第3話 億劫なたのまれごと

 ところでエリザ・ナイトとは全く関係のない話なのだが、俺には幼馴染がいる。


「ただいま~」


 誰もいない我が家。

 学校から徒歩二十分の普通の住宅街に位置する普通の中流家庭の普通の一軒家。それが我が江戸木邸である。

 両親は共働きで学校が終わったばかりの夕方なんかには誰も家に帰っていない、寂しい空間だ。


「ええ、おい、こんなこと……俺に頼むなよ」


 リビングのテーブルの上に、大量の柿が置かれていた。

 バスケットいっぱいに入っている形が不ぞろいの、ところどころ傷が入ったオレンジ色の果実の束。

 その下にメモ書きでこう書かれている。


『実家から送られてきた柿です。隣の橘さん家に持って行ってあげて、奥さんからカギを渡されたから。ライムちゃんによろしく』


 橘来夢たちばならいむ

 それが俺の幼馴染の女の子の名前である。

 子供の頃はよく遊んでいたが、彼女はある病にかかり、中学二年生のころから疎遠になった。

 高校に上がってすぐだ。

 気が付いたら学校にも行かずにずっと家に引きこもるようになってしまった。いわゆる不登校だ。

 橘家と江戸期家は家族ぐるみの付き合いを続けていた。家が隣同士なのはあるが、父親同士が趣味が同じとかで意気投合。来夢の父の橘健一と俺の父江戸期春雄は互いに「ケンちゃん」「ハルちゃん」と呼び合うほど仲がいい。もうすぐ50になろうかというおっさん同士で気持ち悪ことこの上ない。

 だから、こうやって親戚から贈り物があれば、おすそ分けをする仲でもある。

 いつもはおふくろが隣の家に言ってわけにいくが、なぜか今日は俺にその役目を振られている。

 おふくろは仕事から帰って直ぐに夕食の買い出しに出かけ、日が沈んだころに帰って来て夕食を作り始める。今は丁度その時間。仕事から帰って来て、この柿が送られてきたのを見たおふくろは、父さんが帰ってくるタイミングで料理を作り終えたい、だが、この大量の柿を新鮮なうちに親友の橘さん家に届けたい。そういった二つの感情がせめぎ合った結果。暇な息子にデリバリーを頼むと言う明暗を思いついてメモ書きを残したのだろう。

 その考えには問題がある。


来夢らいむに宜しくって……まさか、来夢の母さんもいないのか……?」


 会いたく、ない。


 橘来夢とは、一年近く会っていない。


 特に何かあったわけじゃない。陰湿ないじめがあったわけでも、来夢の友達がいなくなったわけでもない。仲のいい友達はちゃんといたし、来夢は彼女たちと来なくなる直前まで普通に笑い合っていた。

 だが、彼女は学校に来なくなり、引きこもりになってしまった。

 突然学校に来なくなった。だから、突然学校に来始めるようになる。何事もなかったかのように、飄々とした厚い面を見せつけながら学校に来る、と。

 特に来夢のことを気にかけることなく放っておいたら、気が付いたら一年の月日が流れてしまっていた。

 とりあえず、一縷の望みを胸に柿のバスケットを持ち上げる。

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