§ 1―12 怒りのままに



鳴無おとなしくん! 待って! 一人じゃ無理よ!」


 微かに彼女の声が聞こえてくるが、身体にかかった醜悪なゴブリンの血の匂いで、彼女の言葉は頭に入ってこない。制服の白いYシャツはほとんど赤く染まっている。この怒りを発散することだけに意識は満たされていた。


 最初に見えていた廃屋を通り過ぎると、右方向にまたゴブリンの姿が視野に入る。ゴブリンもこちらに気づき、奇声を上げ走り寄ってくる。蓮はだらーんと構えもせずに視線を送り続け間合いが詰まる。右手の手斧を頭上に振りかぶり、それを振り下ろそうとする刹那、そこに半歩踏み込み右手一本で、そのがら空きの喉元を突く。不意に首を突かれ、振りかぶった手斧を手放し、ゴブリンは刺された首に手を当てる。流れる血と痛みに気づき、顔が歪みだす。そこに躊躇ためらいなく、苦しむ化け物に蓮の刀は真横に振るわれ、ゴブリンの首は叩き切られる。切り放された頭部は地面に転がり、切られた首からは血が噴き出しながら、残された身体はその場で膝をつき、後ろに倒れる。その姿を見る蓮の目は、氷のように冷たい。


 その一部始終を見ていた愛菜は言葉を失い、ただその光景を眺めていることしかできなかった。先ほどとはまるで違う蓮の姿にただただ目を奪われる。


 倒れたゴブリンを見届けた後、何もなかったかのように身体の向きを変え、また石畳を歩き出す。その姿を見て、愛菜は固唾をのみながら距離をとってついていく。



 こんなものでは収まらない……まだだ! まだまだ足りない!



 先ほどの騒音を聞きつけたのか、周辺にいたゴブリンたちが集まってくる。物陰に隠れながらついていく愛菜の目に、7体のゴブリンが目に入る。この数の中、助けに出ても、結局、なぶり殺される。前回、ここに来たときと同じように……。


 しかし、蓮は恐れることもなく、漫然まんぜんと走り出す。一番近くのゴブリンはあわてて手斧を振りかぶるが、振り下ろす間もなく横一文字に腹部を切り裂く。


 そこに近くのゴブリンが襲い掛かるが、相手の勢いを利用する形で、手斧を振る前に喉を貫く。ゴブリンの返り血で真っ赤になるその表情には、先ほどのおびえは一ミリもない。ゴブリンたちよりも殺意に満ちた目をし、不愉快そうな表情を浮かべる。


 次々とゴブリンたちが襲い掛かっていくが、武器を振り下ろす前に刀が振るわれる。腹を裂き、目を深々と突き刺し、振り下ろす腕を切り落とす。


 最後に2体同時に、恐怖にも似た掛け声を上げながら襲い掛かる。しかし、振り下ろされる2つの手斧を、バックステップでかわすと即座に前に出て、真横に刀を左から右に振るい、一方の首を跳ねる。もう一方のゴブリンはすでに戦意を喪失そうしつしたのか、その場に立ちすくんでいると、蓮はゆっくり近づき、頭上から力いっぱいに刀を振り下ろす。頭頂から入った刃は眉間にまで達していた。


 刃を引き抜き、噴き出す血飛沫ちしぶきを浴びる。全身血だらけになっていたが、刀を振るい血を払う。蓮はまた歩きだすが、疲れたのだろうか、足がふらつく。それを見ていた愛菜が蓮に近づく。


「ねぇ! 大丈夫?」


「はぁ……はぁ……」


 声には出さず、大丈夫だと目で伝える。ゴブリンたちを切り倒したことで、少し怒りのボルテージが下がったのか、今は彼女の声が聞こえる。心臓の鼓動が激しく鳴り響く。自分の中に、まだこんな感情が残っていたことに驚く。


 自分のせいで大事な人が死ぬことに罪の意識を抱いた一方で、この世の中の不条理を呪っていた。「なぜ、自分だけが……」そんなやり切れない思いがあることに、この地獄の中で気づかされるとは思いもよらなかった。他人の命を奪う者への怒りを、蓮は自覚し始めた。


「こんな戦い方をしてたら、すぐに囲まれて殺されるわ。ここからは物陰に隠れながら慎重に進みましょう」


「はぁ、はぁ……。……そう……だな」


 近くの廃屋はいおくに身を隠し、呼吸を整える。身体中に浴びた返り血から漂う匂いに嫌悪感を持ちながら、息を整え終えると、改めて村の中を進みだした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る