04 中岡慎太郎

 侍は脱いでいた服を着て、刀を差して、「では」と別れを告げようとした。

 岩倉は、わが子の命の恩人とあって、ぜひとも引き留めようとしたが、侍は行くところがあると言ってそれを断った。


「なら……ならせめて、名ぁを教えて欲しいんや。尊公の名ぁは?」


「名乗るほどの者ではないきに。けれど、名乗らぬのも失礼か……僕は中岡言います」


 中岡はにこりと笑って、実は岩倉という公家を探しているが知らないかと言った。


「そ、そりゃあまろや。磨が岩倉具視いわくらともみや」


「え!? あんな軽率に、服を着たまま川に飛び込むような真似をする奴、否、人が、岩倉具視卿?」


「軽率で悪かったな……いや、それは吾子あこの危機やさかい、放っといたってぇな!」


「というか、何ですか、その服装……作務衣さむえというか何というか」


「磨は出家したんや。友山という法名も得とる。坊主の格好して、何が悪いんや」


「悪くはないですが……」


「ああ、もうええ、もうええ! 磨に何か用事か?」


 岩倉としては、追放処分で誰も――それこそ浪士すら来ない状況で、初めて訪ねてきた客である。しかも、息子の命の恩人であるので、鼻から流れる血を顧みず、己の幽居うちへと案内した。

 いや、鼻血は何とかしろと言われて、具定ともさだの持っていた襤褸ぼろを鼻に詰めはしたが。



 侍は改めて、中岡慎太郎と名乗った。

 聞くと、土佐藩を脱藩した浪士だという。


「僕は、宮中にその人ありと謳われた岩倉具視卿に一目会いたいと思い、参じました」


「うむ」


 重々しくうなずいたつもりだが、いかんせん鼻にをしている顔では、後ろに控える具定と八千麿やちまろの笑いを抑えられなかった。


「やかあしい!」


 岩倉が吼えると、片方のが飛び、それが子どもらの笑いをさらに招くのであった。


「坊主ら、お父上は君らを救うために名誉の負傷を負ったんよ。堪忍しとき」


 慎太郎がそう言うと、子どもらは「はい!」と元気よく返事をして、神妙な態度を取った。

 岩倉としては、けがをさせたのはお前だろうと言いたいが、慎太郎が何しに来たのかを聞く方が先だと向き直った。


「何の用で来たんや?」


「まず、岩倉さまがどんな人かぁ見るためですき」


「ほう」


 して如何いかがだったかなと岩倉は、と前へ出た。


「勢い衰えず。まだ何か仕出かす男じゃと思いましたきに」


「ほうほう」


 岩倉は大いに機嫌を良くし、それではいつ宮中へ戻る算段だと慎太郎に問うた。


「いつ? そんな心算つもりはありません」


「えっ」


「僕たち浪士にそんな力ぁありません。それは岩倉さまの仕事ですきに」


「ええ……」


 岩倉は慨嘆がいたんした。

 この洛外での生活に、早く区切りをつけて、宮中に復帰したい、国政に参加したいと思っていたのに、やっと訪ねて来た救いの手がこれでは、あまりではないか。


「しかし」


 今度は慎太郎が前に出た。


「岩倉さまの幽居は、僕たち土州土佐の浪士が警固します」


 もうすでに岩倉村の各所に散り、慎太郎はその手配と確認を終えてから、初めて岩倉に会いに行くことして、その途次に、岩倉川に流される八千麿を見かけたのだと言う。


「つまり、岩倉さまはこの幽居暮らし、自力で這い上がっていただきたい。身の安全は図ります。もし、薩摩や長州の誰かに会いたいということなら、連絡つなぎを取ります」


「…………」


 岩倉は沈黙した。

 己の甘さを反省した。

 自分はこんな洛外に追い出され、酷い目に遭っている。

 だから、これからはが来るのではないかと思っていた。 


「しゃあけど、すりゃ、おごりやったな。まずは、己が行動せなあかん」


 それが国士いうもんや、と岩倉はひとりごちた。


「よっしゃ」


 よく考えてみたら、家族や自分の安全を図ってくれ、しかも外への連絡つなぎまでやってくれる――これこそ、ではないか。


「やったるでぇ、中岡君」


「その意気です」


 慎太郎は笑った。

 それが何とも言えない、陽気な笑顔で、岩倉も子どもたちもつられて笑うぐらい、明るかった。


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