第三話 頼りにしてる?④

 裏門をよじ登ってアスファルトに着地すると、堂々と正門から外に出た藤村ふじむらたけるが、とてとて走り寄ってきた。ちびっこいくせに、なかなかに足が速い。


「ほんと、李葉子リョウコって見た目に反してアクティブだよね」


「よく言われるわ」


 第一印象、女医。絶対に理系。

 白衣なんて着たこともないけど。


「二階の窓から飛び降りてくるしさ」


 おどかすだけのつもりだったのに、と藤村尊はため息をついた。


「振り返ったら階段が無くなってたんだもの、仕方ないでしょ」


「なにそれ。ベタだね」


「貴方のニセモノも同じこと言ってたわよ」


「偽物? 俺の?」


 藤村尊が、子猫のように小首を傾げながら私を見上げた。


 はいはい、可愛い。


 いちいちあざとい。羨ましい。


「貴方のふりして、ややしばらく話してたわよ。先生なんて呼ばれなければ、たぶん気付かなかったわ」


 藤村尊は私の顔を見つめたまま、黙っている。不思議そうな、驚いているような、なんだかよくわからない表情。


「……なによ」


李葉子リョウコは、この学校の七不思議を知ってる?」


「図書室で本の雪崩なだれが起きる」


「残念。あれはランク外かな」


 藤村尊が、ぱち、と片目を閉じてみせた。


「中で李葉子リョウコがどんな目に遭ったかは、なんとなくわかるけど……」



 “無限回廊の呼声よびごえ”――と彼はいった。


「真夜中に校舎の二階に上がるとね、電話が掛かってくるんだ」


 スマートフォンの画面に映るのは、知らない番号か非通知なのだそうだ。


 普通そんな電話、出る?


 否。むやみに出るべきではないことを、多くの人は知っているはず。


 けれども、静まり返った夜の校舎とあっては、突如として鳴り響く着信音に、みな焦って応答してしまうらしい。


「私も同じよ」


 早く着信音を止めたくて、相手も確認せず咄嗟に出てしまった。


 いま思えば信じがたい行為だが、あのとき藤村尊の声が聞こえて、安堵したのを覚えている。ぜっったいに言わないけどね。


「でね、相手と話しているうちに気付くんだ。いつの間にか、自分が終わらない廊下を歩いていることに」


「回廊じゃないわよね?」


「俺も思った。けど、廊下よりも回廊のほうが、響きがカッコいいって理由らしいよ」


 なにそれ。厨二病?

 文章を書く身として、わからなくはないけど……。


「助かる方法とかないの?」


「うーん。窓を破って飛び降りる!」


「それは私くらいしかできないでしょ。じゃなくて、そもそも無限回廊に迷い込まない方法よ。あるんじゃないの」


 そうでなければフェアじゃない。


 どんなホラーも、攻略法がある──または、それを見つける余地があるからこそ、立ち向かう気にも、読む気にもなれるというものだ。


 最初から助からないとわかっていれば、読者も主人公も諦めるほかない。


「電話が来てもスルーすればいいんだよ。逆を言えば、出たらおしまい。もう逃げられない」


「……」


「はずなんだけど」


 藤村尊がくすくす笑い出す。


 私の豪快な脱出方法が、いまだツボにはまって抜けないらしい。


 大きな目に涙を浮かべ、華奢な肩を震わせ、しまいにはひーひー言い始めた。


「笑いすぎ」


「ごめんごめん。それでね、この話にはもうひとつ大事な点があって」


「助かる方法以上に大切なポイントがあるの?」


「その電話はね」


 話しながら、藤村尊が私のジャケットの袖をくいと引く。


 そして、猫のようににゅるりと伸び上がって、耳元に唇を寄せてきた。


「いまその時、もっとも会いたい人の声を借りて掛かってくるんだって」


「……!?」


「ね。俺、すっごく頼りにされてるかも」


 満足げに笑った彼の弾む吐息にくすぐられ、銀のピアスがかすかに跳ねて揺れる。


 私は自身に対する驚き、言い様のない羞恥、そして凄まじいばつの悪さに、否定の言葉も見付からず、ただ頭を抱えるしかなかった。


<了>

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