第32話 衝動

 不思議と涙は出なかった。驚きすぎて頭が働かなかっただけかな。拓海が私の腕持って立たせてくれたけど、気が動転していて何も反応できなかった……


「やっぱり、唯、知らなかったんだ」


 どうしてなの? 何で教えてくれなかったの? 心の中で、先生を責め続けていた。

 だけど、言いたい相手は何処にもいなくて、どこにもぶつけられなくて、辛い。

「ほら、入試があったからさ、黙ってくれてたのかもしれないじゃん」

 拓海が必死に慰めるために言ってくれたのに

「もういいよ、分かった」

 そんな素っ気ない返事をして、頭が混乱しているから早く一人になりたかった。


 合格発表の日が卒業式と同じ日で、先生に思いを伝えるチャンスだと思っていたのに、まさか卒業式でも逢えないなんてね。先生、このままいなくなっちゃうのかな……このままもう二度と逢えないのかな……何のために今まで頑張ったのだろう。


 教室へ戻ると、女の子達の会話が聞こえてきた。ヒソヒソと誰かの噂をしているような話し声で、余計気になって耳に入ってくる。


「え? それ本当なの?」

「多分ほんと、1組の子が見たらしいよー」

「白石先生、やっぱり彼女いたんだねー」

「でもさー、結婚ってだけで辞める?」

「ねー、ショックだよねー」


 無作為に飛び込んでくるのは、思わず耳を塞ぎたくなるような言葉ばかりだった。そのうちにドクンドクンと脈が早くなって、聞こえていた音が遠のいていく……身体の感覚が掴めないような、天井が回るような感覚に陥った……


 落ち着いて……落ち着いて……


 自分で自分をなだめても、この鼓動は早く大きくなるばかりで、突然プツリとそこで記憶が途切れた――




 ―――—シャーッ


 カーテンが開く音が聞こえた。目を開くと白い天井と覗き込む拓海の顔があって、ようやく保健室のベッドに寝ていることに気づいた。


「大丈夫? あっ、横になったままでいいよ」

「ごめん、、どうしちゃったのか全く思い出せなくて」

「教室に入って、気付いたら唯が倒れてて……具合悪かったの?」

 具合が悪い訳じゃないよ、ショックが大きすぎただけ、そう言いかけたけど泣いてしまいそうで言葉に詰まる。

「そっか……、そんなにショックだったんだ」

 余計な事言っちゃってごめんって拓海が言うけど、謝って欲しいのは別の人で、首を横に振ると、堪えていた涙が溢れてしまった。

「心配だから、家まで送っていくよ」

 無言のまま、ただ拓海はそばに居てくれて、家は逆方向なのにわざわざ送ってくれた。

「迷惑かけちゃってごめんね、本当にありがとう」

「ううん、無理しなくていいから何かあったらすぐ連絡して」

 また拓海の優しさに甘えてしまった。


 先生は今どこに居るのだろう。辞めたとか、結婚したとか、、ぜんぜん状況が飲み込めなくて、怖いよ。私なんかが出る幕じゃない空気を感じて、完全に蚊帳の外にいるみたい。

 でも、それでも本当のことを確かめたくて、勇気を振り絞って電話を掛けてみたのに、やっぱり先生は電話に出なかった。


 もう、逢えないのかな……前に先生が言いかけた事って、もしかしてこの事だったのかなって、ふと思い出した。

 どうせフラれるならちゃんと告白して、全部気持ちを伝えてからがよかったよ。こんな消化不良、相当引きずっちゃうんだろうな……


 もういくら悩んでもどうにもならないことだけは分かっていた。一方的に終わらせられてしまったことが、何よりもショックだった。


 自販機の前で話したのが最後だったんだね。あの時に時間を巻き戻せたらいいのに……

 次の日も、その次の日も、結局私はずっと窓の外の理科室の方を見ていた。


 頭では分かってる。もう居ないってことくらい……



 ぼんやり眺めていると、教員室のドアが少し動いた気がした。他の学年の先生なのかな、大きなダンボール箱を両手で抱えて、背中でドアを押しながら出てきた。


「あっ……」


 その後ろ姿は、まぎれもなく白石先生だった……



 その瞬間、全てがスローに動き出して、自分の動きもゆっくりに思えた。


 椅子から立ち上がると、教室を出て一目散に階段を降りた。


「おい! 何処行くんだ?」


 かすかに、そんな声が聞こえたような気がしたけど、制止を振り切って走っていた。急いで理科室に向かったのにドアを開けたら誰もいなくて、また外へ出て必死に先生の車を探した……


 ない! 先生の車はどこにも見つからなかった。


 一瞬の出来事。幻なんかじゃないよね? また心が動き出して、居ても立ってもいられなくなって、教室へカバンを取りに戻った。

「すみません、具合悪くて、、早退します」

 そう言って、すぐに教室を出た。みんなの視線が痛かったけど、もう今日しかないかもしれないから……


 必死に、駅まで走った。電車を降りてからも先生の家めがけて、一目散に走った。

 逢いたくて逢いたくて、どうしようもないから……


 ――ピンポーン


 先生の家へ辿り着くと、何の躊躇ためらいもなくインターホンを押した。そう言えば、彼女とか婚約者とか……居たらどうしようって、押してからそんな事を考えると鼓動が半端なく揺れた。だけど、玄関の扉が開くことはなくて、人の気配がなかった……


 先生、逢いたいよ。こんなに逢いたいのに。まだ帰れなくて、気持ちも宙ぶらりんに浮いていて、泣きながらその場に座り込んだ。

 もう、諦めるしかないの? やっぱり私の一方的な片思いだったのかな……



「唯?」


 自分の感情に押し潰されそうになっていると、突然名前を呼ばれて、振り向くと先生だった。


「……先生」


 幻なのか現実なのか……涙で視界がぼやけていて、よく見えない。


「え? なに? どした?」


 やっとハッキリ見えた先生の顔は、目をまん丸にして驚いた顔をしていた。私がどうしてここにいるのか、この状況じゃ、全く飲み込めないよね。


「ちょっと、入って」


 話をするために、そのまま部屋へ入れてもらった。いつぶりなんだろう、1年ぶりくらいかな……玄関を抜けてリビングに入ると、物が全く無くなってガランとしていた。

 沢山積んであるダンボールを見れば、荷造りの途中なのだと一目瞭然だった。


「ビックリした?」

 こちらをチラッと見て、ちょっと笑いながら言うけど、笑えるわけがなくて

「やっぱり、学校辞めたって、本当だったんだ」

 こわばった私の表情を見て、先生も真面目な顔に戻っていた。

「黙っててごめん」

「なんで辞めちゃったの?」

 もう、これで最後かもしれないと思うと、聞きたいこと全て聞いておこうと思った。怖いけど、ちゃんと聞かなきゃ……


「大学の研究室から戻って来ないかって話があってさ、急なんだけど、最後の授業が終わった翌日から、大学に戻ったんだよ」


「じゃあ、結婚は? 結婚したって……ほんと?」


 そう言い終わると、飲み込んだ空気が喉でゴクリと音を立てて、恥ずかしいはずなのにそれどころじゃなかった。

 一番聞きたかった質問だから……トクトクと鳴る鼓動がどんどん大きくなって苦しくなる。



「……そんなわけないでしょ」


 先生が落ち着いた声で答えた。

「誰と結婚すんの? 噂って怖いなぁ」

 先生は笑いながら否定して、呆れながらキッチンへ入ってしまった。なんだ、嘘だったんだ。私は気が抜けて倒れるように椅子に座りこんだ。

 はぁーっと大きなため息が漏れて、本当にホッとしていたんだと思う。


「はいっ、これ飲んだらもう帰りな」


 安堵あんどして気を抜いている私の目の前に、カップに入ったミルクティーが置かれた。

 帰らせる為の口実―—

 そんなの一瞬で分かったよ。帰りたくなくて、飲まないでいたい……


 先生と逢うのは、今日が最後の気がした――

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