第7話 宮城哲也という男
「私は……?」
宮城くんの促しに、ふと我に返ったのか、小夜子さんは、首を横に振って黙り込んでしまいました。
「どんな形であれ、人は、なにもないところに誕生しないわけで、必ず両親が存在します。我々は、どんな形であれ、そもそもの家族——これを『
宮城くんを、真っ直ぐに見据えたまま、小夜子さんは目を細めました。
「でも、家族って原点でありませんか? そう易々と捨てられるものでしょうか。物理的に離れたとしても、完全に捨て去るなどということは、できかねるのではないかと思うのです。どんなに嫌な思いがあったとしても、家族は家族であり、切っても切れない関係性であると、宮城さんは、そう思いませんか」
「確かに、『完全に捨て去る』ということは、難しい問題です。いくら、家族との縁を切ったと言っても、その人の奥底には、家族への思いがくすぶっていることが多い。しかし、それは当然のことです。人の根っこの部分に、とても深く関わることだからです。
ですが、その家族に対しての思いを決めるのは、『自分である』ということも事実なのですよ。人生を歩む中で経験してきたもの、他者からの影響、自分自身を知り、自分自身が変わろうとする強い意思。——そんなもので、自分の思考をコントロールするということは、可能になるものです。無意識の部分に抑え込まれている自分の感情に気がつくことができれば、人はいくらでも変われるチャンスがあるんだ。
僕は、物理的に家族と近しい位置で生活をしています。同居しているということです。しかし、だからといって、家族の支配の元にいるとは思わない。むしろ、一人の家族員として、そのなすべき役割を担い、他の家族員とは対等な関係であると認識しています。
あなたが、家族を煩わしいと思うということは、他の家族に対して、なんらかの負の感情をお持ちだということだ。しかし、一方では、捨てきれない——つまり、離れがたい思いもある。愛着が残っている、いや、むしろ負の感情のほうが後づけではないか。愛ゆえに生まれる負の感情です。家族への思いについては、すべて、あなた自身の内面の問題なのではないかと思うのです」
中嶋くんは、今回の騒動と小夜子さんの心の中の問題と、どう関わりがあるのか、さっぱり理解できません。宮城くんの悪いクセが始まったと声をあげました。
「宮城。そのあたりにしないと」
宮城くんは、こうしてすぐに、出会った人の内面を覗き見ようとするのです。それは、ある意味、大変失礼な行為である、と中嶋くんは思います。相手が望んでいないのに、相手の中にまで土足で踏み込むのですから。
しかし、小夜子さんの場合は、宮城くんの問いに、どんどんと引き込まれているようです。彼女自身も、自分が抱えているその感情がなんであるのか、少なからず知りたいと思っているのでしょうか。
「中嶋さん。大丈夫ですよ。ありがとうございます。——宮城さん。私は家族が好きです。その反面、なくなってしまってもいいと思ってしまう。それは認めましょう。このアンバランスな感情は、一体どういう意味があるのでしょうか」
「好きな気持ちも、嫌いな気持ちも、全部含めて、あなたは家族という存在に執着しているのだと思います。家族という枠組みなど外してしまって、一人の人間として存在してもいいはずですが、それでもあなたは、藤原家の一員でいたい。そういうことではないでしょうか」
「ああ、そうですね。そうかも知れません。家族のことが、心のどこかにずーっと引っかかっていて、そこから逃れることはできないのです。——いいえ。逃れたくないのかも知れない」
「その引っかかっていること、というのが、僕は気になりますけれど、今回の件と関係があるのかどうかは、わかりませんね。人の心の中身や、関係性を盗むということは、怪人でもできないでしょうから。なにか形あるもので考えてかなければなりませんが」
宮城くんは次に「ああ、もう一ついいですか? 妹さんとはいかがですか」と質問しました。
小夜子さんは首を傾げました。一瞬、そのガラス玉のような瞳に、
「妹とは、もう何年も会っていないんです。父が連れて歩いているもので……」
「おいくつ違いなのですか」
「妹とは十九。離れております」
「十九? ……ですか。ずいぶん離れているのですね。確か、小夜子さんのお母さまは、小夜子さんが十歳の頃のお亡くなりになったとお聞きしましたが」
「そうです。妹の母親は、また別におります」
「別にいるというのは」
「父はその女性と、婚姻関係を結びませんでしたので」
中嶋くんは、小夜子さんと宮城くんとの会話を聞いていて、「藤原家はかなり複雑な家系だな」と感じました。
「小夜子さんは、その件についてはどう思われているのでしょうか」
彼女は考える間もなく、すぐに返答しました。
「特に。別にいいではありませんか。父の自由にさせてあげるのがいいのだ、と思っています」
「小夜子さんは、お父さまがお好きなのですね」
「——え!」
その問いに、なぜ彼女が驚くのか。中嶋くんは幾分、変な気持ちになりました。しかし小夜子さんは、すぐにいつも顔に戻ってから「ええ、好きですよ」と答えました。
「お父さまは、妹の
宮城くんの問いに、彼女はいつもの調子で淡々と答えます。
「なにも不思議なことではありませんよ。真夜が生まれた時、私はもう大学生でしたから。いつまでも父と一緒にいるような年頃ではありません。養育者が子供を連れ歩くのは当然のことではありませんか。私はここで、なに一つ不自由なく暮らしておりますし、不満はありません」
「——小夜子さんは、お父さんや妹さんと、最後に会われたのはいつでしょうか」
「父とは、久しく会っていません。忙しい人ですから。妹は——妹は、戻ってくるそうです。今回の件を、髙橋さんが妹に話したみたいで。私一人では心もとないと思ったのでしょうね。予告状の日までには、帰って来るのではないかしら。帰ってきましたら、お会いになられますか?」
小夜子さんの言葉に、宮城くんと中嶋くんは顔を見合わせました。それから、妹さんが帰ってきたら、またお邪魔する約束をしました。
その後、二人は一時間程度、邸内を散策して歩き、藤原家を後にしたのでした——。
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