我が人生最良の一手
ツネキチ
前編
果てしなく広がる漆黒の闇、そしてそこに存在する無数の星の輝き。
永遠を思わせるその空間に一隻の宇宙船が漂っていた。
船の中にはたったの二人、紳士然とした若い男と無精髭を生やした中年しかいなかった。
二人は星が見える窓のそばに一つのチェス盤を挟み対峙していた。
「アーサー、質問してもよろしいでしょうか?」
駒を打つ音だけが響く船内で沈黙を破ったのは若い男、彼はふと思い出したかのように目の前の人物に質問を投げかける。
「……なんだ?」
質問に対してアーサーと呼ばれた男は盤から目を離すことなくぶっきらぼうに応える。
「人間がお酒に酔うという感覚はどれほど素晴らしいモノなのでしょうか?」
「どうしたオリバー? ずいぶんと急な質問じゃないか」
ここでやっと顔を上げる。視界に入ってきたのは、オリバーの嫌味なほど整った顔立ち。
「私が何度も忠告しているにも関わらず、一向にお酒の量が減らない貴方を見てふと疑問に思いまして」
「フン、嫌味か?」
「いいえ、純粋に興味です」
じっとこちらを見つめるオリバーに、アーサーは己の感覚をどう言葉にすれば良いのか考え込む。
「……そうだな、まず頭が鉛でも埋め込まれたみたいに重くなって、この世の何もかもがどうでも良くなる。度の合ってない眼鏡を掛けたみたいに視界がぐらついて世界が回る。後は上からも下からも物が出てきそうになるのをグッと我慢している。……こんな感覚がずっと続くのさ」
「理解できませんね、何故そこまでして人間はアルコールを摂取しようとするのでしょうか?」
「お前も飲めばわかるさ」
「ご冗談を」
軽口を叩きながらゲームを進める。
時たまポツリポツリと会話を交わしながら駒を動かしていき、そして……
「チェックメイトだ」
「参りました。今日も勝てませんでしたね」
「こんな酔っ払いに勝てないようじゃまだまだ」
「おや、手厳しい」
こちらの皮肉をさらりと受け流しオリバーは立ち上がる。
「食事にしましょう、今用意してきます。……ああ、あと私がいない間に飲んだりしないようにお願いします」
「……わかったよ」
アーサーは手にした酒瓶を元に戻す。こちらの考えはお見通しらしい。
これがここ最近の日常だった。オリバーとチェスをしながら意味のない会話を交わす。
この宇宙船が故障し、どこの宇宙かもわからないような場所を漂い続けてからずっとだ。
「……妙な事になっちまったな」
オリバーが去り手持ち無沙汰になったアーサーは、窓から見える星を眺めながらここ数日の出来事を回想する。
人類が
完全オートパイロットのこの船の乗組員は乗客である二人だけ、格安プランであるため乗務員さえいなかった。
乗客の一人である中年、アーサーは船内に持ち込んだ酒を飲んでいた。
地球から惑星アースラまでおよそ20時間。実際の距離は数光年離れていることを考えれば驚異的な速さでたどり着くが、それでも20時間も船の中というのは苦痛だった。
船内には娯楽のサービスなどなく、本を嗜むような高尚な趣味もなく、もう一人の乗客に話しかける程社交的な性格ではない彼は退屈だった。
酒を飲むことでしか退屈さを紛らわせることができなかった。
「……チッ、もう空か」
2時間ほどで持ち込んだボトルを空けてしまった。もう何本か持ってくるんだった……そう思うが時すでに遅い、残り18時間をアルコール無しで過ごす事にウンザリする。
「仕方がない、寝るか」
アルコールが回っているため、お世辞にも座り心地が良いとは言えないこの座席でもすぐに眠れそうだ。
次に目を覚ます時にはアースラについている事を期待しながら、酔った時特有のフワフワとした微睡に身を任せた。
「……てください、起きてください」
体を揺さぶられる感覚と、声によって意識が戻される。
「……あん……もうついたのか?」
ずいぶん早いな。
寝起きで回らない頭、ややぼやけた視界に飛び込んできたのは見知らぬ若い男、いやこの男はもう一人の乗客だ。
「いいえ、ここはまだアースラではありません。異常事態が発生しました」
「……なんだって?」
訝しげに男の顔を見つめる。
嫌味なほどの優男だ、きっちりと整った髪型と上等なスーツを身に纏っており、まるで小説に出てくる紳士のような人物だ。
だが彼の首筋にあるものを見て気づく。
「お前さん……アンドロイドか?」
そこにはアンドロイド特有のバーコードのような識別マークがあった。
「はい、私はサイバーテック社製多機能支援型アンドロイド、型式RDO200……オリバーとお呼びください」
「あ、ああ……アーサーだ……」
飲み込めない状況、場違いまでに流暢な挨拶に流され、思わずこちらも律儀に自己紹介を返してしまう。
我に帰ったアーサーは頭をブンブンと振り、アルコールで寝ぼけた脳みそを覚醒させる。
「……さっきなんて言った?」
妙なアンドロイドに面食らって忘れてしまっていたが、こいつはさっきとんでもないことを口走っていたはずだ。
アーサーの問いかけに対して目の前のアンドロイドは淡々と事実を告げた。
「アーサー、落ち着いて聞いてください。現在我々が乗っているこの船は
「なんだって!? じゃあ、いつになったらアースラに着くんだ?」
「アースラどころか……。今、エンジン系統が完全にストップしています、このままではこの宇宙空間をさまよい続けるハメになってしまいます」
「……通信は? SOS信号は送れないのか?」
「すでに送っていますが、位置情報を計算したところ一番近い有人の惑星までおよそ10光年、つまり信号が届くまで最短で10年かかることがわかりました」
「……なんてことだ」
絶望的だ。
衝撃に体の力が抜ける。酔いが急激に覚めていくのを感じる。
緊急用の食料ぐらいこの船にも積んでいるだろう。だが、10年も持つはずがない。
そもそも酸素が持つのか?
このままアースラに辿り着けず、この何処とも知れないような宇宙でくたばるのか?
打ちひしがれるアーサーとは対照的に、オリバーは冷静だった。
「ご安心ください。先程エンジンルームを見てきましたが、私でも修理ができそうです」
「ほ、本当か!?」
「はい、ですので貴方には許可をいただきたいのです。この船を修理する許可を、貴方の命を預からせて頂く許可を」
「許可……」
それを聞いて、いかにもアンドロイドらしい物言いだとアーサーは思った。
この場に存在する唯一の人間である自分に自らの行動を許可させる。しかも優先事項はアーサーの命。
これが人間であったらわざわざ人の許可なんて取ろうとせず、自分が助かる為にさっさと船を修理するだろう。
人間と区別がつかないほど精巧にできているオリバーであっても所詮はアンドロイドなんだなと、そう何故か落胆している自分がいる事にアーサーは気づいた。
だが、他に選択肢がある訳でもない。
こちらを見つめる無機質に見える瞳を見返し、アーサーは告げた。
「わかった、許可する」
彼らの乗っていた宇宙船の目的地である惑星アースラは自然豊かな緑の惑星だ。
地球には存在しない独自の生態系を築くその星は政府によって自然保護区として指定を受けており、大規模な開発を禁じられている。
そのため人がいるのはわずかに存在する一般解放解放された観光地や、保護管理局員の定住地のみ。
この船はそんな数少ないアースラの人々のために地球の食料を運ぶ貨物船も兼ねていたらしく、船内を探せば貨物室には大量の食料が置かれていた。
これはかなり助かった。おかげで船の修理が終わるまで味気のない保存食で過ごさなくて済む。
そして何より……
「……少し飲み過ぎではないでしょうか?」
座席で酔い潰れたアーサーを見てオリバーが苦言を呈する。
貨物室には食料と一緒に大量のアルコールが有ったのだ。
見つけたアーサーはこれ幸いと、何本もボトルを持ち出した。当然そのボトルの所有権などあるはずもないが、宇宙に遭難させられた慰謝料がわりと思えば安いもんだ……と言うのがアーサーの主張だ。
「よう……なんだ休憩か? まさかアンドロイドのお前さんが疲れたなんて言うんじゃないだろうな?」
「私が構築した修理プログラムを定期的にアップロードしなければならず、その間は何もすることがないのです」
「フン、そうかい」
船のエンジンのことなどアーサーにわかるはずもない。修理に関しては全面的にオリバーに任せている。
オリバーは前の座席を回転させ、アーサーの対面に座った。
「それよりも、やはり飲み過ぎです。私が修理を始めてからずっと飲んでいるでしょう?」
「こちとらお前さん以上に何もすることがないんだ。酒ぐらい飲ませろ」
この船に娯楽はない、アーサーにとって酒を飲むことこそが唯一退屈を紛らわせる手段だった。
しかし、オリバーはそれを許さなかった。
「貴方の体調を考えれば、これ以上の飲酒は看過できません。もう飲むのはやめてください」
「うるせえな、お前さんには関係ないだろ」
オリバーを追い払うように手を振るアーサー、しかしアンドロイドは頑なだった。
「関係あります。アンドロイドである私には、人間の貴方を危険から守る義務があります」
「フン、三原則ってヤツか」
それはアンドロイドがアンドロイドであることを証明する絶対のルール。
だがアーサーからすれば人間らしさを捨てるための言い訳にしか思えなかった。
かつて何度か関わりを持ったアンドロイドもこのルールに縛られており、アーサーはそれが気に食わなかった。
「あまり俺を馬鹿にするなよ、三原則の事ぐらい知ってるんだよ。第一条は人間に対する危険を看過できないんだっけか? 酒を飲むことの何処が危険だ? 飲み過ぎだなんだなんて、そんなの個人の体質にもよるだろう。俺にとってはこんなのまだまだ許容範囲だ」
完全な屁理屈だった。だが融通の効かないアンドロイドにはこの屁理屈がよく効くことをアーサーは経験則から知っていた。
「だったら適用されるのは第二条だ、人間の命令に服従しなければならない。俺が酒を飲む事に対して口出しするな、いいな?」
「……わかりました」
流石にこれ以上何も言えなくなったのか、オリバーは席を立ち何処かへと歩き去った。
その背中を見送りながら、アーサーはまた次のボトルを開けた。
「アーサー、良い物を見つけました」
そう言ってオリバーが戻ってきたのはすぐのことだった。
「……なんだ?」
やっと邪魔者がいなくなり思う存分飲めると思った矢先の出来事だったので、アーサーは声色に不機嫌さを隠そうとしなかった。
オリバーに視線を向ければ、彼の手には小さなチェス盤があった。
旅行用の持ち運びに便利なチェス盤、二つ折りにされたそれをオリバーが振れば中に入った駒の音がした。
「それは?」
「前の乗客が置き忘れたのでしょう。アーサー、1局お相手願えませんか?」
それを聞いて思わず笑ってしまった。
彼の提案はアーサーの飲酒をやめさせることが目的であることは明確だ。
だがあくまでチェスをしようと言う提案なので先程のアーサーの命令に逆らった事にはならない。
小癪な考え方をしやがる。
「わかった、相手してやる」
だが、良いだろう。その小癪さに免じて乗ってやろう。
「ありがとうございます。では、どのレベルで行いましょう?」
「レベル?」
「はい、アマチュアからプロ、そして世界トップの棋士レベルまでお望みの実力でお相手することができます」
「あん?」
随分と生意気なアンドロイド野郎だ。
「必要ない、お前さんの頭脳回路の限界まで使って相手しろ」
「それは……いくらなんでも。それに貴方は相当酔ってらっしゃる」
精一杯言葉を選んでいるが、ようするに手加減しなきゃ相手にならないと言っているのだ。
「この俺相手に手加減だと? 馬鹿言ってねえで全力でかかってこい」
「ほらよ、チェックメイトだ」
幾度かの盤上でのやり取りの後、勝利を宣言したのはアーサーだった。
「……。」
オリバーは無言で盤上を見つめている。自分が負けた事が信じられないか、その涼しげな目元が見開かれてるように見えた。
この冷静なアンドロイドの鉄仮面を驚きで歪められた事実に、アーサーは胸のすくような思いだった。
「な? 手加減なんて必要なかっただろ」
「……アーサー……アーサー……アーサー・コールマン?」
はっとした顔でこちらを見つめてくる。
「貴方はかつてチェスのワールドチャンピオンだった、アーサー・コールマンでは?」
「ほお、知ってやがったか」
かつての栄光を思い出し口元が歪む。
「まさかそんな方と対局できるだなんて……光栄です」
「フン、昔の話だ。お世辞はいい」
だが、悪い気はしなかった。
結果からすれば、オリバーの目論見通りだった、チェスの対局中は一滴も酒を飲んでいない。
上手くしてやられたのはシャクだったが、この数時間は悪くなかった。
「……おい、また時間が空いたら付き合え」
「ええ、喜んで」
宇宙遭難1日目、アーサーはオリバーという風変わりなチェスの相手ができた。
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