第5話 マグダラのマリア
翌日のこと。さっそく中嶋くんと宮城くんは、待ち合わせをして、藤原邸宅へ足を運びました。
彼女の家は、M市内に住む富裕層が居を構えていることで有名な住宅街にありました。中嶋くんが運転するワーゲン社製、瑠璃紺色のティグアンは、大きなお屋敷が立ち並ぶ中を、辺りをうかがうかの如く、ゆっくりと進んでいきます。そうしているうちに、ひときわ目立つ大きな門の前で、車は止まりました。
大人の男の人でも、とても越えられないくらい高い塀が、敷地をぐるりと囲んでおり、中には、背の高い木が生い茂っていました。そのため、建物を目視で確認するこは難しい状況です。
「藤原家と言えば、ここいらでは名家だ。かなりの資産家である上に、歴史も長いみたいだ。『M市の御三家』の一つらしい」
中嶋くんの説明を聞きながら、助手席の宮城くんは、大して興味もなさそうに「で、入れてもらえるの?」と尋ねました。すると、宮城くんの言葉をどこかで聞いていたかのようなタイミングで、その重々しい金属製の格子扉が、ギリギリと音を立てて内側に開きました。
中嶋くんと宮城くんは、顔を見合わせます。それから、ゆっくりと敷地内に車を乗り入れました。
「こんな田舎には、珍しい豪邸だな」
「藤原の現当主である
「だから、怪人も目をつけた——って、ところか。……中嶋。そういう情報を、どこで仕入れるの」
「喫茶店にくるお客さんはね、色々なことを教えてくれる親切な人たちが多いんだ」
片目を瞑って、笑みを見せた中嶋くんを見て、宮城くんはため息を吐きました。
中は外から見るよりも広く、舗装された通路通りに進んでいくと、豪邸の姿が見えてきました。漆喰で塗り固められた真っ白な壁。海老色の瓦が乗っている、まるでイタリアの南プロバンス風の造りです。そしてそこには、一人の男性が背筋をピンと伸ばして、直立の姿勢で、二人を待ち構えていたのです。
「お待ちしておりました。藤原家の使用人、
「あ、あの」
中嶋くんは、運転席から降りて榊さんに頭を下げました。宮城くんもそれに続きます。しかし、榊さんは「中嶋さまと、宮城さまですね。賜っております」と、そっけなく答えました。
彼の声色はどこか無機質です。二人は顔を見合わせました。
「さあ、どうぞ。小夜子さまがお待ちです」
「車は——」
「そのままで結構です。さあ、どうぞ」
二人は、更に顔を見合わせてから、榊さんの後ろをついていきました。
屋敷内は、閑散としております。確かに豪華な造りには間違いがありません。玄関を潜りますと、まるでドラマのセットのように、大きな広間が広がっておりました。
周囲を見渡していた中嶋くんは、はったとして視線を止めました。三階くらいまでありそうな吹き抜けの、大きな壁に据えつけられている大きな絵画があったのです。中嶋くんは、とっても奇妙な絵だ、と思いました。見ていると、つい息を吐くのも忘れてしまいそうなくらいに、目を奪われます。
最初はただの真っ黒な絵画に見えますが、よくよく見ていると、真っ黒とは言い難い——そうです。目を凝らすと、そこに人のような姿が浮かび上がって見えるのです。この絵は、見る者に不安な気持ちを与える、と中嶋くんは思いました。
宮城くんも同じ気持ちなのでしょう。二人は、足を止めて、その絵画をまじまじと見つめました。
「この絵は、
「当主の
榊さんは二人に説明してくれました。
「当家の当主は、藤原
「この絵は、一体なにを表現されているのでしょうか——」
「この絵のタイトルは『マグダラのマリア』だそうです。私は、そういったものに明るくありませんから、絵の解釈はわかりかねますが。
「マグダラのマリアって……」
宮城くんは小さく呟きます。中嶋くんは、タイトルの意味がわかりませんでした。詳しいことは、後で宮城くんに確認することにして、榊さんに質問をしました。
「
「お亡くなりになられました」
「いつですか」
「小夜子さまが十歳の頃でした」
「ご病気ですか」
「ご病気と言えば、ご病気です」
榊さんの答えに、今度は宮城くんが声を上げます。
「『病気と言えば、病気』とは。どういうことでしょうか?」
榊さんは灰色の
「奥様は、心のご病気でした。ですから、ご病気でお亡くなりになったわけではございませんが——」
「自殺か」
宮城くんの問いに、榊さんが口を開いた瞬間。そばの扉が開いて、小夜子さんが顔を出しました。
「車が見えたのです。でも、なかなかこちらにいらっしゃらないでしょう? 屋敷の中を、もうお調べになられたのですか」
「小夜子さん。すみません。一般庶民には、どれもこれも珍しいものばかりです。調査というよりは、僕個人の興味で、榊さんを足止めしていました」
中嶋くんは照れたように笑みを見せます。小夜子さんは、心なしか頬を赤く染めました。
そんな二人の様子を眺めていた宮城くんは、あきれたような表情を浮かべます。中嶋くんの悪い癖です。女性と言えば、誰彼構わず愛嬌を振りまくので、女性が勘違いしてしまうことが多いのです。しかし、これは彼が、元来持っているものであって、意図的にそうしているわけではない——ということも、宮城くんは、理解していますので、咎めても仕方がないと思いました。
「また、面倒なことにならないといいけれど」
「さあ、中にお入りください」と、招き入れてくれる小夜子さんを眺めながら、宮城くんは、そう呟きました。
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