過去を告げられて
夜の道路を、一定のペースで進んでいた。
この付近には、障害物となるようなものは置かれていない。
スムーズに進んでいく。
助手席で紫音は縮こまっていた。
まるで小動物のように。隣の女の一挙一動に怯えていた。
「……ねえ、あなたはなんなの? 一体、何が目的なの?」
ようやく勇気を振り絞って聞いてみた。
女は運転を続けながら、口を開いた。
「……私は、あなたを迎えに行くように依頼されてる」
予想外の答えに首を傾げる。
「依頼って? 何のこと? 迎えってのは?」
「志賀正樹さんという方から」
女がその名を出した途端。もう一度名前を聞き直そうかと思っていた。
「嘘でしょ? 志賀さんが? あの人はまだ生きてたの?」
「本当のことです」
「……違くて。疑ってないけど……死んでしまったとばかり思ってたから。かなり意外だったの……」
紫音は慎重に言葉を選んで発言する。
状況を受け入れるのにも、理解するのも時間がかかった。
「一つ聞いていい? 志賀さんが、どうして今になってわたしを助けようとするの?」
紫音の問に、女は一呼吸おくと、ゆっくりと口を開いた。
「志賀さんは、あなたが家族と離れ離れになっていた時からずっと捜索していたんだけど。全然別の場所にいたから見つからなかったの。情報が入ったのはつい最近だった。それで、志賀さんは私に保護を依頼してきた。あなたのお父様の代わりに」
父の代わり。その言葉で、全てを察していた。
「もしかしてだけど、わたしの父はもう、亡くなってるの?」
女は答える代わりに、無言で首をゆっくりと縦に振った。
紫音は絶句した。あまりのショックで何も考えられなくなってしまっていた。
父は亡くなっていた。
二度と会うことは出来ない。
覚悟はしていたから、取り乱すこともないが。やはりショックだった。
「……そうだったんだ」
その様子に、女は少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「だからね、志賀さんが話してたのは。紫音さんが、お父様と少しでも再会できるように。お墓を作ってあるから。そこまで案内して欲しいとも言われていたんです」
「……そんなことまで、話してたんだ。なんだか、あの人らしいって思うよ」
言いながらため息をついてしまう。
女は紫音の様子に首を傾げていた。
「もしかしてだけど、志賀さんのところに帰りたくないの?」
「……そうじゃなくて。頭がちょっと混乱してるだけ」
聞きたいことが山ほどあった、頭がごちゃごちゃする。
そんな質問の束の中から一つ選んで聞いてみた。
「ねえ、あなたの名前は?」
「私の名前?」
女は戸惑ったような表情をする。それもひどく困ったような反応だった。
「聞くの? どうして?」
「どうしてって? ここからあの街って結構遠いだろうし。せっかくだからさ、名前で呼び合った方がいいんじゃないかと思って……」
「……そっか、私の名前は鳥宮」
鳥宮と名乗る女の顔をまじまじと見つめた。
その表情は固く、何を考えているのか分からない。
「鳥宮さんっていうんだ。そっか、それで下の名前は?」
「名前?」
その質問をすると。
女は戸惑ったような顔をした。
「そう、下の名前は?」
「私の名前は……」
明らかに話そうか迷っているようだった。
「フルネームは?」
紫音が問い詰めていくと。
諦めたように自分の名前を打ち明けていた。
「鳥宮玲奈……」
夜明けだった。太陽が差し込んでくる。時刻は午前五時頃だろうか。
辿り着いたのは、ずいぶんと荒れ果てたコンビニだった。
車はそこに停車した。別の店舗もあるが、散らばったゴミがあるだけで。
商品は何も無い。御当地のお土産のストラップがあるだけで。それ以外は何も無かった。
ほとんどのものは持ち去られてしまったらしい。
カウンターには、紙幣と硬貨が散らばっていた。
店主がいないから、遠慮して金を置いていったようだった。
そんな場所にも、ベンチとテーブルはあった。
イートインのスペースだった。
そこに座ると。女はバッグから缶詰を取り出して紫音に渡してくる。
「お腹減ってるでしょう? これとかどうかな……?」
目の前に置かれたのはパイナップルの缶詰だった。
こちらに危害を加えることは無いとは言うが。とても信用出来なかった。
「それって食べて大丈夫なやつ?」
非常食のクッキーや、魚の缶詰。乾パン。
ペットボトルの水まで用意されていた。
「毒が入ってるとかじゃないの?」
「そんな訳ないよ。貴重な食糧を使ってまで。そんなことはしないし。それならとっくに撃ってるよ」
ひどい言い草だが。そう言われるとそうだった。
「それじゃ。食べても良いの?」
「そうだよ。志賀さんからもあなたに食べてもらうように言われていたし。私も食べるから」
紫音はいただきますだけ言うと、缶詰を開けて中身を頬張っていた。
久しぶりのパイナップルの缶詰は甘くて美味しかった。
シロップも残さず飲んでいた。
あまりに久しぶりだったため、目から涙がこぼれそうだった。
しかも、まだおかわりがある。
「……ねえ、あんたって、いつもあんなこと繰り返してるの? あんなことがあったのに。すごく冷静だし」
食べ終えると、昨日の夜中のことを改めて質問していた。
「昨日はごめんなさい、だけどああするしかなかったから……。ああいうのは少しだけ慣れてて……その……見てて嫌だったでしょう?」
玲奈は素直に謝罪していたし。
どう自分のことを説明すればいいのか分からないようだった。
明らかにしどろもどろになっている。
紫音はその様子に戸惑った。
改めて、この鳥宮玲奈という女を眺め回してみる。
切長の瞳に、赤い唇、少し太い眉、顔立ちは整っているのに、表情は暗く、鬱々としている。
髪は短めのウルフカットで、着用してる黒いコートは、明らかな高級品だった。
おそらく、自分と同じように体のラインを出さないようにしている。露出の少ない格好。遠目からでは性別も分からない。
黒っぽい服装のせいか、肌だけが白くて浮いて見える。
血管が浮き出て見えるほど、色白だった。
集落の中で、いろいろな人達を見てきたが、ここまで不吉な雰囲気を纏っているような女の人はいなかった。
紫音は横目で駐車した車を眺めていた。
後部座席には段ボールごと、缶詰が大量に置かれていた。
先日の男達が使っていた拳銃もそこに収められていた。
きちんと弾丸と本体に分けられている。元の持ち主よりも遥かにきちんとした手入れが施されているのがわかる。
「なんだか盗んじゃったみたいだね。ピストル」
そんな軽口にも玲奈は微動だにしなかった。
「実はさ。志賀さんってわたしのことはどうでも良いんだと思ってたから……。こんなふうに救出までしてくれるとか。意外だったの」
「どうして? 家族同然だったと聞いていたけど」
「家族同然って……あの人ってそんなこと話してたんだ……」
紫音は呆れたような顔をしていた。
そんな彼女に玲奈は意外そうな顔をする。
「確かにお父さんとは仲良かったと思う。仕事もあったんだろうし。でもさ、その娘のことまで考えてたなんて……やっぱり意外だった……」
「そんなふうに思うんだ。せっかくの善意なのに?」
玲奈はかなり困惑した様子だった。
おそらく、大量の食料を用意してるから。
もっと大喜びすると思っていたのだろうか。
そんな彼女に、また違う角度で質問してみることにした。
「ねえ、鳥宮さんって、どこまでわたしのことを知っているの?」
紫音の問いに女はまた、昨日の写真を取り出した。高校生の時の入学式の写真。
我ながら十二歳くらいにしか見えないと思う。
志賀がまさか、こんなものを所持していたことに驚いていた。
「この頃のあなたのことは。何となく聞いています」
「志賀さんってどこまで話してたの?」
「あなたのお父さんのことも少しだけお聞きしてる」
その言葉に紫音は表情を曇らせた。
「九島誠司さん、優秀な学者だったって。地質学のことも知り尽くしていたのでしょう」
玲奈の口から父の名を聞くと。
本当に志賀経由でやって来たのだと、妙な安心感を覚えていた。
「その通りだよ。だから私たちも、志賀さんも、震災から逃れることができた」
あの日々のことを思い出す、震災が発生し、政府からの支援が途切れ、暴動が発生し、移民たちが好き勝手なデモを起こし。暴動に発展して行った時のことを。
紫音の父、九島誠司はそうなることを予測していて、関東から関西へ緊急避難していたのだ。
それなのに、家族がバラバラになったあの日。紫音は流されるまま、全然別の場所まで来てしまっていた。
「話を聞いてて、すごいお父さんだったんだなって思うの」
「まあ、たしかにすごいと思う。当時は疑ってたけど。今になってみればとても恵まれていたと思う」
そこで、紫音は気になっていたこと聞いてみることにした。
「ねえ、鳥宮さんのお父さんはどうだったの?」
「どんなって? 普通の人だったと思う……」
そう言われると、それ以上会話は続かなくなりそうになる。
「そう? 鳥宮さんのお父さんだから。きっとすごい人だと思うんだけどな。昨日のアレとかさ……」
言いながら、親指で昨日来た道を指していた。
「……そんなことないよ。普通の人だった。普通のサラリーマン」
なんとなく、ごまかしてるなと思った。隠しておきたいならそれ以上は聞くつもりもなかった。
車の中で、助手席に座ると、ひたすら移動を続けていた。
その間、紫音は物思いに耽っていた。
遅れてやってきた志賀の救助のこと。
元々いた集落には、あまり未練は無い。
あのまま、あの場所にいたら、命を落としてしまう可能性もあった。
時々、人間同士のトラブルもあった。
毎日、食料にあり付けるとは限らない。
でも、玲奈について行けば。
今晩の夕飯も、缶詰が食べられる。
多分、今から向かっている、志賀がいる街にはこれ以上の食料が山ほどある。
他に食料を手に入れる方法は無い。
多少危険な道にはなるだろうけど。
そこまでたどり着くには十分な理由になっていた。
何より、志賀がいる。
きっと彼が守ってくれる。
志賀正樹。
生きていれば三十代に入った頃だろうか。
眼鏡をかけた。痩身の優男。
オタクっぽいひ弱な見た目だけど。
よく見るとそれなりに美形に入るんじゃないかと思う。
とても真面目で誠実そうに見えた。
それでいてどこか影があるように見える不思議な人。
「お父さんの墓を作ったから、再会させたい」
そんな曖昧なことを言われて納得出来てしまうのは。志賀の人柄を良く知っているからだった。
そのぐらい善良な人だった。
それでいて。彼のことを憎んでもいた。
あの時、家族はみんな死んでしまっていた。
志賀も一緒にいた。
救わなかったのでは無く。救えなかった。
頭では分かっていても。
心の底では納得が出来ていなかったのだ。
「どうして助けてくれなかったの?」と、何度も呟いていた。
思考は別のところに移る。
運転席にいる玲奈を見ていた。
紫音は彼女のことを見て、一体どんな生活をしてきたのか、どうやって生きてきたのか興味が湧くが、想像はできなかった。
質問して良いのかも分からない。
鳥宮玲奈という、こんなに怪しげな女まで派遣してきて。
志賀は何を考えているのだろうか。
何故、女性なのだろうか。
グルグルと考え続けていた。
「あっ」
突然、玲奈が声を上げた。
見ると、前方に小さな子供が立っていた。
狭い通路だから、行く道を塞がれてしまう。
避けることは難しく、減速して、最終的には止まっていた。
幼い女の子だった、フロントガラス越しに二人の顔をじっ……と見つめてくる。その表情は強張っていた。
紫音と玲奈は顔を見合わせていた。
「どうしたのかな?」
玲奈は不安そうに小声で聞いてくる。
「わからないよ」
紫音はいちど車を降りようとするが、窓を開けてから確認することにした。そこから声をかける。
「ねえ、どうしたの?」
「おねがい、お父さんを助けてあげて」
年齢からしてみれば、まだ小学一年生か二年生位かもしれない。
そんな子が涙目になりながら助けを求めてくる。
二人はその子供に対して、不安げな目線を送っていた。
玲奈はぐるりと周囲を見回していた。
「ねえ、気をつけて……」
「うん、わかってる。囮かも知れない」
それはよくある手口だった。
ああやって小さな子供で油断させて。その裏から武装した人間たちが不意を突いて攻撃してくる。
何度か目撃したこともあった。
「おねがいします……おねがいします……」
そう訴えてくるたびに、紫音の中で心拍数が上がっていく。今だってどこかで監視されてるかもしれない。
幼い子供だとしても、油断することは出来ない。何かのサインを送ることぐらいはできる。
「ねえ! お父さんとお母さんはここにはいないの?」
紫音は声を張り上げて聞いていた。緊張からその声は上ずっていた。
「……こっちにいるの! 助けてあげてほしいです! ねつを出してて死んじゃうかもしれないの!」
少女は負けじと声を張り上げていた。
林の方を指差していた。杉の木が乱立的に並んでいて。物陰が多く、見通しが悪い。
その場所自体が、とても人が住めるような場所には思えなかった。
その陰り具合を見ていると、誰かが潜んでいるのではないかと思う。
「……やっぱりあの子は、囮なのかな?」
紫音は聞いていた。
「どうだろう、わからないよ。だけど、囮として使うのなら、わざわざここで待ち伏せる理由がわからない。人通りが少なすぎるんだよね……」
玲奈は根拠を挙げていくが、その一方で、とても悲しそうな声になっていく。
「それに、たとえあの子が本当のことを言っていたとしても、私たちができることはあまりないかもしれない」
「囮かどうか。何とかうまく確認する方法は無いかな?」
紫音は自分で言いながら、そんなうまい方法は無いと思っていた。
こう着状態が続いていた。じれったくなってしまい。紫音は玲奈の服を引っ張ってみる。
「ねえ、せめて、距離を取った方が良いと思う」
「そっか、そうすれば良いんだ。ちょっとやってみる」
玲奈は何かを閃いたようだった。
窓から顔だけを出すと、両手で口元に添えた。
「ねぇ、私たちにお父さんとお母さんの場所まで案内してほしいから、一度こっちまで来てくれるかな?」
すると、レバーを動かして、バックしていった。五十メートルほど後ろに下がっていく。
当然、少女も遠ざかっていく。
「……あの子が、私たちのもとに来るかどうか。これで決めてもいいと思う」
玲奈の提案に少女はかなり驚いた顔をしていた。遠目でも混乱しているのがわかった。
それを見ていると可哀想になってくる。
「……怖いんじゃないかな」
紫音はそう話していたが。少女は意を決したようだった。表情も変わっている。
こちらに向かって走ってくる。
「……やっぱり、あの子嘘ついてないよ。私様子見てくるね」
玲奈はドアを開いて、その子を迎え入れていた。
「え、待って。わたしも行く」
紫音が追うように車外に出ると。
子供は玲奈の手を握っていた。彼女も同じように手を握り返している。
紫音もその子供の表情を見ると、とても嘘をついてるような感じではないことはわかった。
それは、あまりにもまっすぐな目で。疑ったことに少なからず罪悪感を抱いてしまう。
「あっちのほうに、テントを立ててるの……」
三人はその林の中を歩いていった。
不安定な足場が続いていた。転ばないように気をつけながら進んでいく。
杉の木ばかりが並んでるような、簡素な林だった。
少女に案内されると、確かにテントがあった。
入り組んだ場所にある上に、モスグリーン色のテントは下手をすると見逃してしまいそうになるくらい風景に馴染んでいた。
「おかあさん。助けをよんできたよ」
少女はチャックを開けて、手招きした。二人は中を覗いてみた、確かに、父親と母親がいた。
「ちょっと! この人たちは?」
母親のほうは、今にも悲鳴を上げそうな顔をしていた。
その様子に、とっさに紫音が頭を下げて挨拶をした。
「驚かせてしまってごめんなさい。わたし達この子に案内されたんです」
長身の玲奈よりも、十三歳でも通るような自分が説明した方が、威圧感も少ないと考えての行動だった。
「この子が? あなた達を呼んだの?」
そしてそれは功をなしていた。
母親は警戒心を多少はゆるめているようだった。
「そうです。ここを通り掛かった時に、この子が助けを求めていて。わたし達を案内してくれたんです」
信じられない。
母親はそんな目で、紫音と玲奈を交互に眺めていた。
紫音はしゃがみ込むと、父親の様子を見ていた。寝袋に横たわっていて、見るからに具合が悪そうだった。特に熱はかなりひどく、四十度以上ありそうだった。
玲奈に肩を叩かれる。
「私。志賀さんから、解熱剤も貰っていたから。それをこの人に渡してあげてもいいかな?」
「……もちろん、そうしてあげてよ。今からわたし、それ取ってくるから」
そう言うと紫音は立ち上がる。
「あっ、そうだ。ちょっと待って、ここら辺の道筋とかわからないから、あなたに案内してほしい。迷子になりそう」
少女に案内をお願いしていた。
誰がテントに残るのか。
話し合ったが、結局先程の三人で移動することになった。
三人は早速車に戻ると、後部座席から缶詰と、軍用携帯食と、薬の錠剤を持ってきていた。
「これとこれとこれでいいよね?」
紫音は聞いていた。
「うん、大丈夫だと思う。お父さん病気だから、果物の缶詰たくさんあげるからね」
玲奈は、子供をあやすように伝えていた。
「そうだ、あなたの名前はなんていうの?」
しゃがみ込んで、名前まで聞いている。
「わたしの名前は。アヤカ……」
「アヤカちゃん、お父さん早く良くなるといいね。お薬をあげるから飲ませてあげて。お姉ちゃんたちも見守っててあげるからね」
玲奈は優しそうに笑っていた。
紫音は少し遠目から見ていた。
その様子を見ていると、昨日人を平気で殺した人間にはとても見えなかった。
見ず知らずの子供を救おうとする優しさと。平然と他人の命を奪える冷酷さ。
それはとてもアンバランスに思えた。
その二つの相反する要素を内包しているのが、この鳥宮玲奈なのだろうか。
「二人のお名前はなんて言うんですか?」
そう聞かれると、二人は顔を見合わせた。
そういえば名乗り忘れていた。
「わたしが紫音で、こっちの人が玲奈っていうの」
今度は紫音が自分たちのことを紹介することにした。玲奈に合わせるように。
「しおんさんと、れいなさん?」
「そう、それで合ってる」
ボストンバックに詰めて運ぶと、玲奈は担ぎ込んだ。
「玲奈、それ重く無い?」
アヤカの手前、紫音は玲奈を呼び捨てにすることにした。
その方がきっと怖がらないと思った。
「大丈夫、慣れてるから。紫音はアヤカちゃんを見てあげてて」
玲奈も合わせるように呼び捨てにしている。
気がつけば。まるで、昔からの友達のように振る舞っていた。
テントまで戻ると、食料品を床に広げていく。
「良いんですか? こんなに」
母親はその量に驚いていた。
玲奈は解熱剤のパッケージを取り出していた。
「本来、解熱剤ってむやみに使ってはいけないのだけど。あの様子だったら使わないと、熱そのもので死んでしまうかもしれない」
母親は水と薬を手渡されると。父親に飲ませていた。
父親は起き上がるのもしんどそうで。薬を飲む時の水でむせそうになっていた。
うめき声をあげながら、また深い眠りに入っていく。
「とりあえずこれで様子を見て、私たちができるのはこの程度だけれど……」
「本当にいいんですか? 何かお礼とかしないと……」
母親はかなり驚いた顔をしていた。当然ながら半信半疑のような微妙な表情だった。
このご時世でこんなことをしたら、逆に疑われて当然だった。
「別にいいんです。あまりたくさんはあげられないし。ほら、困った時は助け合いだから……」
紫音は言いながら、余裕があるからこんなことができるんだろうなと思う。
貴重な食料を無料で差し出していることに焦燥感はあった。
普段だったら絶対に渡さなかった。
それでも、ここまできたら出し惜しみせずに、渡すことにした。
「体調崩してるから、これが食べたいかなと思って。定番過ぎるかなと思ったんですけど……」
紫音が渡したのは、フルーツの缶詰だった。
特に桃の缶詰。風邪の人にはこれが一番良いだろうと話しあっていた。
「ありがとうございます。ありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいのか……」
母親はそれを見て、涙を流していた。
「誰にも助けてもらえなくて、どうしようって……、不安で不安で、でもあなた達が助けてくれたから……嬉しくて……嬉しくて……」
その様子を見て、玲奈は、一瞬だけ微笑んでいた。
その瞬間を、紫音は眺めていて、どういう心境なのか気になっていた。
「とりあえずよかったね。アヤカちゃんもお母さんを守ってあげてね」
玲奈がその小さな頭を撫でていると。
小さく身体が揺れだしていた。
その時、地面全体が揺れていた。
「地震だ! 結構強いよ、これ」
大きな地震だった。とても激しい揺れだった。
それこそ下から突き上げるような感じで。まともに立っている事は難しかった。
「うわっ! やばっ……」
言いながら紫音は尻餅をつくように床にしゃがみ込んでいた。玲奈もその近くに座り込む。
母親が娘を抱いていた。覆い被さり庇うように。
紫音がテントの扉を開くと、林全体が揺れているのが見えた。木の葉が大量に落ちてくる。
木々が音を立てて、へし折れる音がしていた。運が良かったのか。テントに直撃することなく。上手く避けてくれていた。
やがてしばらくすると徐々に揺れが弱まっていく。
「収まったね」
紫音はため息をついた。
時々、大きな地震が来ることはあったが。ここまで強いのは久しぶりだった。
「今のって震度6弱かな? それとも5くらい?」
そう話す玲奈を見ていると。彼女もみんなと同じようなリアクションをするんだなと。ぼんやりと思っていた。
「多分6はいってたと思う」
紫音は言いながら改めて思う。
自分は今、いつ命を落としてもおかしくない。
「みんな大丈夫?」
その場の全員が騒然としている中、父親の心配そうな声で、我に返った。
その日の午後には、再び出発することにしていた。
幸い、父親は薬が効いたのか、熱がだいぶ下がっていたらしい。
薬が全くない状況で、薬を飲むと効きが早いと聞いたことがある。
アヤカは林を抜けるための案内をすると言って、二人についてきたのだが。
途中、遠回りしていた。
どうしても見せたいものがあるらしい。
「これって……?」
そこには、大きな岩があった。
カマボコの板のような形をした大きな岩だった。
「これ、おばあちゃんのおはかなんだよ」
そう紹介された。
「さっきの地震でたおれちゃったと思ったけど。無事でよかった」
その言葉に二人は顔を見合わせる。
「そっか、天国でおばあちゃんが守ってくれたのかもね」
紫音はそう言った。
「アヤカちゃんのおばあちゃんにお別れのあいさつしても良いかな?」
玲奈は聞いていた。
「うん、おねがい」
玲奈と紫音はその墓に、手を合わせていた。
アヤカはさよならだけをして、手を振りながらテントの方へと戻っていった。
林の中に入ってしまうと、もうそれっきりだった。
おそらく今後の人生で、二度と会うことは無いだろう。
「一期一会だね。お父さんが元気になって良かったよ」
玲奈は呟いていた。
「そうだね」
紫音も返す。
二人は車に乗り込むと、早速出発することにしていた。
車が動き出す。狭い道を走り出す。
冷静に考えてみると、こんな辺鄙な場所で待ち構えているなんて。
あり得ない想像だと思うし、いくらなんでも効率が悪すぎる。
それでも、最初に会った時は、心臓が破裂しそうになるほど怖かった。
「ねぇ、よくあの子のことを信じてあげられたね」
紫音は玲奈に聞いていた。
「うん、あの時ね。あの子が私のもとにちゃんと来たから。信じることができたんだと思う」
玲奈はそう話していた。
あの時、アヤカは怯えながらも、父親を助けたい一心で玲奈の元にやってきていた。
だけど、その話を聞いていて、一つの疑問があった。
「……もしもなんだけど、あの子が玲奈の元に来なかったら。どうするつもりだったの?」
怖がって逃げ出してしまうかもしれなかった。
その時はどうするつもりだったのだろう。
「うーん……そう聞かれると困るかも……。どうなんだろう……きっと信じてあげることができなかったと思う……」
その答えを聞いていると、結構、馬鹿正直な女なんだな、と思う。
たとえ建前でも「それでも信じられるように努力したと思う」とか言えばいいのにと思った。
「でも、家族みんなが助かって良かったよね」
「それはわたしも同感かな」
玲奈の言葉に笑ってしまう。
この女も不気味で信用出来ないけど。
根っからの悪人というには。あまりにも純朴な気がしていた。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何ですか?」
「その街に着いたら。玲奈はどうするつもりなの?」
「……報酬を受け取って。また一人で生活していくつもりだけど……」
「報酬って?」
「その街への永住権……」
ああ、なるほど。と紫音は思った。
安全な場所で食料に囲まれた場所ほど、みんなが望むことなんて無い。
命がけで自分を保護しようとする理由としては納得出来た。
「なんかさ、わたしたちって目的は一緒なんだね」
「確かにそうですね」
そこで、紫音は思い付いたことを口にしていた。
「あのさ、もし良かったらなんだけど、その街で二人で暮らすことになったら、時々、友達として遊びに行ってもいい?」
その言葉に、玲奈は驚いていた。
その驚きようがおかしくて、思わずニヤけてしまいそうになる。
「……どうして? 私なんかと?」
「うん、わたしも知り合いとかって志賀さんだけだし。友達とかも、ほとんどが死んじゃったから。寂しいと思うことも多くってさ……。だから、だれかと仲良くなりたいなって思ってたんだよね」
それまで、固く、暗い表情していた玲奈が
、少しだけ笑っていた。
「私が紫音の友達に?」
冗談でしょう、と言いたげだった。
それでも、紫音は笑い返していた。
いつのまにか、お互いを呼び捨てにしてることに気が付いたのは少し後だった。
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