第15話 ストーブの灯り

 次の日も図書室には昨日と同じ席に広瀬くんが見えたけど、何となく離れた席に座った。


 今日は遅くならないように早めに帰ろうと思っていたのに、気付くと空は鮮やかな青から薄紫色に変わっていて、急いで鞄に教科書を詰めた。

「もう帰る?」

 離れた席から広瀬くんの声がして「うん」と頷くと、1人だと危ないからと言ってまた駅まで一緒に帰ってくれることになった。手早く教科書を片付けて席を立つ、広瀬くんて本当に優しいな。気にかけて貰えていることがやっぱり嬉しかった。

 だんだんと薄暗くなってゆく下り坂、長くなった影を並べて話しながら歩いているとあっという間に駅に着いた。

「じゃ、明日ね!」

「うん、ありがとう」

 先に電車に乗った広瀬くんに手を振ったら目を細くした笑顔で、パタパタと手を振り返してくれる姿は子犬みたいで可愛かった。


 家に帰って夕飯を食べてから、明日の物理のテストに向けてまた机に向かった。クリスマス、どうなるのかな。時折そんな疑問が頭をかすめるけど、今ある目の前の課題に取り組むことだけを考えて勉強に打ち込んだ。



 ようやくテストが終わると、やりきった脱力感が心地よかった。もう頭の中を一刻も早く空っぽにしたいくらい、家に帰ると夢も見ずに深い眠りについていた。

 

 次の日に早速、物理の授業があった。今回のテストでは先生が監督で来ることはなかったから、久しぶりに顔を見る。


「今日、テスト返ってくるのかな?」

「どうだろ、何?緊張してんの?」

 広瀬くんに小声で話しかけてみると、相当自信があるのか余裕の笑みを浮かべていて、私は今日まるで運命が決まるかのようなドキドキに包まれていた。ふと前を向くと先生がこちらを見ていて、スッと視線を逸らされた。

 

「はーい、じゃあ早速だけど、テストを返しまーす」

 その言葉に心の準備も足りないまま、淡々と流れるようにテストが返されていった。広瀬くんが答案を受け取ると、伏せたまま机に乗せた。そして、私も先生から受け取ると、点数を確認せずに席に着く……


「「せーの!!!!」」


 同時に裏返すと


「うわっ! 負けた~~~」

 広瀬くんの声が教室に大きく響き渡った。点数を見ると96点と98点のわずか2点差で、私の勝ちだった!

「あーよかった!」

「ほんっと悔しいわーー」

「ふふっ、残念だったねっ」

 そんな私たちのやり取りを、多分クラスの全員が見ていたんだと思う。きっと、先生も。チャイムが鳴ると、ユカがニコニコしながら私の机まで駆け寄ってきた。教室を出て行く先生と一瞬だけ目が合ったけど、気付くと目の前にユカの顔があって先生が見えなくなってしまった。


「ねぇ、広瀬と何掛けてたの??」

 そうだよね。あんなに騒いでいたら誰だって気になるよね。

「え? 別に何も掛けてないよ」

 だけど、ユカにだけは余計なことを言いたくなくて伏せることにした。

「うそー、絶対何か掛けてたってー、なによー教えてよーー」

「……お昼ご飯だよ、掛けてたの」

 あまりのしつこさに咄嗟に嘘を付いてしまったけど、ユカは納得していないみたいだった。

「なんだよー、どーせ唯が勝ったんだから教えてくれたっていいのにー」

 そう言いながら、諦めてくれたのか自分の席に戻って行った。


 広瀬くんの方を見るとまだ悔しそうな顔をしていたから、私はピースをしてニコッと返した。

「また、リベンジするから!」

 それだけ言って教室を出て行ってしまった。相当悔しかったのかな、私に負けるの。あんなに悔しそうな顔、初めて見たかも……ちょっと可愛いな、そう思うと自然と顔がほころんでいた。


「ねー、なになに? 付き合ってんの?」

「ち、ちがうよ、付き合ってないって!」

 ユカはまだ私たちのやり取りを見ていたようで本当に男女間のことになると鋭くて怖い……。だから、私が先生を好きだってことは絶対に知られたらまずいなと思った。


 なんとなく先生の所に行くのを避けている自分がいた。意地を張ってるって自分でも分かっているんだけど、また悲しい気持ちになりたくなくて逢いに行く気持ちにはなれなかった。

 もう少しで、冬休み。もう少しで、クリスマス……

 結局今年のクリスマスの予定は今も立たないままだった。広瀬くんとの勝負、負けちゃえば良かったかなって少しだけ思ったけど、何考えてるんだろう。いくら寂しいからって広瀬くんを利用するようなことはダメだよね。

 ぼんやりと窓の外を眺めると、グランドで蒼が走っている姿が見えた。サッカーの授業かな? よそ見して転んだから、馬鹿だなーってクスッと笑ってしまったら広瀬くんが振り向いた。

「ん?」

「ううん、なんでもない」

 小声で返したのに気付くとユカがこちらを見ていた。ちょっとだけ視線が怖い気がしたけど何なんだろう。

 

 あと、5日で終業式か……こんなに逢いに行っていないのに、また前みたいに先生と話せるのかな。このままだと、どんどん先生との距離が開いて普通の先生と生徒に戻るのかな。その方がいいのかな……また、頭で考えても答えなんて出ないのに無意識に繰り返していた。

 やっぱり逢いたいのに……なんで逢いに行けないんだろう。



 月曜日、帰る頃には木枯らしが吹いていて身体の芯まで凍りそうに寒くなっていた。暖かい飲み物でも買って手を温めながら帰ろうかな。そう思って自販機まで行くと


「唯」


ふと、後ろから声を掛けられて、振り返ると先生だった。


「あっ、せんせ、、」

「何飲むの?」

 そう言うと、私の目の前の自販機にお金を入れていた。

「いいよ、自分で買うから」

「テスト頑張ったから、ご馳走するよ」

 そう言っていつものように笑った。私だけに向けられる笑顔はちょっぴり懐かしくて、ズキンと胸に刺さった。どんなに痛くてもどんなに苦しくても避けられない。

「ありがと」

「なに? そんな顔して、どうしたの?」

 笑顔を向けてくれたのに同じように返せない私に違和感を覚えて、先生は1歩近づくと、出てきたミルクティーを取ってくれた。

「はい」

 差し出された缶を受け取りながら、このまま告白してしまおうかという考えが頭をよぎる。自暴自棄なのかな、早く振られてスッキリしたい、そんな気持ちになっていた。


「先生、あのさ……」

 息をのんで見上げると視線が交差して寒さのせいなのか、メガネの奥の瞳が少しだけ潤んでいる気がした。

「理科室……行く?」

 私の気持ちを汲んでくれたのだろうか、誰もいない理科室に誘ってくれた。先生からそんな風に言ってくれるのは初めてで、こんなシリアスな中でも少し嬉しくなる。

 理科室のドアを開けるとストーブが付いていて、そのオレンジ色の光が部屋を包み込んでいるみたいに暖かくてホッとした。テストも終わってしまったから今日は勉強道具を持っていなくて、こんなに手持ち無沙汰なのは初めてだった。先生と向かい合わせに座ると、さっき買ってもらったミルクティーをチビチビと飲む。

「そう言えばさ、掛けでもしてたの?」

 すぐに先週の広瀬くんとのやり取りのことだと分かった。先生に友達とのことを聞かれたのは初めてかもしれない。

「ううん、なんでもないよ」

「そっか、結構盛り上がってたからさ」

 先生も気にはなっていたのかな、今までこんなことってなかった気がする。

「そんなに知りたい?」

「うん、教えて」

 さっきまで笑っていたのに急に真剣な表情になったから、はぐらかすのはやめにした。

「あのね……もし広瀬くんが勝ったら、クリスマス一緒に過ごすことになってた……」


「……そっか」


 少しの沈黙が続いて、今言おうかなって告白のタイミングをずっと見計らっていて心臓がバクバクしてくる。緊張してるの、先生にバレてるかな……


 再び先生と目を合わせた瞬間


「じゃあ、うちでも来るか?」


 唐突に言った先生の言葉に一瞬耳を疑ってしまった。もしかして、夢……じゃないよね?

「先生、予定あったんじゃないの?」

「なんで? 最初から予定なんかないよ」


 コーヒーを淹れながら、振り返ってそう答えた。

 ねぇ先生、嬉しくて嬉しくて泣きそうだよ。

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