あとがきに代えて・真珠二粒への想い

 つい最近、何年振りか判らないほど久しぶりに宝飾店を訪れた。

 私が宝石屋のお姉さんだったのも、遠い昔のことになってしまったが、その当時に何十点という本物を見続けたせいか、不思議とある程度の目利きスキルは健在である。それは、ジャンルを越えた素晴らしい音楽や絵画を経験すると、良いものとそうでもないものの区別がつくようになるような、本当に素晴らしい日本酒やワインを飲むと数段階舌が肥えてしまうような───そんなものの一つなのかもしれない。


 何かと時間に追われている私は、宝飾品に限らず、購入予定の商品の下見に、中型二輪のライダーの格好で立ち寄ったり、タクシーの制服で勤務中に立ち寄ったりする為、碌な接客も受けられないことは多々あるが、今回はそのような扱いは受けなかった。選びたいものが選びたいものだったので、それだけで幸運の予感がした。

 今回欲しかったのは、子供がいない私にとって世界一可愛い、唯一の姪っ子の成人祝いである。

 以前から、成人祝いにはパールのチョーカーをあげたくて貯金に励んでいたのだが、遺憾ながら二年に及ぶコロナ禍の影響で収入が激減、貯金は夢の藻屑もくずと消えた。

 そして、二十歳に金のアクセサリーをプレゼントするとその子が幸せになるとか、社会人になる女の子にはパールをプレゼントするといいとかいう話が、実はほとんどビジネス・トークだと私は知っている。それでも、パールをプレゼントしたかったのだ。

 それは、日本人にとってパールのアクセサリーが大人の象徴であること。冠婚葬祭のすべての場面で使用可能で、これから社会でフォーマルな場所に出向くことになる子への手向けになるからだ。それほどに、愛しの姪っ子を寿ことほいであげたかった。

 

 今回手に入れることが出来たのは、あこや真珠のピアスである。

 チョーカーの予定が、たった二粒の真珠になってしまったが、それでもステキな商品に巡り合えた。巻きも照りも素晴らしく、色合いも派手すぎない七.五mm───予算内では充分過ぎるほどだ。


 私が知っているだけでも、諸々のイベントで宝飾品を売る為のビジネス的に作られた風習は多くあるが、それに乗っかっても悪い事ではないのではないか?

 贈る方が、お祝いの気持ちと幸せになって欲しいという願いを籠めているのであれば、それもまた浪漫という名のふりかけなのだと思うのだ。

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浪漫という名のふりかけ 睦月 葵 @Agh2014-eiY071504

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