第3話 大切なもの



 藤原小夜子さんが取り出したのは、黒いカードでした。くすんで色褪せたような黒色の厚紙です。二つ折りのカードを開くと、中には白い紙が貼られていて、そこにはこう書いてありました。


「大切なもの頂戴いたします。期日は、一週間後。次の水曜日の零時。怪人影男爵」


 久保くんはカードを持ち上げて、ひっくり返してみたり、光に透かしてみたりしますが、特に変わったところはないようです。


「——大切なものを頂戴いたします。期日は、一週間後。水曜日の零時れいじ。怪人影男爵……ってよお。漫画か。漫画の見過ぎじゃねーの?」


「今時。こんな、中二病みたいな予告状だなんて。なんの意味があるんだろうか」


 雉子波きじなみくんは、眼鏡をずり上げて腕組みをしました。彼の子供のころからの癖です。なにかを考える時は、必ずと言っていいほど、この仕草をして見せるのでした。


「悪戯だとは思わなかったのですか」


 久保くんの隣にいた宮城くんの問いに、小夜子さんは首を横に振りました。


「確かに、悪戯だと片付けてしまえばいいことなんですけれども、なんだか、そうしてしまってはいけないような気がするのです」


「では、貴方には、この『大切なもの』が、何なのか、おわかりになるのですね?」


「それが……それは、わかりません」


「わからない?」


「そうです。だって、『大切なもの』というのは、人それぞれ違っているじゃありませんか。それに、『大切なもの』は、一つではありません。私には、その『大切なもの』がどれを指しているのか、さっぱり、見当もつかないのです」


 一通りのやり取りに区切りがついて、宮城くんは、あごに人差し指を当てて、黙り込んでしまいました。これもまた、宮城くんの考える時の癖です。


「確かに『大切なもの』というのは、人それぞれ違っていて当然です。ですが、あなたにとっての『大切なもの』は、必ずあるはずじゃありませんか」


「我が家には、歴代の当主たちがコレクションをしている美術品や、骨とう品、調度品など、確かに世間一般様から見れば、高価なものはたくさんあるのかも知れません。しかし、そのどれもこれもが私にとっては、そう『大切なもの』には当てはまらないのです」


 小夜子さんの言葉は、聞く人が聞けば、嫌味な言葉に聞こえることでしょう。しかし、彼女は決して悪気があるようには見えません。むしろ、さらりと言い退ける様子に、中嶋くんは清々しさをも感じました。しかし、宮城くんは、そんなことはどうでもいいとばかりに、表情を変えずに質問を続けます。


「では、そういったもの以外で、あなたにとっての『大切なもの』が存在しうる——ということでしょう?」


 小夜子さんは、じっと押し黙りました。その沈黙に堪えられないのは久保くんです。彼は元々、落ち着きがなく、人の話をじっと待つことは苦手なのです。久保くんは、カウンターを手で叩くと、大きな声を上げました。


「でもよお。その、なんだ。怪人影男爵って野郎がよお、姉ちゃんの『大切なもの』を狙っているってーんだけどよ。その野郎は、どうして姉ちゃんの『大切なもの』がわかるんだ?」


「久保の言う通りだね」


 宮城くんは、珍しく久保くんの意見に同意をしました。


「大切なものという定義は、人それぞれ。そして、同じ人間であっても、時間の経過とともに変化するものだ。この怪人は、一体、なにを頂戴しようっていうんだろうか。それがわからなければ、どうやって守ったらいいのか、わからないね」


 小夜子さんは、視線を伏せています。


「それは——。すみません。今朝、予告状が届いたばかりですし……。でも一日、考えてみたんです。私にとっての大切なものは、なんなのかと。——正直に言えば、物に執着はないのです。なにものにも代えられないもの——と言いましたら、それは家族であったり、それから、父の描いた絵であったり」


「家族って……確かに、それは大事だ。だけど、父ちゃんの描いた絵ってーのはなんだ」


「父は画家なんです。自宅には数点の作品があります。あれは、この世に一つしかないものですし。私に、と描いてくれたものありますので、大切と言えば大切ですが——」


「絵をいただこうって話なら、なんだかしっくりくるけれど。家族は、ねえ?」


 中嶋くんも首を傾げてから、考え込みます。久保くんは「ううう」と唸りました。もう久保くんの頭の回路では処理しきれないくらいの問題のようです。そのうち、頭のてっぺんから湯気でも出てきそうなくらい、顔が真っ赤になってきました。


「家族って言うのは、とっても漠然としているよね。『家族の誰かを頂戴する』って、なんか日本語が変だよねえ」


 島貫くんは、肩を竦めました。


「家族を頂戴するってよお。誘拐でもすんのかよ。なあ、家族って誰なんだ?」


 久保くんの問いに、小夜子さんは俯き加減に説明します。


「私には、父がおりますが、日本にはおりません」


「どういうこと?」


 島貫くんの問いに、小夜子さんは、首を横に振りました。


「父はずっと海外におりまして。——他には、妹が一人です」


「じゃあ、妹さんなんでしょうか」


「妹も父と海外にいるんです。ですから、家に予告状が来る理由がさっぱりわからないんです。それに、これは本当に私宛なのでしょか? 一体、誰に向かって、何を頂戴すると言っているのか……わかりません」


 小夜子さんは、俯いたまま顔を上げようとはしません。探偵団の仲間たちも、顔を見合わせるばかりです。


 怪人影男爵は一体、何を頂戴しようというのでしょうか。島貫くんと久保くんは、目を大きく見開いて小夜子さんを見据えています。雉子波くんと宮城くんは、考え込むような姿勢のまま小夜子さんを見ていました。


 そこにいる探偵団のみんなが予告状の謎と、それから、どこかミステリアスな小夜子さんに興味を抱いたようです。


 しかし、そこで中嶋くんが声を上げました。


「小夜子さんを問い詰めても、仕方がないことじゃないか。僕たちは元少年探偵団だろう? 不躾に予告状を送りつけてくるやからだ。予告状の内容の解明とともに、僕たちが対峙すべき相手は怪人影男爵だ」


 彼は、まるで小夜子さんを擁護するようにキッパリと言い切りました。俯き加減だった小夜子さんの顔色が、パッと明るくなりました。







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