第14話 消えた当主



「おうおう。おれのことを眠らせるってよお。いい度胸してるじゃねえか」


 まだ頭がぼんやりとしているのかも知れません。久保くんは、こめかみに手を当てて、頭を横に振っています。足元が覚束ないようで、傍の壁に手をついていました。


「髙橋さん。薬の量が足りなかったんじゃないの?」


「いいえ。真夜さま。に入れました」


「ざけんなよ、コラ! こちとら、だてにダンプの運転手してねーんだよ!」


 ダンプの運転手と、睡眠薬が利かないことと、どう関係があるのか中嶋くんにはさっぱり理解ができませんが、この場の雰囲気で、突っ込みをいれるのは得策ではないと思い、黙っていることにしました。ともかく、よろよろの久保くんですが、やっと探偵団が全員集合したというわけです。


 その間にも、小夜子さんは、じっとしたままです。真夜さんの問いに、彼女自身は一切言葉を発しません。確かに母子手帳は、彼女が真夜さんの母親であると言っていますが、ただ、そえは紙面でのこと。それが本当に真実であるのかどうかは、やはり、小夜子さんの口から聞かなければなりません。


 このまま零時れいじを過ぎていくのでしょうか。影男爵は真夜さんであったという点では、そうなるでしょう。ところが、そこで口を開いたのは宮城くんでした。


「僕は小夜子さんに家族のことについて、色々な質問を重ねました。そうして得た感想は、『おかしいな』という違和感——。それの正体がこれだったとしたら。僕は、まったくもって腑に落ちます」


 宮城くんは小夜子さんの側に歩み寄りながら続けます。


「藤原家は、そもそもがバラバラだ——。小夜子さんは、そうおっしゃっていました。果たしてそうなのでしょうか。小夜子さんの大切なものは家族だ。だけれども、彼女は、なくなってしまってもいいと言っていた。家族からなんらかの不利益を与えられているわけではないというのに——。僕は思いました。小夜子さんの、そのアンビバレントな感情は、彼女自身の中の問題。彼女自身が、家族に対して、何等かの後ろめたさがあるからではないかと。

 では、その後ろめたさとはなんでしょう? そして、それは誰に対して抱いていることなのでしょうか。小夜子さんは、家族の話をする時、極力、無表情を取り繕っているように見えました。しかし、宜臣まさなおさんのことを話す時と、真夜さんのことを話す時では、言葉の端々の色が変わります。宜臣まさなおさんのことを話す時。彼女は心なしか嬉しそうな、それでいてふさぎ込んでいるような色を見せます。一方で、真夜さんの話をする時は、どこか詰まったような、なにかに怯えているような色でした。

 つまり、小夜子さんが抱いているうしろめたさというのは、真夜さんに対してなのだなと思ったのです。姉妹でそんな感情を示すというのはどういうことだろうと、ずっと考えていたのですが——」


 宮城くんは雉子波きじなみくんを見ました。雉子波くんは大きくため息を吐いてから胸ポケットからメモ帳を取り出しました。


「……藤原氏が、M市を出たのは、ちょうど十九年前。つまり真夜さんが生まれたその年だ。そして、藤原氏は、真夜さんを連れての転出届出をしています。それまでは、小夜子さんとの二人暮らしだ。真夜さんの戸籍を調べていくと、母親の名前は『斎藤冴子』となっている。『斎藤』に心当たりはなくても、『冴子』になら心当たりがある。ねえ、髙橋さん。あなた、髙橋冴子さん、ですよね?」


 雉子波くんの問いに、真夜さんの隣に立っていた髙橋さんは、微動だにせず押し黙っていました。


「真夜さんも、当然、自分の母親が誰かを戸籍で入手したんでしょう? そして、髙橋さんがもしかして? って思ったはずだ。だけどね、それにしてはおかしいじゃないか。藤原氏は、配偶者である小夜子さんの母親を失くして久しい時期だ。いくら使用人であったとは言え、今のご時世、髙橋さんと婚姻関係を結ぶことは、なんら問題もないことだ。ところが、彼は髙橋さんと婚姻関係を結ばずに、真夜さんと養子縁組し、それを機に彼女を連れて日本を離れた——」


 雉子波くんは、小夜子さんを見据えます。


「しかし、本当の母親は小夜子さんだ。小夜子さんは十九歳。未婚だ。別にその相手の男性と婚姻関係を結んでも問題がないお年頃だというのに。藤原氏は、敢えて、そうさせていない。いや、そうさせられない理由があった、ということに他ならない。違和感だらけだよ。これは。昔でもあるまいし。出生した子の母を偽って、役所に登録するだなんて。だけど、藤原氏は、それをやってのけたってことだ。悪いけど、常軌を逸する男だと、おれは思うね」


 小夜子さんは、雉子波くんの言葉に、押し黙っていますが、その瞳には、微かに憤りの色が見て取れます。事実を明らかにされたからなのでしょうか。それとも——。


「ならよお。本人に聞けばいいじゃねえか。なんで、父ちゃんに聞かねえんだよ。真夜ちゃん」


 久保くんの問いに、真夜さんは首を横に振ります。


「聞いても教えてくれなかった。そして、もう聞くこともできない」


「はあ? どういう——」


 久保くんが目を瞬かせると、雉子波くんが代わりに答えました。


「藤原氏は、一年前から、行方知れずなんだよ。絵の製作のために、でかけたきり、戻っては来なかった。乱雑に捨てられていた画材道具が見つかっただけで、彼自身は未だに見つかっていない」


 そこにいるみんなが雉子波くんを注視していました。そして、驚愕の表情を浮かべました。宜臣まさなおさんが、行方知れずになっているとは思ってもみなかったからです。その一方で、この一連の事件について、彼の姿が一切見えないのはどういうことなのだろうか、と疑問に思っていた中嶋くんは「なるほどな」と頷きました。


「別段、隠すことでもありません。一年前——。父は、絵を描くと言って出かけたきり、行方不明になりました。結局、死体は見つかっておりませんので、所在不明扱いとなっておりますが、もう一年にもなりますから。死んでいるに違いないと家族はみな、そう思っているのです」


「小夜子さん。そんな大事な話をなぜ、教えてくれなかったのですか?」


 中嶋くんは顔をしかめます。しかし、小夜子さんは「大事かどうか、判断がつきませんでした。父が健在かどうかは、尋ねられたわけでもありませんので」と、答えました。中嶋くんは「そういう問題ではないのだ」と呆れましたが、ただ黙って様子を見ることにしました。


 しかし、いくら雉子波くんが行政職員だからとはいえ、海外のことにまで調査の手を伸ばしているとは、思ってもみませんでした。雉子波くんの、隠された能力の片鱗へんりんを垣間見た気がしました。確かに、彼は小学生の頃から、一つのことに夢中になる性格です。疑問に思ったことは、とことん突き詰める。そういう性格が功を奏しているのだと思いました。


「真夜さんは、父親の所在不明に当たり、自分の出生の秘密を知る術を失った。そこで、兼ねてから疑惑を抱いていた、姉の小夜子さんに、その謎の種明かしを迫ろうと思った——というわけですね?」


 中嶋くんの言葉に、真夜さんは大きく頷きました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る