第30話 知らなかったこと

 予備校では10月の模試が終わって出願校も決定すると、最後のスタートを切ったみたいに、いよいよな感じになってきた。絶対に浪人は避けたいから今年で絶対終わらせるんだ! 周りの受験生よりものんびりしていた私ですら、気が引き締まっていた。


 昼休み、トイレに行くと丁度ユカに出くわした。


 そして、トイレから出ると廊下で待っていた様な雰囲気で突然に話しかけられた。

「ね、そう言えばさ、広瀬と別れちゃったって本当?」

 ヒソヒソと静かな声で聞いてくるから、何か企んでいるのではないかと余計に怖くなった。

「うん、そうなの。ってか、何で知ってるの?」

「いや、なんとなく、最近雰囲気違うなーって思って」

 ユカはその場を動こうとはしなくて、廊下の窓の外を眺めながら続けた。

「何で別れちゃったの? 原因は?」

 周りには誰もいなかったけど、こんな話、ユカとしたのは初めてだった。一方的に質問されるばかりで、何で答えなきゃいけないんだろうという気持ちが湧く。

 投げられた質問に黙っていると、チラリと顔色をうかがわれたような気がした。

「あぁ、ごめんね、ズケズケ聞きすぎだよね」

 そう言ってユカが笑った。だけど、本当のことなんて言えない。


「ほら、受験あるし、今はお互い恋愛どころじゃないからさ」


 そうやって当たり障りのない言葉を選んで、穏便にこの場を切り抜けたかった。

 それなのに、私の言葉の後に、ユカがくるりとこちらを向いたかと思うと、予想に反してすごくムッとした顔をしていた。


「そんなの嘘。ほんっと唯ってズルいなー。なんで広瀬、こんなヤツと付き合ってたんだろ」


 そう言い捨てると、すぐに走り去ってしまった。


 ――グサリ


 鋭利な刃物が胸に突き刺さるように、ユカの言葉は私の急所を貫いた。


 何を知っているのかは分からないけど、怖くなる。もし先生のことだったらどうしよう……呆然と立ちすくんでいたら午後の開始のチャイムが鳴ってしまった。



 急いで教室に入ると、ユカはこちらに顔が見えないようにしていて、近づけない雰囲気を醸し出していた。


「どしたの? 早く座りなよ」

 立ったままの私に拓海が話しかけた

「うん、なんでもない……」

 そうは言ったけど、さっきの言葉が気になって、心中穏やかではいられない。

 一体私の、何を知っているというのだろう? それとも、拓海のこと? もしかして、ユカは拓海のことが好きなのかな。

 そんな心情がよぎったけど、今日あったことは拓海には言わなかった。それは女同士のマナーだと思ったから。



 それから、いつの間にか秋が終わって冬になった。


 気温が10度を下回ると本格的に寒くて、恋人がいたら温めて欲しいくらい。だけど、恋愛はまだまだお預け……


 それなのに、たまに魔が差して受験が終わったら……って、つい考えてしまう。


 もう一度先生にぶつかってみようかな……。でも、そんなの夢で終わりそうだな。今は何もできないくせに、少し先の未来を考えてしまう。

 最後に、キッパリ振られるのもいいのかなって。そしたら、大学で新しい恋を始められるのかな。だけど、その前に受からないとダメだよね。

 まるで、堂々巡りのような思考を繰り返していた……


 でも、どうしてだろう。最近になってまた、頻繁に先生のことを思い出している。2人で出掛けたこと、部屋で過ごした時間を……


 逢えないから、忘れられる訳じゃなくて、逢いたくても逢えないから、想いが募ってしまうのかな。

 心はモヤモヤしっぱなしだけど、今は前に進むしかないんだもんね。辛いけど、頑張らなくちゃ。


 模試の自己採点をしながら過去の教科書を開くと、何かがパラリと床に落ちた。


 ――追い詰めずに、自分のペースを掴んで頑張れ――


 正方形の付箋に、そう書いてあった。


「先生の字……」


 いつ仕込まれたのかは分からないけど、こんな時に見つかるなんて。先生から大きなエールを貰った気がした。



 学校では、3年生の最後になる三者面談があった。忙しい合間を縫って来てくれたお母さんと、教室へ入って担任の小林先生と向かい合わせに座る。

「じゃあ、最終的な出願校は、これで決定で大丈夫ですか?」

「はい」

 話すというよりは、決定したことの確認作業みたいで、すぐに終わるかと思っていた。


「そう言えば、白石先生、最後まで唯のこと、指定校推薦に押してくれてたんだぞ」


 突然に先生の名前が出たかと思うと、私が知らない裏側の話だった。


「まぁ、2年の3学期で成績が落ちちゃったから通せなかったけど、はははっ余計なこと言っちゃったかな」

 小林先生は豪快に笑うと、母と私のことを交互に見た。

「だから、みんな唯を応援してるってこと。受験勉強大変だけど、あと少し、頑張ろうな!」


そうだったんだ……腑に落ちることが多くて、すぐには何も言葉を返せなかった。


「……はい」


 蚊の鳴くような声でやっと答えると、どうやって教室を出たのか覚えてなくて、帰りにお母さんと食べたパスタも、味をほとんど覚えていなかった。


 先生……そこまで考えてくれていたの? だから私がちゃんと勉強に取り組んでいるのかいつも気にしていたんだ。うるさく言われて親みたいでヤダなって思っていた時もあったのに、今思えば先生の言うことを聞いておけば良かったなって、今更思っても仕方ないのに……


 そっか……だから私と距離を置いたんだ……

 今まで分からなかった事実が少しだけ分かった気がして、ちょっとホッとした。



 12月に入って、センター試験まで1ヶ月を切ると、ますます勉強モードに入る。だけど、それとは裏腹に街のムードはクリスマス一色に染まっていった。


 ふと、去年のクリスマスを思い出す。先生と一緒にいらるだけで、ただただ幸せで、本当に夢みたいな1日だったな。

 また、先生に逢いたい……でも今は我慢だよね。


 心の何処かで、先生が待っていてくれているような気がして、はじめて気持ちを強く持つことができた。

 今は邪魔するものは何もなくて、気を惑わすものも何もなくて、ただ、自分を信じて頑張るだけ。


 少しだけ期待していた期末テストでも、先生の姿はなくて、あっという間に冬休みに突入した。


 案の定、朝から晩まで予備校だけど、その生活にも慣れちゃって、寝る間も惜しんで勉強した。もう、一生勉強しなくてもいいってくらい昼も夜も。



「……唯!」


 予備校で久しぶりに拓海に会うと、やっぱり少しホッとして気分が和らぐのが分かる。

「おつかれー、どう? センター取れそう?」

「まぁね、多分平気……うそ、自信ないけど」

「なんか最近ほんと頑張ってるよね、イケるんじゃない? お互いがんばろ」

 そう言って、拓海がニコッと可愛い前歯を覗かせた。


 拓海は別れてからも変わらず優しくて、私の背中を押してくれた。受験を乗り越えられたのは、紛れもなく拓海が居てくれたおかげだ。


 合格したら、まず一番に拓海に言いたいと思った。

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