第16話 絵画と怪人影男爵



「フハハハハ。愚かなる探偵団の諸君。彼女の秘密は彼女のものなのに。まったくもって、呆れるね。か弱きレディの秘密を暴く行為は、紳士としての振る舞いとは、到底思えないものだね」


 いつのまにか、窓枠に足をかけて人が立っていました。黒いシルクハットに、モーニング姿。黒い仮面をつけています。形の良い、左右に伸びた髭。まるで、ひと昔前の冒険活劇に登場する、敵役のような出で立ちです。


 細いあごの輪郭は、どこか女性的にも見えますが、躰の骨格からして、男性なのではないかと思われます。


「私は怪人影男爵だ。私の名を語った偽物の予告状が届いたと聞き、様子を見に来てみれば。実に。くだらない余興だったね!」


 すっくとそこに立ち、優雅に手を動かす仕草は、気品すら感じさせます。そこにいる誰しもが茫然ぼうぜんとしていて、一歩も動くことができませんでした。


「お、お前が、怪人影男爵……だと?」


 久保くんは、不機嫌そうに大きな声を出しますが、影男爵と名乗った人物は、「フハハハ」と愉快そうに笑うばかりです。


「お前、どこから……っ」


 そこにいたみんなは、周囲をきょろきょろと見渡します。すると、雉子波きじなみくんが声を上げました。


「し、島貫しまぬきがいないぞ! 島貫? 島貫ー!」


「島貫くんには、おねんねしてもらっているよ。他愛もないね。これだから、素人は」



「お前! 島貫をどこにやった? まさか……島貫にすり替わっていたとでも言うのか?」


 雉子波くんは愕然としている様子です。そこにいる誰もが、まさか島貫くんが偽物だったなんて、気がつきもしなかったのですから。


「さてね。安心したまえ。私は、誰かを傷つけたり、命を奪ったり——なんて、野蛮なことはしないのだよ。事がすっかり片付いたら、そのうちひょっこり出てくるだろうさ。それよりもだね。本題に入ろうじゃないか。暗黒の名画——マグダラのマリアだが。あの絵は、私が頂戴したよ」


「な、なにを……」


 中嶋くんは、思わずはったとしました。自分の腕時計は予定通り、零時れいじを表示しているではありませんか! 予告状は、真夜さんの出した偽物であったはずなのに、怪人影男爵は、その通りに姿を現し、そして、あのマグダラのマリア画を盗んだと言っているです。


「う、嘘をつくな! あんな大きな絵。どうやって……」


「中嶋くん。そんな種明かしを、私がすると思うのかい? 気になるなら、自分たちの目で確認してみることをお勧めするよ。楽しくなりそうだね。それでは、失礼——」


 彼は、そう言い放つと、窓から外にヒラリと飛び出しました。「あ」という声に、中嶋くんや、久保くんたちは、窓に駆け寄ります。しかし、二階から下を覗いても、そこに人影はありませんでした。怪人影男爵は、あっという間に闇夜に紛れて消えたのでした——。


 怪人影男爵は、どこに消えてしまったのでしょうか。いえ、それよりもなによりも、影男爵は絵を盗んだと言っていたのです。すぐに確認しなければなりません。そこにいた人たちは慌てて一階に駆けおりました。


「こ、これは——」


 暗黒の絵画——マグダラのマリアは、。その代わり、同じ大きさの絵が飾られていました。


 絵の中に描かれている女の人は、聖母マリアの如く、微笑みを称え、赤ん坊を抱いていました。女の人は——まるで小夜子さんです。今までの漆黒の絵ではありません。神々しく光輝くような、それでいて、見る者たちに、穏やかな気持ちを与えるような絵でした。


「マグダラのマリアは、どこへいったんだ?」


 中嶋くんは、言葉を失ったかのように、息を潜めます。すると、ふと宮城くんが絵に歩み寄って、それから周囲を見渡しました。それから、床に落ちている黒い粉を、指ですくいました。


 彼は、振り返ると、みんなの顔を見渡しました。


「マグダラのマリアとは、新約聖書の中の福音書に登場する女性。一部では、彼女はイエスの復活の訪れを告げる役割を担っていた。カトリックでは『罪深い女』として取り扱われることも多く、あまりいいイメージがないのかも知れない。だけれども、聖女として大切にされている側面もある——。

 宜臣まさなおさんは、この絵を描いた。これは小夜子さんだ。小夜子さんは、宜臣まさなおさんから見たら、聖母のような存在だったんだ。ところが、それをおおやけにはしたくなかった。いや、できなかった。彼は、絵の上に、油絵具の黒で色を重ねたのでしょう。そうして、出来上がったのが、暗黒の絵画——マグダラのマリアだったんですよ。ほら。見て。この床に落ちている黒い粉。影男爵が表面の黒い油絵具を、そぎ落とした痕跡だ」


「じゃあ、絵を盗んだって。この絵が、あの絵?」


「彼は黒い表面だけ。つまり、マグダラのマリアを盗んだ——ということだね」


 中嶋くんは、小夜子さんを見ます。小夜子さんは、絵から視線を外さずに大粒の涙をたくさんこぼしていました。それを見ていた真夜さんもじっと押し黙ったままでした。


 へんてこな関係性で出来上がった家族でしたが、そこには愛が、確かに存在していたのだということを、ここにいる誰もが、理解した瞬間でもありました。









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