第13話 傷つきたくない気持ち
静まり返った部屋、おもむろに先生が立ちあがると部屋の明かりをつけた。外は一気に暗くなってしまって、急に冬のような寒空が窓の外に広がっているみたいだった。
「もう、私頑張らない方がいい?」
静寂の中、口火を切ったのは私の方だった。迷惑なのか、そうじゃないのかそれだけはハッキリさせたくて、先生の気持ちを聞きたかった。
「いや、そんな風に思ってないよ」
それは曖昧な答えだった。私を受け入れてくれる余地はあるのか、どんな気持ちなのか全然読めなくて、この恋の行き先が本当に分からなくなってしまった。どんなに近づいても先生の心には入っていけないのだなと感じ始めていた。
この気持ちをどうしたらよいのか分からないまま、気付けばまた横浜駅に到着していた。
「気を付けて帰って」
「うん、ありがとう。ご馳走様でした」
一言だけ交わすと、振り返らずに改札へ向かった。楽しかったな……途中までは。
本当はキスくらいしちゃうんじゃないかって勝手に想像していた自分が本当に馬鹿らしく思えた。先生の気持ちがもっと読めなくなって、想いを伝えるにも中途半端な距離で、なによりも傷つきたくないって気持ちがさらに膨らんでしまっただけだった。
そして、先生から近づいてくれることはないのだと気づいた。自分がどれだけ好きかで先生との距離が変わっていく、それはそれでちょっと切ないな……思い出すと右手に残る先生の手のぬくもりがじんわりと蘇ってきて途方に暮れた。
月曜日の朝、目が覚めても沈むような気分を引きずったままで、風邪を引いたことにして休みたかった。ずっと楽しみにしていたイベントが雨で中止になってしまったみたいに私の気持ちは宙ぶらりんで、学校へ行く目的を失ってしまったみたい。
でも幸いその日は理科の授業が無くて先生に逢うことはないから、やっぱり学校へ行くことにした。重い腰を上げて玄関を出ると、丁度目の前を蒼が歩いているのが見えた。
「唯ー! おはよー!」
「おはよう、朝から元気だね」
「なんだよ、元気ないの? どうした?」
朝に似つかわしくない底抜けな明るさが今の私には有難かった。蒼は学校までの道のりを私の悩みの聞き役に徹してくれたから、昨日のできごとや自分の気持ちをやっと吐き出すことができた。
「……それでさー、自信なくてさ」
「唯はもっと自信持った方がいいよ、絶対にそいつには伝わってる気がする」
「やっぱりバレてるよね。からかわれてるのかな? って感じる事もあるし」
「なに? そいつってもしかして年上?」
ドキッとした。蒼って昔から明るくて何も考えていない様に見えるのにたまに鋭い事を聞いてきたりするんだよね。蒼の感の良さは相変わらずだった。
「え? うん、先輩……だよ」
できるだけ嘘は避けて自然に誤魔化した。
「わー、年上だったかー、先輩? うちの学校?」
蒼の質問責めに合いながら学校の校門を入ると、中庭から見える目の前の渡り廊下を先生が歩いているのが見えて、一瞬だけこちらを振り返った気がした。
今日は先生に逢うこともないだろうって思っていたのに、よりによって男の子と居るところを見られちゃうなんて。……でも、いっか。先生はそんなこと何とも思わないよね。
こんなにもウジウジと悩んでいる今の自分が嫌で全部忘れたくなった。今日からはちゃんとに勉強モードに切り替えて、先生のことを無理やりにでも思い出さないと心に決めた。静かに、先生のこと忘れてしまいたかった。
全ての授業が終わって廊下へ出たら、ふといつもの癖で理科室を見上げてしまった。こんな時に限ってカーテンの隙間から丁度先生の後ろ姿が見えて、そして次の瞬間女の子が見えた。考えるよりも先にズキンと鈍い音を立てるように胸が痛み出すと、視界が真っ白になった。
3年生かな。2人きりなのかな……
なんだか胸がザワザワして、これ以上何も見たくなくて嫌で仕方がなかった。動揺している姿に気付かれたくなくて、急いで下駄箱へ走る。
――やっぱり先生のこと、こんなに好きなんだな。
やっぱり今日、行けばよかったな。何食わぬ顔して今からでも行けばいいのに、弱気な今の私にはそうすることができなかった。
悩みの渦の中から這い出ることができなくて、先生のことを独占するなんて不可能なことなのに、余計にどんどん想いが膨らんでいった。
先生が好き……
たとえ先生が私の事をどう思おうと、私のこの気持ちは変わらないんだと悟った。
それなら明日は会いに行こう。
次の日は教室で物理の授業だった。一番初めに受けた授業の時みたいに、ドキドキして、直視できなくて視線を窓の外に向けてしまう。
「浅見、よそ見しない」
驚いて前を向くと、先生と目が合った。
「じゃあ、次の所解いてみて」
別のことを考えていて話を聞いていなかったから解けるはずがなかった……先生は分かっていてワザと言っているのだろう。
「すみません、分かりません」
「じゃあ、代わりにわかる人ー?」
先生がそう言うと、広瀬くんの手がパッと上がった。スラスラと問題を解くと先生に褒められた広瀬くんがこちらを振り向いて笑顔で親指を立てた。
「ありがと」
コソッと小さな声でお礼を言った。
コンコン……
放課後、理科室のドアをたたく。日曜日以来2人きりで話すから気まずくならないか心配で少し緊張しながらドアを開けると、振り向いた先生は思いの外笑顔だった。
「ふふっ、居残りに来たの?」
「別にそう言う訳じゃないけど……」
今日の授業が上の空だったから少しは怒られるかもって思っていたのに、いつも通りの先生で拍子抜けした。日曜の別れ際の気まずさも夢だったのかなと感じさせるくらい。
「じゃ、これ手伝ってー、よそ見してた罰」
そう言うと、プリントの束を渡された。何枚かをセットにしてホチキスで留める、いつだったか手伝ったのと同じ作業を延々と繰り返した。
「先生、昨日もこれやってたの?」
「ん? 昨日? 何してたっけ、忘れちゃった」
意図的に濁しているのかな……心がまた、モヤモヤしてきた。
「あっ、昨日か、3年生のセンター試験対策の補習だったかな」
先生は単に忘れていただけで濁したわけではなかった。なんだ、ただの補習だったのか……早とちりしてしまったことを心の中で謝った。
「この前はありがとう。ご飯、美味しかったよ」
「そう? それなら良かったけど……」
「なに?」
「なんか、傷つけるようなことしちゃったかなってちょっと気になってた」
顔を上げると真っ直ぐに向けられた視線が私を捕らえて逃がさなくて、また鈍い痛みが胸に響く。
何の飾りもないストレートな言葉でそんな風に聞かれてしまうと、昨日あんなに悩んでいた気持ちを上手くまとめることができなくて
「ううん、そんなことないよ」
そうやって自分の本心を咄嗟に隠してしまった。笑顔を作って見せるけど先生は笑っていなくて、「そっか」って小さく呟いた。
何も解決しなかった。でも、自分で避けたことは自覚している。先生とこれ以上の関係は望まないから、この距離感でもう少しそばにいられれば良いと思った。
それが悩んで捻り出した私の中の答えだった。
それから、2人でコーヒーを飲んだり昨日見たテレビの話とか、先生の大学時代の話とか色々な事を話した。先生の事がもっともっと知りたくて私が質問してばっかりだけど、嫌な顔をせずに何でも答えてくれた。
「ほら、手も動かしてよ」
まだまだ減りそうもないプリントの山がちょっとだけ嬉しかった。
「ねー、これ何クラス分あるの?」
「1年生全クラス分だよ」
「ふふっ、今日で終わるかね」
笑える話も、くだらない話も、2人ですれば意味のあるものになる気がした。
先生と一緒に過ごせる時間が今一番大切で、先生が全てだった――
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