第三話 頼りにしてる?②

『そこ、本当に俺たちの学校かな』


 藤村ふじむらたけるの述べた不吉な疑問。


 それは私が、先程から漠然と抱いていたものとよく似ていた。


 言葉にするとよりいっそう不気味さが増すため、脳内ですらも言語化しないように努めていたのに。


「……学校よ」


 そう信じたい。

 心の中で、私はひそかに付け足した。


『だとしても、いつもの様子とは違ってるみたいだ』


「それは、ある」


 二十分もあれば、折り返すどころか、目的を果たして既に校舎の外にいてもおかしくない。基本早足の私ならば尚更。


 それに、二階に上がってからしばらく──多目的室1、図工室、生徒トイレ、多目的室1、図工室……、なんだかこれの繰り返しで、風景が全然変わってないような気がしなくもなかったというか。


 けどね、そんなの……。


「絶、対に、認めたく、ない」


 どうしよう。

 どうしよう。


 めちゃくちゃ怖い。

 腰が抜けそう。


 背中モゾモゾしてきた。


「ウソでしょ、ぜったいやだ」


『お酒飲んでないなら、たぶんマジ』


 心外な。私は素面しらふだ。


 なにせ、お風呂上がりの至福の一杯を前にして、むざむざと家を飛び出して来たのだから。


「藤村くん。私、さっきから同じとこグルグル回ってるっぽいわ……」


 気付くのが遅すぎる、ですって?


 懐中電灯の光は足元に向けていたのよ。窓ガラスになにか映ったらイヤだから。


 図書室は突き当たりにあるからから、別に見なくたって辿り着けるの。


 なんか文句ある!?


『すっごくベタな展開だね。とりあえず、すぐにそこから離れて』


「グスッ……言うは易し」


『だけど、案ずるより産むが易しだ』


 私は半泣きで、もと来た道を振り返った。


 あれ。こういうのって、あんまり振り返っちゃいけないんだっけ?


 もうやだ……。


「ヒェッ。階段が無くなってる……!」


 下りと昇りの階段があるべきスペースは、ただの白い壁に――なっていたら、まだ良かった。


 真逆だ。真っ暗闇。


 そこだけ別の空間に繋がっているかのような、見るからにヤバイ感じの漆黒の渦が、大きく口を開けて私を誘っている。


 行かない行かない。

 絶対に入らないわよ!


『完全に標的にされてるね』


「な、なんで?」


『入ったのがわかったから、出口を塞がれた。つまり、もう逃がさないってこと』


 膝が笑う。バカみたいに震えが来て、奥歯が鳴る。私は廊下に屈み込んだ。


 最悪。


 なんでこんなことに。


 本の続きを待ちきれなかったから?

 本を置き忘れたから?


 身から出た錆だっていうの?


「……藤村くん」


『なあに』


「お願い。電話切らないで。助けに来いなんて言わないから、私と話してて。怖いの」


 ひと回りも離れた子供に、こんなこと頼むなんて死ぬほど情けない。けれど、私を取り巻く事象が不気味で恐ろしければ恐ろしいほど、考えてしまう。


 あの子がそばにいてくれれば──と。


『もちろんだよ。先生』


 少年が耳元で囁く。


 その、とびきり優しい声を聞いたとき。


 私は全身から血の気が失せ、冷たい床に膝から崩れ落ちた。


 風の音が聞こえる。とても強い。


『どうしたの』


 なぜ。


 どうして気が付かなかったの。


「大丈夫?」


 どうして耳元で彼の声が聞こえるの。


 スマホはいま、ジャケットの左ポケットにあるのに。


「……っ」


 ポケットの中で握り締めていたスマホは氷のように冷たくて、なんだか頭がくらくらする。


 私は震える指でスマホを取り出し、イヤホンジャックに端子を挿した。ロードワークのため、上着のポケットにはいつも有線のイヤホンを入れている。


 念のため。ただの確認だ。


 気のせいだったらそれでいい。むしろ、そんな幸せなことはないでしょう。


『先生?』


 少年の優しく、無邪気な声。


 私はなにも答えず、プラスチックの黒い空豆を耳の穴に押し込んだ。


 途端、ふたたび強い風の音。


 でもそれだけ。そこからは、藤村尊の声など聞こえない。誰の気配もしない。


「────……っ!」


 胃の底と胸の奥が、凍った石でも飲み込んだみたいに冷える。


 体感する温度とは裏腹に、心臓が猛烈な勢いで早鐘を打ち始めた。


 ……危なかった。


 コイツがうっかり呼び間違えなければ、騙されていた。


 私は教師せんせいじゃない。

 藤村尊も、私を教師せんせいとは呼ばない。


 李葉子リョウコ――。


 生意気に呼び捨てるあの声が、今だけは恋しくてたまらない。


 もう通話が切れたってかまわない。

 スマホを取り出し側面の電源ボタンを押すと、“非通知”と“通話中”の文字が同時に目に入る。


「藤村くん……」


 耳元で、優しげな声がきこえる。


「大丈夫だよ。俺がついてるから。怖がらないで、そのまままっすぐ進んで」


<③へつづく>

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