第10話 見つめ合う時間

 来週から学力テストが始まる。大きな学校行事は終わってしまったからそろそろ気を引き締めないと。そう思う気持ちも嘘じゃないけど、また先生と2人で過ごすチャンスに賭けて、今まで以上に勉強しなくちゃと思った。

 満点を取ったら次はどこへ行こうかな……。まだ勉強をする前なのに、つい関係のないことを考えてしまう。そんなことは満点をとってから考えようと気を取り直して机に向かった。


 次の日、放課後は理科室へ行った。

「せんせー、お待たせ!」

「いや、待ってないから」

 先生のノリが良いところも本当に好き。椅子に座ると今日はコーヒーを淹れてくれた。

「なに? 分からないとこあるの?」

 ちょうど先生が後ろに立っていて、頭の上から声が聞こえる感じがした。近くてドキドキして、今日は勉強にならないかもしれないな。

「ここがイマイチ分からないんだけど、ここってテストに出ますか?」

「うーん、、って言わねーよ」

 そう言うと、隣の椅子に腰を下ろしてケタケタと笑っていた。

「先生は、次は何処行きたい?」

小声でヒソヒソ聞いてみる。

「そんなのは、ちゃんと満点取ってから」

 先生は突然しゃんとして、勉強以外のことに夢中になっている私のことをちょっとだけ突き放した。

「先生、本当は私に満点取って欲しくない?」

 核心に迫ることを聞いたらダメかな。そう思ったけど、この会話の流れのままつい聞いてしまった。今までだったらここまで踏み込めなかったのに不思議。

 先生は軽いため息をついてから私の質問に答えた。

「取ってほしいに決まってるだろ……生徒なんだから」

 やっぱり、返ってきたのは先生らしい模範解答だった。

 

 そして、1週間はあっという間に過ぎて、テストの日を迎えた。

「なんか張り切ってるじゃん、何かあるの?」

 そんなに張り切って見えるのかな、私。咄嗟に「何もないよ」って笑ってごまかした。

 あれから、広瀬くんとは本当に自然に今まで通り友達として接して貰えている。広瀬くんって結構、器量があるんだなって感心さえした。

 

 チャイムが鳴ると、監督の先生が入ってくる。白い白衣がひらりと揺れたのが見えて、そして先生と目が合った。頑張れって事だよね? そう思って、テストに集中した。

 一番初めのテストは国語だった。古文が難しくて頭の中がごちゃごちゃになってしまったけど、なんとか全ての解答欄を埋めることはできた。終了10分前、見直しも済ませて顔を上げると、またいつかみたいに先生と目が合った。

 逸らしたくなくて、見つめ合ったまま。なんだか2人だけの時間が流れているみたいだった。

 先生の柔らかい表情に引き込まれて、私も自然と口角が上がってしまう。たぶん本当は数秒しか見つめ合っていないのに、長い時間そうしている気になった……。


 先生、気づいて……胸が苦しいの。

 先生はどういうつもりなの?


 目で訴えても伝わるわけがないのに、言葉にしなくても気づいてほしかった。


 他の生徒にはしないこと、私にだけしてくれているような感じがして、きっと私の錯覚に過ぎないかもしれないけど、心がどんどん先生の方を向いてしまう。

 先生は私の気持ちに、もう気付いているんだよね?


 帰り道、大粒の雨の中バスは行ってしまったばかりで仕方なく歩いて帰った。傘にぶつかる雨の音が大きくて、他の音がかき消される。遮断された一人きりの空間になった。

 今日の先生は何だったのだろう。結局どちらからも目を逸らさないままチャイムが鳴った。こんなに長く見つめ合っていたなんて、何か意図があったのかな? 私が子供だから、分からないだけなのかな? もしも合図を送られていたとしたら……そう考えると気づけない自分が悔しかった。

 帰り道、ずっとそんなことを考えていた。明日は物理のテストもあるから集中して備えないといけないのに。私が今出来ることは、それだけだから。


 次の日も、その次の日も3日間続いたテスト期間に先生が監督として再び現れることはなかった。そして、ようやく全ての教科のテストが終わった。自信があったからなのか、やり切った感覚があって本当に清々しい。最後の教科のチャイムが鳴ると、ぐぅーっと腕を広げて身体を伸ばした。

 かなり睡眠不足だったみたいで、家に着いてベッドに倒れるとそれから間もなく記憶が無くなった。


 ぐっすりと深い眠りから覚めた翌日、早速化学の授業があった。

「じゃあこれから、テストの答案を返します」

 その言葉に、ドキリとして思わず先生の表情を見た。科学のテストには自信があっただけに緊張感が半端なくて、流れるように名前の順に呼ばれていく様子をハラハラと眺めていた。


 私の名前が呼ばれてパラっと答案を渡されると「よく頑張ったな」そう先生が言葉をかけてくれたから、ドキドキしながら答案を表に返すと、見えた点数は96点だった。満点じゃないのか……。確認すると2問だけ間違えていて、あと少しなのに悔しくて悔しくて泣きそうになってしまう。

「そんなに悪かったの?」

 私の固まった様子に気づいて、広瀬くんがひょっこりと私の答案を覗き込んだ。

「くそー、負けたー。ってか、なんで? 96点ってすごいじゃん」

 不思議そうに私の顔を見て広瀬くんが言った。

「いや、満点狙ってたからさ、ほんっと悔しいわ」

 先生の方をチラリと見ると目が合って、ニコッと笑った。だけど私は悔しすぎて、とても同じような表情を返す気にはなれなかった。また先生を驚かせたかったのにな。来週の火曜に物理も返ってくるけど、化学の方が自信があっただけにショックは隠せなかった。

 それでも、勉強を頑張った相乗効果で他の教科も点数が格段に上がっていたから家に帰ると母親が褒めてくれて、とてもご機嫌になったのは良かった。

 だけど……先生とどこへ行こうかなって昨日まであんなに考えていたのが嘘みたいに今は全く何も考えられなかった。先生はきっとホッとしてるんだろうな。今の私はきっと夢中になりすぎているから、満点取れなくてちょうど良かったのかな……。好きな人とデートするってことが、ここまでハードルが高いなんて。別の人を好きになれたら、もう少し楽かもしれないのにな。そんなどうにもならない事を、また延々と考えてしまった。


 火曜日、物理の時間に教室で先生を待つけど、ソワソワして落ち着かなかった。ガラガラーっとドアが開く音にさえドキッとした。

「はい、じゃあ答案返すよー」

 そんな風に淡々と授業が始まって、また流れるように1人1人答案を返されていった。

 私の番になると、今日は何も言わずただパラッと渡されただけだったから、先生の相変わらずな素っ気ない対応に、やっぱりダメだったかと少しへこんだ。席に着いて、一呼吸してから答案を裏返す。最後まで願いを込めて……。

 裏返した瞬間、目に飛び込んできたのは、100点という見慣れない3桁の数字だった。

 見慣れないというか、初めて見たような気がする。


 そう思った瞬間、全身の鳥肌が立つような感じがした。ただのテストなのに、こんなに嬉しいなんて。あんなに苦手だった物理なのに、努力は報われるんだなと思うと本気で嬉しくてしばらく声が出なかった。


「今度は? どうだった?」

 また広瀬くんが気になって声をかけてきたから、思わず満点の答案を見せびらかした。

「どう? やればできるでしょ?」

「うわー、また負けたよ。ってかどうしたの? そのやる気」

「ふふっ、物理好きになっただけ」

 そう誤魔化した。ご機嫌な時はスラスラと嘘がつけるものなんだね。また先生の方を見ると、さっきの態度とは違って優しく微笑んでくれていた。

 約束、守ってくれるってことだよね? 答案が返った後は普通の授業があったのに早く放課後にならないかなって上の空で、ぜんぜん内容が頭に入って来なかった。


 ――どうしよう、どうしよう

 何処に行こうかな、2回目のデート

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