第24話 私の選択

 今日のことは、無かったことにしよう。理科室になんて行っていないし、先生にも逢っていない。


 夕暮れの下り坂を足早に急いだ。一人だと余計なことを考えてしまって本当にダメだな。久しぶりの一人での下校はやっぱり寂しかった。


 拓海、風邪大丈夫かな?

 拓海のことが気になって連絡を入れてみたけど、寝ているのか返信はなかった。

 1人で心細くないかな……

 夜寝るまで連絡を待ったけど、やっぱりその日に返信はなかった。



「おはよ」

 朝、駅の改札を出るとマスクをした拓海が待っていた。

「大丈夫ー? 風邪なんて珍しいね」

「ごめん、返信できなくて、ずっと寝てたらだいぶ良くなったから」


 ちょっと元気はなかったけど、今日の拓海は意地悪な事も言わないし、大人しくてなんだか可愛かった。一昨日までの気まずさも、今日はあまり感じられなくて、もうこのまま余計なことは考えずに過ごしたいと思った。

 それはお互い同じなのだと思う。


 昼休みに教室でお弁当を食べていると珍しくユカが隣に座ってきた。珍しくニコニコしていてちょっとだけ嫌な予感がする。


「ん? どうしたの?」

「そう言えばさ、昨日何してたの?」

「なにが?」

「ほら、理科室にいたじゃん! 先生と2人で何してたのー? 今授業でも関わってないのに仲良くない?」


 ワザと、拓海に聞こえる声で言っているみたい。


 心がざわついて呼吸が荒くなる。どうしよう。拓海の方を見れなくて……今、何て答えたらいいのだろう。


 拓海だけじゃなく、みんなが私を見ているような気がして周りを見れなくなった。私が何て答えるのか、みんな耳をすませているように感じた。


「……ただ、受験の話、聞いてただけ。私も理科の先生になりたいから……」


 心の動揺に気づかれないように、咄嗟についた嘘。


「へぇ、そうなんだ」


 ユカは曖昧な返事をしたけど、拓海には、絶対に嘘だということはバレているんだろうな。

 ユカの思惑通りになっていることは分かった。


 急に食欲が失せて、お弁当箱の蓋を閉じる。早く、拓海に言い訳したい一心で思い切って振り返ると、静かに教室を出ていく後ろ姿が見えた。たまたま、なんかじゃない。

 急に襲われた罪悪感と焦りが視界を真っ暗にさせた。


 授業終了のチャイムが鳴ってすぐに、鞄に教科書をしまって拓海の方を見ると、机にうつ伏せて、顔を上げなかった。


「拓海、大丈夫? 辛いの?」


「うん……辛いね」

「平気? 保健室、行く?」

「ううん、ちょっとしたら帰るから平気」


「分かった、じゃあ具合よくなったら帰ろ」


そう言い終える前に

「先に帰って、、ごめん、移しちゃうといけないから……」


 やんわりと、拒絶されてしまった。


 悲しかったけど、拓海の方が悲しかったに決まってる。私はそれ以上、側にいることはできなかった。


「分かった、、じゃあ先に帰るね」


 ショックだったかな……もう、嫌いになっちゃったかな……

 やっぱり嫌だよね、そんなこと分かっていたのに。


 ちゃんとに向き合いたいのにできなくて、早く話さないとダメになってしまいそうなのに。この状況から前に進む糸口が見つからなくて、考えても頭がこんがらがるだけだった。


 家に着いてまた、連絡を入れてみる。呼び出し音が鳴るたびに、緊張が募って胸が張り裂けそう。


 だけどやっぱり、拓海は電話に出なかった。



 このまま気まずいまま、終わっちゃうのかな……

 朝、目が覚めると昨日の苦い後味がどうしようもなく続いていた。



「拓海、おはよ」


 改札で待ち伏せて偶然を装ってみるけど、私が居ると予想が付いていたのか、やっぱり素っ気ない態度で「おはよう」って返してくれたけどテンションは低かった。


「風邪どう? 治った?」

「うん」

「……昨日ちゃんとに帰れた?」

「うん」

 あれこれ聞いてみても、なかなか会話が続かなくて、学校に着くまでの40分間がとてもとても長く感じた。


 いつまでこの調子なのだろう。これじゃ、いつまでたっても拓海の本音は聞けないな。


「―—怒ってるんでしょ? 分かってるよ」


 もういいや、って投げやりな気持ちになって私から本音をぶつけた。


「……うん、怒ってるよ」


 拓海の口からは、何も飾らないストレートな言葉が返って来た。


「ごめん、本当に進路の話をしていただけなの」


 それは嘘……だけど、『ただ何となく』という理由はきっと理解できないだろう。余計に事が大きくなるだけだと思ったから――


 我儘だけど、ただ、失いたくない一心だった。


 少しの沈黙の後


「こっちこそ、ごめん。彼氏でもないのに怒ったりして、、なんかさ、考えただけで嫌でさ……」

「ううん、私も、行ったこと後悔してるから」

「そっか……」


 そう言い終えると、拓海がゆっくりと私の手を取った。温かい体温が交じる。


 ……許してくれたのかな


 嬉しくて、ギュッと拓海の手を握り返した。あと50メートルほどで学校に着くけど、もう恥ずかしさはなかった。


「今日はどうする? うち誰もいないよ」


 いつもと同じ会話、その日常に安心感を覚えて、二人が同じ気持ちに戻れたことが嬉しかった。



 夕方になっても蒸し暑さが消えなくて、気づけばもう夏なんだな。帰りの下り坂でさえ、汗がじんわりと滲んだ。


「クーラー付けるね」


 拓海の家に入るとすぐに冷房を入れてくれて、部屋が冷えるまで冷たいソーダを飲んで待った。


「もう来月、夏期講習だねー、毎日朝から晩まで勉強かー、やだなー」

「まぁ、今年はしょうがないよね」

 パタパタと扇ぎながら、まだ勉強出来る状態になくておしゃべりが続く。


「ごめん、ちょっと着替えてくるわ」


 そう言うと、会話の途中で拓海は部屋へ行ってしまった。


 部屋中の湿気が吸い込まれていくように、だんだんと冷えていく空気が気持ちよくて、心地よい眠気が一気に襲って来た。

 日中の暑さにやられていたから、この睡魔に対抗することはできなくて。


 一瞬で気を失った――



――ダメ、、今はやめなよ



 ほんの少しの時間なのに、一昨日のあの場面が脳内で勝手にリプレイされた。そんなリアルな夢。こんな時に……


 パッと目が醒めると、前に拓海が座っていて、参考書を開いて勉強をしているところだった。


「あっ、起きた」



――今は、やめた方がいいと思う



 まだ、先生に占領されている心を否定したくて、それに反発したかったのかな。



「拓海、私、……拓海と付き合ってみようかな」


 本当は、受験が終わってから言うはずだった言葉だけど、今すぐに先生の存在を振りほどきたくて、伝えた。


「え? い、いま?」


 目の前で、目をまん丸くした拓海が動揺しているのが分かった。もっと喜んでくれると思ったんだけどな。


「突然すぎちゃったかな?」

「え? 寝ぼけてない? 本当なの!?」


 徐々に拓海のテンションが上がるのが分かった。


「うん、付き合ってみようよ」

「うんっ! ありがとう」


 突然、拓海が子犬みたいな笑顔を向けて尻尾をパタパタして喜んでくれた。

 きっと当分は、デートも出来ないし今までと同じような日が続くんだろうけど、拓海と付き合うって決めたから……もう、誰にも何にも邪魔されないよ。


 勉強も今まで通り頑張るから、きっと大丈夫。拓海と2人なら乗り越えられるよね?可愛いくてまだ彼氏って感じではないけど、もう少し経てば、実感湧くのかな。


 私は拓海を選んだ――


 先生のことを綺麗さっぱり忘れてしまう日ももうすぐ来る気がする。

 拓海だったら、先生よりも大切にしてくれるだろう。


「ね、唯」


 気付くと立ち上がった拓海の顔がふいに近づいて、テーブル越しにキスをした。

 何気なく触れた唇がふわりと柔らかくて、この前よりも少し長いキス。


「もう、僕の彼女なんだね」


 顔を上げると、拓海が笑いながらそう言った。

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