第26話 銃声・雄叫び

「動くなっ!」


 しんと静まる深けたばかりの夜の静寂の中に一ノ瀬さんの声が響いた。


 欠けたばかりの月明かりはその暗い顔を妖しく照らす。


 その顔を見て、俺は胸が苦しくなった。


 絶望


 失望


 憤怒


 激情と深い悲しみ。


 酷い傷つけられかたをした女性の顔がそこにあった。


 部室での光景が頭をよぎり、また吐き気が込み上げた。


「アンズちゃん、すまんかった。 まさかあいつらがっ」


「うるさいっ!」


 バガンッ!


 ルパンさんの足元のバケツが弾け飛んだ。


「全員死ねばいい、こんな世界もうたくさんっ」


 俺もルパンさんも体が固まって何も言葉を返せない。


 唇を震わせながら訴えた一ノ瀬さんに


 その声に


 言葉に


 応えるように聞こえてきたのは


「あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁぁっっっーーーー」


 凄まじい大音量の雄叫び。


 ルパンさんと俺が同時に振り向いた先、学校の校門を見下ろすとおびただしい数のゾンビがいた。


 もう既にルパンさんの作った防護策を乗り越え、今にも校門を押し倒しそうな数が集まっている。


 その後ろにも延々と走り寄るゾンビが見える。


「・・・ まじかよ」


 数万にも上りそうな数。


 あんな量のゾンビは初めて見る。


 見る間に、重量を支えきれずに校門の大型引戸門扉が押し倒されて学校の敷地内がゾンビで埋め尽くされていく。


 その様は、テレビで見た震災の津波が全てを押し流していく光景を思い出させた。


 あの津波がさらっていくのは生きた人間の血肉。


 通った後には骨も残りそうにない。


 それを見て一ノ瀬さんは薄笑を浮かべていた。


「ルパンさんっ! なんですかアレ!」


 塔屋の扉が開いて相田ハヤトが屋上に現れた。


 その後ろからも何人かついてきている。


「なんだあれ! やばいやばいやばいやばいっ! 玄関閉めてきます!」


 相田ハヤトが下へ降りる階段へと駆け寄る。


「行くな! 今から行っても遅い、階段のバリケードを閉じるしかない」


 ルパンさんが走り出そうとした相田ハヤトを止めた。


 ゾンビは見ている間に玄関に駆け寄り、中に入ってくる。


 そうだ、玄関は俺が扉を開けっ放しにしたんだったな。


 笑える、散々ここの人間の危機意識のなさを笑っていたのに扉を開けてゾンビを中に入れたのは俺か・・・


「なんで、なんで銃なんか撃ったんだ! お前のせいでめちゃくちゃじゃないかっ!」


 柳ナントカが叫んで一ノ瀬さんに詰め寄ろうとするが銃口を向けられて止まった。


「私のせいでめちゃくちゃ? 馬鹿じゃないのアンタ。 最初っから、めちゃくちゃじゃない。 人間なんて滅んだ方がいいのよ、ろくな事しないんだから」


 冷笑を浮かべ、吐き捨てるように言いながらゆっくり後ろに下がる。


「警察がいなくなった途端に好き勝手、欲しい物は奪う、盗るのは当たり前。 私が何回犯されたか教えようか?」


 睨む目は、これが人間かと思えるほどに冷たい目だ。


「腹いせに、誰かを道連れに殺したところで文句言われる筋合いなんてないわよ」


「俺がお前に何したって言うんだよっ!」


「黙ってろ!」


 柳に怒鳴った。


 コイツ馬鹿か?


 不特定多数の人間に酷い目にあった人間に俺が何したって言うのか?


 自分の事しか考えてない。


 1歩前に出た俺に一ノ瀬さんが銃を向ける。


 こんな奴どうだっていい、いや、ここにいる誰も、どうなっても別にどうとも思わない。


 俺が救いたいのは目の前の一ノ瀬さんだけだ。


「・・・」


 怪訝な顔で俺を見る、一ノ瀬さんに死んで欲しくない、何かを言いたいのに言葉が見つからない。


 一ノ瀬さんがまたゆっくり後ろに下がる。


 死ぬつもりだ。


 そこから飛び降りて。


「待って!」


 どうする。


 なんて言ったらいいんだ。


 分からない。


 死のうとしてる人間に、なんて言って止めたらいい?


 なんて言ったら止まってくれるんだ。


「一ノ瀬さん」


 彼女がまっすぐ俺を見る。


 彼女は言葉を待ってる。


 俺の言葉を。


「・・・ 生きて、生きてくれ。 俺と一緒に」


 手を伸ばした、距離は遠い、このままじゃ届かない。


 ゆっくり前に進む。


 一ノ瀬さんは何も言わずに俺を見ている。


 俺が1歩進めば、彼女は1歩下がった。


 これじゃダメなのか。


 そりゃそうか。


 俺は母親にそう言われて今も生きている。


 でも、母親に言われるのと、赤の他人に言われるのじゃ重みがまるで違う。


 ましてや、会ったのは昨日の夜だ。


 時間にしたら24時間も経ってない。


 じゃあ、なんて言えばいいんだ?


 ダメだ、安っぽいセリフしか思い浮かばない。


 一ノ瀬さんが屋上の淵に立った。


 そして


 なんの躊躇いもなく


 彼女はそのまま落ちていった。


 距離は約3m。


 走る、バケツに蹴つまづいた。


 前のめりになりながらも踏み出して縁に腹をぶつけながら間一髪、一ノ瀬さんの手を掴んだ。


 銃を持った手を。


「・・・」


 一ノ瀬さんは何も言わない。


 じっと俺の目を見たままだ。


「大丈夫かタケシっ!」


「来ないでくださいっ!」


 駆け寄ろうとしたルパンさんを止める。


「一ノ瀬さん下見て」


 ちらりと下を見る、地上にはゾンビが雄叫びを上げている。


「一緒に行きましょう、俺も1人は疲れた。 先に飛んで待っててください、死体の山の上で会いましょう」


「・・・」


 何も言わない。


 一ノ瀬さんは何も言わないが、少し笑った気がした。


 俺は一ノ瀬さんの手を離した。


 雲が月を隠して、校舎と校舎の間に深い闇を作った。


 その闇に一ノ瀬さんが落ちていく。


 だんっ


 その音が聞こえ。


 彼女は闇の中に消えた。


 去り際に俺を見た気がした。

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