第三話 頼りにしてる?③
「怖がらないで、そのまままっすぐ進んで」
「俺の言う通りにして。そうすれば、絶対に助かるから」
そんなの嘘。
このやろ……この子は、いったい私をどこに連れていこうとしているのだろう。
絶対にろくな場所じゃない。
ヘタしたら命の保証もない。
知らんけど!
私は、怖くてずっとまともに見られなかった窓ガラスに目を向けた。
大丈夫。
変なものは、なにも映ってない。
そうよ。
真夜中に校舎で泣きそうな顔してるアラサ……大人の女より変なものなんて、ここには映ってな……あっ、こわい! 髪の長い女こわい! あーもー、髪くくってくるんだったー。こーわーいーーー。
私は窓の鍵を開け、この廊下の続く限り並ぶ引戸を、片っ端からスライドさせようと試みた。
だめだ。どれも全然開かない。
ホラーやパニック系の鉄板とか、リアルで求めてないのよ! あ、ラブコメ・ラブロマンスは大歓迎!
どれか一ヶ所でも、開きさえすれば……。
「先生? そっちじゃないよ。まっすぐ進んで?」
藤村尊もどきの、不安げな声が聞こえる。
白々しい。
「……見えているかのような口振りじゃない」
「見えなくても、先生のことならなんでもわかるよ」
……嘘ばっかり。
私はニセ藤村尊の声に、乾いた笑いだけ返し、窓をこじ開ける方法をあれこれ試し始めた。自信があるのは脚力だけじゃないのよ。
「先生。先生? ねえ違うってば……」
「なにが」
「そっちじゃないって言ってるだろ!!」
藤村尊の口からは聞いたこともないような怒声が響き渡り、窓ガラスが振動する。
電話するフリなんて、もう意味がなさそうね。お互いに。
「……なに大声出してるのよ」
「ごめん。でも、俺そっちは違うと思うよ? まっすぐ歩いて、そのまま図書室に来てよ」
「だから、さっきから着かないって……」
「もう大丈夫だから。早く来」
ガッシャーーン!!
ニセモノが言葉を紡ぐ前に、後方で煌びやかな破壊音が弾ける。
振り返ると、割れて散らばった窓ガラスの中に、
「……っ!」
チャンス、とばかりに私は身を翻した。膝をバネに、窓枠に足をかける。
ヒールなんて履いてなくて良かった。
ゴツめのスニーカーの靴底でガラスの欠片を踏みにじり、
「ふんっ!」
雄々しい掛け声とともに、私は飛び降りた。
着地地点の確認? それって
***
割れた窓の下にあったのは、園芸部が管理する花壇だった。
休耕の時期なのか、幸いにして花も野菜も植えられておらず、柔らかな土の感触だけが私の膝と踵を受け止めてくれる。
ふと、細かい砂利の鳴る音がして、目の前に制服のスラックスに包まれた細い脚が二本現れた。
顔を上げると、制服姿の藤村尊が呆れ果てた顔で私を見下ろしている。
「なにやってんの、
「本物かしら?」
「アンタの危機にこうして駆けつける男が、俺の他にいるんなら是非とも紹介してほしいんだけど?」
「……呼んでないわよ」
悔しいけれどほっとして、私は憎まれ口を返す。
しかし、なぜ彼がこんな時間にこんな場所にいるの? 電話の相手はニセモノだったはず。まさか目の前のこの子もニセモノ? それとも、本物にGPSアプリでも仕込まれた?
ポケットからスマホを取り出す。
画面表示はまだ、藤村尊のニセモノと通話中だ。
「俺、
王子様みたいでしょ?
ふざけた軽口を叩きながら、藤村尊(おそらく本物)が笑顔でそれを奪い取った。
そして、
「おーい、聞こえる? ちょっとオマエさ、勝手なことしてんじゃないよ。次やったら、窓ブチ割るんじゃ済まないからな」
スマホに向かってやや低い声で告げると、最後に口の中で何事かを呟きながら通話を切った。こんこん……とかなんとか。
っていうか、口悪。
「はい。これ返すね」
「え、ええ」
「帰ったら塩水にでも浸かりなよ。めっちゃ抱きつかれてたよ」
「!?」
あ。変な声出た。
やたら近くで声がするなと思ったけど、くっついてた? 取り憑かれてた? もしかして本当に耳元で囁かれてたの!?
「あんまりベタベタしてるから、ムカついて
しちゃった、じゃないんですけど。
「かなり派手にいったわね」
散らばった窓ガラスの破片に目をやる。
生徒が触ると危ないし、早めに片しておかないと。もちろん、明日以降。日中。
「平気平気。月曜日になったら、俺がちょっぴり怒られてくるよ」
頭の後ろで腕を組むというアオハル全開ポーズで、彼は余裕綽々と笑った。
「そんなわけにはいかないわ。私のせいなんだし」
っていうか、あのまま窓が開かなかったら、最終的には自分で蹴破る気満々だったんだもの。
その場合、さすがに怪我は免れなかったと思うけど。
「学校司書が夜の校舎に忍び込んでガラス割るほうがまずいと思うけどなあ」
「うっ」
「それに俺、普通に正門から入ったから監視カメラに映っちゃってると思う……」
「それ、誤魔化しようがないじゃない」
「大丈夫だよ。校長先生、俺に甘いから」
「は? 校長ってショタコンなの?」
結構なお歳のおじいさんだったと思うけど。
このアイドルフェイスにヤラレたのだろうか。
校長が特定の生徒を贔屓するのは、あまり感心できない気が……あれ、私もしかして人のこと言えない?
藤村尊は言葉の意味がわからなかったのか、首をかしげていた。
「それで? なんでこんな遅くに校舎に入ったわけ? 夜の学校なんて、
そこからか。
ひととおり説明したつもりになっていたけど、さっきの彼はニセモノなんだった。
ってことは、電話越しに散々弱音吐いたの聞かれてない? ラッキー。
「忘れ物したのよ」
やったー、残業めっちゃ疲れたけど明日から二連休だー……って嬉々として帰宅。シャワー浴びて、文庫本を片手に一杯やろうとしたところで気がついた。最悪。で、色々なげうってここまできたのに、回収に失敗。うん、やっぱり最悪。
いくらこの子が一緒──頼まなくてもついてきてくれるだろう──でも、あんな恐ろしい目に遭った直後の校舎に引き返す気にはなれない。
私はがっくりと肩を落とした。
「楽しみにしてたのに……」
「忘れたのって、もしかしてコレ?」
だから、藤村尊が差し出してきたソレは、まるで敬虔な信徒にとっての聖典のように思えた。
「どうしてこれを!?」
「えへへ。やっぱりそうだった? 俺も忘れ物しちゃってさぁ、鍵借りて図書室戻ったら、カウンターに置いてあったから」
千円でお釣りのくるちっぽけな文庫本が、私の手の中で黄金のインゴットのように光っている。
結局校舎に入る必要無かったじゃん! なんて、そんな無粋なこと言わないわ、この際。
「藤村くん、ありがとう!」
「どーいたしまして」
藤村尊は嬉しそうに、少しだけ照れたように笑った。
かわいいとこ、あるじゃない。
「届けようと思ったんだけどさ、俺、
「あはは、は」
むしろ、抜いていなかったのか。
あれだけやっといて、そっちの方が驚きだわ。
<④へつづく>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます