第6話 家族



 小夜子さんに促されて、室内に足を踏み入れると、そこは書斎でした。書斎には、天井まで壁全体に、本がぎっしりと詰まっていました。


 玄関先のフロアもそうですが、この屋敷は、どうやらヨーロッパの宮殿のような造りのようです。いつも見慣れている日本規格で建てられている家とは違い、まるで、ドラマや映画に出てくるような雰囲気です。


 宮城くんは、書籍となると目がないようです。小夜子さんが「こちらに」と、促した応接セットから外れて、書棚の背表紙をしげしげと見つめました。


「本がお好きですか。宮城さん」


「ええ。まあ。しかし、なんとも愉快なコレクションですね」


「祖父の蔵書です。私は大して興味もありませんので、こんなにたくさんあっても、ただのインテリアですよ」


 そんな話をしていると、一人の女性が、トレーにティーカップを載せて姿を見せました。彼女は音もたてずに、それらをテーブルに並べますと、静かに退室していきました。それを合図に、中嶋くんと宮城くんは、小夜子さんの向かい側のソファに腰を下ろしました。


「彼女はさかきさんと一緒に、長らく藤原家を支えてくれている髙橋さんです。——ところで、お話よりも家の中を見ていただいたほうがよろしいでしょう? 大切なものがなんであるか。探していただきたいですし」


「そうですね。しかし、闇雲に見ても……どれもこれも、価値がありそうじゃないですか」


 周囲を伺うように視線を配っている中嶋くんとは対照的に、宮城くんは、小夜子さんを凝視したまま「お父様のお描きになった絵もなかなかですね」と、言いました。


 小夜子さんは、心なしか瞳の色を和らげて笑みを浮かべます。


「父は『画家』と名乗っておりますが、そう有名でもありません。マーケットでの価値は、ほとんどありませんが、私たち家族にとったら確かに、大切なものに該当するかも知れません」


「影男爵は一体、なにが目的なのか。それに、あの絵……」


 中嶋くんが、腕組をして考え込む仕草をした隣で、宮城くんが小夜子さんに尋ねました。


「藤原家のことを、もう少し詳しくお話いただけますか」


「家のことですか?」


「大切なもの探しの手がかりになるかもしれない。あなたにとって、家族は大切なものに含まれるのでしょう? まあ、無理に、とは言いませんが」


 宮城くんは真剣な眼差しで小夜子さんを見つめていました。中嶋くんは、宮城くんの横顔を眺めてから、「ああ、これは仕事モードだ」と内心、思いました。


「藤原家は、この町が今の形になる前から、住んでいると聞いております。M市の御三家にも上げられるくらい、昔から続いている家です」


 小夜子さんは、そう話し始めました。彼女の説明をまとめると、次の通りです。


 藤原家の家族構成は、当主である小夜子さんの父親、宜臣まさなおさん。画家として活動しているそうですが、その作風は個性的で、高い評価を得ているわけではないそうです。


 宜臣まさなおさんの妻である小夜子さんのお母さんは、彼の二番目の妻です。しかし、小夜子さんが十歳の頃に病気の影響で自殺。その後、宜臣まさなおさんが新しい妻を迎えることはせずにいる、ということでした。


 小夜子さんは、英語が堪能であるため、教会で英会話を教える仕事をしていますが、教会での仕事は、週に数回。ほとんど、この家で過ごす日々です。しかし、たまには息抜きで、一週間程度、家を空けて海外に行くことがあるという話でした。


 他人から見たら、お金持ちの悠々自適な生活——という感想でしょうか。


「先日もイタリアに一週間ほど行ってまいりました。けれど、結局は一人です。別に楽しいことなんて、ちっともありません。しかし、この家に一人でいることほど、窮屈なものはありませんから。ただなんとなく、足を運んでいるだけです」


「寂しい、ですか?」


 宮城くんの問いに、小夜子さんは首を横に振りました。


「元々、ばらばらなんです。藤原家は」


「家族として、成り立っていない——そういうことでしょうか」


「そうですね。家族とは、言い難いかも知れません」


「小夜子さんは、そのことを、どう受け止めていますか? 寂しいだけ?」


 宮城くんの声は、どこかぼんやりとしていて、隣で聞いている中嶋くんまで、まるで夢の世界に連れて行かれたような気持ちになります。当然、問われている小夜子さんも同様でしょう。彼女は、ぼんやりとした瞳をそのままに、口を開きました。


「どうって——どうなんでしょうか。そもそもが、こんな家です。私は、これと違った家族の形を知りません。ですから、これでいいのだ、と思っております」


「あなたにとって、家族は大切だとおっしゃっていましたね」


「大切——。大切ではありますけれども……でも、時々、なくなってしまえばいいのに、と思うこともあります」


 小夜子さんの答えに、中嶋くんはぎょっとしました。しかし、質問をしている宮城くんは眉一つ動かさずに質問を重ねます。


「大切だけれど、なくなってもいい。あなたにとって、家族とは、煩わしいものなのでしょうか」


「家族というものは、生まれた瞬間に所属するものでしょう? この世に生まれてくれば、家族という存在は、必ずつきまとうものですよね。そこには、私個人の希望なんて、無意味なのではないでしょうか。

 しかし、煩わしいかどうか、と問われると。……ああ、そうなのでしょうか。そう言われると、そうなのかも知れません。私は、ふとそんな枠組みなど、窮屈で堪らないと思うのです。家族など、なくなってしまえばいい。そんなものがなければ、私は……」


「私は」の後にはどんな言葉が続くのかと、中嶋くんは息を飲みましたが、小夜子さんは、ただ黙り込んでしまいました。自分の内面に意識が向いているようでした。








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