャエルが顔を出したのだが・・・またクルリと方向を変えると・・・そのまま、まるで夢遊病者の様な足取りで・・・どこへともなく、去って行ったのであった・・・。


・・・通りでは・・・ピエトとアタナシウスとが向かい合っていて・・・しかしピエトは傷付き、満身創痍で、アタナシウスは全くの無傷で・・・勝負はやる前から、決まっていた様なものだったのだが・・・しかしピエトには、ここで逃げようとか、諦めようとか、ましてや、命乞いをしてまで、生き残るつもりなど・・・。

長い長い沈黙と・・・しかしながら、実際のところは、ほんの一、二分程なのであった・・・ただ、ヒューヒューという、建物の間を走る、風の音だけが・・・

・・・ほぼ同時、同じ動作、おそらく寸分違わず・・・しかしながら、ピエトは利き腕に傷を負っていて、銃を持った腕を上げるのが、ほんの一瞬だけ遅く・・・ただでさえ、普段から軽い銃を使っていた、アタナシウスの方が・・・気が付くと、ピエトの額の中央には・・・まん丸い穴が・・・。

・・・彼はパタリと、地面にうつ伏せに倒れ・・・しかしその、冷酷非情な殺し屋は、倒れた男の後ろの、首筋の辺りにも、もう一発・・・。

そうしてその、金髪の遠い国からはるばるやって来た男は・・・完全に動かなくなり・・・ただの物、の様に、いつまでもそこに伸びていたのであった・・・。


・・・続いて最後までただ一人残ったその男は・・・依頼を完全に遂行すべく、ホテルに入って行き・・・フロントへと・・・。


 真正面には、いつものごとく、支配人のミュラーが、毅然とした態度で、しかしながら、笑顔は絶やさず、立っていて・・・。

すると突然、裏口からでも入ったのか、ハーディングとクレイトンとが、ゆっくりと、しかし拳銃は決して握らず、宙にプラプラとさせながら、ミュラーとアタナシウスの丁度、中間辺りに、立ったのであった・・・。

アタナシウスは、その間中も銃を構えていたのだが、ハーディングが、落ち着いた口調で、拳銃は床に置きつつ・・・

「・・・アンタの探している男なら・・・昨日の晩に・・・最終列車で、この町を出て行ったよ。」

すると、ミュラーが、宿泊者名簿を見ながら、

「・・・はい、確かに・・・ロベルト・モンテビデオ様は・・・昨晩の22時3分に・・・お発ちになりました・・・宿泊費も、全てお支払いされて・・・」

その言葉を聞いた途端、アタナシウスは・・・半分は勝利を収めたものの、残りの半分では、敗北した事を、即座に悟って・・・やがて、フロントには180°背を向けて・・・『エスペランス・ホテル』を後にし・・・さらには、V村の自分のテントへと戻ると・・・すぐに撤退して行ったのであった・・・。


『エスペランス・ホテル』のロビーでは・・・地面に置いた拳銃を拾いつつ、ハーディングが、クレイトンに、

「・・・な? 拳銃も、こうして役に立っただろ? ・・・使わない事で、役立つ事だって・・・あるんだよ?」

クレイトンも、自分の銃を拾って、ホルスターにしまいながら、

「・・・そうですね。一つ勉強になりました。」

・・・と、そこは彼にしては素直に、認めるのだった・・・。

 ・・・するとフロントにまだ立ち尽くしていた、ミュラーが、

「・・・あなたたちを・・・甘く見ておりました様ですね。私はてっきり・・・」

するとすかさずハーディングが、

「いえいえ・・・あなたのプロ根性こそ、敬服に値するものです。・・・素晴らしいものを見させていただきました。」

「そうおっしゃられますと・・・正直なところ、照れてしまいますな。」

と、言いつつも・・・再びまたいつもの、業務を・・・すぐに再開したのであった・・・。


19


「・・・そうか。」

ここ、南の大陸の広大な邸宅の中では・・・タウンゼントが、落胆した様に、携帯を切ると、背広の内ポケットに、しまうのだった・・・。

その姿を見て、次男のトムが、

「何かあったのか・・・?」

と、訝る様に聞くと、

「・・・ええ。全滅です。」

「何だって・・・!?」

「・・・我々が送り込んだあの・・・つまりは失敗だったって事ですよ・・・!」

「・・・。」

・・・トムはその顧問弁護士の最後の言葉を聞くと・・・黙ってしまったばかりか・・・徐々に身体が震え出してくるのを、自分でも止める事が出来ずにいたのであった・・・。何しろ・・・大金は入って来るものだとばかり思っていたので・・・まるでポーカーで、つい相手のプレーヤーに合わせて、勝負に乗っていいカードが出来ているぞと、言わんばかりに、自分のビジネスに、有りもしない有り金の全てを、先行投資してしまい・・・どうやらしかしその見通しは甘かった様で・・・これから先の、債権者がどっと押し寄せて来る光景が目に浮かんで・・・。

「・・・ジェームス様と、ヴェロニカお嬢様にも・・・伝えておきます・・・」

と、タウンゼントはその部屋を足早に、出て行くのであった・・・。


それとは全く地理的には逆の・・・地球の裏側の邸宅では・・・シメオンとドロテアがいて・・・シメオンは、特にどうといった訳でもなく、平然とした顔で、

「・・・昨日はえらい騒ぎだったな。おかげで・・・しばらくはこの町も、静かにはなるだろうが・・・」

そしてドロテアも、澄ました表情で、

「あなたは一体・・・何が望みだったの? その・・・何とかと言う、逃亡者だかを、この世から消し去って・・・」

シメオンは、笑ってこう答えるのであった。

「・・・なあに。生かしておくといずれやがて・・・争い事、厄介事の種になるものと、思ったもんでね。」

「争い事は・・・あなた自らが、作ったんじゃなくって・・・?」

・・・と、ドロテアが言ったのだが・・・その権力者は、ただニヤニヤと、笑っていただけなのであった・・・。


 ハーディングとクレイトンとは、本物のメッツェンバウム氏、であるエドヴァルドとサウル、そしてテオ神父とも、別れを告げて・・・その、全ての事の発端となった『エスペランス・ホテル』・・・のフロントで、チェックアウトを済ませると・・・

「・・・ありがとうございました・・・またのご利用を・・・」

という、ミュラー支配人の、紋切り型的な挨拶に見送られて・・・やはりS町を、後にするのであった・・・。

・・・するとクレイトンが、おそらくあと一時間近くはやって来ないであろう、電車を待ちながら、プラットホームで、

「・・・知ってます? エスペランスとは・・・どこかの国の言葉で・・・‘希望’って意味らしいですよ・・・?」

するとそれを聞いたハーディングが、小さな欠伸をしながら、

「・・・希望ねぇ・・・。・・・そんなモン、有ったっけ・・・?」

「さあ・・・」

クレイトンは首を捻り・・・ハーディングとは少しだけ離れたベンチに腰掛け・・・プラットホームには、彼らの他には人はおらず、ガラガラなのであった・・・おそらくは、観光シーズンにでもなれば、人でごった返すのであろうが・・・。


ふとクレイトンが、真横を見ると・・・かなり離れた所に・・・一組の男女が・・・。

それはあの・・・ミヒャエルとテレーゼの様なのであった・・・。

しかしクレイトンは無論の事、二人の事は全く知りもしなかったので・・・特に気に掛ける風でもなく、列車が到着するまで、じっと目を閉じて、待つしかないのであった・・・。


・・・例の、主人のいなくなった、狭苦しい、事務所、の中では・・・またいつもの様に、片足を引きずった、バルトロがやって来て・・・ゴミをガサゴソと・・・漁っていたかと思うと・・・やがてその日は捨てる物も多かったのか、四つもの大きな袋を担いで、いつもと全く変わらぬ調子で・・・ドアをきちんと閉めてから、左足を引きずりつつ・・・いずれともなく、ゆっくりと向かうのであった・・・。


その日もまた・・・空はキレイに晴れていて・・・真っ青な、まるでキャンヴァスの様な平面の中を・・・元気に鳥たちが・・・そしてその空は、おそらくは地球の裏側まで・・・続いているのであった・・・。


エピローグ


「・・・申し訳ございません・・・結局、見付ける事は・・・出来ませんでした・・・」

「・・・いいのだよ・・・まあ、あまり気にしないでくれたまえ・・・」

「・・・それで・・・この件は、解決したのでしょうか・・・?」

「まあ・・・良くは分からんが・・・この私にも・・・実のところ・・・」

「こう言うのも何ですが・・・もうなくなってしまったものは・・・かえっては・・・」

「・・・確かにそうだな・・・」

「・・・申し訳御座いません・・・」

「・・・いや、いいのだよ・・・なぜだか・・・なぜかは分からぬのだが・・・私の心は晴れた・・・一体なぜなのか・・・?」

「・・・それはつまり・・・」

闇の中で・・・またしても、三人の男たちの話し声が・・・聴こえていたのだが・・・やがてそれも、いつの間にやら・・・しなくなり・・・ピタリとやんで・・・やがて町の喧騒へと・・・取って代わり・・・そうして、バタン、バタン、という・・・音が三回、鳴り響いたかと思うと・・・町のざわめきは・・・一層・・・大きくなって・・・。


・・・再び辺りは、シンとなった。







終わり




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オーストリアのオーストラリア 福田 吹太朗 @fukutarro

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