§ 1―17 追われる兎



 月光が静かに荒れた大地を照らす。周囲の静寂の中、蓮と愛菜は5mほど距離を空けて壁に寄りかかって座っていた。蓮が言い返せなくなってから、一言も交わさずに。


『守るって思ってたなら、ちゃんと守ってみてよ!』


 蓮にとって、初めて直接言われた言葉。『あなたのせいじゃないから』『おまえのせいじゃないんだから、元気出せ』と優しくされたいわけじゃなかった。無力さを責めてもらいたかったのだ。誰も責めないから、自分で自分のことを責め続けるしかなかった。


 愛菜の言葉に一晩中、自己嫌悪を繰り返した。それでも、夢で聞いた父の言葉が心をざわつかせ、守られてばかりだった今までを少しでも変えたいと、心の天稟てんびんが少し傾くようになっていた。


 気づけば朝陽が世界を照らしていた。意を決して立ち上がり、歩み寄るこちらの動きに合わせて瞼を開けた愛菜に伝える。


「……おれも行くから。きみは思ったように先に進んでくれ」


「……わかった。……昨日は言い過ぎたわ。ごめん」


「こっちが悪かったんだ。それにきみの言ったことは何も間違ってないよ……」


「……そう」


 彼女はさっと立ち上がり、右手で左の肘をつかみ、背伸びをする。槍を拾い上げ、昇り始めた太陽に向けて顔を向けて言う。


「それじゃ、行きましょう」



 洞窟を抜け、鉄格子の扉を開け、今度は慎重にできるだけ壁や枯れ木などに身を隠しながら進んでいく。前回同様、彼女がゴブリンたちの隙を突き、1体ずつ仕留めていく。


 途中、廃屋はいおくの間で2体に囲まれたとき、蓮は相手の攻撃に合わせて刃を振るい、袈裟けさに叩き切った。恐怖はある。しかし、口には出せなかったが、心の中では、彼女を守りきってみせるという熱情を抱いていた。愛菜は変わらずに、相手の隙を誘うスタイルで表情を変えずにゴブリンを刺し殺していく。



 Y字路を昨日とは逆に、左の上り坂を進む。廃屋が密になっていく。どうやら、この村の中心に向かっているのだろう。ゴブリンの数も進むにつれて増えていった。


 周りに気づかれないようにさらに進んでいくと、円状の広場に繋がっていた。広場はきれいに石が敷き詰められた作りで、中心に崩れかけた片翼の天使の石像がまつってある。広場からは四方に道が分かれていた。


 そこには、先を尖らせた長い木の槍を持つゴブリンが2匹、短めの西洋の両刃の剣を持つゴブリンが3体、何をするでもなく歩き彷徨さまよっていた。


「少し遠回りして進みましょう」


「あぁ、賛成だ」


 身をひるがえそうとしたとき、愛菜がつかんだ廃屋の壁が崩れた。その音に、広場にいたゴブリンたちが反応して、一斉に近寄ってくる。


「逃げるぞ! 水無月」


「えぇ」


 蓮を先頭に、急いで逃げる。廃屋の間を闇雲に進む。出っ張りに足が引っかかるが、なんとかえて走り続ける。建物の角を曲がるとゴブリンが目に入る。


「まかせろ!」


 勢いそのままに、切っ先をまっすぐゴブリンに向け、左手の平で刀の柄頭つかがしらを押すように喉を突き刺し1撃で仕留める。しかし、後ろから迫る複数の足音が近づいてくる。刀を引き抜き、また走りだそうとするが、目の前は行き止まりになっていた。周囲を見渡すと、1カ所入り込めそうな窓を見つけた。


「こっちだ!」


 愛菜の腕を引き、その窓へ急ぐ。彼女を先に入らせ、次いで自分も飛び込み、息をひそめる。飛び込んだ部屋には出口がなかった。奥にあるこの建物への入口は崩れた建材で通れない。


 焦りを感じたとき、ふと部屋の角の床が不自然に埃が薄いことに気づく。目を凝らすと、四角い枠がある。足音を出さないように近づき、その床板を確認すると、どうやら動きそうだ。


 蓮は床板の隙間に指を滑りこませ、力を入れると、床板は浮き、そのままスライドさせる。そこには2mぐらいの深さの地下があり、梯子はしごがかかっていた。


 窓際でこちらを見ていた愛菜も、その地下への入口に近づいて、中を確認し、蓮に視線を送る。


「入りましょう」


 蓮は小さくうなずく。窓の外からはゴブリンたちが駆け寄ってくる足音や奇声が聞こえてくる。蓮は思い切って、下に飛び降りた。


 膝を曲げ着地し立ち上がったとき、顔の横を「ヒュッ」と何かが通り過ぎた。通り過ぎた何かがそのまま壁に当たり、落ちてカランっと転がる。飛んできた暗闇の中に視線を送ると、弓を持つ何者かが見えた。咄嗟とっさに刀を構える。


 うっすらと暗がりの中に見えたのは、弓を持つ人間だった。


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