第13話 母



 小夜子さんが駆けて行ったのは、二階の自分の部屋でした。彼女は、一目散に文机の所に駆けつけると、引き出しを力任せに開けて、紙やら文房具やらを乱暴に掻き出しました。それから、ガタガタと奥をまさぐったかと思うと、手を止めました。そうして、それから安堵の表情を浮かべたのでした。


「大丈夫です。ありました——」


「小夜子さん。それって……」


 中嶋くんは、彼女に問いかけます。しかし、彼女は弾かれたように我に返ると、自分を注視しているみんなを、ぐるりと見渡してから、顔を青くしました。


 あまりにも心配で、ついここまでやってきてしまったのでしょう。『大切なもの』の無事を確認した今。その存在を、みんなに知らしめてしまったことを、後悔しているような表情でした。


「な、なんでもありません。なんでも——」


「なんでもないって——」


 中嶋くんが、そう言いかけましたが、その声は、真夜さんに遮られました。


「なんでもないわけがないでしょう? 


 困惑して、言葉を失っているみんなを余所に、小夜子さんを責めるような、鋭い真夜さんの声が響きます。


 小夜子さんは、じっと真夜さんだけを見据えているようです。そのガラス玉みたいな瞳には、真夜さんの毅然とした姿が、しっかりと写り込んでいます。


 中嶋くんは、目を凝らして小夜子さんの持っているものを見据えます。それは緑色のビロウド生地で作られた袋です。彼女の手に収まるか収まらないかの大きさでした。一体、袋には、なにが入っているのでしょうか。ああ、中身を確認したい。それは、まるで。パンドラの箱みたいに、中嶋くんの心を誘惑してきます。


 真夜さんは、黙って小夜子さんのところに歩み寄ると、呆然としている小夜子さんの手から袋を取り上げました。


「返して!」


「いいえ。私には、見る権利があるはずよ」


 彼女はそう言い放ち、止めようとしている小夜子さんの手を振り払ってから、袋の中身をテーブルにぶちまけました。


 そこには、古びた母子手帳と、そして桐の小さな小箱がありました。表紙の保護者の氏名には小夜子さんの名前が書かれています。そして、子の氏名には『藤原真夜』と書かれていました。


 中嶋くんは息を飲んでから、小夜子さんを見つめます。真夜さんは、母子手帳の表紙を確認すると、まっすぐに小夜子さんを見据えました。


「お姉さん。いいえ、お母さん——。そうあなたは、私のお母さんなんでしょう?」


 真夜さんの言葉は、その場にいる全ての人間に驚きと畏怖いふを与えました。真夜さんは、小夜子さんの妹ではなかったということです。小夜子さんは、真夜さんの母親——。では、お父さんは一体、誰なのでしょうか?


 小夜子さんは、まるで墓場から這い出てきた死人のように顔が蒼白で、息をしていないのではないかと思われるほどに、唇を紫色にして、震わせていました。


 中嶋くんは、この事態をどう理解したらいいものかと、宮城くんに視線を遣ります。宮城くんは腕時計をちらりと見ました。中島くんもそれに釣られて腕時計を見ます。デジタル表示の時計は23時50分と表記されていました。なんと、零時れいじになっていなかったのです。リビングの柱時計は、なぜ零時れいじになっていないというのに、零時れいじを告げる鐘を鳴らしたのでしょうか。


「影男爵の予告状を出したのは私です。こうでもしないと、私の出生の秘密にたどりつかないと思ったからよ」


 真夜さんの言葉に、探偵団のメンバーたちは「あ」と声を上げました。


「大切なものっていうのは、私にとっての大切なものです——。どんなに呪わしい生い立ちだとしても、私は私だし。それに、自分自身のルーツを知りたいって思うことは、当然の権利ではなくて? 最初は予告状なんて、子ども染みていると思ったけれど、みてみなさい。こんなにいい大人たちが振り回されているのを見ていると、もう愉快で仕方がないわ。おまけに、予想通りの展開じゃない。私の予測は大当たりよ!」

 

 真夜さんは、表情を変えることなく淡々と語ります。しかし、宮城くんは彼女の瞳の色が翳るのを見逃しませんでした。真夜さんが話している間。小夜子さんはただただ、じっとしているだけです。


 驚きの展開です。真夜さんのお母さんは小夜子さんであり、それを知るために、真夜さんが予告状を送り付けたということ。そうなると、今までの一連の出来事は、全て真夜さんが仕出かしたということです。


 真夜さんと一緒に行動をしていて、行方知れずになってしまった久保くんは、一体、どうしたというのでしょうか。中嶋くんは、久保くんのことが気になりました。久保くんは、犯人ではありません。彼は本物の久保くんだったということです。では一体、彼はどこに行ってしまったのでしょうか。


「じゃあ。久保は……?」


「久保さんには悪いけど、眠ってもらいました。ねえ、髙橋さん」


 真夜さんが髙橋さんの名前を呼ぶと、髙橋さんは頭を下げます。中嶋くんは、高橋さんをまじまじと見てぎょっとしました。小柄でか弱そうに見えた髙橋さんですが、よくよく見ると、女性の割りに体つきはしっかりとしています。


「髙橋さんは空手の達人なんですよ。久保さんみたいな素人は、造作もありませんでした。それに久保さんには、睡眠薬を飲んでいただきましたから——ふらふらしていて、簡単でした。ね。髙橋さん」


 髙橋さんは、こくんと頷きました。


「そんな、だって。いつ——あ!」


 中嶋くんは、はっと気がつきました。あれです。髙橋さんの出したコーヒーではないでしょうか。あの時のコーヒーに睡眠薬が入っていたとでもいうのでしょうか。


「しかし、あの時。コーヒーを飲む時点では、真夜さんと久保が一緒に見回ることになるだなんて、決まっていなかったじゃないか」


「別に誰だってよかったんですよ。久保さんじゃなくてもね」


 ということは、久保くんは……。あらぬ疑いをかけられて、今頃どこかで眠らされているということでしょう。中嶋くんは、なんだか久保くんが不憫に思えました。ところが——。


 どしんどしんという乱暴な音が聞えたかと思うと、なんと、久保くんが顔を出したではありませんか。これには今度は、真夜さんと髙橋さんが、ぎょっとする番でした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る