第31話 すれ違い

 それから間もなく、冬休みが終わった。代り映えのない毎日だったけど、それでも時間が足りなくて焦るばかりで休む暇なんてなかった。

 そして、全力で挑んだセンター試験も終わった。


 自己採点では、自分の努力が如実に出たような結果で、大幅に点数を落とすこともなく少しホッとした。慎重にこのまま行けば大丈夫、そう自分を信じることができた。この点数に甘んじないで、自分で自分を励まして、受験当日まで上手く気分転換して乗りろう。


 放課後、外へ出ると空一面真っ黒い雲が覆っていて、今にも雪が降りそうだった。急ぎ足で自販機の前を通りかかると久しぶりに先生に逢うことができた。


「お疲れ様、久しぶりだね」

「あっ、先生、久しぶり……」


 先生の顔を見た途端、先月の三者面談で担任から聞いた推薦の話を思い出して突然恥ずかしくなった。


「センターはどうだった? やりきった?」


 自販機のボタンを押しながら聞いてくる。先生は髪の毛が少し伸びていたけど、相変わらず線の細い背格好で、優しくてゆっくりとした大人の余裕がある話し方も変わらず懐かしかった。


「うん、まぁまぁ出来たよ」


 頭ではそんな風に考えているくせに、私は素っ気ない返事しかできなくて、勿体ないなと自分でも思ってしまう。


「唯はちゃんと乗り越えられるから、落ち着いてやれば大丈夫だよ」


 そう言われると、今度は教科書に挟まっていた付箋の事を思い出した。


「そう言えば、この前教科書に付箋が挟まってて……先生でしょ?」


「あはは、バレちゃった? お守りのつもりだったんだけどなー」


 先生を見上げると、後頭部を触りながら照れくさそうに笑っていた。


「ありがとう。嬉しかった」


 目が合うとお互いに恥ずかしくて、私にはこれが精一杯の言葉だった。

 もう少しだけこうやって話していたかったのに、気付くともう帰らないといけない時間が迫っている。


「じゃあ……もう行かなきゃ」

「うん」


 そう言って、ひらりと手を振ってくれた。久しぶりに逢うと、やっぱり別れ際は寂しいな。後ろ髪をひかれながら帰宅を急いだ。


 いつぶりだろう、この胸のチクッとする痛み……


「あっ、そうだ……」


 先生が呟くように言った一言が気になって、急いで振り返ると

「ううん。やっぱりいいや、何でもない」

 先生はすぐに取り消した。

「え? もう、なにー?」

「ううん、ごめん、また今度話すよ」


 その内容が何なのか、その時は気にも留めていなかったけど、言わないでくれたのも私のためだったのかな……

 その時の私は、「今度」というフレーズに惑わされていたのかもしれない。


 受験が終わって、卒業したら、この想いを伝えよう。そう、心に誓った――



受験当日の朝は晴れやかな青空が広がって、その日だけ何故か暖かくて幸先が良かった。

 昨日は早く寝て睡眠も十分。先生から貰ったお守りを持って、受験に挑んだ。


 まだ今はやりたい事とか、夢とか、ぼんやりとして形にはなっていないけど、見つける場所に行くために、今私は頑張っているんだよ。


 大切な何かに出会えるかもしれない……

 大切な人に出会えるかもしれない……


 自分の出せる力を出し尽くした――


 私立大学、国立大学と受験が終わり私の希望した4校の入試が無事、終わった――


 怒涛のように過ぎてしまったけど、「終わった」という開放感が、静かにジワジワと押し寄せて来て、やっと息ができるようになったみたいに。

 合格発表まで気が気じゃないけど、本当に終わったんだね。拓海に、「お疲れ様」と連絡を入れた。


 先生には……早く逢いたい。逢って話したい、いろいろな事を。


 明日学校に行ったら、理科室に行ってみようかなって思ったけど、合格した報告で先生を喜ばせたいから、あと少しだけ我慢かな。受験が終わったのに、まだ我慢することがあるなんて、そう思うと一人で笑ってしまった。


「お疲れ様でした」


 珍しく母が、たくさんのご馳走を用意してくれた。今まで頑張ったねって、労ってくれて、もうそれだけで十分だよ。


「ありがとう、やっと終わったよー」

「まだ安心できないけどね」


 母がピシャリと水を差したから、二人で笑った。早く母のことも安心させてあげたいな。

 この日は思う存分湯船に浸かって、身体がふやけちゃうんじゃないかってくらい、疲れを癒した。


……先生、今何しているのかな


 ぼんやりすると、先生がすぐに現れてしまう。幻覚を見ているみたいで、本気でヤバいけど、頑張って受験を乗り切ったから、早く褒めて欲しい。早く「よく頑張ったね」って言って頭を撫でて欲しい。



 入試が終わっても、学校では普通に授業はあって、変な感じ。もう頭には何も入ってこなくて、ただ窓の外を眺めていた。

 理科室の前の廊下は全く先生の姿は見えなくて、どこにいるんだろう。逢うのを我慢しているのに、見るのもダメなの? 


 それから、次の日も、その次の日も先生の姿は見えなかった……


 1週間が経っても逢えない日々は続いて、想いは募るばかりで待つのに疲れて、ようやく、逢いに行った。放課後の理科室は久しぶりすぎて緊張してしまう。

 スーッと静かにドアを開けると、誰もいなかった。先生、会議かな? しばらく待ってみようと、椅子に座って窓の外を眺めていた。


 ふと、流しに目をやると私専用の赤いマグカップは置いてなくて、辺りを見回しても、どこにもなくて、不安な気持ちでただひたすら先生を待っていた。


 待つのって、こんなに苦しいんだっけ? 受験が終われば、何かが変わると思っていたのにな……甘かったな。

 それから、2時間待っても先生は来なくて、もともと人通りの少ない棟だから、真っ暗になっても、結局誰も訪れることはなかった。今まで隠して我慢していた感情が溢れて、涙が流れた。逢いたくて仕方ないのに、こんなにも逢えないなんて……先生は何処にいるの?

 入試が終わったこと、分かっているはずなのに、やっぱり私の事は何とも思ってないのかな……



 そして週明けから、卒業式の予行練習が始まった。もう、いよいよ卒業なんだな。最後まで逢えない……なんてことは、ないよね? 毎日不安に押しつぶされそうだった。


「唯、どうしたの? 元気ないじゃん」

 体育館から出ると、ふと拓海に声をかけられた。

「うん、何でもない。もう、卒業なんて早いね」

「なんかさ、不安定な時期だよね。まだ合格かも分かってないのに、卒業式の練習なんかしてさー」

 拓海がいつもの笑顔で和ませてくれようとしてる。でも、違うの……


「違うか……」


 パッと拓海の顔を見ると、眉毛を下げて言った。


「白石先生でしょ? 急すぎだよね…」


 急? って、何のことを言っているのだろう。ポカンとして、拓海の次の言葉を待った。


「え? もしかして、知らなかった? 

 

――先生、辞めちゃったんだよ」


 その言葉を聞いて、耳の奥がキーンと鳴った。

 知らない、そんなの知らないよ。


「なんで?」

「詳しくは分からないけど、そう言う噂だよ。ほら、3年になってから関わりなかったからさーハッキリ誰も知らなくて」


 なんだか気が抜けて、ペタンとその場に座り込んでしまった。取り残されてしまったような、置いて行かれてしまったような、とてつもなく切ない感情に襲われた。

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