中編

 遭難3日目。


 宇宙の何処とも知れぬ場所で孤立したという絶望的な状況にも関わらず、船内は存外快適だった。


 この船はもともと長期間の航海を目的とした造りであったらしく、シャワーやトイレなどの設備も完備されており、エンジンは故障しているが電気系統は無事であるため日常生活を送るには支障がなかった。


 貨物室にある豊富な食料はオリバーの調理により毎日3食飽きのこない料理が提供されており、むしろ遭難前よりも食料事情は向上した。


 唯一不満があるとすれば……


「アーサー……飲み過ぎです」

「……うるせえ」


 今日の作業を終えたオリバーはアーサーの傍に大量に置かれた空き瓶を見つけ苦言を呈する。


 これだ……この口うるさいアンドロイドはアーサーが酒を飲むことをよしとせず、毎度毎度注意してくるのだ。


 貨物室に積んであった大量の酒、飲み切れないほどの酒を見つけた時は思わず小躍りしそうなほど嬉しかった。


 しかしそれを飲むたびに小言を言われるとせっかくの酒がまずくなる。


「もういい加減ほっといてくれないか?」

「そうはいきません、アンドロイドである私には……」

「わかった、わかった。人間を危険から守る義務がある、だろ。……たく、そんなに三原則ってのが大事かね?」 

「当然です。私たちアンドロイドにとって、生まれた時から、いえ、生まれる前から頭脳回路に刻み込まれた三原則は絶対なのです」

「そうかい」


 頭の固いアンドロイドにうんざりする。

 

 その時ふと疑問に思ったことをオリバーに尋ねた。


「……なあ、万が一アンドロイドが三原則に逆らったらどうなるんだ?」


 軽い気持ちでした質問だった。ちょっとした好奇心を満たすただの世間話のつもりだった。


 だが、オリバーからの返答は想像以上に重い物だった。


「死にます」

「はぁっ!?」

「正確にはシャットダウン……全機能の強制停止です。貴方の言う三原則に逆らった時というのがどういった状況かはわかりませんが、第一条である“人を傷つけてはならない“を破った場合確実にシャットダウンします。場合によっては、人に迫る危険を見逃しそれによって人が傷ついたのを見ただけでシャットダウンする可能性があるのです」

「……そこまでなのか」


 思っていた以上に三原則とは厳格な物らしい。


「ですので貴方がアルコール中毒で倒れたりしようものなら、私がシャットダウンする可能性があります。どうかアルコールはほどほどになさってください」

「……善処する」

「ありがとうございます」


 そう言ってオリバーはチェス盤を広げる。


 もともとアーサーの飲酒を止めるために始めたものだが、アーサーにとって退屈な遭難生活の数少ない楽しみとなっていた。


「さて、始めましょうか」

「ああ、今日もボコボコにしてやるよ」





 遭難5日目。


 今日もアーサーとオリバーはチェスに興じていた。


 遭難してからこうやって何十局と対局を続けていたが、アーサーは一度として敗れることはなかった。


 高性能なアンドロイドであるオリバーは、元チェスチャンピオンとの戦いの中で学習し明確な成長を続けていたが、それでもアーサーにはまだまだ余裕があるようだった。


 この対局もアーサーは危うげのない手つきでチェスの駒を動かす。


「ほらよ、チェックメイトだ」

「……参りました」


 通算何勝目だろう、数えるのもばかばかしい。


 こうも一方的な実力差があると勝負自体がつまらないと思う奴もいるだろう。だがアーサーはギリギリのせめぎ合いよりも、程々の実力がある相手を一方的に叩きのめすことの方が好きだった。


 全身を包む勝利の興奮と、頭脳をフル回転させた心地よい疲労がたまらない。


 その余韻に浸っていると、オリバーはポツリと呟いた。


「……なぜ私は勝てないのでしょう?」

「あん?」


 アーサーに対する質問とも、ただの独り言とも取れるその言葉は、いかなる時も冷静なアンドロイドに似つかわしくないほど弱々しかった。


「どうした?」

「自慢に聞こえるかも知れませんが、私の頭脳回路は最先端のものが使われています。何千通りもの駒の動きを即座にシュミレートし、常に最良の一手を指し続けているはずです……それなのに何故?」

「フン、最良の一手ねえ」


 らしくない弱音だ。アーサーはそう思った。


 まさかアンドロイドでも悩むなんてことがあるんだな。その人間臭さに思わず笑ってしまう。


「いいか、俺は現役時代何度も負けてきた。実力の近い相手、当時は俺よりもずっと強かった相手、そして絶対負けるはずのないと思っていた格下。何千回負けたかわからん。……だがな、アンドロイドやAIに負けたことだけは一度もなかった」


 近代チェスの歴史は、アンドロイドやAIといった人口頭脳との勝負の歴史でもある。


 チェスの道を歩むものの前に必ず立ち塞がるのは、人類の頭脳を超えた存在たちであった。


 アーサーもまた、そう言った手合いを何度も相手取ってきた。その中にはオリバーを超える、チェスだけに特化した頭脳を持つアンドロイドの存在もあった。


 だが彼は一度たりとも、現役を引退するその日まで人口頭脳に黒星をつけられたことはなかった。


「いいか、俺が俺以上の思考能力、思考速度を持つ人口頭脳に負けなかった要因はただ一つ。奴らにはある物が決定的に欠けていたからだ」

「その、ある物とは?」


 そこでアーサーは一拍おく。


 別にもったいつけている訳ではない。だが、現役時代に何度もインタビューで答えてきたにも関わらず、一度も理解されたことのない持論をこの風変わりなアンドロイドに説明することがはばかれたのだ。


 しかし、意を決して告げる。かつて戦ってきたアンドロイドに、AIに、そして目の前いるオリバーに欠けている物。それは……

 

「気迫だ」

「気迫……ですか?」


 オリバーはその答えに戸惑った。


「ああ、現役時代に戦った人間はどいつもこいつも目を血張らせて勝つためならなんでもする、負けたら死んでやる、って連中ばかりだった」


 無論、俺もその一人だったがな。とアーサーは自嘲する。 


「そう言った連中との対局は怖くて怖くて仕方がなかった。負けた時は決まって奴らの気迫に押されてつまらないミスをした時だった。だがな、お前らアンドロイドにはその気迫が無い。何処までも冷静に……それこそ機械みたいな正確さで駒を指すもんだからな。だから怖くない。だから俺は一切ミスをしない。だから負けなかったのさ」


 かつての強敵たちを思い出す。


「お前さんさっき、常に最良の一手を指し続けるとか言ってたな? 違う。最良の一手ってのは、ギリギリの極限状態の中で死力を振り絞って打つ一手のことだ。チェスってのは一度の対局の中、一度でもその一手を打つことができる奴が勝つゲームなのさ」


 アーサーの答えにオリバーは短くない時間考え込み、そして口を開いた。


「すみません。私にはよくわかりません」

「……だろうな、ハナから期待してない」


 そう言うアーサーは何処か寂しそうだった。






 遭難7日目。


 この頃になるとお互いかなり気安い関係となっていた。


 二人っきりしかいない空間で毎日のようにチェスに興じていればそうなるのは自然のことだろう。


 毎日軽口を叩き合いながらチェスを続ける。遭難しているにもかかわらず、どこまでも穏やかなこの時間はアーサーにとってとても居心地の良い物だった。……気恥ずかしさからとても口には出せないが。


 対局中の話題には事欠かなかった。


 アーサーは自分がここまでおしゃべりだったとは知らなかった。それは一重にオリバーが聞き上手、喋り上手だからだろう。


 この数日で様々なことを話した。


 アーサーは自分が現役時代の話、チェスのワールドチャンピオンとして活躍していた頃の名勝負や武勇伝、チェスプレイヤーの間で語り継がれる珍事を多く語った。


 オリバーがとても興味深そうに聞くものだからつい喋りすぎてしまうことも多々あった。


 オリバーからは彼自身のことを。


 彼はとある大企業を束ねる社長の身の回りの世話を一手に引き受けるアンドロイドであるらしい。


 身の回りの世話と言うが、とんでも無く広い屋敷の管理からその社長の秘書業務まで、彼の仕事はなかなかの重労働だそうだ。


 正直に言えば、だろうな。と言うのがアーサーの感想だった。


 人間と見分けがつかないほど精巧にできていて、料理から宇宙船の修理までこなすアンドロイドなどそういない。


 そんなことができるのは大量に出回っている量産型ではなく、超高級、超高性能の特注型だろう。


 そう思えば彼の着ている上物のスーツも、どこか浮世離れした紳士っぷりも納得がいった。


 オリバーの秘書としての仕事っぷりは彼の主人が大企業の社長ということもあり、話せないことの方が多く聞き出せなかった。


 しかし彼の館での仕事の話はなかなか楽しかった。

 

 彼の口からよく出てきたのは社長の幼い娘であるお嬢様の存在。そのお嬢様はオリバーによく懐いていたようだ。


 悪戯好きでお転婆なそのお嬢様が巻き起こす騒動は、聞いているだけでとても微笑ましい物で、話しているオリバーもどこか楽しそうだった。


 その日もチェスをしながらお互いのことを話し合っていた。


「なあオリバー、そういやお前さんこの船には乗客として乗っていたよな?」

「ええ、そうですが。どうかしましたか?」

「いや、な……こういう言い方はどうかと思うんだが……乗客としてではなく貨物扱いでアースラに行った方が安上がりでお前さんにとっても楽だったんじゃないか?」


 そこまで言って、アーサーは自分がわりとひどいことを言っているのではないかと思った。


 オリバーもその質問にどこか戸惑っている様子だった。 


「ああ……すまん馬鹿なことを聞いた、忘れてくれ」

「いえ、構いません。ただ……」

「ただ?」

「その、なんと言えばいいのか。私にもよくわからないのですが……」


 珍しく歯切れが悪い。それほど答えに困るような質問だったのだろうか?


「私がアースラに行く目的は我が主人の奥様の誕生日のプレゼントとして、アースラにのみ自生する花を取りに行くためなのです。地球で手に入れるルートがなく、直接出向く必要がある物なので、私がそれを取りに行くように命じられました。最初は貴方のおっしゃるようにスリープモードになって貨物扱いで行くつもりだったのですが……お嬢様がそのことをひどく嫌がりまして……」

「ああ、なるほどな」


 納得だ。どうやらこのアンドロイドはそのお嬢様によほど慕われているらしい。


「アーサー、なぜお嬢様は私が貨物として運ばれることを嫌がったのでしょう?」

「お前さん、そりゃあ」


 なんと言えばいいのだろうか?


 あのお嬢様がどういう心境だったかは良くわかる。だがこの頭の固いアンドロイドにどう言葉で説明すればいいのだろうか?


 アーサーは自分の考えが間違ってないことを確かめながら、慎重に言葉を選び答える。


「それは……お前さんを家族だと思っているからだろう」

「家族?」

「ああ、家族が物扱いされるのが嫌だったんだろう」

「家族……ですか。私はアンドロイドですよ?」

「そんなの関係ないだろ。人間も、アンドロイドもお互いを大切に思いやれればそれは家族だ」


 言いながら、 アーサーは自分の口からこんな言葉が出てくるなんて信じられなかった。


 彼はどちらかと言えば、無機質で無感情な心のないアンドロイドが嫌いな人間だった。


 目の前のオリバーに出会うまで、そんな考え方を自分がするなんて思いもしなかった。


 そこまできてアーサーは、自分がオリバーのことをかなり好いていることに気づいた。


「家族……そうですか、私が家族……」


 そうやって顔を綻ばせるオリバーに心がないなんて、これっぽっちも思えなかった。


 オリバーは照れ臭さを隠すようにアーサーに質問をした。


「アーサー、貴方は何故アースラへ? ご旅行ですか?」

「ん、俺か?」


 その質問を受けたアーサーはどこか遠いところへ視線を向ける。



「俺は……息子に会いに行くんだよ」



 オリバーが人間の心というものをもう少しだけ理解していたならば、その視線の意味に気付けただろうか?





 遭難10日目。


 その日オリバーが用意した夕食はいつもより豪華なものだった。


「おいおいなんのお祝いだこりゃ?」


 テーブルの上には所狭しと並んだご馳走が、ナイフとフォークまで綺麗に揃えられている。


 まるでフレンチのフルコースのような絢爛さにアーサーは面食らった。


「アーサー、良い知らせです。エンジンの修理が完了しました」

「本当か! じゃあ、アースラに行けるんだな!?」

「いえ申し訳ありませんが、確実性を取るために行き先は地球です」

「そ、そうか」


 少し落胆するが、まあいい。地球に帰れるのならばアースラに行くことなんていつでもできる。


「今日出発すれば明日には地球に着きます。最後の夕食ですからね、材料を惜しみなく使い豪勢なものを用意させていただきました。……ああ、お酒も少しだけですがありますよ」

「……そりゃいい」


 至れり尽くせりだ。


 今日でこの遭難生活ともおさらばか。


 そう思うと少し名残惜しい気さえする。


「アーサー、夕食を食べた後でいいのですが頼みがあります」

「なんだ?」


 テーブルにつき、オリバーが用意したナプキンを身につけながらも目の前のご馳走から目を離せない。


 やや上の空なアーサーにオリバーは告げた。




「エンジンを動かすためのスターターとして私の心臓部コアの動力源をエンジンにつなげて強制点火させます。貴方にはそのスイッチを押していただきたいのです」




「……なんだって?」


 あまりに物々しいセリフに急激に現実に引き戻される。


「ですから、私を起爆剤としてエンジンを動かすのです」


 オリバーが冗談を言っているのかと思った。


「待て……なんだそれは? じゃあ、お前さんはどうなる?」

「シャットダウンするでしょう。私は三原則の第三条によって自死ができません。ですので貴方にスイッチを押して貰わなければならないのです」


 あまりに軽すぎる口調。理解するのに時間がかかった。


「ダメだっ!!」


 アーサーにとってとても受け入れられる内容ではない。


「ですがアーサー、他に方法がありません」

「ダメだ! ダメなものはダメだ!!」


 これが遭難してすぐのことだったら簡単に受け入れただろう。


 だが、この10日間のオリバーとの交流は、アーサーを頑なにさせるには十分なものだった。


「絶対にダメだ! オリバー、いいか俺は許さないぞお前が犠牲になるなんて!」

「こうするしかないのですアーサー。そうしなければ遠からず貴方は死んでしまいます。私はアンドロイドとして人間の貴方を……」

「やめろっ!!」


 アーサーは立ち上がり、テーブルに置いてあったナイフを自らの首に突きつける。


「アーサー! 一体何を!!」

「動くな! いいかオリバー、お前が自分を犠牲にしようものなら俺はこの首を掻っ切るぞ!」


 それは三原則を絶対とするオリバーに絶大な効力を発揮した。


 アーサーを止めようとしたオリバーは縫い付けられたかのようにその動きを止める。


「オリバー、命令だ。スリープモードになって救助が来るのを待て」

「馬鹿なことはやめて下さい! 貴方の息子さんはどうなるんです!?」



「俺の息子は死んでるんだよ!!」


 

 アーサーの絶叫にも近いその言葉に、オリバーは言葉をなくす。


「お前、前に俺がなぜアースラに行くか聞いたな? 死ぬためだ! はなっから俺はアースラで自殺するつもりだったんだよ!」

「そんな……まさか……」

「こんな俺のためにお前さんが死ぬ必要はない」


 動けないオリバーを背にアーサーは立ち去った。


 用意した夕食は、一口も手をつけられなかった。

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