第25話 たったひとつ

 今日、雫さんは締め切り間近の仕事に追われていた為一人でアイビーに足を運ぶ。


確か一人で来ることは初めてだったよな、

なんて考えながら

小さなベルのついた扉を開ける


いつものように静かなジャズの音楽とともに

珈琲の香りで幸せな空間へと誘い込まれる


店主といつものように他愛もない会話をする


「珈琲を美味しく淹れるコツとかあるんですか?

どうやっても

店主のようにうまくいかなくて。」


そう言うと店主は


「美味しい珈琲とは誰が誰のために

淹れるのかがとても大切です

いくら美味しい珈琲豆をお手本通りにやったとしても、誰かを想って淹れるものとは味が違うものなんです

珈琲は純粋で繊細なんです」


そう言いながら優しく微笑む


「一つ、アドバイスをするなら

美味しくなれ。

とゆっくりと淹れるのがコツです」


なるほど、と僕は店主の話に耳を傾ける


誰が誰を想い

どんな気持ちで淹れるのか


まだまだ僕自身、知らないことで溢れているなと楽しくなる。


言われてみれば彼女は珈琲に関しては素人で

僕が淹れているところを見て、たまにやってみたいと言うくらいだが

彼女の淹れる珈琲はとても美味しく

そして優しく暖かいと感じる。


「私は来ていただいた方が幸せなら、そこに一杯の珈琲を添えたいと思っていますし

不安や苦しいことがあるのなら

たった少しの時間かもしれないですが

この珈琲を飲んでいる時間だけでも暖かいとそう思っていただければと思っています」


これがこの喫茶アイビーを作り出して

優しい居場所にしてくれる所以なのかもしれないとそう思った。


少し長い付き合いになるがこんな話を聞ける機会も中々なかったけれど

ずっとここに通い続けたいと思う

それは店主がいて

珈琲があって

優しい音楽と音と香りに包まれているからだ


今日もありがとうございます

素敵な時間を過ごせましたと伝えてお会計を済ませ

帰路につく


家に帰るとパソコンと資料に、にらめっこをする彼女にただいまと言い

キッチンに向かう


珈琲豆をミルにかけ

フィルターを用意して

お湯を沸かす


珈琲に湯を注ぎ蒸らして


美味しくなれと心の中で囁きながら

君を想い

珈琲を淹れる






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