海辺の出来事

 海が広がっていた。

 まだ朝の八時前だ。朝日が登り、砂浜にも日差しが照り付けられる。

 波が不規則なリズムで揺れていて。それが心地よい音を奏でていた。

「綺麗だね」

 玲奈は言った。紫音も頷いた。

 青い海では無くて、茶色い色をした、みすぼらしい海だった。

 それでも連日の疲れを癒すのには十分だった。

「ね、海って久しぶり」

 波打ち際に近寄りながら、それを眺めていた。

 砂浜には貝殻が散らばっている。

 白濁したような丸っこいシーグラスも転がっていた。

 遠回りして海に行きたいとリクエストしたのは紫音だった。

 前回の一件で心理的なダメージはかなりのものだったからだ。

 海でも、眺めて癒されたいと話していたら、本当に玲奈が了承したから驚いた。

「紫音ってさ、泳げる?」

「泳げるけどさ、今は泳がないよ」

「なんで?」

「なんでって……この状況で泳ぎたくなる? もう寒いって……」

 そのツッコミに玲奈は首を傾げる。

「ならないの?」

「……うん微妙」

 結局、二人で砂の城を作ることにした。

 出来上がった城に貝殻でデコレーションしていく。

 紫音の膝の高さほどで完成された。

「ねえ、紫音の家族のこととか、今までの経緯とか聞きたいと思ってたんだけど」

「そうね。わたしも話しておきたいって思ってたところ」

 風が強く吹いた。結えた髪の毛が揺れる。

 二人で横並びに海を眺めながらそれは始まった。

「前も話したけど。じいちゃんは有名な地質学者でさ。それで父さんもその仕事を部分部分で引き継いでいた。だから学者家族だったんだよ。……わたし、頭悪いから浮いてたのかな」

 最初は家族の話だった。

 それから次に出す言葉を考えているようだった。

「ああいう、地質学って。いろんなことがわかるんだけど。『分かりすぎちゃうこと』もあって……」

「分かりすぎること?」

「うん、本当のことを話せない部分が多くてさ。例えば海沿いの地域って地盤そのものがすごく弱くて。家を建てても地震とかが来たらすごく危ないのね」

「ということは、例えば今ここも?」

 玲奈は地面を指さす。当然砂浜が広がってる。

「そうだね、津波とかもあるし。本来なら法律で禁止してもおかしくないんだよ。……でもそんなことを話したら潰されてしまうの。だから知っててもみんな黙ってる。不動産屋さんとかもおんなじ……」

「そうだったんだ……私が住んでた地域も海に近かったんだよ。あの時。家具とかが全部倒れちゃってさ。私も巻き込まれそうになってたんだよ」

「うん……。生きててよかったよ」

 紫音は複雑そうな笑みを浮かべた。

「わたしが中学生の頃に大震災がかなりの確率で起こるのが、すでにわかってて。西の方に引っ越すことにしたの。高校の進学先もそれに合わせてた。でもね。いくらなんでも大袈裟な気がしてたよ。あの時は……普通の子供だったからさ」

 紫音がその場にあった貝殻を拾ってもて遊び始めた。

「食料品もかなり蓄えてた。軍用の保存食も買ったし。サバの缶詰とか。貝の缶詰とか。ペットボトルの保存水とか。とにかく大量にあった。だから、大震災が来たあとって。ずっと引きこもって暮らしてたんだけど。みんな離れ離れになっちゃったの」

「どうして離れ離れになってしまったの?」

 紫音の表情が曇っていく。

「外国人の襲撃があったんだよ。前に玲奈に助けて貰ったとき。頭真っ白になった。家族ごとやられちゃってさ。あんな感じだったんだよ」

 弄んでいた、貝殻から手を離した。砂が音を立てて飛び散る。

「ああいう南米系の人たちに?」

「ううん。暗闇だったし……何人だったかまでは……その時のことって正直言って覚えてない……」

 色々と目を動かしながら言葉を考えている。

 とても辛い記憶。凄惨な出来事。それらを追体験してるのがわかった。

「わたしね、過呼吸起こしちゃってさ。自分でも止められなかった。わたしよりも、それを見てた母さんが大声で泣き出しちゃってさ。元々限界が来てたんだよね。みんな色々と。だから隠れてた場所がバレちゃってさ……」

「……紫音」

「……その時に志賀さんだけが、戦って守ってくれてたんだけど。やっと静かになったと思ってたらね。辺りは死体が転がってて。母さんは死んじゃって動かなくなってるし。父さんも志賀さんもいなくなってるし。街も壊滅していてさ。途方に暮れてたよ。今思い出してもゾッとする」

 大きく首を振る。結えた髪が尻尾みたいに揺れる。

「そこからは、ヒッチハイクを繰り返したり。その日暮らしの生活をできる場所まで移動してたの。そこに突然玲奈がやってきた……」

 話し終えてから。膝を抱え込むようにして顔を伏せてうなだれていた。

 沈黙が流れた。玲奈がオロオロしていると。グーッという音が鳴った。

「あー……お腹減った……」

 紫音はため息をついた。

「なんか……魚とか取れないかな? 玲奈、魚釣って来てよ」

 そう言われると静まり返ってしまう。

「さすがに私も釣りはやったことがないよ……」

 紫音が足をバタバタ動かした。

「えー、こんなにご馳走が目の前に広がってるのにー!」

「あっそうだ! ちょっとまってて!」

 玲奈は車の方まで走り出すとなにかを抱えて持って来ていた。

 それは先日の男達からの戦利品である狩猟用の散弾銃だった。

「え、それで獲れんの?」

 紫音の疑問をおざなりにして、玲奈は嬉しそうに散弾銃を海に向かって撃った。

 火薬が弾ける音が鳴り響いて。バシャバシャっと水面が激しく水飛沫を上げる。

「うわ、すっごい音」

 水面がやがて元のように穏やかになっていく。ぷかぷかと一匹。死んだ魚が浮かんできた。玲奈はブーツと靴下を脱いでジーンズを膝まで捲ると。それを取りにいった。

「見てみて! 獲れたよ!」

 穴まみれになって血を流す魚を紫音に見せ付けてくる。

「あ、うん、良かったね……」

 苦笑いでそれに応えた。

「おーい、お前ら何やってるんだー!」

 その声にビクッとなり、二人は振り返る。

 見ると中年の男性がこちらに走ってくる。

 白いランニングシャツ姿に柄物の半ズボン姿だった。

 玲奈は散弾銃をそちらに向けた。

「待て待て! 撃つな!」

 男は両手を上げている。

 どう見ても丸腰で害意が無いことがわかると。玲奈は銃を下ろした。



「佐久間さんって漁師だったんですか…」

「ああ、今は水族館の館長だな」

 それが冗談なのか本気なのかわからなかった。

 目の前の中年男は真面目な顔をしてそんなことを話していた。

 玲奈は腕に注射の痕がないか探していた。麻薬中毒を疑ったからだ。

「この水族館は見るだけじゃなくて、食べることも出来る。画期的なアイデアなんだよ。真似するなよ。特許申請中だからな」

「はあ……」

 興味無さそうに紫音はため息をついた。

 玲奈も紫音の耳に口を近づける。

「ねえ、あの人大丈夫なの?」

「なんか……頭のネジがぶっ飛んでるよね。飛んではいけないところに……」

 二人はひそひそと話し合う。

 異常なテンションで捲し立てる髭面の中年男、佐久間を眺めることしか出来なかった。

「おりゃっ! こっちに来てみろ、メインを見せてやる」

 その「水族館」は網に引っかかった魚だった。

 佐久間はそれを、手慣れた様子で引き上げた。

 手製の罠には三匹ほど引っかかっていた。

 網の中でジタバタともがいている。

「どうだ? ピチピチだろ? 姉ちゃん達にも負けてねえだろ。負けんなよ? 頑張れよ。セクシー度で負けてんぞ?」

 セクハラ的な言動に紫音は顔をしかめた。

「うっわ……サイテー……」

 そう言いながらも、その魚は魅力的だった。

 物々交換で、焼肉の缶詰と魚で取引することになった。

 三人で協力して焚き木を起こすと魚を焼いていくことにした。

 脂が焼けて跳ねる。香ばしい匂いがした。

「あの、なんでこんなに良くしてくれるんですか?」

 玲奈の言葉に、佐久間は少し言葉を詰まらせた。

「俺にもさ、娘がいたんだよ。二人。君たちが、ぱっと見でそっくりだなって思った。正直言ってビビった。だから声をかけちゃったんだよ」

 その言葉に紫音と玲奈は顔を見合わせる。

 どうリアクションしたら良いのかわからない。

「二十歳の子と十三歳の子の姉妹だった。上の子は先に死んだ母さんソックリに育っていったよ。でも、二人とも地震で死んでしまったんだよ」

 その言葉に二人は静まり返る。

 特に紫音の方は震災で死亡したという事実に少なからず動揺していた。

「俺、最初は悲しんだよ。毎日泣き明かしてさ。だけど。外国人の襲撃があったり。食料不足で餓死する人もいて。色々とやばかったから、最初に幸せなまま逝けたのは寧ろラッキーだったと思ったこともある……。酷いことを言うようだけど……本当のことさ」

 心のうちに複雑な感情を吐露していた。

 玲奈と紫音に娘の姿を重ね合わせているのか。それともただ自分の感情を整理したいのか。その両方かも知れない。

「実は普通のサラリーマンの課長でしかなくてさ、漁師でも何でもないんだよ。本を読んで独学で勉強したんだよ。それで魚が獲れるようになって。なんとか今まで食い繋いできたんだよ」

「『水族館』って言うネーミングは、誰が考えたの?」

 玲奈が聞いた。

 それに対して佐久間は微笑んで答えた。

「娘らが水族館に行くのが好きでさ。上の子が熱帯魚をモチーフに絵を描いて賞を取ったこともある。だから水族館の館長やってんだよ。あの子達が喜ぶように。まあ、オヤジギャグだな。下の子がよく笑ってくれたんだよ。ここならいつでもあの子達と会える気がしちゃってさ」

 おかしな人だったが。

 いつのまにか玲奈は佐久間に好意さえ抱いていた。

 言動はエキセントリックだったが、それも悲しみを紛らわせるためのものだと思うと。納得出来たし。切なくもなった。

「おおっ! ついに魚が出来上がったぞ。さあさ、食べて食べて」

 焼いた魚はすっかりと良い頃合いに仕上がっていた。

「じゃあ、いただきます」

「……いただきます」

 食べたいだけ食べることにした。

 紫音は一匹食べ終わると、二匹目の棒を取った。

「美味しい。こんなの久しぶり」

「ね。海で食べるから美味しいのかな」

 スパムの缶詰を開けている佐久間を横目で見ていた玲奈が声をかける。

「佐久間さんは食べないんですか?」

「もう魚は飽きた。今日は肉だけにするわ。魚にはこりごりしてるんだよ」

 そういうとピンク色の加工肉に齧り付いた。

 それだけで佐久間は涙目になる。

「やっぱ肉は美味いわ。これでビールがあれば言うこと無しなんだけど。無いかな? アサヒスーパードライ」

「……さすがにそんなに気の利いたものは持ち合わせてないっす」

 佐久間はガックリとうなだれた。


 太陽の光が一番強い時間帯になる。青空が眩しい。

 紫音はいつのまにか半ズボンのジーンズに着替えていた。

「せっかくだからさ海に入ろうよ」

「泳ぎたく無かったんじゃないの?」

「いいからいいから!」

 紫音は玲奈の手を引っ張っていく。

 二人は海の方へと駆け出した。バシャバシャと水を掛け合っていた。服が濡れるのも構わずに。

 それを佐久間は何か懐かしいものを見るような目つきで眺めていた。

 過去の思い出に浸っているのが、遠目でもわかった。

「ねえ、わたし、誰かと海に行くのって初めてかも」

「お父さんとお母さんは?」

「それはあるけど。友達とかとは来たことがないんだ」

「そうなんだ」

「そうだよ、玲奈が初めて」

 その言葉に玲奈が少し意外そうな顔をした。

「今日は最高の海水浴ができた」

 紫音はこの上なく満足そうな顔をしていた。

 水遊びが終わると。二人は水浸しになった服を下着ごと取り替えていた。

「あー、ヤバイ。調子に乗り過ぎた」

「もう、紫音のせいでびしょびしょだよ」

「あんただって散々わたしに水かけまくったじゃん!」

「私は頭にはかけなかったよ」

「うそだよ、思いっきりかかってたよ」

「あー、ごめん」

「まったく……やなやつ……」

 そのやり取りを佐久間は面白そうに眺めていた。


 その日は夕方まで遊んで過ごしていた。

 夜中になると。

 潮風に吹かれながら。

 星空を眺めて眠りに付いた。

 とても、幸せな気持ちで眠っていた。

 何年ぶりだろうか。

 紫音が目を覚ますと。すぐそばには玲奈が庇うように腕を回して眠っていた。

 その少し離れたところでは佐久間が大きなイビキを立てて眠っていた。

 その光景に思わず微笑んでいた。


「また、何か生活が困ったらこっちに来なよ。魚くらいはご馳走できるし。それと肉系の缶詰をよろしくな」

 佐久間はそこでの生活を続けるそうだ。

 これからの時期に大量に取れる種類の魚もいるらしい。

「昨日はごちそうさまでした」

「おい、ちっこいの。お前は副館長にしてやる」

 突然そう言われた。

「副館長って?」

「副館長は副館長だろ。それ以外に何があるんだよ」

「良かったね。副館長になれたんだよ」

 そう、玲奈は拍手していた。

「はあ……?」

「だからさ、君が俺の次に偉いってことだよ。とてつもなく名誉なことなんだぞ」

「あー、そうですか……」

 そう答えるしか無かった。

 どう反応すれば良いのかもわからない。

「だから、またここに来てくれよな……」

 その言葉にはほんの少しだけ寂しさが含まれているような気がした。

 だから紫音は冗談で返すことにした。

「その時はアサヒスーパードライが入場券になるんですか?」

 佐久間は被りを振ると。優しそうに微笑んでいた。

「そんなものは必要ない。副館長なんだから。気が向いた時に来れば良いのさ」

 そういうと佐久間は親指を突き立てた。

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