04 中岡慎太郎
侍は脱いでいた服を着て、刀を差して、「では」と別れを告げようとした。
岩倉は、わが子の命の恩人とあって、ぜひとも引き留めようとしたが、侍は行くところがあると言ってそれを断った。
「なら……ならせめて、名ぁを教えて欲しいんや。尊公の名ぁは?」
「名乗るほどの者ではないきに。けれど、名乗らぬのも失礼か……僕は中岡言います」
中岡はにこりと笑って、実は岩倉という公家を探しているが知らないかと言った。
「そ、そりゃあ
「え!? あんな軽率に、服を着たまま川に飛び込むような真似をする奴、否、人が、岩倉具視卿?」
「軽率で悪かったな……いや、それは
「というか、何ですか、その服装……
「磨は出家したんや。友山という法名も得とる。坊主の格好して、何が悪いんや」
「悪くはないですが……」
「ああ、もうええ、もうええ! 磨に何か用事か?」
岩倉としては、追放処分で誰も――それこそ浪士すら来ない状況で、初めて訪ねてきた客である。しかも、息子の命の恩人であるので、鼻から流れる血を顧みず、己の
いや、鼻血は何とかしろと言われて、
*
侍は改めて、中岡慎太郎と名乗った。
聞くと、土佐藩を脱藩した浪士だという。
「僕は、宮中にその人ありと謳われた岩倉具視卿に一目会いたいと思い、参じました」
「うむ」
重々しくうなずいたつもりだが、いかんせん鼻に詰め物をしている顔では、後ろに控える具定と
「やかあしい!」
岩倉が吼えると、片方の詰め物が飛び、それが子どもらの笑いをさらに招くのであった。
「坊主ら、お父上は君らを救うために名誉の負傷を負ったんよ。堪忍しとき」
慎太郎がそう言うと、子どもらは「はい!」と元気よく返事をして、神妙な態度を取った。
岩倉としては、けがをさせたのはお前だろうと言いたいが、慎太郎が何しに来たのかを聞く方が先だと向き直った。
「何の用で来たんや?」
「まず、岩倉さまがどんな人かぁ見るためですき」
「ほう」
して
「勢い衰えず。まだ何か仕出かす男じゃと思いましたきに」
「ほうほう」
岩倉は大いに機嫌を良くし、それではいつ宮中へ戻る算段だと慎太郎に問うた。
「いつ? そんな
「えっ」
「僕たち浪士にそんな力ぁありません。それは岩倉さまの仕事ですきに」
「ええ……」
岩倉は
この洛外での生活に、早く区切りをつけて、宮中に復帰したい、国政に参加したいと思っていたのに、やっと訪ねて来た救いの手がこれでは、あまりではないか。
「しかし」
今度は慎太郎が前に出た。
「岩倉さまの幽居は、僕たち
もうすでに岩倉村の各所に散り、慎太郎はその手配と確認を終えてから、初めて岩倉に会いに行くことして、その途次に、岩倉川に流される八千麿を見かけたのだと言う。
「つまり、岩倉さまはこの幽居暮らし、自力で這い上がっていただきたい。身の安全は図ります。もし、薩摩や長州の誰かに会いたいということなら、
「…………」
岩倉は沈黙した。
己の甘さを反省した。
自分はこんな洛外に追い出され、酷い目に遭っている。
だから、これからは良い目が来るのではないかと思っていた。
「しゃあけど、すりゃ、
それが国士いうもんや、と岩倉はひとりごちた。
「よっしゃ」
よく考えてみたら、家族や自分の安全を図ってくれ、しかも外への
「やったるでぇ、中岡君」
「その意気です」
慎太郎は笑った。
それが何とも言えない、陽気な笑顔で、岩倉も子どもたちもつられて笑うぐらい、明るかった。
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