§ 1―16 無知への罰



 水無月みなづき愛菜あいな。彼女は大手不動産会社の課長の父と、美容と化粧とファッションにばかりに金を使い、昼間はどこかしらによく出かけている専業主婦の母のもと、一人娘として育った。小学校受験に失敗してからは、娘に興味をなくし、進学塾や水泳、書道など、毎日、習い事をさせられた。それは、教育熱心だったからというわけではなく、もはや育児放棄だった。父も仕事が忙しいからなのか、いつも帰りは遅く、日曜日も家にいることはほとんどなかった。


 中学生になり、愛菜は部活動に打ち込んだ。バスケットボール部に入ったきっかけは、友達の沢村香苗に誘われたからだ。部活はハードだったが、それが親交を深め、初めて仲の良い親友と呼べる友達ができたのは、愛菜にとって支えになった。


 中学3年の最後の大会の後、打ち上げで行ったファミレス帰りに、ふいに告白された。その相手は男子バスケットボール部の部長をしていた篠崎圭太。周りからの人気があり、中性的な顔立ちの俗に言うイケメンだ。愛菜もひそかに恋心を寄せていた相手だったので、2つ返事で告白にOKした。


 最後の大会後、心のり所だったものがバスケットボールから彼氏に変わり、愛菜は彼氏に夢中になった。夏の終わりには、体の関係になっていた。


 少しでも彼と一緒に過ごしたいと、愛菜は受験勉強を必死にし、その甲斐もあり彼と同じ高校に進学することができた。


 しかし、ここからだった。彼女の人生がゆがみだしたのは。


 高校1年のGWの最後の日、妊娠していたことがわかった。両親には言えない。彼に伝えるのも怖くて、親友である沢村香苗と他2人の元バスケ部に相談する。「やばいじゃん!」「降ろすしかないよ」と言われ、最後に「困ったことがあったら相談してね。できることはするから」と励まされたのは、純粋に嬉しかった。


 その次の日曜日。スマホで彼に連絡し、親のいない家に慣れた足取りで入って来た彼に、そのことを伝えた。彼は「どうしよう……」と狼狽うろたえ、しばらくして「ろそ……」と、申し訳なさそうに言った。愛菜は子供を堕ろすことには賛成であった。というよりも、彼との関係が変わってしまうことを恐れた。しかし、このときの彼女も彼も、何も現実が見えていなかった。


 スマホで中絶について調べると、どの医院でも、親の同意書と数万円の費用が掛かる。親になんて相談したくもない。死んでも妊娠したなど言えない。その旨を彼に伝えると「わかった。なんとかするから少し待ってて」と言うので、彼に任せることにした。体調も悪くなり、入りたての部活も辞めた。空いた時間が増え、寂しさを埋めるために彼に連絡しても、返事は徐々に遅くなりはじめ、「もう少し待って」「お金が必要で今集めてるから」と、いつも同じ返答の繰り返しだった。


 6月中旬、2週間ぶりに彼からメッセージが届く。『なんとかお金を用意できないか?』と書いてあった。以前のように、彼と過ごせるのではと思い、唯一頼れる中学時代の友人たちにお金の相談をしたところ「ごめん。今、お金無くて」と断られたのは、愛菜にとってショックだった。


 彼に「ごめん……。お金……集められなかった」と、かき集めた自分の3万円を渡すと、今度は「やっぱり親に相談するしかない」と返事をされたが、それだけは受け入れられなかった。


 彼とは連絡がほとんど取れなくなっていた7月。事件が起きた。連絡が取れない彼と話すために登校した放課後、階段から突き落とされた。転げ落ち、気を失い、病院に運ばれると、赤ちゃんは流産していた。


 妊娠していたことを知った両親は、すっかり身体と気持ちが病んでいた愛菜を容赦ようしゃなく攻め続けた。信じていた彼にすがりつくように連絡をしても、何の返事も来ないし、電話も出てくれない。そして、もう子供が作れない体になったことを医者から伝えられた。


 退院してからは、学校にも行かず、部屋で彼からの返事を待ち続ける日々を過ごした。


 8月の終わり。お昼を買いにコンビニに行ったとき、偶然、彼を見かけた。横に一緒に歩く中学時代の友人、沢村香苗と腕を組んでいるところを。


 次の日、沢村香苗に電話をすると「今、彼とつきあっているんだ。愛菜からしつこく連絡がくるのを迷惑がってるから止めてよ!」と言われ茫然ぼうぜんとする。


 9月に、学校帰りの彼を待ち伏せて、彼に問いただす。


「どうして返事してくれないの?」


「もううんざりなんだよ。子供も堕ろせたし、よかっただろ? あの事故は友達にお願いして、やってもらったんだよ。お前から預かった3万円でさ。今、香苗と付き合ってるからもう連絡しないでくれ」


 愛菜は頭の中が真っ白になりひざまずく。もう、すがれるものは、何1つ無いのだと絶望した。こんなことになるなら、赤ちゃんを産めばよかったと後悔した。


 それから3日後。自分の部屋で、ふと目に入ったスマホの画面の反射で、髪が真っ白になっていたことに気づいた。まるで老婆のような髪。それが彼女にとってのスイッチだった。


 愛菜は、湯舟で手首を切った。


 そして、目覚めた地獄で見た石碑の内容に、希望を見つけた。生まれ変わりなどというものがあるならば、人として生まれ変われれば、殺してしまった赤ちゃんの生まれ変わりに会えるかもしれないと。


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